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大照妖異譚  作者: 大平 凡
3章 笈山天神社縁起/百足女
21/56

3 紅茶

 

 真新しい屋敷である。

 まだ強く木の香りの漂う客間の戸を閉め、外に人の気配がないのを十分に確認して、名無しはひとつ大きく息をついた。気疲れがひどい。


 明日に備えて、先に休んでおくといい。

 そんな言葉とともに名無しがひとり案内されたのは、源治郎の屋敷だった。

 この村に滞在するにあたって、予め宿を借りる手筈になっていたらしい。


 誰の趣味なのか、通された部屋は田舎には似合わぬ洋室だった。

 窓の脇には寝台が置かれ、猫足のサイドテーブルの上には一輪挿しが飾られている。娘にとっては、どれもこれも見慣れぬ調度である。

 物珍しさに一通り部屋を見渡したあと、名無しはそっと、姿無き連れに呼びかけた。


「カガチさま、もう出てきても大丈夫ですよ」


 手首に、するりと冷たい鱗が巻き付く感触があった。

 娘の袖口から僅かに頭を覗かせた白蛇は、神経質そうに周囲を窺ったのち、そろそろと這い出してきた。


「ご気分はいかがですか?」

『問題はないと言っておろう。

 ただ、その……少し落ち着かぬだけだ』


 そう(うそぶ)く白蛇の身振りは、やはりそわそわと妙に浮き足立っている。

 神経が張り詰めているのだろう。蛇神の常とはまるで異なる様子に、名無しもつられて落ち着かない気分になった。


「あのう……ここに出るっていう百足のばけものって、そんなに危ないのですか」

『さて』


 白蛇は少し考え込むような仕草で酸漿(ホオズキ)の瞳を閉じ、ちょろりと赤い舌を走らせた。


『この手のものは、結局のところは出してみなければ判らぬ。

 いかにも確からしい伝承であっても、いざ蓋をあけてみれば正邪が真逆、などという事はまま有る事よ』


 だがなあ、と蛇神は言葉を続けた。


『これはいささか、……漏れ出る気配が血腥(ちなまぐさ)すぎる』

「じゃあ、天神さまにお移りいただくのは、止めておいたほうが良いんでしょうか」

『いや、それはそれで(まず)かろう』


 白蛇が首を横に振る。


「なぜですか?」

『お前も見たろう。箍が外れかけておる。

 封印の土手っ腹にあれだけ大きな穴を開けたのだ。揺らぐのも当然であろうが』


 蛇神の言葉を受けて、娘の脳裏にはあの、くろぐろとした(あな)が過った。

 真新しい土の匂いと、そこから吹く冷たい風の感触が過った。


 部屋に硬いノックの音が響いたのは、丁度その時だった。

 びくりと肩が跳ねる。思いがけぬ客に、名無しは急いで蛇神を袂に誘った。


「は、はい!」


 そ知らぬ顔で返事をし、扉をあけると、そこには女がひとり立っていた。


「ごめんなさいね、お休みだったかしら」

「いえ」


 名無しの答えに、女は良かった、とふんわり微笑んだ。


 年のころは二十の半ばほど。

 身に纏う品の良いブラウスとモスリンのスカートは、いかにも田舎には似つかわしくない。都会的な雰囲気の、あか抜けた女性である。

 あるいはこの客間は、このひとの趣味であるのかもしれない、と名無しは思った。


「今連絡があったのですけど、お連れの方々とうちのひとは村の方との話し合いが長引いているらしくて、しばらく戻らないみたいなの。

 もしよろしければ、そのあいだお茶でもいかがかしら?」


 そう言って、洋装の女はにっこりと笑みを浮かべた。

 どこか少女めいた顔だちのなか、紅を引いた唇が鮮やかに目を引く。


 これが、潮源治郎の妻、多和であった。


 ○ ○ ○


 村の集会所は、むっとした熱気に包まれていた。

 さして大きくもない室内に、これだけの人間が一同に会しているのだ。

 それも仕方なかろうと関口は思う。


 源治郎を筆頭とする、鉱山会社側の人間。

 その鉱山会社に土地を売り、まとまった金を手にした者。

 田畑が荒れるのを嫌って反対する村民、

 集められたはいいが、仕事を干された坑夫たち。


 僅かずつ利害を異にするそれぞれの立場の人間が、顔をつきあわせ、机の上に広げられた簡易地図を真剣に覗き込んでいる。

 一種異様な空気の中、その中心に陣取った枯れ草色の三つ揃えの男は、知らぬ顔でとん、と地図を指した。


「まず、前もって試掘坑を囲いこむように結界を配置。

 次に笈山天神に遷座のお伺いを立て、封印が解かれたら、這い出てきた怪物を退治、あるいは再封印。天神社は改めて別の場所に再建」


