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もみじの黄泉路  作者: 荒々繁
序章
3/7

呼ばれし者

 漆を塗ったような、どこまでも濃い闇だった。

 何もない空間に、椛はただひとり浮かんでいる。地に足が着いていないという感覚が、底知れぬ不安を増幅させた。

 まとわりつく生ぬるい空気が、蛇の舌のように肌を撫でる。


「……人間だ」

「上等な──(はく)を持った娘だ」

「美味そうだ」

「こい。こい」

「美味そうな魄を持った子」


 生暖かい空気がするすると這い寄り、蛇のように椛の身体に絡みつき、締め付ける。


「……く、るしい……」


 形のない何かに首を絞められ、必死にもがく。

 四方八方から囁き声が降りかかる。それは人間の声ではなかった。湿り気を帯び、骨の髄まで染み込むような、おどろおどろしい響きだった。


「……これは、アイツの生まれ変わりか」


 驚きに染まった声がひとつ。


「本当だ……あの女の生まれ変わり」

「喰い逃した最後の生き残り……」

「忌まわしき人間どもに殺されおって」

「今度こそ、あの女の価値も分からぬ愚かな人間に殺される前に──」

「喰らってやろう。我らの力とするために」

「ああ、それが良い」

「そうしよう」


 周囲の闇がざわめく。椛は手足をばたつかせ、必死に抵抗した。

 目には何も映らないが、確かに何かがすぐ傍にいる。しかもそれは、椛に害を成すものだと、本能が告げていた。


「……いや……離して……離してよッ!」


 ここが生か死かすら分からない場所なのに、椛はただひとつ「死にたくない」と強く願った。


 そのとき。


「私の女に、触れるな」


 背筋をざわめかせる囁きとはまるで異なる、猛々しい声が闇を(こだま)した。


「また……邪魔をするか」

「神の分際で禁忌を犯した愚か者が」

「最後の生き残りすら護れぬ頓馬め」

「人間を殺し、凶神に堕ちた悪神が」


 不気味な声の主たちが口々に(そし)る。


「黙れッッ!」


 猛り立つ一喝が響く。

 直後、眩い閃光が闇を切り裂き、影一つなかった空間に、無数の異形が浮かび上がった。

 それは、妖怪と呼ばれるものたちの群れだった。


 椛の身体を締め上げていたのは、蟒蛇(うわばみ)の尾。

 閃光が走り、蟒蛇の尾が断たれる。

 重しが外れたように椛の身体は宙へと浮かび上がり、妖怪たちの頭上を越えていく。


 さらに高みには、巨大な戦斧を片手に構えた男が、妖怪たちを見下ろしていた。

 巨人族かと見紛う体躯。電柱三本分はあろうかという柄の戦斧が、その腕に軽々と握られている。


「金神め……また我らの邪魔をするか」

「まあいい。いくら邪魔しようと、お前は現世(うつしよ)へは行けまい」

「金神は恐ろしい……だが現世のお前は恐るるに足らず」

「その女は……やがて現世に飛ばされるのだろう?」

「ならば、現世で待つとしよう。喰らうのは、その時でもよい」


 嘲笑を残し、妖怪たちの姿が闇に溶けていく。

 残されたのは、燐光を纏う金神と椛の二人だけ。


「……女。名はなんという」

「……秋津 椛」


 不思議なことに、金神には一切の恐怖を感じなかった。

 名乗ると、巨躯の影がわずかに揺れた。


「そうか……もみじ、か」


 慈しむように名前を呼ぶ声。その声音と影に隠れた表情が、夢で見た男と重なる。


「あなたは──」


 続く言葉は、再び押し寄せた闇に呑み込まれた。

 金神の姿はすでになく、椛の意識もまた、音もなく深みに沈んでいった。


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