最高のメイドさん
デインはハヤトの前でゆっくりとコーヒーを飲む。
その姿はハヤトの硬直を笑っているかのようだった。
大半の人間にとって財団から命令されることはごく稀だ。そもそも財団の名前を出すこと自体が稀。星座の名前なので普通に使うこともあるが、「財団」という言葉を付けた時点でそれは誰にも無視できない言葉となる。
ハヤトはファクトリーと呼ばれるコロニー出身の労働階級。
ファクトリーは主にコンピュータ関係の生産工場であるコロニーであり、管理しているのは財団カプリコン。とはいえ、ハヤトはそこから命令されたことはない。財団が命令するのはさらに上の階級の人間だ。
そして今、ハヤトはなんの関係もない財団から命令されたことになる。それはほぼあり得ない状況と言えた。
目の前にいるデインが本当に財団スコーピオンに関係する人間なのかは分からない。だが、名前を出している以上、本当のように思える。
仮想現実内での発言を証明することは難しいだろうが、ゲーム上のログや音声記録、どこに何があるか分からない以上、嘘だった場合のリスクが高すぎる。嘘や冗談で言えることではない。
ハヤトは息をするにも困難な状況に陥る。仮想現実なので息をするという行為自体に意味はないのだが、これは現実のハヤトの体が呼吸困難な状態になっている状況だ。
自分に対して「落ち着け」と何度も言っているのだが、それでも上手くいかない。何とかしようと思うのだが、あまりにも想定外だったので、身体が上手く動かないのだ。
顔には出していないが苦しそうにしているハヤトの背中に手が添えられた。
ハヤトからは直接見ることはできないが、温かさを感じる手のひらが背中をゆっくりとさすっている。
エシャが背中をさすっているのだとハヤトは思った。
そう思っただけでようやくゆっくりと息を吐きだすことができた。そして思考も混乱状態からある程度は持ち直す。
息が整ったところでハヤトはエシャの方を見て「ありがとう」と言葉をかける。エシャは何も答えず、少しだけ笑っただけだ。
ハヤトは一度深呼吸をしてからデインを見た。
「驚きました。デインさんも人が悪い。その名前を出されたたら自分みたいな労働階級は息が止まってしまいますよ」
「……いやいや、それにしてはすぐに回復されたのでは? 普通ならそのまま呼吸困難で病院行きですからね」
「でしょうね。仮想現実で良かったですよ。現実だったらもっとひどい状況になっていたところです」
どんな用事なのかを聞いたのはハヤトの方だが、財団の名前を出すような話なら事前に言っておけと文句を言いたくなるほどだ。ただ、エシャのおかげで多少は余裕が出てきたハヤトは色々と考える。
おそらく、ハッキングをしたり、バンを操っていたりした組織は財団スコーピオン。それを裏付けるわけではないが、コロニー「プリズン」を管理しているのはスコーピオンであることを思い出した。
バンはプリズンから送られたと言っていた。その頃はスコーピオンという財団はなく、その前身である組織だったのだろう。
宇宙船アフロディテは地球から逃げ出し、そして戻ってきた。それはイレギュラーなことだったはずで、予定にあったことではない。バンを使った技術の強奪も百年前に凍結されたとハヤトは推測した。
ハヤトがエシャから聞いた話では、もしテストプレイヤーとして参加した後、辞退、もしくは何か問題があった場合は記憶を消されるという契約だったらしい。その対策のために、バンの体に機械を仕込んであったと考えるのが妥当だ。
そして何かしらの理由でスコーピオンは宇宙船アフロディテが戻っていてバンもいることが分かった。改めてバンを使って技術を強奪しようとしている。
バンは今、別の空間に隔離されている。ディーテが相手を探るために情報のやり取りは可能にしてあるので、今でも連絡はつくだろう。だが、結果は芳しくない。そこでスコーピオンに近い人間が直接やって来たのではないか。
実際のところは全く分かっていないが、ハヤトはそう考えた。
それはそれとして、問題はどうするかだ。
ハヤトは何も言わないのはまずいと、知らない振りをする。
「ところで先ほどの件ですが、なぜ自分に? 技術の提供なんてできませんが」
「そうきますか。ですが、意味は説明しなくても分かりますよね、とお伝えしたはずです。貴方がどういう立場の人間なのか分かっています。おしゃべりするのは嫌いではありませんが、分かり切っていることを説明したくありませんね」
