表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大照妖異譚  作者: 大平 凡
5章 真神
43/56

5 リボン

 

 関口は人混みも好きではない。唯々性に合わないのだ。

 賑やかな場所も、華やかな場も、叶うなら避けて通りたいのが本音である。

 だから百貨店などは、本来用事でもなければまず寄り付きもしない場所だった。


 眩く照明の施された石造りの建物の中は、買い物客で賑わっている。

 相変わらずの混雑ぶりに、関口は入り口をくぐるなり早くもうんざりした気持ちでいた。


 そっと連れのほうを窺う。

 男の意図など知る由もない娘は、白い頬をうすく上気させ、はじめての場所に瞳を輝かせている。

 あちこち視線を彷徨わせているのはご愛敬だろう。

 この顔を見られただけ、出向いた甲斐はあったかという気になった。

 ふ、と頬が緩む。


 村を出たばかりの頃、この娘はまだすべてに怯えたような目をしていた。

 それが、今はもうこんなにも落ち着いてきている。

 よいことだ、と関口は思う。


 ふと、硝子に映り込む影が目に入った。

 晴れ着姿のうら若い娘の隣に、男がひとり、寄り添うように立っている。

 己の姿だった。頭一つ抜ける長身は、どうあっても周囲からは浮く。

 鏡像の中で、己は随分とふやけた顔をしていた。

 口の端を引いて、表情を殺す。


「あの」


 ちょんと裾を引かれる感覚に関口は視線を落とした。

 遠慮がちな瞳がこちらを覗き込んでいる。


「関口さま。ここで何を見るのですか」

「君の髪飾りを。

 ひとつくらい、よそいきの品を持っていた方がいいだろうと、千津が」

「え」


 己の買い物とは思ってもいなかったらしい娘は、急に慌てふためいた。

 ああ、だのうう、だの言い淀んでいるのは、まだ遠慮が勝っているからか。


「あの、……ありがとう、ございます」


 結局、そう言って奈緒は恥ずかしげにふにゃりと笑んだ。

 無防備な、柔らかい表情。


 ──随分と入れ込んだね。

 空とぼけた()()の声が脳裏を過ぎる。


 このまま何事もなく、平和に終わってくれればいい。

 余計な思惑を抱え込まされた男は、割合真剣にそう願った。


 ○ ○ ○


 百貨店というだけあって、店内は広い。

 まず目当ての場所にたどり着けるかどうかを奈緒は危ぶんだが、杞憂に終わった。

 二人を目にとめた女子販売員が、いらっしゃいませ、と上品な笑みを浮かべる。


「何かお探しですか」

「彼女に、髪飾りを」

「かしこまりました。お好みはありますか」


 正面から笑みかけられて、奈緒は少し気圧された。

 好みも何も、まずどんなものがあるのかわからない。

 ええと、と言い淀みながら、娘はぴかぴかのショウケースに目を向ける。


「あ、」


 ふと、幅の広い緋色のリボンに目がとまる。

 思い出すのは、帝都に来てから幾度か見かけた、女学生たちの後ろ姿だ。


 夕暮れ時。

 真新しい袴を穿き、ふわふわとリボンを揺らしながらお喋りに興じる、奈緒と年の変わらぬ娘たち。


 彼女たちには家族がいて、衣食は足り、学業に励む余裕がある。

 かつてぼんやりと抱いた憧れの具現。肉身を具えたまぼろし。

 その姿を、奈緒はただ通りすがりに見送った。


 娘の視線を目敏く察した販売員が、リボンを手に取る。


「こちら、つけてみられますか」

「あの、……はい」


 断るのも不自然だ。

 頷いてみせれば、椅子に座るよう誘導された。

 大人しく従えば、女は流れるような手つきで髪にリボンをかけてゆく。

 わずかな微調整のあと、目の前に鏡が差し出される。


 手鏡の中、かたちよく整えられたリボンは、奈緒の黒髪に鮮やかに映えた。

 綺麗だ、と思う。


「よくお似合いですよ」

「ありがとうございます」


 世辞とわかっていても、褒められるのはこそばゆい。


 これなら、自分も女学生に見えるだろうか。

 何気なく過ぎった思考を自覚した瞬間、奈緒は慄然とした。


 綺麗な着物を纏い、華やかな場所を歩いてみたところで、中身のほうまで変わるわけではない。

 鏡に映るのは所詮は虚像だ。


 関口も千津も、奈緒の家族ではない。

 衣装は貰い物でなければ借り物で、日々温情によって食べさせて貰っている。

 まともな生活のいろはも知らず、ようやくかなの読み書きが少しできるだけ。


 貸し与えられたものをすべて剥いでしまえば、そこにいるのは、財も学も身寄りもない貧相な田舎娘だ。

 すべては仮初、つかの間の幸福な幻。


 だというのに。

 遠い昔に手放した筈の憧れが、胸の奥で勝手に息を吹き返そうとしている。

 いつの間に、自分はこんなにも厚かましく、欲深になったのだろう。


「お気に召しませんでしたか?」

「いえ、あの、……よそいき用にとのことだったので。

 リボンは、よそいきにどうなんでしょう。わたし、わからなくて」


 奈緒の言葉に、女販売員はそうですね、と少し考えはじめた。

 誤魔化されてくれたことにほっと胸をなで下ろす。

 その端から、鏡越しに関口と目が合った。

 見透かされたような気分になって、いたたまれなさに視線をそらす。


