第10話「死の結晶」
――ある日のインタセプター本部、マスターが931小隊の隊員たちに集合をかける。
「みんな聞いてくれ、管理局からの指令で東エデン地区の野戦病院での作業支援の任務が与えられた。各自準備を」
マスターが指示をすると、皆一斉に装備や物資などを用意する。
「東エデン地区……確か工業地帯が点在する場所ですよね?襲撃も多いですし、負傷者で手が回らないのでしょうか……?」
「いや、詳しいことはわからないが、どうも違うらしい」
アイリスの質問にマスターが答える。
「ただ……できれば『防護マスク』の着用をした方がいいとのことだ」
「……! それって……」
「……まさかとは思うがな」
――嫌な予感がする。
準備を終えた931小隊は東エデン地区へ向かった。
東エデン地区の野戦病院へ輸送車で移動する。
窓からは工場の煙突から昇る黒い煙と、仕事でくたびれた労働者の姿が見えた。
「みんな、もうすぐ野戦病院へ到着する。防護マスクを装着してくれ」
マスターの指示でみんながマスクを装着する。口だけを覆う簡易的なものだが、粉塵から一部の毒ガスまで防げる比較的高性能なものだ。
しかしマスターだけマスクをしていない。
「マスターは……マスクしないんですか?」
ジュインが心配そうに訪ねる。
「私は大丈夫だよ、これがあるからね」
自分の口元を覆うバンダナを指差す、どうやらある程度の防塵機能があるらしい。
そうこうしている間に野戦病院へ到着した。
大きなテントの中に、無数のベットが並んでいるのが外から見えた。外には装甲車を改造した装甲救護車両が駐車してある。
するとマグノリアが救護車両のあるマークに目を向ける。
「このマーク……まさか『トリニティ医師団』か? ここはインターセプトの衛生部隊が管理してると聞いたんだが……」
「少し前までは、ね」
「人手不足と医療物資の不足が深刻化してからは、この野戦病院の管理を停止したそうだ。今はトリニティ医師団が引き継いでいるらしい」
――トリニティ医師団、エデン地区を始め、多くの地域で医療を提供する非利益医療組織である。
「医療に隔たり無し」をモットーに、無償で人々のケガや病気を治療する活動をしている。
蔑まれることの多いダアト人でも、普通の人間と差別せずに治療してくれる。そのため、一部の地域では英雄のように歓迎されているようだ。
実はアイリスも志願兵として、インターセプトに入隊する前はトリニティ医師団に所属している、ある医師の助手をしていたようだ。
――この部隊の隊員は、全員元戦災孤児で皆、戦火により両親を幼い内に亡くしている。
アイリスは、運良くその医師に保護されたようだが、ジュインやマグノリアのように劣悪な環境で差別や虐待を受けることも多い。931小隊は、そういう過去を持つ隊員がほとんどである。
すると、テントの中からひとりの男性が出てきた。
「……あなたたちが支援に来てくださったインターセプトの隊員さんたちですか?」
30代後半の白衣を着た優しそうな医師。不織布マスクの下からでも、穏やかな人柄が垣間見える。
「初めまして、トリニティ医師団団長のフィン・ハトソンです。まぁ、周りからはもっぱらドクターと呼ばれてるのでドクターと呼んでください。今日はわざわざ来ていただきありがとうございます」
「こちらこそ、元は私たちの医療部門が管理してたのに、あなたたちトリニティ医師団に業務を押し付けてしまって申し訳ありません」
「いえいえ、これが私たちの使命ですから」
マスターとドクターが挨拶を交わしていると、後ろから覗いていたアイリスが口を開く。
「ドクター……?」
アイリスに気づいたドクターが、驚きの表情を見せた。
「……アイリス! 久しぶりだな、元気にしたかい?」
「アイリス、知り合いなのか?」
警戒していたマグノリアが口を開く。
「知り合いも何も、私を助けてくれたあのドクターですよ!」
「そうだったのか、彼が……」
人間嫌いのマグノリアだが、少しだけ警戒を解いたようだ。
「ドクターさんはとっても良い人ですよ! 人間もダアト人も隔て無く接してくれますし、何より優しいんです!」
久々に会えたからか、アイリスはとても嬉しそうだ。
――その表情が、すぐに曇るとは知らずに。
ドクターに連れられてテントの中に入る、すると、そこにいたのは。
――呻き声を上げて苦しみながら、病床に伏す人々だった。
「ゴボッ! ゴホッ……うぐっ……」
「あぅぅぅ……! 痛い……痛いぃぃぃ!」
