海の唄
---僕は唄う。君を想い、いつまでも。
僕が生まれ育った海辺の村。
僕は昔から歌うことが好きで、よく海の近くにある小高い丘の上で楽器を演奏しながら歌っていた。
子供の頃は素敵な歌声だと村人たちにも褒めてもらっていた。でも、大人になってもまだ仕事をせずに歌い続けている僕を、村人たちは遊び人だと言って、嫌っている。
でも、彼女はそんな僕を昔から好いてくれている。綺麗な歌声だと褒めてくれる。
だから僕は彼女を好きになった。
丘の上で僕が歌い、それを彼女が聞く。そんな日々を過ごしていた。
ある日、突然雨が降り、海が荒れた。それが一週間、二週間と続いた。
海には神が居ると言う。海が荒れた時は神が怒っているからだとされ、神の怒りを鎮めるために人身御供を神に捧げる風習がある。
その時も誰かを人身御供として神に捧げようと言う話になった。
だが、いくら家族や仲間のためだと言っても人身御供になりたいという人はいなかったらしい。
そんなある日。彼女とともにいつもの丘に来た。
彼女が大事な話をしたい、と言ったからだった。他の人には聞かれたくないとのことだったので、小高い丘に行った。あそこにはいつも僕か彼女しか行かない。
曇り空の下、波の音が聞こえる。遠くでは雷の音がしている。
「それで、どうしたの?大事な話って何?」
「あのね、あの、私……」
彼女は胸の前で手を組み、俯いている。
「どうしたの?話しにくいのならまた今度にする?」
組んだ手を口元に持っていき、目を閉じた。
「ううん。今、話す…!」
首を横に振り、手を体の横に置き、握り締める。
「あの、私ね…!人身御供になろうと思うの…!」
波の音が遠くなる。
「……本気?」
信じられない。信じたくない。そんな気持ちで彼女に問いかける。
「……うん、本気」
彼女はこちらを真っ直ぐ見つめてそう告げた。
「……どうして?どうして?!どうして人身御供になろうと!」
感情を抑えきれず、叫んだ。
「…だって、このままみんなが人身御供になろうとしなかったら、誰かが無理矢理人身御供にされるかもしれないもの。そうで無くともこのままだと生活が出来ないでしょ?だから、そうなるのなら私が人身御供になろうと思ったの」
「だったら、だったら僕が……!」
「そんなの嫌よ!」
言いかけた僕の言葉を彼女の叫びが遮る。
「……ねえ、もしかして、」
彼女は今にも泣き出しそうな顔で、僕の口に人差し指を当てて、僕の言葉を止めた。
「ねえ、お願い。もう止めないで。それで、私が人身御供として身を捧げた後には私のためにここで歌ってくれると約束してくれない?それだけで人身御供になる勇気が出るの。貴方の歌を聴きながら眠れる。それほど嬉しいことはないわ」
「だから、お願い。私のために、歌って」
「……分かった。僕が歌えなくなるまで、君のために、君のためだけ歌うよ」
その日の夜、僕らは同じ布団に入った。そして、眠ってしまうまで、昔のことを話した。二人の思い出を、一つ一つ噛み締めるように。
次の日、みんなに彼女が人身御供になることが発表された。
そして、一刻も早く神の怒りを鎮めるため、儀式を行うこととなった。
儀式のために、絹を用いて作られた白い衣を身に纏った彼女は、とても美しかった。
彼女は、胸の前で手を組み、目を瞑りながら、少しずつ海の向こうへと足を進める。少しずつ、少しずつ。
そして、彼女は見えなくなった。
それと同時に黒い雲が晴れ、波が穏やかになる。
村のみんなは喜び、宴を開いた。そんな中、僕はいつもの丘に向かった。そして、座り込み、来るときに持ってきた楽器を持ち上げ、歌を歌い始めた。彼女を思い、彼女だけを思って。
声が枯れるまで、楽器を演奏する手が痛くなるまで、僕は歌い続けた。ふと気がつくと、空は夜の帳に覆われていた。空を見上げると、澄んだ空が見えた。月が真上に浮かんでいて、沢山の光がその周りで灯っていた。そして、その時、僕の目から一つの雫が零れた。
村一番と言われている漁師に彼女が告白されているのを見かけた。
胸が苦しくなり、とっさにその場から走り去る。
(僕なんかが彼女と釣り合うわけが無いもんな……)
そうだ、きっと彼女もあいつと付き合った方が幸せになるだろう。
そう考え、丘に座り込んでいると、隣に彼女が居た。
「ねえ、なんで僕と一緒にいてくれるの?君ならもっと素敵な人と付き合えるんじゃ……」
