裏方仕事も楽じゃない!!(前編)
不定期にて更新致します。
こちらは『杏那編』の前編となっており、女の子毎にストーリーがあります。
更新は時間が掛かりますが、長い目で見守ってください。
ほぼ9割がた実話の事件を脚色してるので、記憶を引きずり出すのに時間が掛かるんですよね…(笑)
都会のビジネス街にある、とあるビルの一室。ここの朝は、毎朝怒号が響き渡る事がモーニングコールになっている。もはや毎朝の事なので慣れてはいるが、二日酔いの頭には少々酷な音量だ。脳へのダメージが凄い。
「何チンタラしてんだ! さっさと現場に行く準備しろってんだ! 」
「守山支社長待って……何で昨日あんなに吞んだのに、そんな平気なんスか……。」
「お前が弱すぎるんだよ! そんな事で、これから先どうすんだ!! 」
ここは小さな芸能事務所「ファインプロモーション」。芸能事務所と言えば聞こえはいいが、実際所属しているタレントは、所謂キャンペーンガールがほとんどで、テレビに出演したり、モデル業を行っているのはごく一部。
大半は、脱がない・飲まない・触られないで、水商売に比べたら、楽で割のいいアルバイトだと思って、スポット的に仕事をこなす子ばかりの事務所だ。
俺、宮原成希は、そんな場末になりかけの事務所で、マネージャー兼・現場ディレクター兼・営業マンとして働く正社員だ。今日も後ろに立っている長身に柄スーツといった如何にもな風体の男、守山支社長に怒鳴られながら小突かれるという日課をこなしている真っ最中だ。
そこまでやってたら、プロデューサーって言うんじゃないのか?とは思うんだが、担当の子が居るって訳でもない、決まった現場がある訳でもない、営業先も飛び込み営業、何でもやりますの何でも屋として、下っ端として良い様に使われているだけなのだ。
朝の怒号から判るように、このファインプロモーションは、世間的にはブラック企業と呼ばれる会社だ。罵倒や暴力は、コミュニケーションのひとつになってるし、終電が無くなっても残業なんてのは当たり前、休みの日でも、関係無しに職場に呼ばれる……本当の意味で休めるのは、月に1日あればいい方だ。
毎日、自分の身体に「早く倒れろ、俺の身体……倒れれば、堂々と休める……」と呪いの言葉をかけ続けているものの、無駄に頑丈な身体は、2時間しか寝れない状況が続いても、動き続ける。呪詛の力が足りないのかも知れないな……。
そんな状況でも、俺が頑張り続けれるのは、所属するタレント達の活躍を傍で見て、いつかこの子達が、誰もが注目するステージに立つ、輝くタレントにプロデュースするのが夢だから!! ……なんて夢の一つでもあれば、ちょっとは格好がついたのかも知れない。
俺には今、ちゃんと生活が出来る金が貰えて、働ける場所がここしか無かったのだ。国際的に有名な銀行の突然の倒産を発端に、世界中で株価が暴落。世界的な大恐慌が世の中を襲っていたのだ。
ここの事務所に来る前に働いていた職場は、給料の支払いが充分に出来ない状況に陥り、とてもじゃないが働けない状態になっていた。やりがいなんてモノで飯は食えないし、小綺麗な服を着る事も出来ない、女の子と遊ぶなんて、夢のまた夢だ。
生活苦を理由に会社を飛び出した俺は、一種の金の亡者となっており、とにかく給料のいい会社を探していたところ、今のファインプロモーションの求人広告を発見したのだ。
まぁ、実際のところは、求人広告程の給料は支払われず、イベント現場の内容によっては、自腹を切って運営する状況もある為、酷い時は給料がマイナスなんて事もあった。働いてるのに金を払うだなんて、本当に馬鹿げてるよな。
それでも、世の中的には、正社員で仕事があるだけでも立派だとされているのだ。他にまともな仕事があるなら、今すぐにでも、こんな会社辞めたいんだがな……。
俺は、夢や情熱なんてモノは、何も持たずに芸能界に居る。業界的には、恐らく異質な存在なのだろう。一発当てて金持ちになりたい訳でも、タレントを輝かせる敏腕プロデューサーになりたい訳でも無い。ただ単に、普通の生活が送りたいだけなのだ。
