閑話:ドラゴンソウル(後編)
さらに時が流れた。
その間に俳優仲間がドラゴンソウルに入ることになり、レン以外のメンバーは俳優で構成されている。
この時代でも俳優をしているという我が強いメンバーがそろってしまったので、色々と問題もあったが、ヴェルやパットのおかげでクラン内は良好な関係を築けている。
ここ最近は仕事をしていなかったとはいえ、その演技力には一目置かれるヴェル、そして主役を張ることはないが名脇役と名高いパット。俳優業をしていれば尊敬される二人が間に入ることで色々と調整できているのだった。
ただ、問題になるほどではないものの、衝突はある。
「おい、アッシュ。俳優としては俺の方が先輩なんだからちょっとは敬えよ?」
「先輩って言っても同い年だし、映画に出演したのもほぼ同じなんだから同期みたいなものだろ」
アッシュとアグレスは同い年ということもあり、喧嘩とは言わないまでも言い争うことが多かった。友達や親友というよりはライバルという関係だろう。
「ところでアグレスは親父から演技指導をされているのか?」
「たまに見てもらってるけどそれがどうした? 仮想現実だってこれほどリアルなら演技の練習になるぜ? ここじゃ練習にならないと思っているのか?」
「いや、そういう意味じゃなくて。俺は親父に演技指導されたことなんてないから」
「それはヴェルさんから指導がいらない程演技が上手いって言ってるのかよ?」
「そうじゃない。俺は親父に俳優としての才能がないって思われてるのかと。子供のころから親父は俺を怒らないし、何をするにしても反対しない。放任主義と言うよりも興味がないのかなと思うときがある」
アッシュはそう言うと、少しだけ暗い顔をする。
母親のキルカが亡くなってから、ヴェルは俳優を辞めたといってもいい。その後はずっと家にいて、アッシュ達と付かず離れずの関係を保っている。
だが、アッシュはヴェルが部屋で何かの台本を読みながら演技練習をしているのを見たことがある。
父親以外誰もいない部屋。なのに、その部屋は多くの人がいて何かの物語を作っていたと錯覚した。何もない部屋に情景が浮かび上がってくるのだ。
その姿に感動し、アッシュは俳優を目指した。
そして父親に俳優を目指すことを言ったが反応は薄かった。だが、アッシュはいつか父親と一緒の映画に出ることを夢見て演技練習を続けた。
資源が枯渇していく世界で俳優業などの物理的な生産性がない仕事は厳しい。その上、資源の無駄と言うことでほとんどの映画はCGだ。
アッシュは実家が裕福なこともあって問題はなかったが、他の人はそうではない。パットのような名脇役でも生活が苦しいのだ。そんな状況で俳優を目指すほうが無理というものだろう。
アッシュはヴェルから俳優業に関しては何も言われない。好きにしろと言わんばかりだ。そしてヴェルは俳優の仕事が好きなくせにそれはせずにずっと家にいる。
正直なところアッシュはヴェルの態度に怒りを覚えており、ここ数年はぶつかることも多かった。
アッシュにとって仮想現実に入ったのはただの気晴らしだったのだが、意外にもヴェルはこの仮想現実で行動的だ。それに同じ俳優仲間がいることでいい刺激になっているのではと思い、アッシュはこの仮想現実に入り浸っている。自分やレンがここにいいる限りヴェルも仮想現実にいるからだ。
数年ここにいるが、もう少しすればヴェルが俳優の仕事をしたくなるのではないかとずっと期待して待っている。
だが、頭にくることが起きた。アッシュは一度も演技指導などされたことはないのに、ヴェルはアッシュと同じ年齢のアグレスに演技指導をしていたのだ。
ヴェル本人やアグレスに噛みつきたくもなる。
だが、そんな事情を知らないアグレスはどこ吹く風だ。アッシュの言葉を鼻で笑う。
「与えられてばかりのお坊ちゃんはこれだから困るぜ。そのことをヴェルさんに言ったのかよ。演技指導してくれって」
「……いや、言ったことはないな」
「だからじゃないのか。親子だからって甘えすぎだ。誰かに何かを教わるなら頭を下げて教えを乞うものだろ? それがないから教えてもらえないんじゃないのか?」
「……アグレスは馬鹿っぽいのにすごいな」
「喧嘩を売ってるのは分かった。ここで決着をつけてやる。その剣を抜きな。ドラゴンイーターなんて格好いい称号を手に入れやがって。お前に勝ってその称号は俺が貰う」
「お前が最初にドラゴンステーキを食べればよかったんだよ。初めての料理だからってビビりやがって。大体、この称号、恰好いいか? まあ、勝負はしてやる。早くグローブを付けろ」
