自信過剰な男
昼下がりのフードコートは、どこか気だるさが漂っていた。人々は皆、無言で食べ物に向かい合い、スマホの画面を眺めるか、たまに互いに視線を交わす程度だった。そんな中、ひときわ大きな声で自分の話をしている男がいた。
足立拳は、少し離れた席からその男を観察していた。スーツ姿で、自信満々に誰かに向かって語りかけている。誰か、と言っても男は一人だ。スマホを片手に、自分の成功や華やかな生活を自慢げに話しているのだ。
「いや、俺さぁ、今の会社じゃトップの営業マンなんだよね。月の売り上げ、300万は堅いし、部下も俺を頼ってくるんだよ」
スマホに向かって話す男の言葉は、周りに聞かせるためのもののように聞こえた。大げさな身振り、浮かれた表情――彼が発する言葉の端々には、確かに自信が感じられる。しかし、その声には何かが足りなかった。
足立は立ち上がり、トレイを持って男の隣の席に座った。驚いたように顔を上げた男に、足立はにっこりと微笑みかけた。
「なんだよ、君は?」
男が怪訝そうに足立を見つめる。足立は特に気にする様子もなく、彼の目をまっすぐ見つめた。
「あなた、すごいですね。本当に成功しているんですね」
足立の言葉に、男の顔が誇らしげに輝いた。「そうだよ、俺は若くしてこれだけの成果を出してるんだからな」と自慢げに言う。
「でも…どうしてそんなに声を張り上げて自慢するんですか?」
足立のさりげない質問に、男の笑顔が少し揺らいだ。「別に、誰かに聞かせるためじゃないよ。俺は自分に自信があるし、周りに認められてるんだ」
「そうですか。でも、本当に自信がある人って、こんなに大きな声で自分のことを語るものですかね?」
男は言葉に詰まった。彼の表情からは、ほんの少しの動揺が読み取れたが、それでも強がって見せようとする。
「何が言いたいんだよ。俺は…俺は自信があるんだ。だからこうして堂々と話せるんだ」
足立は静かに男を見つめ、少し笑みを浮かべた。「本当にそうなら、誰にも見せなくていいんじゃないですか?心の中で、自分の成し遂げたことを誇りに思えれば、それで十分なんじゃないかって」
男はふと視線を落とした。彼の手が微かに震えているのが見て取れる。言葉を探しているのか、何度も口を開きかけるが、結局何も言えない。
「…なあ、君は何なんだよ?なんでそんなことを言うんだ?」
足立は席を立ち、笑顔を崩さずに男を見つめた。「ただ、あなたの話を聞いてみたかっただけですよ。誰かに認められることより、自分で自分を認めることの方が大事なんじゃないかって、思っただけです」
男は呆然とした表情で足立を見上げた。彼がこれまで信じてきた「自信」とは何だったのか、何かがぐらつき始めていた。足立はそんな彼を一瞥し、フードコートの雑踏の中に消えていった。
残された男は、一人、静かに自分と向き合うように、頭を抱えて考え込んでいた。
男は静かに俯き、初めて自分の言葉が空々しく響いていたことに気づいた。周囲を見回しても、誰も彼の自慢話に耳を傾けていない。さっきまでの勢いはどこかに消え、足立に指摘された言葉が頭の中で繰り返される。
「本当に自信があるなら、こんなに大きな声で自分を語る必要はないんじゃないか?」
まるで頭の奥に小さな棘が刺さったかのように、その言葉が離れない。男はスマホの画面を見つめるが、話し相手に送りたい言葉が思いつかない。いつもは心地よかったはずの「成功者」の自分が、今はむしろ虚しく感じられた。
彼はふと、いつものようにSNSを開いた。そこには友人たちが自分の投稿に寄せた「いいね!」や「すごいね!」という反応が並んでいる。しかし、それらの言葉が今は空虚に思えた。なぜ自分はこれほどまでに他人の評価を求めていたのか、自分でもわからなくなってきた。
「俺、本当に自信があったのか?」
男はぽつりと呟いた。彼の心の奥底には、足立が見抜いた通り、不安が渦巻いていた。今の仕事がいつまで続くか分からない、周りが自分をどう見ているかが常に気になっていた。そんな不安を打ち消すために、成功や自慢話で自分を飾り立てていたのかもしれない。
その瞬間、男の胸の奥に小さな痛みが走った。自分が求めていたのは本当の自信ではなく、他人に「自信があるように見せる」ことだったのだと気づかされる。その「自信」は見せかけのものであり、誰かに認められなければ、すぐに崩れ去る脆いものでしかなかった。
ふと、足立が去っていった方向を見やったが、もう彼の姿は見えなかった。あの奇妙な男は、まるで一瞬の幻のように現れ、消えていった。足立の言葉が残したのは、静かに自分を見つめ直すための時間だった。
男は席を立ち、フードコートを後にした。歩きながら、何かが少しずつ変わっていくのを感じていた。これまでの自分を振り返り、心の奥に埋もれていた不安や弱さを受け入れることを決意したのだ。
それから数週間後、男は再びフードコートを訪れた。今度は一人静かに座り、何かを誇示するでもなく、自分と向き合う時間を楽しんでいた。かつての自慢話を誰かに聞かせる必要はもうなかった。彼の中には、少しずつだが本物の自信が芽生え始めていた。
そして、もしまた足立に会えるのなら、こう伝えたいと思った。
「ありがとう、君のおかげで、本当の自分に出会えた気がするよ」
しかし、足立が現れることはなかった。彼は誰かの心にさりげなく触れ、その人を少しだけ変えていく、不思議な存在だったのかもしれない。そして男は、もう足立を探すことはしなかった。