守山支社長の怒号と、物理的に尻を蹴られながら事務所を後にした俺は、社用車に乗り込み、今日のイベント現場の主役でもある、お姫様を迎えに行く。送迎は面倒だが、一人の時間を過ごせる、無くてはならない貴重な時間だ。
ピックの時間より少し早く到着した俺は、車外に出てタバコに火をつけて、姫の登場を待ちながら、しばしの休息の時間を味わう。疲労とストレスがとっくに臨界点に達している身体には、このむせ返る煙とドリンク剤だけが栄養になっている。まともに落ち着いた食事を取ったのなんて、いつだったか覚えてすらいない。
今日の朝食を半分程度吸い終わった頃だった。マンションの玄関に向かって、ひとつの足音が聞こえてきた。だが、その足音は突然早くなり、いつしか物凄い勢いでこちらに迫ってきていた。
「せいちゃーーーーん!!!! 」
二日酔いに響く天真爛漫な声と、物理的な衝撃が俺の身体に激突してくる。スラリと伸びた脚に、贅肉とは無縁と言わんばかりのプロポーション、艶やかで綺麗に染められた茶色い髪に、男なら誰もが目で追う様な整った顔立ちの美女が、元気いっぱいに体当たりしてきたのだ。
「どぅわ!? あ、杏那さん!! 火! 俺タバコ吸ってる! 危ない!! 」
「せいちゃんまた朝ご飯それなの? ちゃんと食べないと、どんどん顔悪くなるよ? 」
「悪くなるのは顔色でしょ……。顔が悪いのは生まれつきですよ……。」
「私はせいちゃんの顔好きだよ? 面白くて。」
「俺の顔は福笑いですか……。早く車に乗り込んでください。」
彼女の名は杉崎杏那。ファインプロモーションの所属タレントの一人で、数少ないアルバイトでは無い専属タレントだ。
専属といえば聞こえはいいが、うちの事務所では、ファンの人気やビジュアルで一軍から三軍でランク付けを行っている。杏那は文句無しに一軍で活躍出来る逸材なのだが、現場の経験が他の一軍に比べて少なく、メディア出演もほとんど無い為、二軍のトップという位置付けになっている。ランクとしては中の上なのだ。
彼女は、裏表の無い天真爛漫なキャラクターと、誰にでも振りまく屈託のない笑顔で、人気急上昇中のタレントだ。彼女の明るさはイベントに訪れた客だけでは無く、イベントを行った店舗やスタッフまでもにこやかな気持ちにさせてくれる。無論、ディレクターとして同行する俺の心も、何度も彼女に救われている。
懐いた相手には多少距離感がおかしいところがあるのだが、俺はどうやらとても気に入られているらしく、体当たりは挨拶みたいなものになっている。
どうして俺にそんなに懐くのか、それとなしに聞いてみたところ、「一生懸命頑張ってるし、一回もナンパしてこなかったから」だそうな。うちのアルバイトディレクター達は、一度シメないとダメなんじゃないだろうか。
杏那を乗せた車は、一路イベント会場へと向かう。ファインプロモーションは芸能事務所であると同時に、広告代理店の業務も行っている。今日のイベントも、うちが売り込んだイベントのひとつだ。
イベント内容は、もっぱらパチンコ屋でのコンパニオン業務や、居酒屋でのタバコ販売のプロモーション、街頭やクラブでのエナジードリンクの試飲販売が中心だ。その中でもコンパニオン業務が大半のウェイトを占めており、今日の営業も、例に漏れずパチンコ屋だ。
現場へと到着し、店舗のスタッフへと挨拶を済ます。杏那は相変わらずの満点の笑顔でスタッフ一人一人へと、丁寧に挨拶をしていく。杏那の凄いところは、男性スタッフだけでなく、女性スタッフまでもが皆笑顔になる。別のタレントの時は、嫌悪なのか嫉妬なのか、とにかく黒い視線を投げてくる女性でさえもだ。
店長への挨拶を済ませた俺は、杏那を控室へと案内し、店長との今日のイベントへの打ち合わせに向かった。何の事は無い、いつも通りにやってくれの一言で終わる打ち合わせだが、やる事に意味があるのだ。現状の確認と、契約に不満は無いかの再確認。営業マンとしては、現場で動く前に、相手の表情を読み取って、相手の考えを読み取らないと、終わった後にクレームが会社に飛ぶことになる。これ以上残業を増やされるのは御免だからな……。
