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大照妖異譚  作者: 大平 凡
6章 モリゴさん
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3 清経

 

 宿として用意されたのは、大宮本邸の客間であった。

 何よりも清潔さが優先された、素っ気ないつくりの洋室である。

 どこか病室が思い起こされるのは、屋敷に医院が併設されているためだろうか。

 少し薬っぽい臭いが漂う気がする。それから、うっすらと干物のような香りも。

 潮の臭いだろうか、と奈緒は思いを馳せた。確か、海が近いはずだ。

 耳を澄ませば、遠く潮騒が聞こえる気がする。


 それではどうぞ、ゆっくりお休み下さい。

 そんな言葉とともに、扉が閉まる。

 人目が失せた瞬間、嘉一郎の肩から力が抜けた。


「……疲れるんですよね、これ」


 好青年然とした嘉一郎の口から、ぼそりと呟きがこぼれた。


「あの……、疲れるなら、無理はしなくても。

 今は、誰にも見られてませんし……」

「ああ。まあ、どこで見られてるかわからないので。

 普段通りだと、今度は変に身構えられてやりづらい」


 まあ疲れるんですけどね、と嘉一郎は重ねてぼやいた。

 そう言って浮かべる苦笑さえ一点の曇りなく、純朴な青年のそれに見える。

 はあ、と頷きつつも、奈緒はいまだ困惑から抜けられずにいた。


「ともかく、協力的な手応えで良かった。面倒が少ない」

「ええと……、そうですね。

 それで、わたし、これからどうしたらいいですか?」


 大まかな流れは行きがけの汽車の中で聞かされている。

 だが、具体的な話はまだだったはずだ。

 奈緒の質問に、嘉一郎はさて、と答えた。


「こちらについてからの段取りは盛綱氏次第なので、今日はは休んでおけばいいんじゃないですか?