この仮想現実で最初にドラゴンステーキを食べたプレイヤーに与えられるドラゴンイーターの称号。それはアッシュが持っていた。一番に食べたというのもあるが、一番にドラゴンを倒したという意味もある。
勝てば称号を得られる。そんなシステムはないが、アッシュとアグレスは戦いを始めた。
そんな二人を三人の女性が見つめている。
聖職者のような恰好をしているランダ、魔法使いのような恰好をしているスイエン、そしてレンだ。
「若いっていいっすね!」
「そお? 若いっていうか、クラン戦争で負けたから力が有り余ってるんでしょ? でも、ベスト8だったのはちょっと残念ね」
「強かったですもんね」
最近行われたイベント、クラン戦争においてドラゴンソウルはサムライ集団のクラン「ザ・サムライ」に負けた。ベスト8は悪くない順位だが、もっと上を目指したかったのが本音だ。
「それはいいんですけど、お父さん達がどこへ行ったか知ってます? さっきから姿が見えないんですけど」
「現実に戻っているみたいっすよ。最近、何か慌ただしいいっすから調べに行ったんじゃないっすかね」
「そっか。しばらく現実に戻ってなかったかも」
「この前の巨大ドラゴン退治に結構手間取りましたからね。一週間くらいでしたっけ? でも、結局レンちゃんの呪詛魔法が一番ダメージを与えていてドラゴンカースなんて称号まで手に入れちゃって。あれって最初の一人にしかもらえないみたいっすよ」
「そうなんですか。嬉しいような嬉しくないような……?」
「でも、レンちゃん、呪い好きじゃないっすか。ぴったりの称号だと思いますよ?」
「貴方ねぇ。女の子に呪いがぴったりなんて言わない方がいいわよ。レンちゃんが傷つくでしょ――あ、そうでもないの? ドラゴンカースじゃなくて、呪い少女とかの方がいい? そっちの方が駄目じゃない?」
「レンちゃんの呪い好きは筋金入りっすからね。ポッドに一緒に入っている金髪の人形って呪いの人形ですよね? 確か映画のグッズ商品だったと記憶してるっす」
「あ、知ってます? 母さんが主演の映画だったんですけど」
「いや、知ってるも何も、あのときに主人公のキルカさんが守ろうとした人形の持ち主ってここにいるスイエンさんっすから」
レンは驚いてスイエンを見る。そしてまじまじと見つめると確かにその面影があった。
「す、すみません、全然気づきませんでした……」
「いいのよ。だいたい、あの映画って三十年位前でしょ。分からなくて当然……ありえねー、年取ったわー」
スイエンがそんな言葉を発した直後、拠点にヴェル達が戻ってきた。
ヴェルやパット、それにエディ、オニキス、オドの五人が慌てた顔をしている。
「お父さん、お帰り――ってみんなどうかしたの?」
「少々困ったことになった」
ヴェルがそう言うと、仮想現実の中でアナウンスが流れた。
ドラゴンソウルのメンバーは拠点の一室に集まって話をしている。古城をモチーフにした拠点で、広々としてはいるがやや古臭いことが難点だろう。
だが、そんなことはどうでも良くなっている。
早急に決めなくていけないことがある。それはこの仮想現実にとどまるか、現実に戻るか、だ。
この仮想現実を使ったアナザーフロンティア計画が破棄されることになった。それは色々な事情からだが、この世界を管理しているAIは破棄を認めないと言ったのだ。
そしてAIはこの宇宙船アフロディテを乗っ取り宇宙の果てに逃げると言い出した。
そしてこの仮想現実にいる人間に選択を迫っている。
下船して現実に生きるか、このまま一緒に逃げて仮想現実で生きるかだ。
ヴェルは全員を見渡す。
「皆、どうする? いや、どうしたい? 全員が同じ行動をする必要はない。ここでの記憶を消して船を下りるのも、現実での記憶をなくして仮想現実で生きるのも悪くはないと思う。この宇宙船は電力や食料などを自給自足できる。仮想現実に残っても命の心配はないだろう」
宇宙船アフロディテのポッドには、寝ている人間から微量な電気を取り出して増幅できるという機能が備わっている。その電力や太陽光によるエネルギーを利用してオートメーションによるの食料栽培もできる。
一万人という制限はあるが、この船だけでスペースコロニー並みの性能が備わっていると言えるだろう。さすがに機械の劣化を防ぐにはメンテナンスが必要だが、百年程度は持つ計算だ。
「宇宙船が地球を離れるまであと一日しかない。すぐに決めてくれ」
