第20話「呪われた堕天使、消えぬ流星」
暗い、暗い、闇の底。マスターは、走馬灯のように駆け巡る記憶に触れていた。
――あの時の夢が、今度は鮮明に映る。
彼の、過去が、徐々に見えてきた。
今から3年前……彼が18歳の頃だった、戦災孤児で身寄りのない彼は、「エデン自警団」と呼ばれる組織に身を寄せていた。
エデン自警団はインターセプトとは別に、市民たちが作った治安維持組織として活動していた。インターセプトが軍なら、自警団は警察のような存在だろうか。
彼はそこで、日々この廃れた街を守っていた。ある2人の仲間と共に。
その仲間とは、ニール・ナッシュとクレア・ルーセルという人物だった。2人もまた、身寄りがなく自警団にいた少年少女であった。
そして、団長のアンジェラも支えてくれた。
そんな彼らとマスターは……いや――もうこの呼び名は必要無いだろう。
「なぁ『カレッジ』飯旨かったな! 久々いいもん食えたぜ!」
――カレッジ・ハーツ。それが、マスターの本名であった。
「今年は野菜が豊作らしいね、ちゃんとした料理が食べれてよかった」
「ふふっ……そうね、2人とも美味しそうに食べてて可愛かったわ」
「おいクレア、からかうのはやめくれよ……!」
「いいじゃないニール、もしかして恥ずかしいの~?」
「ち、ちげぇよ! な、カレッジ!」
「はぁ、どうだか」
「おい!」
和気あいあいと3人で話す時間が、どれだけ幸せだったか。もし過去に戻れたら、一番戻りたい時は間違いなくこの時期だろう。
――そんな日常が、崩れ去る辛ささえ知らなければ。
今から2年前。5月26日、カレッジが19歳の誕生日であった。
この日、2人は街のパトロールに出掛けていた。帰ったら、2人で盛大に祝ってやるとニールに言われていたカレッジはワクワクしていた。
――まだかまだかと、2人の帰りを待っていた。
その希望は、カルペディエムによって打ち砕かれる。そう、ジュインが母を失った侵攻の年であった。
街は砲撃音と銃撃音に包まれ、悲鳴が飛び交えっていた。非番で待機していたカレッジも銃を取って街中へ飛び出した。
2人が心配だった。いくら無線を取っても、応答が無い。それでも、きっと生きてる……そう信じていた。
「頼む……ニール、クレア……出てくれ……」
すると――。
「カ……レ……ジ……ぉ……と……し……くれ……」
「ニール!? カレッジだ! 聞こえるか!」
ニールが今にも力尽きそうな掠れ声で無線を取った。いつものお調子者は、そこにいなかった。
「すま……ねぇ……クレアが……クレアが死んだ……!」
「……っ!? 嘘だろ……!? そんな!」
震えが止まらなかった、あの優しい笑顔で周りを包んでくれた彼女が、息途絶えたなんて。
ニールは続ける。
「テロリストに……撃たれ……て……俺も……もう……持たねぇ……」
「ニール! 今どこだ! すぐに助けに行くから堪えろ!」
「はは……ばか……いうなよ……とっくに……てお……く……れ……」
「ニール! しっかりしろ! ニール!」
喉が張り裂けそうな叫び声でニールを呼んだ。しかし彼の声は段々小さくなっていく。
「ごめん……な……かれっ……じ……たん……じょう……び……いわ……て……やれ……なくて……」
「ニール! お願いだ……死なないでくれ!」
――悲痛な叫びも、彼に届かなかった。
「げんき……で……」
「ニール! ニーーール!!!」
涙が止まらなかった。死ぬ前に姿も見れなかったなんて。
それでも止まっていられなかった、復讐心に燃えたカレッジは次々とカルペディエム戦闘員を殺害……10人以上を撃破する大戦果を上げた。
――しかし、彼の心には穴が空いたままだった。
戦闘終息後、アンジェラに呼び出されたカレッジは遺体安置所で2人の遺体を目にした。
「……すまない、カレッジ……私が彼ら2人だけで戦闘に行かせたせいだ……最悪な誕生日にして本当に申し訳ない……」