「腕が……固まってきてる……」
激しく咳き込む人や、腕や脚を痛そうに押えもがく人、そして青白い謎の結晶が腕に露出している人など、症状は違うが目を背けたくなるほどの状態であった。
「ドクター……これ……」
アイリスが言葉を詰まらせる。先ほどの笑顔は、とうに消え去っていた。
「……シャード二ウム中毒だ、ここにいるのは中等症から重症の末期患者で、もう数十人以上はいる。入院していない軽少患者を含めれば100人は超えるな」
「シャード二ウム中毒……って何ですか?マスター……」
ジュインが血の気の引いた顔でマスターに尋ねる。
「名前の通り、シャードニウムによって引き起こされる重金属中毒の一種だ。主にシャードニウムの粉塵を吸い込むことで発症し、進行すると……ほぼ確実に死に至る」
マスターが暗い顔で答える。
――シャードニウム、それは第三次世界大戦時、ヨーロッパ方面で激戦中の鉱山にて発見された未知の金属元素である。
エリオン沸石に類似した多孔性結晶構造を持つ金属として知られ、性質として鉄と混ぜ、合金にするとタングステン級の硬度になることが確認されている。
第三次世界大戦中、戦車の徹甲弾に使用するタングステンが一部の地域でしか採掘できず、加工がしずらく、値段も高かった。
しかし、それらの課題を解決するシャードニウムは「タングステンのメリット、鉄のコスト」——と当時の兵器開発者に讃えられ、軍事物資として大量に採掘・使用された。
初期は戦車砲弾(APFSDS弾) や装甲板など軍事目的で利用されたが、後に世界中に埋葬されていることが判明し、コストが安かったため一部の建物の建材や宇宙工学などにも使用されるようになった。
しかしその後、使用者に異常な健康被害が発生した。初期は放射性金属ではないかという誤認もあったが、放射線検出されず原因は不明。
のちにこの謎の病を研究していた科学者が、シャードニウムの微細な粒子がこの症状を引き起こしていることを発見。
結晶の破片(shard)と金属元素名を掛けて「シャード二ウム中毒」命名した。
しかしこのシャード障害、不可解な点がいくつかある。特に体内に侵入したシャードニウムが結晶化し、体内で成長するというのは生物的、科学的に証明することができない異常な性質である。
またそれ以外にもシャードニウムには知られていない特異性があるとの噂もあるが、真偽は不明である。
このような摩訶不思議な性質のため、中には「この金属は魔法でできている」と言い恐れる科学者もいた。
「東エデン地区では鉱山や工場が多く存在するから、必然的にシャードニウムに触れる機会が多いんだろう。だからこれだけ感染が広まってる」
ドクターが暗く呟く。
「でもドクター、粉鉱山で鉱石に触れる人ならまだしも、粉塵に触れる機会が少ない市民にここまで広がるなんて変ですよ! シャードニウム製品の新規製造も地区管理局が禁止しているはずですし……」
「アイリス、シャード二ウム中毒は原石の粉塵よりも、シャードニウム合金の風化による酸化物の粉塵による発症が多いんだ。かつて建材などに使われた合金が腐食して粉塵が出ているんだよ」
「それに、この荒れ果てた街で管理局の命令を真面目に聞く人は少ないだろうしね……今も隠れて製造が続いてるはずだ」
「そんな……」
「とにかく、今日は患者の看護と、物品の搬入などを手伝ってもらいたい。この通り、人手が足りなくてね……」
みんな、黙り込んだ状態で作業を開始した。
マスターとゲイル、アイリスは病人の世話を、人が苦手なジュインとマグノリアは医薬品などの運搬を手伝った。
「くっ……うぅ……」
「大丈夫ですか? 今鎮痛剤を打ちますからね」
アイリスが苦しむ患者の痛みを少しでも和らげるために、鎮痛剤を投与する。少しすると、患者は僅かだが楽な様子になった。
「本当に、ありがとう……こんな恐ろしい病にも恐れずに看病してくれるなんて……」
「どんな人でも、隔てなく救うのが医師の役目ですから」
患者の目が、青白く綺麗に光っていた。これもシャードニウム中毒の症状のひとつである。
「ねぇボク、少し体拭くね?」
「ありがとうお姉さん……天使みたい……」
「ふふっ……嬉しいなぁ……きっと、君も元気になるはずだよ。頑張って!」
「うん、ありがとう! フクロウのお姉さん!」
「ドクターさん、薬剤はここに置いておきますね」
「ありがとうマスター君、助かるよ」
「……ドクターは、シャード二ウム中毒の治療法を研究なさってるんですか?」
