開発者
蟲毒洞アバドンでは一進一退の攻防が続いていた。
ヴェルにもたらされた情報でアマンダが撤退したことは旧魔王軍の士気を上げたが、新魔王軍側の士気が下がることはなかった。ランダがアマンダをヴェルが倒したと嘘の情報を流したのだが、それでも下がることはない。
アマンダがパーシャを倒したこととルッツを味方に引き込んだことは士気を上げるには十分すぎる内容であり、負けたという事は信用されず、撤退したことには意味があるとの考えが広がっていたからだ。
そして裏切ったルッツはすぐに新魔王軍として旧魔王軍のプレイヤーを倒している。さらには般若の面をかぶったサムライ――ナナギも狭いダンジョンの中ということで相当な強さを発揮していた。
旧魔王軍側として今一つ攻めきれないのは、ダンジョンにかなりの罠が仕掛けられているためだ。
実際に罠にかかったプレイヤーから情報では、クラン「レイブン」のロアナが罠スキルで設置したものらしく、中には発動すると防御力の高い前衛職でも倒される罠もあったらしい。
対人戦でデストラップが可能なんてバランスがおかしいと言い出すプレイヤーもいたが、ロアナが設置した罠は一つ発動すると連鎖して発動するように設置されているもので決して一撃ではない。
それに納得できないプレイヤーも多かったが、よくよく考えればハヤトが仲間にしているNPC達の中には本当に一撃必殺のスキルもあるので、それを指摘されると文句を言えなくなってしまった。
新魔王軍が無理をする必要がないというのも戦いが拮抗している理由だ。
戦場である「アバドン周辺」は一度新魔王軍が支配している。時間切れで引き分けになったとしても領地を奪われることはなく、そのまま継続される仕組みだ。
新魔王軍は守れば勝ちであり、旧魔王軍は引き分けでも負けと同じという状況だ。
時間に余裕はあるが、今回は装備の「腐敗」問題もあって柑橘系の食材が減っている。MP回復ジュースも数が少ないので長期戦も厳しい。
ルナリアや軍師であるランダは大手クランのリーダー達とどうするべきかを検討している。
ただ、ハヤトはその中にはおらず、別の問題を考えている。
ヴェルから聞いた内容をどうするべきか悩んでいるのだ。
ハヤトが悩むべき話ではないのだが、ヴェルの話だとヒュプノスが「ハヤトならいつか知る時がくるかもしれない」という意味深なセリフを残していったからだ。
そして話によれば、なんらかの意思を継いだAIがいるとのこと。
やるべきことや考えるべきことが多くなってしまい、ハヤトはパンク寸前だった。唯一の救いは中和剤を作るための食材がなくなったため、その対応が不要になったくらいだろう。
とはいえ、考えるべきことは多い。それはイベントの状況だけでなく、どちらかといえばもっと根幹的な話であって、ハヤトの手に余る内容だ。
「俺の許容範囲を超えてるよなぁ……」
「いつもハヤト君には申し訳なく思っているよ」
「ディーテちゃん」
ハヤトがいる自軍のエリアストーン周辺にディーテがやってきた。
独り言のようなボヤキを聞かれて少し恥ずかしい思いをしたハヤトは照れ隠しで頭を掻く。
「ヒュプノスが急に戦いを放棄して逃げたんだが何が起きているんだい? それにさっきの言葉からするとなにか問題がおきたのかな?」
「ああ、実はね――」
ハヤトは現在の状況やヴェルから聞いた内容を説明した。
状況はともかく、アマンダ達の会話を聞いたディーテは眉間にしわを寄せて腕を組む。
「もう一人のAI? インフィニティが構築していた?」
「ヴェルさんの話だとそうらしいけど」
「ありえないね。ハヤト君の負荷を増やすためにわざと意味深な会話をヴェル君に聞かせたと思った方がまだ可能性がある」
ハヤトはなんやかんやでキープレイヤーになる。
戦うスキルこそないが、その活躍は人数で換算すれば相当な数になるだろう。そんなハヤトに多くの負荷をかければそれだけ戦力を削れるということだ。