 販売員はあれこれと取り合わせについて熱心に説明してくれていたが、肝心の内容はあまり頭に残らなかった。


 ○ ○ ○


 結局、リボンは買ってもらうことになった。

 たっぷりとした黒髪の上に、緋色の薄布がふわふわと揺れている。

 奈緒の心もまた、同じように頼りなく揺れ動いていた。


「先程からぼんやりしているようですが、何か」

「あの、……いいえ」


 関口の視線から逃れるように、奈緒は手元に視線を落とした。


 丁度昼前とあって、食堂内には食欲をそそる匂いが立ち始めている。

 広々としたホールには白いクロスの掛けられたテーブルが並び、他愛ない会話のざわめきに満ちていた。


 物言いたげな瞳に気づかぬふりで品書きにざっと目を通す。

 ふりがな付きであったことも幸いして、おおよその料理は理解できた。

 あとはどれを頼むかだが、さて、どうしたものか。

 しばらく悩んでいると、声がかかった。


「決まっただろうか」

「はい。オムライスがいいです」

「そうか」


 顔をあげた奈緒の返事を待って、関口が給仕を呼んだ。

 もしかして、待たせていただろうか。申し訳なさばかりがいや増して行く。

 さっきから自分は己のことばかりだ。


 関口は貴重な休みを己のために割いてくれているというのに。

 その己はといえば、勝手にあれこれ思い悩んでは相手に気を遣わせている。

 一口、水を含む。


「あの、ごめんなさい」

「どうした」


 脈絡のない台詞に、関口は少し驚いたような表情をした。


「わたし、その、色々考えてしまって」


 男は何も言わない。

 ただ、じっと奈緒の言葉を待っている。

 周囲の楽しげな喧噪が耳に煩い。


「今日、すごく浮かれていたんです。

 ほんもののお嬢さんって、こんな感じなのかなって。

 でも、わたしは本当はそうじゃなくって、それで」


 頭の中ではきちんと論理だって整理されていた筈の思考が、舌に乗せた先から縺れ乱れて脈絡をなくす。指先が所在なげに彷徨う。

 結局、何を言おうとしていたのか自身にもわからなくなって、奈緒は言葉を切った。


「ええと、……すみません。うまく説明できないです」

「そうか。外出は負担だっただろうか」

「いいえ、まさか!」


 驚いて首を横に振る。

 そうではない。外出を楽しみにしていたのは本当のことだ。

 今この瞬間だって浮かれている。ただ。


「……ただ、なんというか。

 わたしで、いいんでしょうか」


 ぽろりと口をついて出た言葉は、驚くほどしっくりと馴染んだ。


 ここにいるのは、自分でいいのか。

 もっと他に相応しい人間がいるのではないか。

 己は、誰か、別のひとの権利を不当に奪ってはいないか。


 そんな考えが、拭えずにいる。


 そっと様子を窺えば、男は少し困惑しているようだった。

 僅かに眉をひそめ、何かを考えるように沈黙を保っている。

 それから、ゆっくりと口をひらいた。


「君が、何に戸惑っているのかはわからないが」


 関口は慎重に言葉を選んでいるようだった。

 困らせてしまった。奈緒の胸中に後悔が波のように押し寄せる。

 思いつきで妙なことを口走らなければよかった。


「自分は君の息抜きのつもりで誘いました。だから、まあ。

 君とでないなら、ここに来る意味はあまりないと思う」


 たぶん。

 今、自分は凄く変な顔をしているのだろうな、と奈緒は思った。


 嬉しいような、恥ずかしいような、困ったような、あるいはそれら全てがごったに混ざったような感情が去来して、肋骨の内側をぐちゃぐちゃにかき乱してゆく。


 何か返事をしなければ、と思うのに言葉が出てこない。

 奈緒の沈黙に、目の前の男は困惑を深めたようだった。

 眉尻が下がっている。


「こういう場所は気詰まりだっただろうか。

 であれば、気が利かなかった。すまない」

「いえ、あの、違うんです。

 素敵な場所だから、わたしが勝手に気後れしていただけなんです。

 周りのひととか、恰好とか、そういうものと釣り合わないんじゃないかって」


 そうだ。

 つまりはそういうことだった。

 ふつうには足りないのを、見破られるのが怖かった。


 そうか、と男が静かに呟く。


「だとすれば、やはり先に希望を聞いておくべきだったのだろうな。

 そういえば、君が何が好きかを聞いたこともなかった。

 何か、好きなことやしたいことはあるだろうか」

「ええと……。お庭を、ぼんやり眺めるのが好きです」

「そうか」


 ふ、と関口が柔らかく笑った。


「俺も好きだ」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
感想はいつでもお待ちしております。
匿名をご希望の場合は《マシュマロ》まで。

小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
[良い点] 待ってました!デート回!! ほんと不器用な2人が初々しくてっ… 関口さんはまだいいお兄さん?感の方が若干強いけどいつか違う関係になったらいいな〜 あと奈緒ちゃんがもっと自分を認めてあげられ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