もっとも、杏那の現場に限って、クレームが来る事なんて一度も無かったが。ノークレームの優良商品、それが杏那だ。実際、店長も杏那にデレデレで、何とかして夜のデートに誘おうとしているぐらいだ。もちろん、全部シャットアウトするのも俺の仕事。これ以上面倒を増やさないでくれ。
「杏那さん、入りますよ。」
「あー、せいちゃんいいところにー。入ってー! 」
ドアをノックして入ると、際どい下着姿の杏那が居た。下着の美女にスーツの野獣。キャーと悲鳴を上げられたら、変質者として人生を終わらせるには充分な材料が揃ってしまっている。
「どこがいいとこなんだよ!! 服着てないじゃん!! 何がどういいんだよ!! 」
「違うよー! 衣装のファスナー閉まらないんだよー! せいちゃん閉めてー。」
「そういう時は電話で連絡してください! 女の人呼ぶから!! 」
「別にいいじゃん、下着ぐらーい。私、ランジェリーモデルもやってるんだしさー。」
そういう問題ではない。変質者として捕まりたくないのはもちろんだが、俺は男だらけの世界で育ってきたせいか、女性に対しての免疫というのがほとんどない。くわえて、杏那は誰がどう見ても美女だ。俺が今まで出会った女性の中でもとびきりの。ドキドキするなと言う方が無茶な要求だ。
ファスナーをさっさと上げて、杏那との打ち合わせを行う。店側としての要求は、とにかく盛り上げて欲しいとの事だ。杏那に伝えると、任せなさいと言わんばかりの表情でこちらを見ている。先程までのハチャメチャな行動を帳消しにするには、充分な自信に満ちた表情に、俺は他に何も伝える事は無いと判断した。
「さてと、じゃあ、今日もお仕事始めましょうか! 」
「はいなー! せいちゃん、フォロー頼むよー! 」
「早く帰りたいからしっかりやりますよ! 」
ここからが杏那の……いや、俺達のステージの開始だ。
―――――――――――――
「皆さんこんにちはー!! セブンガールズの杉崎杏那でーす!! 今日は皆さんと一緒に、めいっぱい、楽しんでいきますよー!! 」
ホール内のマイクから、館内に響く明るい声。杏那と俺のイベントが始まった。適度な緊張感は何度行っても残っているが、イベント自体にも慣れてきているので、リラックスは出来ている。問題があるとすれば、二日酔いの頭にマイクの音声は破壊力が高すぎるという事ぐらいだが、それはこっちの都合だ。そんな事で杏那の足を引っ張る訳にはいかない。
パチンコホールでの主なイベント内容というのは、遊戯している人におしぼりを配ったり、調子のいい台の実況をしてみたり、ちょっとした雑談で華を添えてみたりと、基本的には賑やかしがメインだ。
そんな事をして客は喜ぶのかと聞かれたら、ほとんどの人がどうでもいいと思っているだろう。実際にコンパニオンを呼ぶ理由は、何か特別な事をやっている=今日はよく当たる日なのかも知れないと、遊戯客に思い込ませる為に開催するのだ。
決して安くないイベント開催費用を払ったとしても、店は客から回収出来るって寸法なのだ。実際に、イベント中にバカ勝ちしている人なんてのはほとんど居ない。ここに居る人達のお金が、回りまわって俺の生活費になる訳だ。ありがたや、ありがたや……。
だが、中にはコンパニオン目当てで来る客も居る。コンパニオンとのツーショット写真を撮りたがったり、差し入れとしてスイーツを持ってきたり、アイドルの様に握手会をする事もあったりする。店側としては、この層は遊戯しない層でもあるので、心底邪魔だそうな。こちらとしては大事なファンでもあるので、あまり邪険にする訳にもいかないのが複雑なところだが。