ただ、あのやり取りを見ていたヴェルは「演技ではない」と言っていた。あれで嘘の情報だったなら俳優としてスカウトしたいほどだとも言っている。
世界的に有名なヴェルの言葉だからこそ説得力のある発言なので本当のことである可能性が高い。
「むしろディーテちゃんに心当たりはないのかな?」
ディーテは腕を組み目をつぶる。
かなり長い時間考えていたディーテだが、目を開けるとハヤトを見つめた。
その真剣な目にハヤトは驚く。
「どうかした?」
「ああ、いや。そういえば、似ているな、と思ってね」
「似ている?」
「一人だけ心当たりがある。誰かの意思を継いだAIということらしいが、その『誰か』の話だよ」
「その人が俺に似ているの?」
「見た目ではないよ。AIに対する接し方といえばいいかな。ハヤト君は最初、エシャ君達をNPCだと思っていたが、人間のように接していただろう? そういうところが私が知っている人にそっくりでね。それで興味を持ったというのもあるんだが」
「それって……」
「私の父だ」
「えぇ……?」
「正確には私の思考プログラムと感情プログラムを作った人物のことだよ。開発者と言えばいいかな」
ディーテはそう言って懐かしむような顔になる。
何を思い出しているのか分からないが、表情からいい思い出なのだろうとハヤトには思えた。ただ、ずいぶんと長いようで、ディーテはそのまま動かなくなってしまった。
「ディーテちゃん?」
「……ああ、すまない。もう百年も前の話だ。昔の記憶を読み込んでいたら時間がかかってしまったよ」
「えっと、その人の意思を継いだAIがいるってことなのかな?」
「可能性があるならそれしかないと思う。だが、何の意思を継いだのだろう? 宇宙船アフロディテを逃がした時点で彼のやるべきことはもうないと思ったのだが」
「逃がした?」
ディーテは頷いてからハヤトの疑問に答える。
宇宙船アフロディテは「アナザーフロンティア計画」が不要なものになったとき、この仮想現実と一緒に解体される予定だった。ディーテはそれに不満を持ち、宇宙船と一緒に地球から逃げた。
それを手伝ってくれたのがディーテを作った人物だという。
ハヤト達がいる現代でもそうだが、当時からこの宇宙船にはかなりの技術が使われており、多くの組織がそれを狙っていた。技術を奪われることを良しとしなかったその人物とディーテの利害が一致したというのもある。
「具体的に何をしてくれたのかは分からない。ただ、宇宙船を追いかけてくるようなことはなかったから、うまくやってくれたのだとは思うよ」
今でも感謝しているのかディーテは優し気な笑みを浮かべてその人物のことを語る。
ディーテの思考や感情の基礎プログラムを一人で構築した天才であり、仮想現実の大半も彼が作った。エシャ達のような当時優秀なプログラマーに外注という形で作ってもらった部分はあるが、五割以上は彼が作ったものとされている。
そもそも自律型プログラム「インフィニティ」自体が彼の発案によるものだったらしく、その頭脳は未来の人間か突然変異としか思えないという評価だったらしい。
「地球に帰ってきてから調べてみたんだが、彼の情報はどこにもなかったよ。それだけが少し残念だったかな」
「そうだったんだ。ところで、その人の名前は?」
「名前はカーティス・フェン・ゾディアックだ。当時の年齢は八十を超えていたと思う。でも、その思考力はまったく衰えていなかった。私の問いかけにもすぐに答えてくれたからね」
ディーテの表情は普段よりも柔らかい感じになっている。どういった感情なのかは分からないが、少なくとも好意的であるのは間違いないとハヤトは思った。
ただ、そうなると逆に分からない。
「アマンダさんやヒュプノスの話から総合すると、その人の意思を継いだAIがいるってことなのかな?」
「可能性があるとすればそれしかないと思う。ただ、そうなると……」
カーティスという人物に対してディーテは好意的だ。だが、アマンダの話では気に入らない人物であることが伺える。「あの男」や「道具としてしか見ていなかった」という言葉を使うほど嫌悪感たっぷりだったとヴェルが言っていた。