 ボクは今から今後の段取りをすりあわせてきますが、まあ……。

 モリゴの判定基準だのを当人に聞かせるのは些か問題でしょうし」


 それは確かに。ひとつ頷く。

 ではと短く言い残し、奈緒の荷を置くだけ置いて男も部屋をあとにした。

 ぱたん。再び扉の閉じる音がして、奈緒は一人きりになる。


『全く』


 しゅうと空気のかすれる音がした。

 はっと音のしたほうに目をやれば、いつの間にか、白い少年が姿を顕している。

 寝台の上に片膝を立てて座る蛇神の、柳眉は不機嫌そうに撓められていた。

 酸漿(ホオズキ)の眼がきゅうと細くなる。奈緒は思わずびくりと縮みあがった。


 あれこれと慌ただしく状況が変わりそれどころではなかったのもあって、

 実はこうしてカガチとまっとうに顔をあわせるのは、あの観劇の日以来のことだ。

 咎め立てられる心当たりは、正直、嫌と言うほどある。


『さて、奈緒や。

 おれは迂闊に何でも頷いてくれるなと、確かに念押しした筈だな?』

「その、……はい」


 しおしおと奈緒は俯いた。

 ふうと漏れる溜息に、呆れられただろうか、と思う。

 しんと心が冷える。落ちた視線の先で、爪先がもじもじと蠢いている。

 でも、あれは。──けれど。


『何にせよ、無傷で済んだはなによりだ。

 襲われたと聞かされたときはようよう気を揉んだぞ』


 カガチの言葉は、それきりだった。

 思っていたのとは違う反応に、恐る恐る顔を上げる。


「あの……それだけ、ですか」

『なんだ、小言でも望んでおったか? ま、言いたいことは無くもないが。

 だが、おまえの行いが、おれの言を覚えていた上でのことだというなら、

 おまえにも言い分あってのことだろうよ。違ったか?』


 少年の、むすりと表情はそのままだ。

 だが、その根底にある感情が怒りでないことはわかった。

 これは、どちらかというと拗ねている。

 そう理解した瞬間、胸の内にとりどりの感情が吹き出した。


 心配をかけてしまったことへの申し訳なさと、

 信じて貰えていたのだという喜びと、

 何も出来なかったことへのふがいなさと、それから、それから。


 訳もなく、唇を強く噛みしめる。

 それをどう捉えたか、少年は眉を吊り上げた。


『なんだ。まさか考えなしに怪しげな品を引き受けた上に、

 諾々と流されるままこんなところまで出向いたと?』

「いえ、それは……あの、」


 奈緒は慌てて弁解した。


 ええと。その。

 もっとよく考えられたら、他にいい方法もあったと思うし。

 流されたところが全くなかったかといわれると、

 絶対なかったとは言い切れないというか。

 ちょっとはあったかもしれなくて。


 でも。


 しどろもどろに、曖昧な言葉を重ねながら、

 奈緒は大きく息を吸う。


「ここに来たのは、そうしたかったからです。

 わたしは、……自分が何者なのかを、ちゃんと知りたい」

『そうか。ならばよいさ』


 娘の宣言に、蛇神は柔らかく目を細めた。

 酸漿色のその瞳が、ふと──何かを見咎める。


『む……?』


 怪訝げなカガチの視線を追って、奈緒は振り向いた。

 扉だ。何か、白いものが挟まっている。

 嘉一郎が出て行った時には、確実になかったはずのものだ。

 さわさわと、何かの予感が背中を走り抜ける。


 近づき、恐る恐る、引っ張り出す。

 それは二つ折りにされたちいさな紙切れだった。

 扉に耳をあててみるが、人のいるような物音はしない。

 うすく開いて覗いてみても、廊下に人影はなかった。


『手紙か』

「たぶん……?」


 隣から、少年が覗き込む。

 首を傾げながら、奈緒は紙切れを開いた。



 ──"スグカエレ。大宮ノ××二×ヲ×スナ。"



 すぐ帰れ?

 読み取れた文字に、奈緒は薄ら寒いものを感じた。


 大宮の二文字は辛うじて読める。ここしばらくで散々目にした字だ。

 だが他はわからない。カエレ、のあとは何と書いてあるのだろう。

 そしてなにより、誰がこれを寄越したのだろう?


『皆が皆、協力的というわけでもなさそうだな』


 蛇神が呟く。


『……あの嘉一郎とかいうのの戻り次第、伝えておくべきであろうな。

 おれも気を張っておくが、おまえもよくよく気をつけるのだぞ』

「はい」


 ぎゅっと胸元を押さえる。

 心臓はむやみに喧しかった。


 ○ ○ ○


 翌日、奈緒と嘉一郎が案内されたのは地元の神社だった。

 松林に囲われた、中々に立派な規模の社である。

 玉砂利の敷き伸べられた明るい境内には、野外舞台まで設えられている。

 途切れ途切れに聞こえる囃子の音が、白雲の流れる青空に突き抜けていった。


「施設の一部は集会所として解放しておりましてね。

 今は丁度、祭りの練習をしているのですよ」


 二人を先導しながら、盛綱はそう説明した。

 うねの兄にあたるのだというこの老紳士の応対は、終始柔らかい。

 当主自らの案内である。これは手厚い歓待といっていいのだろう。


 それが、かえって困るのだが。

 娘は密かに息をついた。


 結局、嘉一郎にはまだ、手紙の件を伝えられずにいた。

 大宮の字がある以上、内容は大宮に関係するのだろう。

 であればせめて、内容がわかるまでは、大宮の人間には伏せたほうがいいのではないか。

 そう考えてのことである。


 だが朝からやれ着替えだ、湯浴みだ、朝食だ、そのあとは当主みずからの案内だなどと常に人目がついて回って、奈緒には中々自由になる時間がなかった。

 盛綱との打ち合わせが終わってすぐに話ができていればそれが一番だったのだろうが、疲れのためか、昨日はあのあとうっかり寝入ってしまっている。

 そんな己の迂闊さが、今の奈緒には悔やまれてならない。


 そっと隣を歩く嘉一郎を見る。

 視線に気づいているのかいないのか、青年は分厚い猫を被ったままだ。

 どうか気づいてくれるようにと祈りながら、案内のまま、社務所の裏手を上がる。

 囃子の音が大きくなり、奈緒は練習場所が近いことを察した。


「あら」


 盛綱が障子を引くと、ぴたりと楽の音が止んだ。

 中にいた人間が一斉にこちらを向く。広々とした和室である。

 めいめいに楽器を手にした人々の、中心にいるのは和装の女性だ。

 年の頃は四十も前半、ほっそりとした、どこか冷ややかな空気を纏う女だった。


「やあ、続けてくれ。

 ああ、()()はこちらに来てくれるかね」


 老紳士の言葉に、皆それぞれの動きに戻る。

 歩み寄ってきたのは、あのほっそりとした和装の女だった。


「紹介しましょう。こちらは安達()()