「ああ、なんとしてでもシャード二ウムを体外に排出できる特殊なキレート剤と、血中ろ過装置を作らればならないんだ。苦しむ人を助けるためにね……」
「素晴らしい信念ですね……」
「私がやらなきゃ、他にやる人がいないからね。与えられた試練を、私は乗り越えて見せるよ」
テントの外では、ジュインとマグノリアが包帯や点滴などの運搬をしていた。
「まさか……こんな恐ろしい病気がエデン地区で蔓延してたなんて……」
「……中にダアト人の患者もいた。純粋な人間だろうがなんだろうが、粉塵を吸い込めばかかるみたいだな……」
ジュインの言葉にマグノリアが口を開いた。人間嫌いのマグノリアが、あれほど落ち着いているのだから、よほどショッキングだったのだろう。
「……そうね」
「どうした……? 浮かない顔してるな」
「なんでもないわ……」
「そうか……? ならいいが……」
それからみんなは必死になって働き、苦しむ患者の看護とトリニティ医師団のサポートに当たった。
――しばらくして、アイリスはある白髪の少女に気づいた。
その少女は全身がシャード二ウム結晶に覆われかけており、弱々しくベットに横たわっていた。シーツは所々赤く染まっており、喀血でもしたような形跡があった。
「お姉さん、外から来た人?」
少女がアイリスに弱々しく声をかける。
「そうよ、私はインターセプトの衛生兵なの」
「インターセプトって、私たち市民を守ってくれるあの?」
「ええ、そのインターセプトよ」
「すごいなぁ……カッコいいよ」
「ありがとう……」
少女は乾いた笑顔でアイリスに微笑んだ。もう体は長く持ちそうには見えなかった。
「私ね……ずっとここで治療を受けてたの、ずっとずっと、このベットの上で……」
「最初はね、ものすごく体が痛くて、涙が出ちゃうくらいだったんだけど。ドクターさんが見てくれて、すごく楽になったんだよ?」
「へへ……綺麗でしょ?この石……まるで宝石みたい」
「っ……!? ゴボッ! ゲボッ……!」
突然少女の口から、鮮血が溢れる。血の中に、微かに光る細かい石が見えた。
「大丈夫!? 待って、今薬を……」
「もういいんだよ」
「へっ……?」
「私ね、多分、今日死んじゃうんだ。余命宣告を受けてから……丁度今日辺りくらいだったはずだから」
「なに言ってるの! 諦めちゃダメ!」
「ねぇ、お姉さん」
「お姉さんはさ、将来何になりたいの?」
「……私?」
「そう、私はね、お姉さんみたいな優しいお医者さんになりたかったな」
「もう叶いそうにないけど……お姉さんを見てさ、きっとこんな感じになれたんだな、って思えたよ」
「そんなこと、言わないで……生きて……!」
あったばかりの少女に「今日死ぬ」だなんて言われて、納得できるはずがなかった。
それに、私みたいな医者になりたかった、その言葉を聞いて、アイリスの心に何もしてあげれない悔しさと、自分だけ生きていることへの罪悪感が生まれた。
アイリスの言葉とは真逆に、少女は着実に衰弱していった。もう手の施しようがなかった。
少し離れた場所から、マスターとドクターが見守っている。ドクターが言うに、やはり明日まで持ちそうにないらしい。
「お姉さん……手、握って……? 怖くないように……」
アイリスは、少女の手を優しく、優しく握りしめた。手にも、ゴツゴツとした青白い結晶が露出していた。
「ありがとう……お姉さん……会えて……よかった……」
「ダメ……ダメよ……!死なないで!ねぇ!」
アイリスの瞳から、涙がポロポロと溢れだす。まだ10歳になるかならないかの年の子の命が、燃え尽きる様子に堪えきれなくなったのだろう。
「……お姉さん……元気……でね……」
「……あり……がとう……」
ピッ…………ピッ……ピ――――
少女の体に繋がっていた心電図モニターが、ゼロと水平線を示すと共に、非情な電子音を鳴らした。
――少女の瞼が、ゆっくりと閉じた。まるで眠りについたかのように。
「いや……ダメ! 戻って! ねぇぇぇ!」
アイリスの悲痛な叫びは、冷え始める少女に伝わらなかった。遺体は、息を飲むほどに美しい青い輝きを放っていた。
――それが「死の結晶」であることを忘れてしまうほどに。
アイリスはしばらく少女のベットの布団を握りしめ、涙を流していた。ドクターとマスターは彼女のに歩み寄り、痛みを受け止める他なかった。
――若き衛生兵が、救えなかった命を悔いる瞬間を、2人は心が張り裂けそうな思いで見つめていた。