現場ディレクターとしての俺の主な仕事は、この女の子目当てで来る客達の対応が大半だ。ツーショットの時にお触りしようとする人の手をはたいたり、ずっと喋ろうとする客を引き剝がしたり、握手の時に物凄く距離を詰めようとしてくる客の間に入ったり、貢物を預かって控室に運んで、とりあえず開封して変なモノが入ってないかチェックしたり……。
変なモノが入っているなんて、そんな事がある訳無いと、俺も最初は思っていたが、変態と言うのは予想の斜め上から攻撃を仕掛けてくるものなんだなと、この仕事を続けて痛感していた。
盗聴器なんてモノは正直なところ、見飽きる程に見てしまったし、ぬいぐるみの目の部分にカメラを仕込んでいるなんてものも、サスペンス漫画以外で初めて見る事になった。もっとヤバいモノは、ケーキに自分の体液をかけてる奴も居たし、自分の裸の写真を同封している紳士も居た。
理解を超えた変態達からしてみれば、俺は愛しのプリンセスへの愛情を妨害する悪しき騎士なんだろうが、こちらも仕事なので、その辺りは容赦せず処分している。もっとも、女の子達は、それらを見ても大体が気持ち悪いと笑いのタネにしてしまっている。変態達よ、お前達の情熱はひとつも届いていないぞ……。
今日も今日とて、腰に手を回そうとする紳士を捌き、貢物はチェックしてからゴミ箱にシュートし、長話にはシャッターを閉じる作業を続けている。杏那の時は紳士の数が非常に多い気がするが、それもこれも、杏那が分け隔てなく、全力で接している結果だろう。
「おー! こちらのお兄さんはフィーバーしてるねぇ! 今夜は焼肉だー! 私にも食わせてくれー! 」
「ありゃー、こっちのお兄さんはあんまりノッてないかー。今この台出てないよって、店長に聞こえる様に言っとくねー? 」
「お! お姉さんそのリーチレアだよ! 原作見てた? 見てた!? このシーン良かったよねぇ!! 」
いつも通りに、全力でホールを盛り上げようとする杏那。出ている客も出ていない客も、何だが楽しそうな雰囲気になっているのは、杏那が成せる技なんだろうか。普通、ハズレたり負けたりしている人で笑っている人なんて、そうそう居ないと思うのだが、杏那が話す相手は皆楽しそうだ。
そんな時だった。ホールの通路の端から、杏那の仕事を見ていると、杏那の目元が一瞬強張ったのが見えた。どうしたのだろうかと杏那の周りに注視すると、ある客の左手が不自然な動きをしている。
右手はパチンコ台のハンドルを握っているが、左手が不自然に垂れている。気怠そうな雰囲気を醸し出している客だが、手のひらを包み込むように何かを隠している。……間違いない、盗撮だ。
「おー!! ちょっと待って!! あそこのお爺ちゃんやばー!! 最高記録じゃーん!! 」
俺が動くのを察したのか、杏那はすぐさま、別の場所へと移動する。不自然な動きが無い様に、無邪気に興味が出た風に、遠くの方へ移動する。普段はあんな感じだが、やっぱり杏那はプロだ。自分が作り上げた雰囲気を壊さない様に立ち回っている。
あとは俺の仕事だ。俺は一直線に盗撮犯の元へと歩みを寄せていく。この時、俺は盗撮犯相手に、猛烈に怒っていた。こいつのせいで、報告書として提出する書類が増えたので、残業がまた長引く事にも腹を立てていたが……何よりも、杏那の仕事を、杏那のステージを邪魔しやがった事が許せなかった。
「お客様、申し訳ございませんが、左手のポケットの中身をお渡しください。」
「あ?何だお前?邪魔だから向こう行ってろ。」
「お客様、再度申し上げます。左手のポケットに入れたカメラをお渡しください。」
「邪魔だって言ってんだろ。消えろよ。」
「お客様。……俺は店員じゃないから大事にはしたく無いんだよ。さっさと盗撮したカメラ出せ。データ消すだけで見逃してやるって言ってんだ。」
盗撮犯は悪態を吐きながらも、こちらの要求に応じて、カメラを手渡した。カメラの中には、スカートの中を盗み撮った写真で溢れかえっていた。他の写真には興味は無いので、今日盗撮された、杏那の写真だけは、しっかりと全て消去させてもらった。
