第14話「怯える雛鳥」
――マスターはマグノリアを基地に連れ帰り、医務室へ運んだ。
軍医が見た限り、命に別状はないが少しの間休ませた方がよいとのことだった。
しかし仕事は減らない、今日はゲイルと共に2人で中央地区の外れにある調査に向かった。
「最近、この辺りで不審な人物を目撃した住民が多くいるらしい。なんでも若い人が刃物を持ってうろついてたとか……」
「それは物騒だね……治安は悪くなるばかりだなぁ……」
「すまないなゲイル、たったひとり付き合わせてしまって」
「いいんだよ、3人を休ませてあげれるからね」
「ゲイルは立派だな、仲間を思いやることができて」
「へへ……褒められるのは恥ずかしいよマスター」
とりとめのない会話をして場を和ませていた、ゲイルにもあまり負荷はかけさせたくないからだ。
ゲイルは本当にしっかり者だ。
本から身につけた豊富な知識と仲間の状態を見抜く洞察力、そして戦局をよく理解して指示を出す判断力。それは指揮官にふさわしい要素だった。
もし隊長を決めるとしたら、私はきっと彼女にするだろう。エースはジュインだが、彼女はまだ精神的に不安定だ。
そういう子がいても、ゲイルはしっかりケアしてくれるからありがたい。
「着いたぞ、この辺りで目撃が多いらしいのだが……」
住宅地から少し離れた廃墟群へ到着した。
ここはかつての戦争の爪痕が残ってて、近づく者は犯罪者か差別を受けたダアト人やシャードニウム中毒者くらいだ。
「マスター気をつけてね、敵がどこから来るかわからないから」
「ああ……」
2人は崩れかけた廃墟の周りを歩き始めた、なんとも虚しい光景だ。これが理想郷など笑えてしまう、それくらい崩れた建物が連なっていた。
「何かノスタルジックなものを感じるよ、そう思わないかい? マスター」
「まぁ……そうだな……相当激しい戦いだったみたいだな……」
「悲しいなぁ……どうして人は争うんだろう」
「……なんでだろうな、私にもわからないよ」
この地で起きたことに想いを馳せていたが、異質な音が2人を現実に連れ戻した。
(ぐちゃ……ぐちゃ……)
誰かが何かを咀嚼する音が、辺りを鳴らした。
「なんだこの音は……!?」
「マスター、警戒を。誰かいる……!」
ゲイルが周囲を警戒し、ゆっくりと音のする方向へ進んでいく。
音は、崩れかけた小さい廃墟の中から聞こえた。
「一体何が……?」
ゲイルとマスターは物陰から、その発生源を恐る恐る覗いた。
「ッ……!?」
覗いた瞬間、体が硬直した。いや、実際はまだ完全に全体を見れてはいなかった。
でも床に広がる紅い水溜まりと、その側にある何かに屈んでいる人物から、最悪な想像をしてしまった。
(くちゅ……ぐちゃ……バキッ……)
「ひっ……!?」
床に倒れていた生き物の体を見た途端、ゲイルは顔を背けた。
「おい……しい……」
「これ……で……もと……に……もどれ……る……」
犬の耳が生えた少年は血塗れのナイフを片手に、肉へ噛みつき引き裂いていく。
その姿はまさに狂犬という言葉の通りであった。
「あ……っ……あぁ……嘘……だろ……?」
ゲイルの顔が恐怖に染まる。戦場慣れしていた彼女でも、耐えられぬほど残酷な風景。
これは悪夢だと、現実ではないのだと、そう彼女は信じたかっただろう。
恐怖のあまり、叫び声すら出せず、立ち尽くしていた。
「……?」
少年の耳がピクリとこちらを向き、顔を向ける。彼の口には血が大量に付着し、狂気的な笑みを浮かべていた。
「とり……おいし……そう……」
少年はナイフを握り、こちらへ近付いてくる。ゲイルは腰にあった拳銃を咄嗟に取り出し、彼へ向けた。
「いや……だめ……来ないで!」
彼女の翼が小刻みに震えている、まるで捕食者を目の前にした雛のように。