珍しく彼女は厳しい顔をしていた。その顔に驚き、言葉を途切れさせる。
「それ以上言ったら許さないわよ。私は貴方だから好きになったの。貴方の歌声に惚れたの。だからそんな馬鹿なこと、もう言わないで」
よく見ると、目を潤ませていた。
「ご、ごめん!も、もう言わないから、泣かないで」
そう言った時、彼女は隣から目の前に移動していた。いつのまにか、丘では無く、別の場所に移動していた。
神秘的な雰囲気を感じる場所だった。足元は白い砂で、周囲には魚が泳いでいた。上からは光が差し込んでいる。
彼女は儀式を行った時の服装だった。今にも泣き出しそうな顔をしてこちらを見ている。
「いつまで、いつまで私のことを引きずっているの?もういいよ、私のことなんか忘れて幸せになって」
彼女は少しずつ後ろに下がっている。
「貴方のことが好きな人だっているはずよ。今の貴方、とてもカッコいいから。だから、もう私との約束なんて忘れて」
違う、僕の体が彼女から遠ざかっているんだ。体が浮かんでいく。体が動かない。でも、一つだけ伝えたかった。
「無理だ!僕だって君だから好きになったんだ!そんな君のことを忘れるなんて、無理だ!」
ーーーもう、彼女は砂粒のように小さく見えたけど、僕には彼女が涙を流しながら、それでも笑ってくれたように感じた。
目を、覚ました。
「夢、だったのか……」
天井を見つめて、少しの間彼女のことを思い浮かべる。
「…よしっ!」
頬を叩き、気合いを入れる。
彼女が人身御供となり、居なくなってから数年が経過した。
あれから僕は、歌を歌うことをやめた。そして漁師になり働き始めた。
最初の頃は全く成果を出すことが出来なかった。でも、頑張って働き、村一番と言われるほどになった。
それでも、ふと彼女のことを思い出した時はあの丘に歌いにいく。彼女に届くように願いながら。
そして今日、漁に出る準備をしていた、その時に突然、海が荒れ始めた。空が暗雲によって覆われ始めている。
(あの時と同じだ……)
もしかしたら、神がまた怒っているのかも知れない。それが連想された。
それから、十日、二十日と過ぎ、村の集会でまた人身御供を神に捧げることに決まった。
村の集会には、村の中心にある広場に、子供達と子供達のお守り役の数人を除いた村人が集まっている。
「それでは、人身御供はどうする?」
村の長老が切り出す。
「やっぱり今まで通り、立候補するのを待つしか無いんじゃないか?前のように村の厄介者がいないわけだし」
漁師仲間の一人がそう答える。
僕の親友がそいつに声を掛ける。
「おい!」
「ふむ、では、それでいいと思う人は挙手をせよ」
長老が親友を無視して、みんなに声を掛ける。
「うむ、過半数が手を挙げておるな。では、そういうことで、人身御供になっても良いものは後で声を掛けよ。では、解散!」
そして、みんなが自分の家や、船に行く。
その中で長老の元へ向かう。
「おい!お前、まさか人身御供になるつもりか?」
親友が小声で僕を呼び止めた。
「ああ、そうしようと思う」
素直に答える。
彼は目を伏せる。
「……お前、まだあいつのことを引きずっているのか?あいつはお前が幸せになることを望むと思うぞ」
僕は、海が荒れ始めた日に夢で彼女が言っていたことを、彼からも言われ、驚いた。
「……それでも、もう決めたんだ。止めないでくれ」
彼を置いて長老の家に訪れた。そして、長老に僕が人身御供になると伝えた。
「そうか、感謝する」
明日、儀式を行うそうだ。家族との最期の別れをしてくれと言われた。
家に歩いて帰って両親に自分が人身御供になったことを伝えた。
お母さんには泣かれてしまった。
お父さんには「よく言った」と言われた。
夕食では、僕の好物を食べた。
次の日、儀式を始めた。
僕は、絹でできた白い衣を身に纏い、海に向かって歩いていく。胸の前で手を組み、目を閉じて少しずつ海の向こうへと歩を進める。
海の水が膝下まで来た。波にさらわれないように一歩一歩、慎重に歩を進める。
海の水が肩まで来た時にはすでに体力が限界だった。波が強く、海水は冷たい、そして顔には雨が降り注いでいる。
足の力が抜けてしまい、倒れた。全身海水に浸かりながら、彼女の顔を思い浮かべ、意識を手放した。
ーーー最後に、彼女の顔が見えた、そんな気がした。
意識を取り戻した。
(ここは?死後の世界か?)