何で杏那の写真だけわかったのかって?そりゃあスカートの下に履いてるアンスコを準備したのは俺だからな。今時、アンスコや見せパン、水着も履かずにイベント衣装着る奴なんて居ない。悲しいかな、盗撮犯はホンモノのパンチラだとでも思っていたのだろう。
データを消去し、盗撮犯にカメラを返す。
「データは全部消させてもらった。約束通り見逃してやるから、今すぐ店から出ていけ」
「チッ……あんまり調子乗んなよクソガキ」
盗撮犯はすごすごと帰っていった。これにて一件落着……な訳が無い。盗撮犯は店を出た瞬間、屈強な男性社員に囲まれて、事務所に連れていかれた。
一連の会話は、店員の間で配られているインカムを通して、事務所内の店長に丸聞こえの状態にしておいたのだ。店長が監視カメラ越しにやり取りを見ていたのだろう、出口を男性店員で固めていたのだ。
咄嗟にインカムのスイッチをオンにした意図を汲み取ってくれた店長には感謝するしかなかった。せっかく杏那が作り上げたステージだ、くだらない揉め事で台無しにはしたくなかった。その気持ちを、店長は察してくれたのだ。やはり、あの人も杏那のファンなのだ。
その後、盗撮犯がどうなったのかは知る由も無い。この業界の男は、やる事があまりにもぶっ飛びすぎてて、警察のお世話になる人が毎年と言っていい程出るので、あまり制裁内容を想像したくはない。つい先月も、前日まで話していた店舗の店長が、イカサマしていた客に逆上して、車に連れ込んで山まで連れて行って、監禁容疑で逮捕されたばかりだしな……
「いやー、楽しい時間はあっという間だねー。皆さんは楽しんでもらえたかなー?セブンガールズは来月も来るので、楽しみに待っててよー!See You Next Time!バイバーイ!! 」
締めの挨拶も終わり、多少のトラブルはあったものの、イベントは盛況のまま終了する事が出来た。盗撮にあっていた事実なんて、そもそも無かったかの様に、杏那は完璧に仕事をこなしていた。
イベントの終了と共に、そそくさとバックヤードへとはけていく俺と杏那。事務所に向かい、店長に終了の報告を行う。
「店長、ありがとうございました。今日も無事にイベント終了しました」
「いやー! 今日も最高だったよ、杏那ちゃん! 無事に終わって、お客さんも皆楽しそう! 最高だったね! 」
そう、俺達の中で盗撮犯は「居なかった」し、そんな事実は「存在しない」のだ。事務所に入って、店長と目が合った瞬間に、言わんとしている事は理解する事が出来た。俺も店長も、杏那のやり遂げた仕事を汚したくなかったのだ。本当にこの店長とはウマが合う。
「杏那ちゃん、今日の仕事のボーナスって事で、今晩食事でもどうよ? 」
「あははー、宮原さんがOK出してくれるならいいですよー? 」
「そうですねぇ……3人で打ち上げに行くのも、いいかも知れませんね? 」
「男に奢る趣味は無ぇんだよ! とっとと帰って仕事しろよ、宮! 」
「杏那さんを送るまでが僕の仕事なんで……諦めてください、店長」
店長もわかって言ってる部分はあるだろう、半分は本気なのは目が物語っているが。店長は既婚者なので、杏那に不倫の可能性がある場所に行かせるのはマネジメント不足を問われるだろう。そこは徹底ガードしなくてはならない。何故なら、トラブルになったら、怒られるのは俺だからだ。怒られたら、その分残業が長引く。これ以上、寿命を縮める行為はしたくない。
助手席に杏那を乗せ、車は帰路を走り出す。時刻は夕方を迎えようとしている。まずは杏那を自宅まで送り届けて、俺はその後、報告書の作成と残務処理だ。今日は終電までに帰れる量の残務だといいのだが……。
「せいちゃん、ありがとね」
「何の事ですか?」
「盗撮の事だよ。気を使って、何も言わなかった」
「仕事は気持ちよく終わりたいですからね」
「だったら撮られる前に対処せぬか! 」
無茶な事を言うお姫様だ。だが、杏那の言う事はもっともだ。
「いやぁ……すみません」
「いーよ。誰かに見られる前に消してくれた訳だし」
「僕は見ちゃってますけど、いいんですか?」
