鬼神
翌日、朝からメイド長が拠点にやって来た。
外で出迎えるハヤトとエシャ、それにローゼ。大丈夫だとは思うがやや心配な面もあり、ハヤトは少しだけ表情が硬い。
メイド長はいつものメイド服だが、腕にはごついグローブを装備していた。そのグローブを着けたまま、右手の人差し指で眼鏡の位置を調整する。
「おはようございます、ハヤト様。それにエシャとローゼも」
ハヤト達はメイド長に頭を下げた。
「おはようございます……あの、大丈夫でしょうか?」
「もちろん大丈夫ですが、なにか気になる点がございますか?」
「いえ、髪が少し乱れているような……」
普段は完璧な髪型が乱れている。後ろでお団子にしているアップの金髪がややほどけ気味だ。
「これはお恥ずかしいところを。メイドギルドの地下でサンドバッグを叩いておりましたので、いつの間にかほどけてしまったようですね。ローゼ、すみませんが整えてもらえますか」
「承知致しました。では食堂の方で――ハヤト様、よろしいでしょうか?」
「もちろんだよ。あと、皆が揃うまで何か飲み物でも」
「ありがとうございます」
メイド長とローゼは拠点の中に入った。
そして数秒待ってからハヤトはエシャに対して口を開く。
「なんでメイドギルドの地下にサンドバッグがあるの?」
「普通、ありませんか?」
「俺の常識が間違っているのかな?」
そうは言ってもあるのなら仕方ないとハヤトは諦めた。問題はなぜ叩いていたかだろう。なにかしらの破壊的な衝動を抑えるためだとは思うのだが、髪が乱れ、それに気づかないほど叩いたというところが怖い。
メイド長が得意とするスタイルは格闘術。一撃のダメージは低いが、連打が可能。また、体のあらゆる部分に打撃ポイントがあり、手だけではなく、足はもちろん、肩、膝、肘まで攻撃判定がある。
格闘術とはいっても種類はたくさんあるのだが、メイド長が得意とするのはボクシング的な戦い方で、足や膝、肘は使わない。ローキックや風神蹴りのような足でないと発動しないウェポンスキルも使わないとのことだった。
そんな状態であるにも関わらず、髪が乱れるほどサンドバッグを叩いたというのは、触れてはいけないようなことに思えた。
その後、マリスがやって来て、全員が揃う。
それぞれがほぼ初対面な状況なので、軽く挨拶を交わした。
メイド長とギルはお互い知らない相手ではないが、ちゃんと話をするのは初めてということで普通に自己紹介をしていた。
「シルヴァ・クラヴリーと申します」
「暗黒十騎士のギルだ。あの時は勝たせてもらったが、今やったらどうなるか分からんな」
「ご謙遜を。またやったとしても同じ結果になるでしょう。あのときは敵でしたが、今はお味方。足を引っ張らないように頑張ります」
「それこそ謙遜だな。メイド長と同じパーティなのは力強い。こちらこそよろしく頼む」
特になんの禍根もないように話が進んでいるので問題はないのだろうとハヤトは安心した。
「それじゃ、皆さん、気を付けて。低階層だけだから大丈夫だと思うけど」
ハヤトの言葉にダミアンが頷いた。
「本格的なミストの探索は、勇者が来てからだ。無理はしないから安心してくれ。それに今日はメイド長がどれくらいの強さなのか確認するのがメインだろう」
「はい、今日はよろしくお願いします」
優雅に頭を下げるメイド長。その顔は笑顔なのだが、ハヤトにはそれが怖い。
(何事もなければいいんだけど……)
そんなハヤトの不安をよそに、ダミアン、マリス、ギル、メイド長の四人は出かけて行った。
不安を払しょくするように、ハヤトはハヤトでやれることをやっておこうと気合を入れる。パーティを組んでダンジョンに行くわけではないが、ハヤトも生産職としてやるべきことがあるのだ。
「それじゃ、ローゼさんは店番をよろしくね。一応、品質が良くない武具も用意してみたから売れ行きを確認しておいて」
「承知しました」
「エシャはポーションの材料になるアイテムを買ってきてもらえるかな。レリックさんが忙しいから代わりにお願いしたいんだけど」
普段、買い出しはレリックにお願いしていたが、現状は現実が忙しいのでログインしていない。エシャも午前中だけしかログインしていないが、その時間だけでも頼もうと依頼した。