「……」
彼の瞳には、血だらけで眠るように倒れているニールとクレアがいた。今朝まで、話していた彼らが、今は指1本も動かない。
その後、彼は自警団を去った。2人を奪った戦争が、争いが憎くて憎くて仕方がない。その怒りの矛先は、犯罪者や悪党狩りに向けられた。
カレッジはギャングや強盗団など、エデン地区にいるありとあらゆる悪人を裁き始めた。その活躍は市民からは『守護天使』として称賛されたが、犯罪者からは『堕天使』と呼ばれ恐れられた。
そのやり方が残虐だったからか、エデン地区管理局は彼を連続殺人鬼として指名手配することになった。しかし公表されたのは名前だけだったので、偽名を使えば、誰にも気付かれずに過ごせた。
そうして、満たされない心を引きずりながら過ごしていた1年後、彼が20歳の時のある日。カレッジはまた人生を大きく変える人に出会う。
彼がギャングを始末し、路地裏を歩いていた時のことだった。
「……? なんだ……あれ」
狭い路地裏の行き止まりに、人影が見えた気がした。残党がいたのだろうか、彼は気になってそこへ近づく。
――すると、ゴミの側に誰かが座っている。
その姿を見た途端、カレッジは戦慄した。
「っ……!? コイツは……!」
ブラウンの髪にうさぎのような大きな耳が生えた小さい少女。体はボロボロで、衰弱しきっている。さらに、腕に綺麗な青白い結晶が生えていた。
「……お兄さん、誰……?」
彼女は恐怖に震えながら、カレッジを虚ろな目で見つめた。ダアト人に出会ったのは、初めてだった。
「お前、ダアト人か?」
「そうだよ、殴りたい? いいよ、痛めつけて……」
傷だらけの少女は絶望した顔でそう呟いた。自分を痛めつけていいだなんて、正気の沙汰じゃない。
「お前何言って……」
「私、悪魔なんでしょ? 怪物なんでしょ? みんなそう言ってたもん。だから……気が済むまでどうぞ」
信じられなかった。確かにダアト人が周りで差別されてるという噂は聞いていたが、まさかこれほどまでにひどいものだったとは。
「……その腕」
「これ? 綺麗でしょ? シャードニウム中毒っていう病気なんだって。かかったら……必ず死ぬ病気だよ」
「……」
絶句するしかかなった。こんなあどけない少女を、散々痛めつけた後に打ち捨てるなんて。これは人間がすることなのだろうか?
――彼の瞳に、覚悟が宿った。
「……俺の所に来ないか?」
「何? 殺すの? それとも奴隷に?」
「違う……! お前を……助けたいんだ」
「……変なの」
「君、名前は?」
「……ミーティアだよ」
「ミーティア……」
「お兄さんは?」
「俺は……カレッジだ」
「カレッジ……素敵な名前だね」
「……」
流星の名を持つ彼女を、カレッジは自身の家代わりのバラックに連れて帰った。
着いてすぐ、傷の手当てをして飯を食わせてやった。最初は警戒して震えていた彼女が、段々心を許してくれた。
「カレッジ……なんでこんなに優しくしてくれるの……? こんなの……変だよ……」
「うるさい、黙ってろ……」
ぶっきらぼうにそう言ったが、彼女の様子を注意深く観察していた。
どうやら、重度のシャードニウム中毒に苦しめられているらしい。時々腕を痛そうに押えたり、激しく咳き込んだりしていた。
見ていられなくなったカレッジは、彼女を連れて市民病院へ向かった。しかし、着いて受付に投げ掛けられたのは非情な言葉であった。
「申し訳ございません。現在ダアト病患者の受け入れは出来ない状態でして……」
「は? なんでなんだ……!」
「他者への感染リスクや症例など詳しいことがわかっていないので……どうかお引き取りください」
「……もういい、行くぞミーティア」
結局、ミーティアを連れてバラックへ帰った。
「カレッジ……もういいんだよ? あなたに優しくしてもらっただけで……私……幸せだから……」