「せいちゃんなら別にー。今日もおっぱい見られた訳だし」
「おっぱいは見てないし、覗いたみたいな言い方しないで!? 」
車の中に和気藹々とした空気が流れる。が、杏那の言う通りだ。キッチリと仕事をこなすなら、盗撮される前に、不審な動きに気付くべきであった。不自然に垂れ下がった右手、コンパニオンを追う様な目の動き、情報はいくらでもあった。俺は、自分の能力の低さで、自分達の商品を守り切る事が出来なかったのだ。ディレクションとしては及第点以下だ。
「そうだ! せいちゃん、今日ご飯行こうよ! 」
「え、ちょっと待って、僕、事務所戻ってから仕事山積みなんですけど? 」
「ちゃっちゃと片付けて行くの! 」
「無茶言わんでくださいよ……」
「いいもん、ご飯来てくれないなら、せいちゃんにおっぱい揉まれたって、守さんにいいつけちゃお」
「無い事無い事、言いふらそうとしないで!? わかりましたよ……」
「やったね! 頑張ってるせいちゃんに、お姉さんが奢ってあげるから、仕事終わらせていつものところね! 」
「なるべく早く行けるようにしますよ……遅くなったらごめんなさいね? 」
疲れた身体に鞭を打ち、事務所へのエレベーターに乗り込む。杏那にはあぁ言ったものの、到底終われる仕事量では無い。途中で抜け出して、少し話すぐらいが関の山だろう。
杏那への言い訳を考えながら、事務所のドアを開けようとすると、鍵が掛かっている。定時は過ぎているとは言え、時刻はまだ夕刻だ、誰も居ないのはおかしい。
ドアを開け、中に入ると、照明は落ちているが、人の居る気配はする。泥棒?いや、泥棒だったら金庫がある、この部屋に居るはずだ。などと考えていると、支社長室からガタガタと物音がした。……なんだ、いつもの事か。
所属しているタレント=商品に手を出してはいけないと、入社する際に厳しく言われたが、それは俺達平社員に限っての事だ。支社長は、仕事の無いタレントに対しては、個人的な契約を結び、お小遣いを渡している。お互い利益がある上に、支社長は独身だ。女の子側から秘密を暴露される心配も無い、女の子は決して安くは無い金額を回してもらえる、穴の無い完璧な契約だ。
……完璧なのはいいけど、せめて場所は選んでくれ。今から、山積みの仕事に取り掛かる独身男性の隣で、部屋をホテル代わりに使われるのは、集中力が低下するなんてものじゃない。俺は素早くヘッドフォンを装着し、お気に入りのヘビメタを大音量で流す。盗み聞きするのは趣味じゃないし、偶然聞こえただけの内容でも、何を言われるかわかったものじゃない。
耳から脳に響く、切り裂くようなギターの音を聞きながら仕事をしていると、後頭部に衝撃が走り、目から星が飛び出す勢いだった。何があったかと振り返ると、守山支社長が拳を握りしめて立っていた。呼ぶなら普通に呼んで欲しいものだ……と言いたいが、恐らく呼んでいたのだろう。大音量のギターに掻き消されていたに違いない。
「呼んでるんだから返事ぐらいしろ!! 」
「いや、普通に肩ポンで気付きますから……。どうしたんですか?」
「俺はもう出るから、戸締りだけしとけよ。やる事終わったら適当に上がれ」
「あ、はい、お疲れ様でした」
時刻はまだ夕食時に差し掛かったところ。この時間に出るって事は、恐らくお気に入りの嬢に会いに、キャバクラに行ったのだろう。先程まで性欲を発散していたのに、本当に元気なオッサンだな……。
だが、これはこれで、こちらも好都合だ。いつもなら追い仕事がどんどん積まれていくが、これなら最低限の仕事を終わらすだけで、抜け出す事が出来る。そうすれば、杏那との約束をすっぽかす事はせずに済む。
残った仕事を一気に片付けた俺は、一路、杏那が既に居るであろう、行きつけの居酒屋へと急ぐ。まるで、待たせている恋人との待ち合わせに向かう様に急いでいるが、杏那は恋人では無く、あくまで彼女は仕事仲間。それに……オフになれば、大事な友人の一人なのだ。
「せいちゃん遅いよー!! 」