 とん、とん、とそれぞれの場所を指さしながら、男は淡々と話しを続ける。

 一通りの説明を終えると、男は顔を上げ、顔ぶれを見渡した。


「──と、このような手筈を予定しています。

 この内容で、皆様ご了承頂けますかね?」


 返答は、しばらくなかった。だろうな、と関口は思う。

 この問いの実態は、合意の確認の形をした命令だからだ。


 ()()()などというお伽噺の中の存在が実在すると()()()信じている者など、実際はこの中にどれほども居るまい。

 だが、そのお伽噺を理由に鉱山開発の差し止めは行われ、実際に国から人員が派遣されてしまった。

 その事実が、それぞれの立場に下手なことを言えぬようにさせている。


 ハルアキの提示した儀式の流れを、茶番と言い捨てることはできる。

 お話にならないと蹴飛ばすことはできる。


 だが、それは。

 反対派にとっては、差し止め理由の正当性の否定だ。

 賛成派にとっては、何より味方につけるべき国の意向に反する行為だ。


 どちらの側も、思惑を通したいのであれば、この提案は呑むほかない。

 このまま話がまとまるかと思われた、その時だった。


「……否と言ったところで、聞き入れる気なんざ端から無ェくせに」


 どこからか漏れた呟きに、場は一気にひりついた。

 やはりあの娘に席を外させておいたのは正解だったな、と関口は一人小さく溜息をつく。

 常から人を食ったようなところのあるこの上司ならばともかく、ほとんど何も知らぬまま連れてこられたあの娘がいきなりこんなところに放り込まれては、堪ったものではないだろう。


 そしてその娘を引っ張り込んだ当の陰陽頭はといえば、とぼけた顔でひょいと肩をすくめただけだった。


「我々としては、双方の意見を最大限に容れた案を提示したつもりなんですが」

「わかっているさ」


 ざわつきはじめた周囲を抑え、重く答えたのは反対派代表の男だった。

 視線が、二人に集中する。


「わかっている。神意を問う。それで構わん。

 だがその結果、遷座はなしと出たならば、笈山の開発は恒久的に差し止めて頂きたい」


 ぎろりと、男の鋭い瞳が差し向けられる。

 陰陽頭は涼しい顔でその視線のすべてを受け止めると、勿論ですとも、と鷹揚に頷いた。


 ○ ○ ○


 茶を呑む程度なら、たいしたことではあるまい。

 丁度先日呑んだところでもある。

 変に断って妙な空気を作るのも躊躇われて、名無しは頷いた。


 しかし、ミルクか檸檬は如何、という問いかけは、名無しにとっては完全に想定外だった。

 ミルクとは何だ。檸檬とは。茶を飲むのではなかったのか。


 戸惑う名無しが答えられずにいると、多和はそれではお任せ頂けるかしら、と微笑んだ。

 目の前に置かれた白磁のティーカップから、ふんわりと湯気がたちのぼる。

 そして名無しは、どうやら茶にも種類があるらしいことを知った。


 どうぞ遠慮なく、お菓子もつまんで下さいね。

 そう言うと、多和は悪戯っぽく微笑んでティーカップに口をつけた。

 見よう見まねで、名無しも同じようにカップを持ち上げる。


 ちろりと舐めれば、まろやかな乳の味わいと発酵した茶葉の香り、たっぷりと溶けた砂糖の甘みがじんわりと口内に広がった。

 初めての味わいだ。だが、おいしい。


「あの、おいしいです」

「まあ、良かった」


 口元に手を添えて、多和はくすくすと笑った。


「付き合ってくださって嬉しいわ。

 ここのところ、あまり人と話す機会もなかったものですから」

「お忙しかったんですか?」

「いいえ。逆」


 ひとくちだけ茶を含んで、多和はカップをソーサーに戻した。

 かたちよく整えられた眉のあたりが、ほのかに暗い。


「私ね、うちのひととは恋愛結婚なの」


 ふ、息をついて、女は唇に笑みを作った。


「どうしても他の人にあの人を取られたくなくて、私から恋文を送ったのよ。

 あの人がここへ赴任するって決まったときも、源治郎さんはわたしを置いて一人で来るつもりだったのを、無理を言ってついてきたの」


 なんとも答えかねて、名無しはもうひとくち、茶を含んだ。

 口の中に、ねっとりとした強い甘みが広がる。


「でも、ダメね。

 村のひとたちともうまくやろうと思ったのだけど、難しいわ」


 そう言って、女は肩をすくめた。

 憂いをふくんだその表情は、田舎にそぐわぬこの洋室にこそ、しっくりと馴染んで見えた。

次回更新予定は11/1日です。

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