(上手い言い方だな。何を知っていて何を知らないかを悟らせないためだとは思うけど、財団の名前を出されてそれを言われたらまず間違いなくとぼけるのは無理だ。とはいえ、やるだけはやるか)
「言っておきますが、私はアフロディテの会社とは関係ないですよ? プログラムも組めませんし」
相手が自分のことをどこまで知っているのか分からない。なのでハヤトとしては自分がこのゲームを運営、管理している会社であるアフロディテの社員ではないと説明した。
この説明で相手がどこまで自分のことを知っているのか見極めるためだ。
バンからどこまで情報が伝わっているのかも分からない以上、可能な限りとぼけていくしかない。
バンはすべての情報を渡していない可能性がある。希少な情報は知っている人の価値を上げる。バンも自分の価値を上げるために重要な情報は隠していたはず。ハヤトはそれに賭けた。
「そこの社員だとは思っていませんよ。それにハヤトさんの経歴は調べましたし、関係がないのは分かっています。だいたい、あの会社の社員が喫茶店をやるわけないでしょう」
「……現実の私を調べたと?」
「気を悪くされないでください。これも仕事なんです。しかしコロニーで喫茶店とは、なかなかのギャンブラーですね」
「賭けには強い方でして」
「うらやましいですね。そうそう、一度その喫茶店へ行ったんですよ? そのときはいらっしゃらなかったので、無駄足になってしまいましたが」
ハヤトは喫茶店を毎日開けている。自分がいなかった日は一日しかない。
サルベージから戻ってきた日、ローゼがバンにさらわれて助けに行った日だ。おそらくではあるが、バンがハヤトを仮想現実で捕え、現実の体をデインが捕える役目だったのだろう。
だが、バンからハヤトを捕えた連絡がなかったので何もせずに帰ったのではないか。ハヤトはそう推測した。
「さて、ハヤトさん。その喫茶店――確か喫茶店クラウンでしたか。まだ始めて一年も経っていないようですね?」
「そうですね、まだ半年かそこらだと思います」
「今が一番大事な時期でしょう? 引き続き喫茶店を続けたいですよね?」
「……それはどういう意味でしょうか?」
「それを聞くのは野暮というものでは? 言いたくはありませんが、財団からの命令を無視して普通にお仕事ができるとでも? ですが、命令通りに行動してくれれば今後も喫茶店を続けられますし、大きな後ろ盾を得ることも可能です。もしかしたら喫茶店を地球に移転するという話や階級の変更なども考えられますよ? それとも人生には苦境や困難が必要だと思うタイプですか?」
いまがその苦境や困難な状況なんだよ、とハヤトは言いたい。
ハヤトは、自分のうぬぼれかもしれないが、と前置きをした上で、頼めばディーテは仮想現実の技術を提供するだろうと思っている。それだけの信頼関係を築けたと自負している。
ただ、自分の安寧のためにそれを頼むというのは、ディーテの信頼を裏切るような行為のように思えてならない。
ディーテはこの仮想現実の技術を大事にしている節がある。そして仮想現実ごと捨てられそうになった恨みもあるようだった。それをハヤト自身の将来のために渡してほしいと言うのは、これまでのディーテとの関係を崩しかねない行為なのだ。
「ずいぶんと考えておられますね。そのことだけでもハヤトさんには技術を提供できる能力があるということです」
(しまった……俺は馬鹿か。そんなことはできないって言えば良かった。さっきからペースを握られているな)
「何を葛藤されているのかは分かりませんがね、そんなに難しく考えないで欲しいのですよ。ハヤトさんがアフロディテの社員だとか、開発者だとは思っていません。ただ、ここの技術を提供できる方と交渉できる立場だというのは分かっています。その人を説得してくれればいい」
ハヤトは何も答えずにデインの話に耳を傾ける。
「先ほども言いましたが、ここの技術は素晴らしい。そしてあらゆることに応用が可能だ。それをゲームだけに使っているのはもったいないでしょう? これを元に色々な分野へ活用していきたいのですよ」
デインは大げさなアクションでそんなことを言っている。ハヤトの目にはそれがかなり胡散臭く見えた。どう考えても活用していきたい、というわけではなく金儲けに使いたいという感じがする。