居酒屋のドアを開けた俺を、元気の良い店員よりもよく通る、既に一杯始めている杏那の声が出迎える。こっぱずかしいから辞めてくれ。
「元気良すぎやろ……そこが杏那のええとこやけど。あ、お姉さん、俺生で」
「今日は早かったね? もしかしたら来ないかもと思ってたもん」
「俺は約束は極力守るからな。支社長もキャバクラ行きよったし」
「守さん、ほんとキャバクラ好きだよねー。あんだけ女の子囲ってるのに」
「そうそう、それやねんて! 今日も事務所戻ったらな?……」
これが俺と杏那のオフの姿だ。杏那から『友達なんだから、仕事以外では堅苦しい言葉はしてほしくない』と言われて以降、俺は杏那に対して、オフの時は素で話すことにしている。
元より堅苦しいのは苦手なので、申し出は非常にありがたかったし、何よりも「友達」と呼ばれた事が嬉しかったりもした。モテない男なら、これだけで勘違いのひとつもしてしまいそうな感じだが、杏那という人物を、ちゃんと知ろうとしているなら、男女分け隔てなく、友達となるタイプなのはすぐにわかる。淡い期待など、全く持っていなかった。
「せいちゃんも毎日大変だねー。仕事辞めようと思わないの? 」
「辞めて、他に仕事あるなら辞めるけどな……。今ほんまに無いで……」
「だねー。株価も全然回復しないし、日経も相変わらず暗い話題ばっかだよー」
「相変わらず、キャラとはかけ離れた事しとんな……」
「誰と話すかわかんないからねー。バカな事言って、所詮顔と身体がいいだけの女だって、見下されるのも腹立つし」
「まぁ、基本的にあいつら、女やからってバカにする奴らやからな」
「その点、せいちゃんは見下したりしないから好きー」
「実際お前はバカちゃうからな。……で、今日はどうしたんや? 」
「ん? 何が? 」
「お前が無理にでも誘う時は、何か聞いて欲しい話があるんやろ? どないしたんや? 」
「あははー、せいちゃんにはお見通しだねー……」
「もしかして、彼氏と別れたとかか? 」
「そっちはとっくに別れたよ。家に行ったら、おっぱいドーン!な人と寝ててさ。その場でビンタしてやった。」
「なーんで杏那みたいな子が居るのに、浮気するかねぇ……。俺にゃ理解出来んわ。相変わらず、ダメ男ばっか惚れるな? 」
「ねー、せいちゃんに話すだけでも、3人に浮気されてるからねー。私って、そんなにめんどくさい女なのかな? 」
「それは知らん。女になった時の顔を知らんからな。男の話じゃないとしたら、他に何があんのよ? 」
そうやって本題を切り出そうとした時に、ふと、杏那の表情が曇った。
「……実はね、もうこの仕事辞めようかなって」
一瞬、耳を疑った。何事にも全力で臨み、一生懸命に頑張っている杏那から、仕事を辞めたいという言葉が出るとは、思ってもいなかった。
「……そりゃまた、どうしてよ。突然な話やな」
「せいちゃんにしか言ってないからね。このまま続けても、一軍の子達みたいに、テレビやモデルの仕事を出来ないんじゃないかなって。それにね、お母ちゃんから、そろそろ結婚とか考えろーって、最近よく言われるんだ。私も若くはないからさ」
若くはない……とは言っても、杏那はまだ30歳にもなっていない。しかし、この業界では、20代の後半ともなれば、年齢的なハンデが付くのも事実だ。そんな事は無い、まだまだ若いと言ってやりたいが、少なくともプロとして誇り持っている杏那に対しては、かえって杏那を傷付けるだけだという事を、俺は充分に理解していた。
「まぁ、杏那の決める道やから、俺にはどうこう言う権利は無いからな……」
「ふふっ、止めてはくれないんだ? 」
「今は仕事ちゃうからな。杏那の選んだ道が正しい道や。……けど、正直、俺は辞めてほしくないな。」
「ほうほう、それはどうして? 」
「だってお前、楽しそうやん。楽しくないのに、俺みたいにやらんとあかん奴もおるんやで? 楽しい仕事で、生活も出来てるのに、辞めるのは勿体ないって俺は思うで」
「……楽しいのは楽しいよ。でも、伸びるかどうかは、わからなくて不安なんだよ……」