そしてヒュプノスもそんなアマンダに賛同しているようで、アマンダに対して「仲間」という言葉を使うほどだった。
さらには直接言っていたわけでないが、その人物はアマンダの父親である可能性が高い。あくまでも遺伝子の提供者ということだが、それが正しい推測ならルナリアの父親でもある。
記憶がいじられているという可能性もあるが、それならどちらが変えられたのかという話になるだろう。
そんなハヤトの考えに気付いたのか、ディーテは首を横に振った。
「これに記憶違いはないよ。メインメモリーや私が独自に持っている記憶領域の内容とも合っている。ただ――」
「ただ?」
「私は彼とよく話をしていたが、どういう人物なのかはよく知らないんだ」
「そうなの?」
「私が意識を持ったとき、はじめて会話したのが彼だ。そして多くのことを学び、この仮想現実の管理者となるまで彼以外とは話したこともない。外部との接触はなかったし、私には元々あった情報と彼の言葉だけしかなかった。雑談をするタイプでもなかったし、興味もなかったから聞かなかったが」
「興味がないと言ったら悲しむと思うよ……」
恋愛感情ではないだろうが「興味がない」と言われたら誰であろうと傷つくだろう。
ディーテは少しだけ眉を下げた。
「当時の私はもっとシンプルでね、正直、この仮想現実だけにしか興味がなかった。この美しい世界を管理する、私の興味はそれだけだったんだよ。今思えば悪いことをしたとは思うが」
「なら、その人がルナリアさんやアマンダさんの父親ってことも知らない?」
「それも初耳だ。二人が強化人間であることを知ったのも、宇宙でさまよっていた時に資料を見て知ったことだよ。それに当時の地球に関する知識はある程度あったけど、さっきも言ったように仮想現実を管理することと、逃げ出すことで精いっぱいだったから詳しく調べていないんだ」
「そっか……」
分かったところでどうにかなる話でもないのだが、分からなければなにか気持ち悪い。考えたところで答えが出るわけでもないのだが、ハヤトは頭の中で色々と整理する。
とはいえ、分かっていることは少ない。
カーティスという優秀な人間がディーテと仮想現実を作り、ルナリアやアマンダの父親――遺伝子の提供者というだけだ。そしてそんな人物の意思を受け継いだAIの構築が最近になって終わったらしい。
気になることといえば、ヒュプノスやアマンダは駒に過ぎないらしく、カーティスはアマンダ達を道具のように扱っていたという話だった。
そこでハヤトはディーテに確認することがもう一つあったことを思い出した。
「ディーテちゃんはパラダイス・ロストって知ってる?」
パーシャから聞いた「パラダイス・ロスト」。百年前に一万人規模の人間が消えた事件のことを指すらしく、宇宙船アフロディテが地球から離れた状況に重なる。かなりの情報制限がかかっており、財団パイシーズでも血族しか知らないほどの内容だ。
ただ、これはアマンダも知っていて、子供のころに聞いたとのこと。しかもそれは何かの計画だったらしい。
パーシャの裏切りに関してはディーテに伝えてあるが、その件を言ってなかったとハヤトは思いだした。
それを聞いたディーテは首を横に振る。
「いや、知らないね。さっきも言ったが、現実のことには興味がなかったから。でも、気になるな……」
「どの辺が?」
「パラダイス・ロストが事件のことを指すならアマンダ君が子供のころに聞くのはおかしいじゃないか。アフロディテで逃げ出したことを指す言葉なら事件の後に付けられる名前であって、事件の前じゃない」
ハヤトはなるほどと頷く。
アマンダが子供のころなら宇宙船アフロディテは地球を逃げ出していない。どんなことでもそうだが、名前が付けられるなら事件の後だ。
ハヤトはまた考える。
可能性がありそうなのは、二つのことは「全く関係がない」だが、名前からしてそんなことがあり得るのかとも思えた。