 大宮の分家筋の出です。華道の師範などやっているものですから、

 皆からは青女(せいじょ)先生などと呼ばれておりましてね」


 盛綱の紹介に、女は浅く一礼した。

 一瞬、女の切れ長の瞳が奈緒を捉え、すぐに逸れる。

 意味ありげなその視線は、奈緒の内側に強く印象を残した。


「例大祭で、うねのあと最も長くモリゴ役を務めたのがこれでして。

 祭日におけるモリゴのお役目については、この()()が一番詳しい。

 ですので、諸々の段取りについては彼女がご教授致します」

「あの……宜しくお願いします。青女、せんせい?」

「こちらこそ」


 女はにこりともしなかった。


 ○ ○ ○


 聞いてない。


 奈緒は早くもへこたれそうになっていた。

 日が落ちてから町を練り歩くとは聞いていた。

 だがその前に、舞を奉納せねばならないとは微塵も聞いていない。


「だめ。また腕が下がっている。肘は外、扇の角度はこう。

 ちゃんと囃子を聞いて。上体をぶれさせないように。

 あと……そう。この動きの時は、視線はこちら」

「は、はい……!」


 祭り当日まであと三日。


 だが手本として青女が舞って見せた振付は、たった三日で仕上げられるものとは到底思えなかった。

 終始ゆったりとした動きながら、その分神経を使う場所が多く気が抜けない。

 練習に次ぐ練習で、腕やら足やら、普段使わない部分があちこち悲鳴を上げている。

 この上、本番はさらに重たい衣装を着込んだ上に面までつけるというのだから、奈緒は今から気が遠くなりそうだった。


「いいわ。少し、休憩しましょうか」

「ありがとうございます……」


 奈緒の息はすっかり上がっていた。

 こめかみから吹き出した汗が肌を伝って、髪が顔に張り付くのが煩わしい。

 笛や鼓を練習していた人々も、めいめいに休憩に入ったようだった。

 ぽつぽつと姿が消えている。


 見渡せば、嘉一郎の姿は部屋の隅にあった。ずっと待機していたのだろう。

 盛綱は奈緒をせいに預けてすぐ屋敷に戻っている。伝えるなら今しかあるまい。

 嘉一郎に声をかけようと立ち上がった、その時だった。


「ねえ、貴方。ひとついいかしら」

「は、……はい、なんでしょう?」


 まさか、なべて他人に興味の薄そうな青女から声をかけられるとは思わず、奈緒の声はやや裏返った。

 華道という、いわば美の具現を生業としているが故か、青女の冷ややかな容貌は盛りを過ぎてなお、往事の美を色濃く残している。

 その女はひとつふたつ言葉を躊躇ったあと、思い切ったように奈緒に訊ねた。


「うねは、確かに死んだのね?」

「えっと……、はい」


 そのはずだ。どこか思い詰めたような目をした青女に、頷きを返す。

 流石に詳細までは知らされていないが、うねの死は、あのみどろが淵できっちり確認が取れたと聞いている。


「そう。……最後まで顔も見せにこないだなんて、薄情だこと」


 せめて髪の一束ぐらい、届けてくれても良かったのに。

 奈緒の脳裏に、太く()われた黒髪が過ぎる。

 睫毛を伏せ、寂しげに呟く女の仕草は、どこか凄絶な色香すら帯びて見えた。


「あの……先生。私からもひとつ、お訊ねしても構いませんか」

「何かしら」


 女が視線を上げる。

 はじめは冷ややかに見えたその瞳の奥に、奈緒は感情の温度を見た。

 ひとつ息を呑んで、口を開く。


「先生は、うねさんの何なんですか?」


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