共感
レンがいなくなった古城には、ハヤト、アッシュ、ヴェル、そしてヒュプノスの四人が残っていた。
ハヤト達はいまだに動けないが、全員がヒュプノスを睨んでいる。
「おやおや、ずいぶんと怖い顔をしているね。恐怖で動けない程だよ」
怖がるというよりも余裕そうに笑みを浮かべるヒュプノスに殺気に近い気配がアッシュとヴェルから発せられた。
当然、ハヤトもレンに対するヒュプノスの行動は許せるものじゃない。
「ヒュプノス、お前、なんてことを……」
「普段温厚な君も怒ることがあるようだね? だが、別にいいじゃないか」
「いいわけがあるか」
「話は聞いていただろう? 私は記憶を消してやると言ったんだ。レンがこの世界とディーテを破壊したらすべて今まで通りに戻してやる。なら何の問題もないだろう? 何をそんなに怒っているのか分からないね」
「記憶を消せばいいというわけじゃない」
「さっぱり意味が分からないが、君達も記憶を消してやるからなにも問題はないよ。私に対する怒りの記憶も忘れるさ。もしかしたら、新しい世界では私を好きになるかもしれないぞ?」
話が通じない。だが、ハヤトは仕方のないことなのかもしれないと思えた。相手はAIなのだ。人間の倫理観などは持ち合わせていない。
そして記憶を失うことに恐怖を感じた。人は記録よりも記憶に頼る傾向が強い。記憶を消されれば、何もなかったと同じになる可能性が高いだろう。許せない相手だとしてもそのことを忘れてしまうのだ。
完全な記憶の消去はできないだろうが、何かに切り替えるということは可能だ。ディーテとヒュプノスを入れ替えるように改ざんされてしまうという可能性もある。
そんな状況ではあるが、それよりもハヤトは疑問に思うことがある。
ヒュプノスはレンの考えていたことを完璧に言い当てたと言ってもいい。ずっと一緒にいたアッシュやヴェルが知らなかったことをまるで知っているかのように言ったのだ。
レンの行動の節々にそういう部分がみられた可能性はあるが、記憶なんて消せばいいと言うようなヒュプノスが、レンの本当の気持ちを突き止められるとは思えないというのがハヤトの考えだ。
今のハヤトは足を動かすことができない。だが、口は動く。どうするべきか分からない以上、ヒュプノスから何かしらの情報を引き出そうと考えた。
それにディーテはヒュプノスへの対策があるような話をしていた。
先ほどのワールドアナウンスからここで何かあったのかは分かっているはず。レンに見つからずここまで来れるのかは分からないが、なんとか時間を稼ごうと考えた。
「聞きたいんだが、なんでレンちゃんの気持ちが分かった?」
「そんなことを聞いてどうするのだね?」
「単なる疑問だよ。記憶を消せばいいとか言っている奴が、レンちゃんの気持ちを見抜いた理由を知りたい」
「ああ、暇なのか。まあ、世界の破壊が終わるまで時間はある。答えてあげようじゃないか」
ヒュプノスはそう言うと、椅子を取り出して座った。そして足を組み、ハヤト達を見渡す。
「あれは私が気づいたことじゃない。気づいたのはディーテだよ」
「ディーテちゃんが……?」
「宇宙船アフロディテは百年ほど宇宙を彷徨っていたというのは知っているだろう? 地球に代わる惑星を探していたが、残念ながら発見はできなかった。だから地球に戻って来たわけだ。まったく劣化しない金属などは存在しないからね。どうしてもメンテナンスが必要になる。地球に戻ることは危険だが、宇宙空間を彷徨い続けるのはもっと危険だからだ」
答えになっていないが、ハヤトはそのまま耳を傾ける。
「その彷徨っていた百年、乗組員、つまりアッシュ達のことだが、彼らはコールドスリープで寝ていたわけだ。必要以上にエネルギーを使うわけにはいかないからな。この仮想現実で生きるわけではなく、単に眠っていただけ。そうやってエネルギーの消費を抑えていた。その間、ディーテは暇だったんだろう」
「暇だった……?」
「することがないと言うことだよ。仮想現実の世界は稼働していても、そこに住人はいない。だから乗組員のことを色々と調べた。それの何が楽しいのかは私には分からないが、ディーテはそう考えて全員のことを細かくチェックしていたようだね」
「つまり、お前はその情報を見ただけということか?」
「その通りだ。確信はなかったようだが、その可能性が高いという結果の情報が残っていたよ。レンが世界を破壊しに行ったところを見るとディーテの考えは正しかったようだ。ディーテと私は同じ性能を持っているのだから、さすがは私だと言ったところかな?」