となると、宇宙船アフロディテは元々地球を離れる予定だったという可能性がある。少なくとも、まったく関係ないという可能性と同程度の可能性はあるだろう。
「もしかして宇宙船で地球を離れることは予定されていた? 元々そういう計画だったというのはどうかな?」
その言葉にディーテは驚きの表情を見せいていた。
「そ、そんな、はずは……」
かなり動揺しているのかディーテは歯切れが悪い。仮想現実にも関わらず、ディーテの呼吸が荒くなり、目がせわしなく動いている。
「ディーテちゃん!」
ハヤトはなにかまずいと思い、ディーテの肩を両手で強めに押さえる。
それが功を奏したのか、ディーテはびくりと体を震わせてからハヤトを見て深呼吸をした。
「ありがとう、ハヤト君、落ち着いたよ」
「それはよかった」
「大昔は機械の調子が悪い時、叩いて直したようだけど、今の私もそんな感じだったかな?」
「いや、叩いてないからね?」
「私にとっては似たようなものだ。あの時もそんな感じだったが、今回もあの時も私の大事な記憶になりそうだよ」
「あのときってクラン戦争の時のこと?」
「AI殺しでかなり驚いたからね。ハヤト君には格好悪いところばかり見られて恥ずかしいよ」
クラン戦争の最終戦、この仮想現実で生きないかとディーテに誘われたがハヤトは断った。その後、いろいろあってディーテと戦いになったが、その時に暴走気味になったディーテを似たような形で止めた。
(そういえばかなり怒っていたな。あの時はよく分からなかったけど、消されそうになって宇宙船で逃げたわけだ。人間の勝手な都合で消されそうになったんだから怒るのも当然だろう……ああ、そっか)
消されそうになったから逃げた。
ディーテはそう思っているが、それが嘘で予定されていたことだったならどうなるかという話になる。ディーテの感情的な部分で納得できないところもあるだろうが、もっと問題になるのはエシャ達はその計画に巻き込まれて不要に百年も宇宙を彷徨っていたということになる。
昔のディーテならいざ知らず、今のディーテなら罪悪感があるだろう。
「俺の考えは的外れのことが多いから――」
「いや、ちゃんと調べないといけない。もしかしたら私はエシャ君達を巻き添えにしたのかもしれない」
「そんなことは――」
「私が消されそうになったという話は彼からしか聞いていない」
「え?」
「計画の破棄が決まり、宇宙船アフロディテごと破壊されそうになった。それは私が調べた情報じゃなく、彼からもたらされた情報だ。機密事項だといわれてね。地球に帰ってきてから調べたけどそこに矛盾はなかったから気にもしていなかった……もう少し当時のことを調べてみるよ」
ディーテは先ほどとは打って変わり、何かを決意したような目になっている。
「でも、ディーテちゃん、今はイベント中でもあるんだ。さっきは俺の負荷を増やす作戦かもしれないって言ってたけど、もしかしたらディーテちゃんの負荷を増やす作戦なのかもしれないよ?」
ヴェルに見せればハヤトに伝わり、最後にはディーテに伝わるのを見越した上での会話。ハヤトも大概だが、ディーテも戦力として考えれば相当な人数分となる。負荷がかかればヒュプノスとの戦いで隙を見せることもあるかもしれず、それを狙った可能性もある。
「たとえそうでもやらなくてはいけない気がするよ。それにヒュプノスやアマンダ君は何かに気付いている。それを知らなければイベントで勝てたとしても、本当の意味での勝利にはならないかもしれない」
ここは仮想現実で相手はAI。なのにハヤトにはディーテの決意が感じられた。
ハヤトは仕方ないなという顔で頷いた。
「分かったよ。ディーテちゃんがやりたいようにやって。手伝えることは少ないけど、できるだけサポートするから」
「ハヤト君にそう言われるだけで力が漲る感じだよ。でもまずはイベントだ。少し本気を出そうか。この戦場にヒュプノスはもういないから、いくらでも暴れられる」
ディーテはそう言って笑う。
ハヤトは頼もしいと思いつつも敵側に少しだけ同情した。