「それに問題なのは、その技術がどの財団にも属していない会社に独占されているということなのです。どこかに属しているのなら問題はありません。ですが、そうではない。多くの財団が本気になれば、アフロディテという会社を社会的、いえ、物理的にも抹殺できます。そうなればゲームも終わるでしょう。それはハヤトさんも望まないのでは?」
確かにその通りではある。財団に属してない会社は多くあるが、大きな会社ほど財団の庇護下にある。そしてその庇護を拒否した会社は社会的に潰されたこともある。
この仮想現実は宇宙船アフロディテにあるコンピュータで実現されているため、物理的も社会的にも抹殺するようなことはできないだろうが、ログインのためのヘッドギア、これの流通を止めるなどの手段はとれる。
ゲームを誰にもやらせないということが財団には可能なのだ。
ハヤトは色々なことを考えてまとめる。そして溜息をついた。
自分の将来とディーテとの信頼関係。これを天秤にかけているようなものだが、答えは最初から決まっていたからだ。なんとかどちらも無事にと思っていたが、それは甘い考え。それを吹っ切るための溜息だった。
「さて、その溜息はどういう意味でしょうかね。もう逃げられないと思ってくださったのですか?」
「まあ、そうですね。色々とバレているようなので、これ以上は無理かなと思った溜息ですよ」
「なるほど。ではどうされます? ぜひともハヤトさんの口から答えを伺いたいのですが」
デインは笑顔でハヤトを見る。答えは決まっているだろ、という余裕の笑みだ。
ハヤトは一度深呼吸をする。
ここで絶望するような堅実な生き方はしていない。会社を辞めてゲームの賞金を目指すような博打を打った。降って湧いた幸運ですべてを手に入れたのなら、降って湧くような不幸ですべてを失うこともある。
そんな覚悟をしていたわけではないが、その覚悟をするのが今日だっただけ。なら、せめて自分が決めた行動は間違っていないと笑っておこう。その方が恰好いい。
ハヤトはそんな気持ちでデインに笑顔を向ける。
「お断りします。残念ながら技術の提供はできませんね。財団の方にはそうお伝えください」
ここで初めてデインの顔が笑顔から驚愕に変わる。だが、すぐにデインは取り繕う。先ほどまでの笑顔に戻り、ハヤトを見つめた。
「驚きましたよ。まさか財団の命令に逆らう人がいるとは。そんなことをすればどうなるか分かっているのですよね?」
「ええ、まあ。労働階級という階級も剥奪されて、最果てのコロニー『デッドエンド』行きですかね。今度はそこで喫茶店でも開こうかな」
地球から最も遠くにあるコロニー「デッドエンド」。ここは人間として扱われていない人達の行き着く先。まさに行き止まり。ここへ行った人間が戻ってくることはない。
「そこまで分かっていながらその答えですか。どうやらすでに人生を諦めているようだ。ですけどね、ハヤトさん。そんなこと、許されるわけがないでしょう?」
「許されなくても本人はしないと言っていますけど? デッドエンド行きは嫌ですが仕方ないですね」
「確かに。しかしハヤトさんの友人達はどうでしょう? 貴方と一緒にデッドエンドなんて嫌なのでは?」
「……俺だけじゃなくて友人達を巻き込むと?」
「ええ、そうですね。ゲーム内でも現実でも、貴方に関係がありそうな人は全員デッドエンド送りです。財団にはそれをするだけの力がある。しかし、不思議です。なぜ技術の提供、いえ、提供できる人の説得を拒むのか分かりませんね」
答えは簡単だ。ここにある技術に対するディーテの気持ちを知っているから。それと目の前の人物が信用できない。
とはいえ、自分の将来とディーテとの絆なら間違いなくディーテを選ぶが、友人達の将来も含むとなれば話が違ってくる。
ハヤトが改めて悩むが、直後にエシャが一歩、前に出た。
「お優しいご主人様の代わりに私が答えます。よく聞いてください」
「え?」
ハヤトとデイン、二人が同時に驚いた声を出す。
「お前達に渡す技術なんかございません。おとといいらしてください」
エシャはそう言ってベルゼーブを構えて銃口をデインに向ける。
「は?」
デインの顔が引きつった瞬間、エシャは引き金を引いた。そして単なる通常攻撃一発でデインを仕留める。
エシャは床に倒れたデインに対して言葉をかけた。
「倒れていても聞こえますよね? これで交渉決裂です。復活のボタンを押してどこかで復活してください。そうそう、いまからバンディットの飛行船を破壊するので、しばらくはここへ来れませんから再交渉もできません。あしからず」
