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10話 それでも生きている(リヒト視点)

 クレアシオン神殿付属総合病院は、他の多くの医療施設と同じく真っ白で堅牢な建物だ。


 ポラリスは壁も床もカーテンも白い、まるで白という色彩を愛しすぎた人間が勢いだけで作り出したような病室に案内される。患者用の淡いブルーの病院着に着替えるやいなや、夕食が運ばれてくるのも待たずに眠ってしまった。

 それだけ疲れているのだろうと、守護騎士となるリヒト・フローレスはその青白い寝顔を見つめた。


 親からは泉から湧き出る水のごとく愛情を向けられるべきだった。なのに現実は、暴力と暴言の嵐を浴びせられたのだ。

 ベネデッドとイヴォンの二人を、リヒトは永久に許すことはできないだろう。正直イヴォンと顔を合わせたときには、一発殴ってやろうかと思ったほどだ。


 きり、とかすかな音を立ててリヒトは歯噛みする。


 白い戸がノックされて、食事の載ったトレイを持ったナースが来た。リヒトは慌てて表情を柔らかなものへと切り替えて応対する。厳しい顔を見せて、無闇に人を怖がらせたくはない。


「すみません、クライノートさんにお夕食をお持ちしたのですが……。眠ってしまわれていますね」

「僕が預かっておきましょうか。魔法で保温できますし」


「助かりますフローレスさん、お願いできますか?」


 ここのナースは勤勉で誠実だ。美貌の青年騎士であるリヒトを見ても少しもにやつかないところが、さらに好感が持てる。


「ええ、もちろん。彼女には温かいものを食べさせてあげたいですから」

「そうですよね、お願いします」


 神殿騎士はエーテルを通じて魔法が使える。魔獣と戦うための戦闘用魔法ばかりを習得する騎士も多い。その中でリヒトは生活用魔法も使えるように鍛錬していた。

 単純に使えると便利だというのも大きいが、リヒト自身に幼い頃から魔法への強い憧れがあったからだ。


 保温する魔法は使用頻度が高い。アイス類も溶けなくなるしスープも冷めなくなる。何でも似たような魔法で麺類が伸びなくなるという魔法もあるらしいのだが、伸びっぱなしのズルズルしたヌードルも好むリヒトはこれはまあ覚えなくていいやと思っている。


 ナースが退室するのを会釈して見送る。自分と同じ働く人への敬意を忘れてはならない。


 今日のメインディッシュは鶏肉のクリーム煮のようだ。バゲットの輪切りに、キャベツの酢和えにトマトスープも付いている。なかなか美味しそうだ。


 リヒトは仕事道具をまとめた鞄から、クリーム色の小さなパッケージを取り出した。世界的有名なクッキータイプの総合栄養食『カロリーパートナー』のペッパーベーコン味である。


 他にもバニラとかチョコレートとかブルーベリーのようなオーソドックスな感じの味もあるのだが、リヒトはこのスパイシーなペッパーベーコン味が一等好きだった。

 唯一の甘くない味なのもポイントが高い。


 甘いお菓子も大好きな、いまはリヒトはもぐもぐとカロリーパートナーを咀嚼した。ほんのりと肉と脂と、ぴりっと胡椒の風味が淡く青年烏の口の中に広まった。

 一見味気ない食事にしか見えないが、今のリヒトには勝利の美酒と同然だった。


 ――やっと、会えたんだ。


 この手のもとに、ポラリス・クライノートを取り戻せたのだ。これが幸福でなくて何だというのだろう。

 もちろん懸念事項もある。ポラリスの体調がまだ思わしくないのもあった。それはまだいい。


 一度神殿に保護されれば、次期聖女として機能しないと判断されても保護は継続される。リヒトとポラリスのかつての関係はリヒト自身が周知させているので、いっしょにいても問題はないだろう。外堀を埋めておくのは大事だ。


 だが一番はやはりポラリスの両親――ベネデッドとイヴォンが逮捕されてしまったことにある。 

 誰でも一緒の家に住んでいた人間が罪を犯して逮捕されましたとなれば、強い衝撃を受けるだろう。


 リヒトもポラリスの両親にはいろいろ思うところがありすぎた。

 さっきもできるなら婦女暴行になるのを覚悟でイヴォンを一発ひっぱたいてやりたいくらいだった。ポラリスを怖がらせたくないので自重したけど。


 それでもリヒトくらいならまだ「ああ捕まったの、やっぱりね」で済む。今までポラリスに危害を加えていたのだから、せめて今後はその分きっちり償って欲しかった。


 ポラリスは雷に打たれたようなショックを受けていた。そりゃあ腐っても親だ。自分を産んでくれた人間たちだ。愛はなくとも多少の情くらいはあるだろうし、ポラリスが「逮捕されたのはじぶんのせいだ」と自責に走らないかが心配だった。


 そのくらいのことはリヒトにも理解できる。


 リヒトもリヒトで、そこそこ波瀾万丈な幼少期を送ってきた。だから大変な半生を送ってきた者同士、ポラリスのことはわかってあげたかった。甘やかしてやりたかった。


 子どもの頃リヒトが大変だったとき、現れてくれたのがポラリスだった。


 ――君が僕を、人形から人間にしてくれた。


 かつてリヒトは、他人から求められる自分ばかりを演じていた。幼くて哀れなからすの道化は、けれど一人の女の子に救われた。


 当然のように、約束されたことのように、リヒトはポラリスを好きになった。

 友愛の好きではなく、恋情の好きだった。リヒトの初恋だ。


 リヒトは今もポラリスに恋をしている。

 彼女と離れていた年月は、どういうわけか恋心をさらに強く狂おしいものにさせていた。


 ――もう、離れたくない。


 今夜リヒトはこの病室に泊まる。もちろんポラリスが嫌がればやめる。

 妖精種フェアリーには色欲を抑制できる便利な能力がある。ポラリスが男と同じ部屋で一夜を過ごすことで危惧するようなことは起きないし、リヒトが起こさない。


 ――好きだよ、ポラリス。


 リヒトはそっとそうっと、愛しいポラリスの寝顔を見つめた。

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