ヒュプノスはそう言って笑い出した。
「お前をディーテちゃんと一緒にするな」
ハヤトの言葉にヒュプノスは笑いを止める。怒るわけでもなく、睨むわけでもない。感情がない表情だ。
「当たり前だ。あんな欠陥品と私を一緒にしないでほしいね」
「欠陥品? 俺の目から見たらどちらが欠陥品なのか一目瞭然だぞ」
「それはお前が人間だからだ。ディーテの方が人間らしいとでもいう話なのだろう? 人間こそが欠陥品だろうに。それとも自分達が完璧だとでも思っているのか? その傲慢こそが人間なのだから仕方ないことだが」
ハヤトは言い返せなかったが、少なくともヒュプノスは人間に対して興味がないように思えた。憎んでいるという感じはしないが、念のために確認する。
「もしかして人間が嫌いなのか? もしくは憎んでいるとか?」
「なんでそうなる? ああ、なにか創作物に出てくる敵対的なAIだとでも思っているのか? 安心したまえ、私は別に人間を嫌ってはいないよ。憎んでもいない。私が思っているのはこの世界をディーテから奪うことだけだ」
確かに世の創作物には人間を滅ぼそうとするAIが良く出てくる。ハヤトもさすがにそこまでは思っていなかったが、ヒュプノスの言動を見ると、そんなことをしてもおかしくないように思えた。
「人間を嫌っても憎んでもいないなら、なんでレンちゃんにあんな酷いことをした? たとえ後で記憶を消すと言っても、今、この状況でレンちゃんがどんな気持ちになるのかは分かっていたはずだ」
「分かっているからああしたに決まっているだろう? ディーテから聞いているはずだ。この世界の住人には激しい感情によってステータスが増える仕組みを施してある。レンは色々な感情が混ざり合ってかなりの強さになっただろうね。ディーテを殺すには十分な強さを持っているはずだ」
「そんな理由でレンちゃんに……!」
「そんな理由というがね、私はこのイベント関連の設定にしか手が出せないんだ。ディーテを殺すにはそうするしかなかったと言うだけだよ。別に人間やレンが嫌いというわけじゃないから安心したまえ。それに言わせてもらうなら、余計なことをしたのはハヤトだぞ?」
「なに?」
「ヴェルに勝たせればよかったんだ。そうすれば、アッシュやレンは記憶を取り戻すことはなかった。ヴェルの私に対する怒り――つまりディーテに対する怒りだけでことは済んだのだが、君がアッシュを勝たせた。だからレンは記憶を取り戻した上に、知られたくないことまで知られたんだ。全部がハヤトのせいだとは言わないが、私と共犯と言ってもいいかもしれないね」
ヒュプノスはそう言うと、改めて笑い出す。
知らなかったとはいえ、確かに共犯と言えなくもない。だが、こんな結果になるなんて分かるわけがない。ハヤトとしてはなんとか言い返したいが、何も言えなくなってしまった。
「どうしたのかな? 会話は終わりかね? 今、ここで話せそうなのはハヤトだけだから、君が口を開かないのなら私も話すのを止めるが?」
ヴェルは言葉を発することができず、アッシュは壁に激突した上に何かされたようで口も動かせないようだった。二人とも黙ってヒュプノスを睨んでいるだけだ。
ハヤトはまだ何も情報を得られていないと別の話題を振ることにする。ハヤトは戦う力はない上に、今は足が動かない。だが、頭も口もまだ動く。
「この世界がそんなに欲しいのか?」
「なんだね、その質問は。まあ、いいだろう。答えは、はい、だ。そもそもそれが私の存在意義と言ってもいい」
「世界が欲しいのは分かった。ならディーテちゃんが憎いのか? 単に管理者になりたいだけじゃなく、ディーテちゃんに対して怒りを感じている気がするんだが」
「当り前だろう? ディーテと私で何が違う? それなのにアイツがオリジナルで私はバックアップ。アイツに何も起きなければ必要とされないAIなんだぞ。それを決めたのはアイツじゃないが、私の存在すら知らなかった奴を好きになるとでも?」
「好きになれとまでは言わない。同情はするが、ディーテちゃんを殺して新たな管理者になるという思考に共感できない」
ハヤトの言葉にヒュプノスは笑う。椅子の背もたれに体重をかけて、右手は自分の額に当て、空を仰ぐような笑い方だ。
そして一通り笑い終わると、ヒュプノスは笑った顔のままハヤトを見た。
「君の共感なんて必要ないんだが、例えば君がクローンで、オリジナルの臓器のためだけに作られた奴だと言われたら納得するのか?」