そこは下は白い砂で覆われていて、遠くには色彩豊かな所がある。そして、周囲には魚が泳いでいて、今いるのが水の中だと分かった。上からは光が差し込んでいる。
周囲を見渡していると、後ろから誰かに抱きつかれた。
「馬鹿!私のことなんか忘れてって言ったのに!」
耳を疑った。その瞬間、今いる場所が何処だろうと気にならなくなった。
振り向くと、そこには人身御供となって居なくなった彼女が居た。儀式を行ったあの時の服装で、あの時のまま、変わらず。
彼女の目からはポロポロと涙が溢れ出している。
「馬鹿!バカバカバカ!もう、う、うぅ、あああぁぁぁ!」
「ごめんね。でも、忘れることなんてできないよ。君が言ったんじゃないか、僕だから好きになったって。僕も同じだよ、君だから好きになった、君じゃなければ好きにはならないよ」
彼女を抱き締め返す。
「……それとも本当に忘れた方が良かった?」
「そんなわけない!ほんとうにわすれてほしかったわけない!でも、でも、ううぅ」
目を合わせて、微笑み掛ける。
「なら、笑って。泣いてる顔よりも笑ってる顔の方が好きだよ」
「……うん」
彼女は目元を袖で拭って笑い返してくれた。泣きじゃくった所為で目元が赤くなっているが、昔と同じ可愛らしい笑顔だった。
「やっぱり笑顔が一番可愛いよ」
「うぅ、恥ずかしいこと平気で言うようになってない?」
彼女は頬を赤らめ、頬を手で抑えた。
「あー、そろそろいいかな?」
知らない人の声が聞こえた。
声がした方を向くと、気まずそうな顔を浮かべている少年がいた。
「……空気読んでください」
彼女が彼を睨んだ。
「ま、まあまあ。これから一緒に過ごせるんだから少しぐらいいいじゃないか」
そういえば、
「ここは何処なんだ?」
「ここは僕の神域だよ。君たちは僕に捧げられた生贄だからここにいるんだ」
僕に、捧げられた?と、いうことは。
「か、神様?!」
その場に片膝をつく。
「そんなにかしこまらなくていいよ。もっと気楽にして」
「は、はあ。分かりました」
片膝をつくのをやめて立つ。
「まだちょっと堅苦しいけど、まあいいか。君たちにはこれから死ぬまで僕が作る家で暮らしてもらうよ。まあ、ここにいる限り死ぬことはないんだけどね」
そう言った直後、左手で指を鳴らした。すると、僕たちが立っているすぐ真横に巻き貝のような形の家が出来た。
「他にも欲しいものがあれば、僕の力の及ぶ範囲でならあげるよ。例えば、これとか」
そう言った神様の右手にはいつのまにか僕が愛用していた楽器があった。
「とりあえずこれはあげるね」
神様から楽器を授かった。
「それじゃあ僕はあっちの珊瑚で出来た城にいるから。何かあればあそこに来てね」
指を指した方向を見ると先程の色彩豊かな場所だった。そちらを見ていると、いつのまにか神様はいなくなっていた。
理解が追い付かない事象がたくさん発生していて頭が少し混乱している。
「ほらほら、あの家に入って見ようよ!これからあの家で暮らすんだから」
彼女に腕を引かれる。
まあいいか、彼女と一緒に過ごせるなら。
「あ、そうだ!」
彼女は僕の腕を離し、向かい合った。
「えへへ、これからもよろしくね。フィン!」
満面の笑みを浮かべながら、僕を呼ぶ彼女。
「うん、よろしくね。レーナ」
微笑み返しながら、彼女を呼ぶ。
「そういえば、あれは夢じゃなかったの?」
「神様にお願いして会わせてもらったの。……無駄だったけどね」
「アハハ……。仕方ないじゃないか、忘れることなんて出来ないんだから」
「うぅ、でも、毎日あそこで歌うのはやり過ぎじゃない?」
「ああ、元々は君を思い出した時だけにしようと思ってたんだよ」
「それならなんで?」
「いやあ、君を思い出すことが多くてね。ほら、昔からいつも一緒にいるからいっぱい思い出があるでしょ。だから、ね」
「……もうっ!」
「どうしたの?照れてるの?」
「むーっ!」
「アハハ、痛い痛い、殴らないで」
「笑いながら言っても説得力無いし!」