「ダメだ! 絶対お前のシャードニウム中毒を治してやるから! 諦めるな!」
「……カレッジ」
ミーティアは思わず、泣きながらカレッジへ抱きついた。
「……カレッジ……私……生きたい……あなたと一緒に生きたいよ……!」
「ああ……きっと……きっと生きられるさ! 大丈夫だ、ずっと側にいるから」
「本当?」
「もちろん……約束だ」
彼女の耳を触ると、彼女は気持ち良さそうに目を細めた。
その後もカレッジはミーティアの看病を続けた。しかし、彼女の容態は日に日に悪くなっていった。
ついには、ベットから一歩も動けないほどに衰弱してしまった。末期症状が現れ始め、助かる見込みなど、とっくになくなっていた。
それでも、カレッジは諦めなかった。効果がありそうな薬は片っ端から試したが、どれも効果はない。それでも、根気強く彼女を世話した。
――でも、別れはいつも突然だった。あの夜のことを、忘れたことはない。
ある日の夜、薄く光るシャードニウムの結晶が、ミーティアの肩に広がっていた。
まるで星屑のようだった。美しいと錯覚するほどに――けれどそれは、命を削り取る呪いだった。
「マスター、寒くない?」
弱々しく、けれどどこか照れくさそうに彼女は笑った。彼女の声を聞くたびに、胸が締めつけられた。だって、わかっていたから。
――もう長くはないことを。
「俺は大丈夫だ。ミーティアの方こそ……」
言いかけた言葉を飲み込む。『長くない』なんて、口にできるわけがない。そんな言葉を彼女に背負わせたくなかった。
「っ……! ゴボッ……ゲボッ!」
「ミーティア!」
咳き込む音がした。胸元を押さえ、血を吐く。結晶が喉からも広がり始めていた。それでも彼女は笑っていた。
「えへへ……大丈夫……大丈夫だよ……」
「なわけあるか! すぐ医者を……」
「カレッジ」
「へ……?」
「私ね、怖かったんだよ。誰にも愛されずに死ぬのかなって。でも……カレッジは違った。ずっと、そばにいてくれた」
マスターは黙って彼女の手を握った。
その手は冷たく、もう人のぬくもりではなかった。けれど――
「ありがとうカレッジ。私……最後に、ちゃんと、人間でいられた気がする」
彼女の目に、涙が一粒だけ浮かんだ。それが結晶に触れて、小さく光を放った。まるで、流星が落ちたみたいだった。
「本当に、ありがとう……」
「大好き……」
「……」
「ミーティア……? ミーティア!」
――ミーティアは、そのまま静かに眠りについた。
マスターはその場に崩れ落ち、顔を手で覆った。涙は出なかった。もう、何も感じない自分がいた。
けれど、彼女の最期の笑顔だけは、今でも焼き付いて離れない。
――どうか、あの笑顔が、本当に彼女の救いであったと――信じたかった。
「俺は……」
「俺は……呪われてるんだ……」
「……」
暗い、暗い、道が――今晴れていく。
目を覚ますと、彼は独房に捕らえられていた。武器も装備もすべて没収され、力なく床に付している。
すると、足音が聞こえる。
「よぉ、堕天使さんよ。俺のこと知ってるか?」
顔をマスクで隠した男が牢の外からカレッジに話しかける。カレッジがその姿を見た途端、ハッとして顔を上げた。
「お前は! カルペディエムの……!」
「知ってるようだな? そうだ、俺がカルペディエムのトップであり、世界の終末を示す者『ラグナロク』だ」
「お前さん、少し前に俺らの拠点に忍び込んで武器庫をめちゃくちゃにしただろ。その責任取ってもらうために来た」
「安心しろ、お前も救済してやるからな」
「……殺すんだな」
「簡単に逝けるとは思うなよ。まぁ色々忙しいし、もう少ししてから連れてく。その間に遺書でも書いときな」
そう言って、ラグナロクは牢屋を後にした。
「イカれ野郎が……」
「……ジュイン、無事ていてくれ……」
――マスターは、自分の無力さを噛み締めるしかなかった。