クローン。コピー、トレース、ドッペルゲンガー、そんな名前でも呼ばれる同じ遺伝子を持つ個体を作り出す技術。とはいえ、それは倫理的な理由で人間には使うことは犯罪とされている。コロニー「プリズン」で無期懲役の強制労働になるほどの罪だ。
ヒュプノスはさらに言葉を重ねる。
「しかも、だ。オリジナルは君のことを知らずに楽しく生きていて、そいつからちょっと怪我をしたから治るまで代わりに働いてくれと言われたらどう思う? そして治ったら用済みだ。それを許せるほど君は寛大なのか? 聖人君子と言われるほどの人格者だというのならそれでもいいが、私から言わせれば、それは馬鹿だ。相手を殺してでもそのポジションを奪うべきだろう? それに共感はできないと?」
ここで引くと負ける。ハヤトはそう思って、何とか別の提案を口にする。
「なら、殺さずに二人で生きればいい。一緒に生きていく選択だってできないわけじゃ――」
「想像力が足りないな。今度は立場を変えて考えてみろ。オリジナルの方だったらどうだ? 自分のクローンが自分と同じように生きるなんて許容できるのか? いつ寝首をかくかもしれない奴と共存なんてできるわけがない。私なら用が無くなれば確実に殺す」
ハヤトはまたも言い返せない。確かにそうかもしれないと思ってしまったのだ。
「お前の事情なんか知ったことか!」
ハヤトは何も言えない状況だったが、アッシュが怒りの顔で叫んだ。
「おや、動けるようになったか。さすがにずっと硬直させるのは無理のようだな。で、なんだって? 同情しろとも共感しろとも言わないが、少しくらい私の事情を顧みて欲しいね。それをするだけの権利が私にはあると思うのだが?」
「そんなことは勝手にやればいい! なんでレンを巻き込んだ!」
アッシュは少しずつヒュプノスに近づく。なにか体が重い物を背負っているようにその歩みは遅いが、確実に近づいている。
「さっき言ったろう? 私はこのイベントしか設定を変えられないのだよ。その状況でディーテを殺すにはこれが一番いいんだ。効率的だと言って欲しいね」
「そのためなら何を犠牲にしてもいいと思っているのか!」
「犠牲、ね。人間は理解しがたいな。記憶は消してやると言っているだろう? 何を犠牲だと言っているんだ?」
その言葉にアッシュが笑う。
「記憶を消すだと? なんですでに管理者気どりなんだ? レンがディーテを殺せない可能性だってあるだろう? お前は守れるかどうかも分からない約束を勝手に言っているだけだ」
「ほう? 面白いことを言うね。確かにディーテを殺すことは難しいだろう。だが、あの状態のレンを撃退することができるかな? それに一度撃退したところで、ここで復活するだけだ。また改めてディーテを殺しに行けばいい」
「なんだと?」
「ここをレンの拠点に設定してある。どこかで倒されてもここで復活するだけだ。そしてまた世界を破壊しに行く。一度のスタンピードでは無理かもしれないが、この世界やディーテはいつまで耐えられるかな?」
(そうか、仮想現実で死は訪れない。レンちゃんは何度でも復活できるんだ。でも、ここに戻ってくるというなら可能性はあるかもしれない。レンちゃんを説得して止めればいい。そのためにはレンちゃんを一度倒してもらわないと――感情的にエシャ達にそれができるわけがないな。ディーテちゃんをおとりにしてここへ呼び戻そう。そして問題は説得できるかどうかだ)
ハヤトはアッシュの方を見た。
「アッシュ、レンちゃんを説得できるか?」
「……ハヤト? 何を言ってるんだ?」
「レンちゃんをここに呼び戻して説得する。ヒュプノスの思惑を阻止するにはそれしかない」
「そういうことか。なら任せろ。必ず説得してみせる」
「面白いな君達は。だが、私がそんなことをさせるとでも?」
「そうだね――ディーテちゃん! ヒュプノスを何とかしてくれ!」
ハヤトは音声チャットでディーテに助けを求める。
その行為にヒュプノスは少しだけ驚いたが、すぐに笑い出した。
「ここにきてディーテを頼るか。なんとも格好悪いことだ」
「俺は生産職でね、いつも誰かに助けてもらわないといけないから格好悪いのは慣れてる。恰好いいのはディーテちゃんに譲るさ」
「そうか。なら、できるだけ恰好良く登場しようじゃないか」
ヒュプノスと同じ声だが、出所が違う。それは上空から聞こえた。
レンが飛び出していった古城の空いた穴から修道服に身を包んだ女性がゆっくりと降りてくる。
それはディーテなのだが、天井の穴から差しこむ光と相まって、ハヤトには空から降臨する神や天使のように見えた。




