第16話「NoHope」
――エデン地区では貴重な、崩れていないコンクリート造りの建物がマスターを迎えていた。
入り口の前には低いゲートがあり、そこに警備兵が駐在していた。ここが、あのエデン地区管理局だ。
「(サイラスとは、もう3年は会ってないな……)」
――サイラス・ウィメット。
先に言ったようにエデン地区管理局の副局長だ。汚職が進んだ管理局の中では、もっとも信頼できる存在だろう。真面目で勤勉で、正義感が強い彼は多くの人に慕われている。
だが、それでも副局長までしか昇進できないのだから、やはり上層部は権力争いで腐ってるに違いない。彼が他の職員に蹴落とされないか心配だ。
警備兵に偽名を言って確認してもらうと、すんなり通してくれた。だいぶザル警備で不安になる。
廊下を歩いて、指定された会議室の扉をノックして中に入った。
「久しぶりだな……元気にして……」
「先に言っておくが、口を滑らせても俺の本名は言うなよ?」
サイラスが喋り終わるまでに、マスターが口を開いた。
「わかってるよ、今は『クーパー』で通してるんだろ?」
「そうだ、頼むぞサイラス」
いつもの控えめで、丁寧な彼の口調は打って変わって少し砕けた感じであった。これが彼の本性に近いのだろうか。
「OK、早速だが座ってくれ」
サイラスはマスターをソファーに座らせ、軽く咳払いをして話し始めた。
「まず君をここに呼んだ理由なんだが……ある任務を近々、君の部隊に依頼しようと思って……その内容を前もって伝えようと思うんだ」
「任務……? それは一体、どんなものなんだ?」
マスターは神妙な面持ちで彼の話を聞いていた。
「……最近、ゲリラの重武装化が進んでるのは知っているよな?」
「もちろん、今で粗悪なサブマシンガンやボルトアクションライフルが基本だったのが、最近じゃアサルトライフルとか機関銃を装備して厄介なんだよ」
「その知らせをインターセプトの上官から聞いた私は、すぐに独自で調査を始めたんだ。上がなかなか調査チームを作らないからね」
「副局長なのに?」
「ここのトップは局長だ、それ以外はハリボテとでも思ってほしい」
「……お前も大変だな」
「それで……ある重要なことがわかった。あの『カルペディエム』がまたこのエデン地区で力を強め始めてることがね」
「ならず者ゲリラが強くなってるのも、きっとカルペディエムがゲリラに武器を流しているからだろう」
「アンジェラが言ったことは本当だったのか……」
「元団長は気が鋭いからね、それで彼女には先に取引現場を押さえてもらうために依頼したよ」
「任務って、それのことだったのか」
「ああ、そして君にも。カルペディエムの本部の偵察、そして……ある組織にも潜入してほしい」
「ある組織……?」
「カルペディエムを裏で支援してる存在が確認されている。現時点で怪しいのが……『アイン・ソフ・オウル』と呼ばれるカルト教団だ」
「アイン・ソフ・オウル……聞かないな」
「だろうな、我々も活動内容から規模まで何一つ掴めていない。ただ宗教団体としかわからないのだよ」
「たた、カルペディエム幹部と接触していることが確認されている。一度調べた方がいい」
「だいたいわかった、何かあってからじゃ遅いしな。任せろよ」
「ありがとう……ただ無茶だけはしないでくれよ」
「任せろよ、うちの部隊ならきっといける」
マスターは瞳に覚悟を宿した。それを見て、サイラスも少し安心した様子であった。
「そして最後に……とんでもないことがわかったんだ」
「なんだ?」
「……『ダアト病は、意図的作り出された病かもしれない』」
マスターが目をパッと見開いて立ち上がった。意識を急に、殴られた気分だった。
「なんだと!? それはどういうことなんだ!」
「落ち着いてくれ。今から少し前、トリニティ医師団から数年前に依頼していたダアト病の解析調査報告がようやく届いたんだ」
「結論を言うと……未知のウイルスが原因だとわかった。だがそれは、自然では決して現れぬような構造であるということだったんだ」
「つまり……『誰かが人工的に産み出したウイルス』とでも言うのか……!?」
「……その筋は大いにある。もしそれが生物兵器なら……危険組織の内情を知ることで、なにか情報が掴めるかもしれない。今回の調査で何かわかったことがあれば伝えてくれ」
「わかった、こちらもできる限りの事をする」
「……頼んだよ、『戦友』」
サイラスはマスターを信じて、去る背中を見送った。
だがますます不安になる、裏で組織がここまで動いていたなんて。
そして……ダアトが人的な災害だったことも、衝撃だった。これほどまで大規模な差別を引き起こしたんだ、絶対――罪を償わせてやる。そうマスターは誓った。
――基地に戻ると、突然マスターの前にひとりの上官が現れた。
30代ほどの、強面な男性。威厳ある姿がマスターを呼び止めた。馴染みの上官のトール少佐だ。
「トール少佐……? どうされましたか?」
「指揮官、連絡だ。先ほど別部隊からひとりの指揮官と隊員が931小隊へ編入することになった。統率は任せたぞ」
「一体、誰がです?」
トール少佐は、一瞬目を伏せてから口を開いた。
「それは……自分で確かめろ」
そういって足早に去ってしまった。
指揮官と隊員がいるというミーティングルームに向かったマスターが見た姿は。
――馴染みの灰色の髪と、既視感のある黒髪だった。
「……!?」
「アン……ジェラ……!?」
目の前にいたのは、少し前に出撃したはずの01遊撃小隊指揮官アンジェラと部下の青年だった。
その姿は身体中傷だらけで、手当てした痕が所々見受けられる。顔も、絶望のどん底に堕ちた表情だった。
「……配属されたアンジェラ・ベールと……工兵のウォレン・グレイザーだ。よろしく頼む……」
「ちょっと待て! どういうことだ!? 何があった!」
「……」
「ちょっと来い!」
マスターはアンジェラを無理矢理引っ張って人の気配がない建物裏に連れていった。
「アンジェラ、何があったんだ? 教えてくれ」
真剣な眼差しで、アンジェラを見つめた。態度も仕事の上官に対するものでなく、かつての戦友を気にかけるものだった。
その直後、彼女は糸が切れたように泣き崩れた。
「うあぁぁぁ! ひっうっ……! 部隊が……部隊がぁぁぁ……!」
「落ち着けアンジェラ! いや……『団長』!」
「ひっぃ……すま……ない……」
「っ……ぁ……部隊が……やられた……やつらに……」
「っ……!? なんだって……!?」
「生き残ったのは……私と……ウォレンだけだ……他は……みんな……」
「見たことない……アンドロイド兵が……次々……と仲間を……銃が……まったく……効かなくて……」
「アンドロイド兵!? カルペディエムが……そんなものを……」
「また……守れなかった……! ニールとクレアの二の舞だ……」
「私が……私が……守ってやれなかった……こんな……こんな指揮官……」
「馬鹿! やめろ! 思い出すな!」
マスターがアンジェラを強く揺すぶる。マスターの顔も、苦く歪んでいた。
「アンジェラ、あれはお前のせいじゃなかった。それに……俺もお前を恨んでない、あの2人もきっとそうだ」
「だから自分を……自分を責めるな!」
「……っ」
「そう……だな……すまない……」
「訳はわかった、辛さも承知だ。でもこれからは……俺たちの力になってくれ団長」
「君は……変わってないな。仲間のことを最優先で……」
「でも……うれしいよ……」
「君たちのために、すべて尽くそう」
――暗闇の中に入った931小隊、この道の終着点は……希望か、絶望か。