しかしゲイルの懇願を無視し、少年はさらに近付いてくる。
「……にく……たべ……たい……」
獲物を定めた狂犬は2人へ牙を向いた。彼はナイフを振りかざしして猛スピードで突っ込んでくる。
「うわぁぁぁっ!」
――バァン!キッ……キキン……
1発の弾丸が、少年の胸を正確に撃ち抜いた。空薬莢が地面に落ちるとともに、体から血が流れ、瞳は輝きを失っていく。
「あっ……あぁ……なんで……?」
ゲイルは震えた手で、硝煙を吐き出す拳銃を握りしめていた。
「ゲイル……落ち着け! 深呼吸だ!」
マスターはゲイルのパニックを落ち着かせようと、近くの瓦礫に座らせた。いつも冷静な彼女がブルブル震えている。
「すーっ……ふぅ……」
「マスター……? な、なんなんだあれは……」
「……まさかとは思ったが、あの噂は本当だったのか」
「噂……?」
「ダアト人の間で、○○の肉を食べると人間に戻れるっていう噂が広まったことがあったんだ。当然迷信だったのだが……」
「この子は……相当飢えてたのか……はたまた気が狂ったか……どっちにしろ、哀れだ……」
「そんな……冗談だろ……!」
「……すまないが現実だ、さすがに私も初めてみたが……」
「うわ……ぐちゃぐちゃだな、もういろんな部位が……」
「うぐっ……!?」
「ゲイル!? 大丈夫か!」
ゲイルが急に吐き気を催した。幸いなんとか堪えたが、顔が恐怖に染まっている。
「……もう帰ろう」
マスターは恐怖に染まったゲイルを連れて基地へ帰った。
昼食の時間だったが、当然あの惨状の後に飯が喉を通るはずもなく、ゲイルは自分の部屋に籠っていた。
本当に大丈夫だろうか?
みんなのように心が壊れてしまったのではないか?だが自分が直接行こうにも、タイミングを誤れば余計に彼女を苦しめるに違いない。
――そこでマスターは、931小隊のメンバーを休憩室へ集めた。
「みんな来たな……座ってくれ」
ジュイン、アイリス、そして医務室から戻って包帯をぐるぐる巻きにされたマグノリアが椅子に座る。
「マスター、お話ってなんですか?」
ジュインが尋ねた。
「先ほど、ゲイルと共にパトロールへ出掛けてたのだが……そこでショッキングなことがあってな……もしかしたらゲイルの心が壊れたかもしれない」
「なんだって!? 本当か? あのゲイルが……?」
マグノリアが驚きの表情を見せる。あのゲイルのメンタルが壊れるなんて信じられなかったのだろう。
「早めにケアをしたいが……私が無理に詰め寄ってもいっそう彼女を苦しめることになるかもしれない」
「そこで、チームメイトの君たちが彼女を支えてやってくれないか?何か不審な様子だったらすぐに対応してもらいたい」
「私がこんなことを押し付けるのも恥ずかしいが……みんな、仲間の大切さは十分理解しているはずだ。どうか、指揮官からの頼みを受けてくれないか?」
真剣な表情でみんなに説得した。返ってきた言葉は、賛成の声だった。
「もちろんですよ! 私もゲイルさんにつらい時、慰めてもらいました。今度は私の番です!」
「アイリスに賛成します、マスターだけに負担を掛けさせられませんから。 それに……きっとゲイルも今まで我慢してたはずですし……」
「あいつが悲しんでるとこなんて、見たくない……私に任せとけ!」
「みんな……ありがとう!」
「チームメイトの問題はみんなで解決しねぇとな、そうだろ? マスター」
マグノリアが軽く微笑んでくれた。ここまで仲間思いだっただろうか?この前のことで、少し気持ちが変わったのかもしれない。
「それじゃあ……部屋を少し覗きますか、もし自傷なんてしてたら大変ですし……」
「行きましょう、みんな」
――3人はゲイルの部屋へ向かった。鳥籠の中の天使を救うために。