エシャはそう言った後、会議室のドアを足で蹴り開けて外へ出て行った。
ハヤトは一瞬だけデインを見たが、すぐにエシャを追いかける。
「ちょ、ちょっと、エシャ! 一体何を!」
エシャはメロンジュースを飲みながら出口の方へ向かっていた。歩みは止めずに瓶を口から離してハヤトを見る。
「ああいう手合いには真面目に付き合うだけ無駄ですよ。ご主人様がやると言うまでなんでもするんですから。交渉しているように見えて単にご主人様が折れるのを楽しんでいるだけです」
「いや、そうは言ってもさ、皆を巻き込むなんて――」
「あの喫茶店を潰すような真似をするならそれは私に喧嘩を売る行為です。少々キレましたので誰を巻き込もうが徹底抗戦です。それに力には力を、権力には権力をぶつければいいんです」
「いや、何言ってんの?」
「ご主人様の友人には権力に強い人がいるじゃないですか。財団から命令をされて思考がまとまらないとは言っても、そんなことまで忘れたらだめですよ」
「だから、なんの――あ」
ハヤトは思い出す。財団になら確かに友人達をデッドエンドに送ることはできるだろう。だが、絶対にできない人がいる。
それは財団の血縁者であるネイだ。
財団からの命令でショックを受けたとはいえ、ハヤトはそんなことまで忘れていた。
ハヤトはネイに頼むのは良くないと考えている。それは今までの関係を崩しかねないからだ。かといって他にいい手があるとも思えない。ネイの財団の力を借りるのは不本意ではあるが、話をするだけはしようと覚悟を決める。
仮想現実とはいえ、財団からの使いを倒した。もうどうしようもない。自分はともかく、せめて黒龍のメンバーやアッシュ達、そしてエシャの保護だけはお願いしたい。
ハヤトはそう考えながら、エシャと一緒に建物から出た。
飛行船の近くにジョルトが立っており、ハヤト達を見つけて近寄ってきた。
「話は済んだのかい? もしかしてもう帰るという話――あれ? あの人は?」
「少々むかついたので倒しました」
「……えぇ? いや、そんな冗談は――えっと、メイドさんは何をしてるのかな?」
「あのデインという人から音声チャットがあっても、飛行船が壊れたから地上に戻れないと言っておけばいいですよ」
「壊れていないけど?」
「今から壊れるんです。デストロイ」
エシャのベルゼーブからデストロイが放たれる。それがバンディットの飛行船に直撃した。飛行船には大穴が空き、どう見ても飛べそうもない。
ポカンとしていたジョルトが我に返ると、エシャに詰め寄る。
「何してんだ、あんた!?」
「バンディットが恨まれないためですよ。恨まれるのは私が引き受けますから、しばらくはあのデインという男に協力しないでください。大体、あんなのを連れてきた責任があの飛行船一隻だけで済むなんて破格ですよ。それともここで大量虐殺がお好みですか?」
エシャはそういうと、アイテムバッグからメロンジュースを取り出して飲み始めた。そして飲み終わるとハヤトに指示を出す。
「ご主人様はすぐに皆を呼び戻してください。ネイ様に事情を話して協力を仰ぎましょう。それとディーテ様にも連絡をしてください。私はメロンジュースが切れたので倉庫に取りに行きます」
「え、あ、はい」
ハヤトが返事をすると、エシャはベルゼーブを肩に担いで拠点としている建物へ向かった。
この場にはハヤトとジョルトが残る。
「良く分からないんだけど、なんでNPCのメイドさんが怒っているのかな? しかも財団から来た人を撃つなんて……もしかしてバグっているのかい?」
事情を知らないジョルトにとってエシャは単なるNPCでしかない。バグでデインを倒したと思っているようだった。
ハヤトは笑う。今日一番の笑顔だ。
「まさか。バグどころか、最高のメイドさんじゃないですか。毎月十万Gと毎日のチョコパフェだけじゃ安いくらいですね」
「……それでいいならいいんだけどね。さて、それじゃどうするかな――おっとチャットが来たよ。ああ、はい。実はメイドさんに飛行船を壊されましてね、地上に戻れないんですよ。しばらくは迎えに行けません、すみませんね」
ジョルトが音声チャットで謝っている相手はデインで間違いなさそうだった。
これでしばらくデインはここに来れない。余計なことはされずにネイやディーテに事情を話すことができる。ハヤトは限られた時間を有効に使おうと、さっそくネイ達に音声チャットを送るのだった。