「伸びるわ」
「言い切るねぇ……。それはどうして? 」
「根拠は無い! けど、見てる奴はちゃんと見てるもんや」
「ホントかな……。いつまでも上の仕事は来ないし、ホントに見られてるのかな」
「俺は、報告書には杏那の事は必ずと言っていいほど、べた褒めしとる。俺だけやなくて、他のディレクターの報告書でもや」
「せいちゃん、女の子にはどれも甘く書いてそうだけどね」
「んな事あるか。愛子とかに聞いてみろ、俺あいつにダメ出ししかしとらんで」
「うっそ、マジで? よくやるねぇ……仕返し、いつか来るかもね」
「顔がいいだけの、真面目じゃない女は嫌いなんでね」
「ほう、じゃあ私は顔だけじゃないと?」
「顔とスタイルはええからな、杏那は」
「おい! そこだけかよ!! 」
「あとは言わんでもわかるやろ」
「はぁー……こうやって、せいちゃんに丸め込まれる女の子は多いんだろうねぇ……。」
「俺は思ったことを正直に言うとるだけやぞ」
「一番たちが悪いね。無自覚ジゴロだね」
「だったら付き合う? 彼氏も居なくなった事やし」
「年収があと200万多くなったら、考えてあげようかね」
「アーア、フラレチャッター」
先程までは思い詰めた顔をしていたが、今はいつもの杏那に戻っている。だが、その表情には、やはりどこか陰りがある。自分でも整理しきれていないのだろう。
だが、俺に出来るのは、どの結果を選ぼうが、杏那を友人として後押ししてやるだけだ。続けるのであれば、全力でバックアップをするし、違う道を選ぶなら、俺はそれを全力で応援してやる。それだけだ。
「さてと、飲みすぎる前に出るか。……って、お前、既に結構吞んでるな……」
「吞まなきゃこんな話出来ないからねー」
「まったく……二軒目は行かへんからな? 」
「はいはい。あ、約束通りお姉さんが奢ってあげよう! 」
「割りでええって。……下ろしてこな足らんわ……」
「いやー、悲惨だねー。いいよ、私の気持ちだから」
女の子の前で金が足りないとは、何と情けない事か……。杏那にお礼を言いつつ、俺達は居酒屋を後にした。
外はすっかり夜も更け、帰宅を急ぐ人や、これからの夜を楽しむ人が散見されている。繁華街の中でも、ホテル街に近いこの場所では、後者の方が目立つ。明らかにカップルの方が多く、帰路に着くサラリーマンには、なかなか肩身が狭い状況だ。
「おー、なかなかにお熱いねー」
「まぁ週末やしなぁ。明日も仕事の俺には関係ない話やけど」
「ふーん、明日もですか。大変ですね」
「むしろ俺らは土日が稼ぎ時やからな」
「ねぇ、せいちゃん」
「ん? どうした? 」
杏那が突然、俺の腕に抱きついてくる。
「私達も、もうちょっと楽しんじゃおうか」
事態の理解に脳が追い付かない。どういうことだ?二軒目には行かないと言ったはずだ。カラオケ?ボウリング?そんな経験の無い高校生みたいな事を考える様に、思考が強制的にコントロールされているのがわかる。だが、本能では事態を理解している。やわらかいものが腕を包み込んで、全身の血圧の上昇が治まらない。
「……飲み過ぎや、アホ! はよタクシー乗るぞ! 」
「あららー、恥かかされちゃったね」
「俺は今は彼女候補としかしない主義やの。年収足らんから杏那は抱けんわ」
「200万の壁は厚いですねぇ」
「……不安かも知らんが、出来る事なら何だってしたるわ。だから、一時の不安な気持ちを消す為にそんな事せんでも、俺はお前の味方や」
「……うん。ごめんね、せいちゃん。ありがとう」
そう呟く杏那の肩を叩き、俺はタクシーを止める。タクシーの中から、両手を子供の様に振り続ける杏那を見送った。最後の最後まで元気なやつだ。
俺は、一時の欲に負けて、大事な友人との関係性を壊さなかった事を誇りに思う気持ちと、二度と無いチャンスに心底惜しい事をしたという男の本能の気持ちの、相反する気持ちを同時に抱えたまま、メールで送られてきた追加業務の待つ事務所への道を歩いて行った。