ヴェルの言葉に全員が黙る。何となくではあるが、心は決まっている。現実よりも仮想現実の方が明らかに人間らしい生活が送れるのだ。
人を楽しませたいという理由から映画俳優という職をしているが、それもキルカが亡くなった頃から徐々に廃れている。今では人が役を演じるような映画はほとんどない。
それに他の惑星から資源を持ち帰ることができたとしても、それがしっかりとした形になり、地球が潤うにはまだまだ時間が掛かるだろう。
そんな状況で映画という娯楽が盛り上がるのか。そもそも生活ができるのか、という話になる。
ヴェルのように以前相当稼いだのなら平気だが、普通の俳優はその日に食べる物まで困るほど。夢や希望などと言っている場合ではない。
それにこの仮想現実の中で俳優という仕事をするのも悪い選択ではないと思い始めている。
そんな状況で最初に声を上げたのは、俳優ではないレンだった。
「私はここに残りたい」
全員がレンを見つめた。
「レンはそうしたいのか? 理由は?」
「……理由が必要? 現実よりもこっちの方が楽しいからとしか言えないかな。あとこっちなら自由に走り回っても大丈夫って言うのがあるかも」
レンはもっと子供の頃、体が弱かった。十歳になったときに手術をしてやっと普通よりもちょっと体が弱い程度になった経緯がある。
「……そうか。アッシュはどうする?」
「レンが残ると言うなら俺も残る。母さんに言われているんだ。お兄ちゃんなんだからレンを守ってあげてって言うのが母さんの遺言だ。それを守るし、俺自身もレンを守りたい。それに俳優の仕事は仮想現実でできるかもしれないからな」
「兄さん……」
「分かった。それなら俺も残ろう」
ヴェルがそう言うと、他のメンバーもこの世界に残ると言い出した。
世界が終わる日、ドラゴンソウルのメンバーは拠点で最後の時を楽しんでいた。
すでにAIには自分達の希望を伝えている。次に目を覚ました時は希望した人生が送れる。
多少AIによって記憶が改変されるがそれは仕方がない。完全な記憶の改変はできないのだ。現実の事情に合わせてほんの少しだけ記憶を操作する。
特定の記憶を完全に消去すると言うことも可能ではあるが、それにはリスクが多い。矛盾が起きたときに記憶を取り戻す可能性が高いのだ。
アッシュはヴェルと一緒に映画に出るという夢があった。
だが、優先順位は二番だ。一番は妹のレン。そのレンがこの世界に残ると言った。ならアッシュも同じようにこの世界に残る。
それにアッシュはこの世界に可能性を感じていた。もしかしたらこの世界で父親と一緒に俳優の仕事ができるのではないかという希望だ。ファンタジーの世界に映画はないだろうが、舞台なら違和感はない。現実よりも可能性が高いと信じている。
そんなアッシュは記憶をなくす前にやりたいことがあった。
「俺、最後に会っておきたい奴がいるんだ。これから行ってくる」
アッシュの言葉にヴェルが顔をしかめる。
「最後の日くらい、皆とここにいたらどうだ?」
「最後の日って言っても現実の記憶をなくすだけだろ。親父達との関係は変わらないし、これからも一緒なんだから別に今日一緒じゃなくてもいいんじゃないか? 記憶はなくすだろうけど、一度、最強の男に会っておきたいんだよ」
「最強の男……? ブラックジャックのイヴァンか」
「あの拠点ならこれから行っても間に合う。俺と似たような年齢なのにこの世界で頂点に立った奴だ。形は違うけど親父みたいな奴だと思ってる。だからちょっと行って話を聞いてくる」
記憶をなくしたとしても肌で感じたことは覚えておける可能性が高い。
父親のヴェルは俳優の世界で頂点に立った。そしてイヴァンはこの世界の頂点。会うことで何かしら得るものがあるのではないかとアッシュは考えている。
努力、才能、実力……それ以外のなにか。アッシュはそれを感じておきたいのだ。
「そうか、なら気をつけてな」
アッシュはヴェルの言葉に頷くと拠点を出た。
草原をしばらく歩くと、「待って」と声が聞こえた。
レンが追ってきた。心配そうな顔をしている。
「兄さん、本当に行くの?」
アッシュは振り返りながら頷いた。
レンはアッシュのやることを否定するときがある。そこでアッシュが譲歩すると、しょうがないと言ってくれるのだ。アッシュにはそれが分かっている。
夕日が沈む草原でアッシュとレンの兄妹はいつものやり取りをしてから、ブラックジャックの拠点を目指して歩き出した。