「承知しました。おやつはいくらまで購入してもいいでしょうか?」
「……自分のお金ならいくらでも。まあ、俺が作った方がおいしいけどね」
「なら材料だけ買ってくるので作ってください。ローゼと二人で食べますので」
「そこは俺も入れてよ」
そんな会話をしてから解散となった。そしてハヤトは自室に戻る。
今回は薬品作りが多くなる。ダミアン達のパーティには治癒魔法が使えるメンバーがいないので、回復手段がアイテムだけなのだ。
回復役をディーテに頼んだのだが、ディーテも新規参加のプレイヤーが多くなり、その手続きが忙しいとのことだった。いつかは手伝えるかもしれないが、期待はしないで欲しいと言われている。
(しばらくは大丈夫だろうけど、最下層に近づくほどモンスターは強くなる。可能な限りポーション類を用意しておかないとな。問題は吸血鬼のダミアンさんだよな……)
ダミアンやミストは吸血鬼なので通常のポーションなどを飲むと逆にダメージを受ける。吸血鬼にはそういうデメリットもあるのだ。
日光に弱いというのもあるが、今回はダンジョンなのでそのデメリットはない。日焼け止めは必要ないのだが、体力を回復させるアイテムは最下層に近づくほど必要になる。
吸血鬼版のエリクサーともいえるドラゴンブラッドは一応用意がある。他に吸血鬼のHPを回復させるアイテムにはデーモンブラッドがあるが、これは悪魔系モンスターを倒して手に入れる物になる。
(低階層に悪魔系のモンスターは出ないという話だから、別の手段で手に入れないとな……悪魔系のモンスターは魔王城にもいるからルナリアさんに相談してみよう)
色々と用意するものを考えながら、ハヤトは水晶竜のペンダントを身に着け、ポーション作成を開始した。
その日の夜、改めてログインすると、昨日とは違って拠点は静かだった。
昨日と同じように反省会というか意見交換をしているのかと思ってログインしてきたのだが、もう終わってしまったのかとハヤトは少し残念に思いつつも、食堂へと移動する。
だが、そこには、ダミアン、マリス、ギルの三人が椅子に座っていた。そしてローゼも壁際に立っている。
誰も何もしゃべらずにいる異様な雰囲気ではあるが、ハヤトは声を掛けた。
「えっと、皆、どうかした? メイド長さんはいないのかな?」
ハヤトの疑問にローゼが口を開く。
「メイド長は先ほどお帰りになりました。明日もまたよろしくお願いするとのことです」
「そうなんだ。それで、皆はどうしたの? なにか暗くない?」
「鬼がいた……」
「え?」
ダミアンがつぶやくようにそう言った。そしてマリスとギル、さらにはテーブルの上にいるヘラクレスも頷く。
「確かに一番近い表現は鬼ですね」
「女性を表現する言葉としては不適切ではあるが、さすがは『スイーパー』と言ったところだろう。もう一度戦いたいほどだ。だが、筋肉がそれは危険とも言っている」
何を言っているのか分からないので、詳しい話を聞くことにした。
ダミアンが言った鬼。それはメイド長のことだった。
モンスターが現れると、メイド長はすぐに相手との距離をなくす「縮地」を使い接近して、一撃のもとに葬り去った。
ネクロポリスの低階層はいわゆる死霊と呼ばれる半霊体のモンスターが多く、そこそこ物理攻撃への耐性を持っている。ところがメイド長はそれをものともせずに殴り倒したらしい。
更には殴っている間、口元に笑みを浮かべていたとのこと。
鬼というのはまだ優しい方で、下手すると鬼神と言ってもいいほどの暴れっぷりだったとは、ダミアンの言葉だ。
「間違いなく戦力にはなるのだが、なんというか、狂気じみていてな。少々――いや、かなり怖い。そばにいるだけで命の危険を感じる」
「気のせいです。ダミアンさんはアンデッドだと思い出してください」
吸血鬼なのに命の危険を感じるとはどういうことなのかと思うが、なんとなくハヤトには分かる気もした。とはいえ、この世界で死は訪れないから大丈夫なはずとメイド長のフォローを開始する。
「ええと、メイド長も色々ありまして、少々好戦的になっているだけですよ。普段はいい方なので安心です。押しは強いですけど……」
その後、メイド長の取り扱い注意的な話をローゼを入れた五人と一匹で話し合った。




