迷子と泣き虫
003
「お、この漫画、最新刊出てたんだな」
「先輩。目的が違いますよ」
「わりわり」
ちゃんと雫を視界に入れながら、エスカレーターを上り、呉服店やスポーツショップなど華やかな店内を見てから、俺達は書店へと三人で入った。書店も漫画のイラストや映画化作品の宣伝などで華やかにして見ていて飽きず、さらに品揃えも良い俺も常連の店だ。
「ところで雫。いくら渡されたんだ?」
書店の奥の実用書などが置いてるスペースで、脚本など文章に関する本を探しながら、隣で本を手にとってこれでもないそれでもないと言っている雫に聞いてみた。
「えーと、二五〇〇円ちょっとくらいっすね。一〇〇〇円くらいで脚本の本は買えるっすから、何かしら他にも役立ちそうなのを見繕うと思ってるっす」
「なるほど、ってことは一五〇〇円くらいか……」
「脚本に縛らずとも、文庫本のようなものなら二冊は買えそうですね」
「まあそうだな、次の劇はシンデレラなんだっけ?」
凛に同意しながら、二人に確認をとる。
シンデレラは前に悪ふざけでやっただけだが、どうにも天音はそれに妙な好印象を持ってしまい、やることになってしまった。
何かオリジナル展開をたくさん入れたいとか言っていたが、ふざけたやつなら全て添削してやる。
「そうっすねえ、なんか、雫も脚本手伝えって言ってたので、結構楽しみっすよ」
「え、お前もか。なら変なことにはならねえか? まあ、コメディ主体か原作を大事にするかは、ちゃんと決めてくれよ」
「はいっす!」
軍隊のように敬礼する雫に何だかほんわかした気分になり、俺も使える本がないか探すことにした。
十分ほど経ち、凛が目ぼしい本を見つけてきて、会計を済ませた。
買ったを本を受け取って、「じゃ、行くか」と言って三人で書店から歩き出す。
書店から出る前に、凛が絵本コーナーの前で棒立ちになって、可愛らしい猫の絵本を凝視してたが、「部には関係ない……」と独り言を呟いて俺達についてきた。
絵本好きなら、言えば買ったのにな。
「……ってああ、先輩、本持つっすよ! 雫の欲しいものしか買ってないっすし!」
エスカレーターに乗ったあたりで、慌てたように横で歩いていた雫がそんなことを言ってきた。
ちなみに、今回買ったものは確かに殆ど雫が決めたもので、脚本や文の参考書みたいなものだった。俺や凛よりも、脚本家志望の雫のためになるようにと思ったからだ。
そしてそれらは袋に入れられ、今俺の手に下げられれている。
「先輩に持たせてすんませんっす! 自分持ちます!」
「いやいいよ。別に俺が持った方がいいだろ。男手なんだし」
というか、ノリが本当に体育会系だな。中学のこいつの部活なんだっけか。
「いや、そうかもしれないんすけど……なんかすいません」
「……というか、兄さん、いつの間に荷物を? 自然過ぎて気付きませんでした」
「ん? 会計の時だぜ? 女の子に持たせるわけにはいかねえだろ」
「「…………」」
エスカレーターを下りて、二階に。基本的に全フロアで洋服や布を売っているが、このフロアは家具なども多いから、恐らくここにあいつらはいるだろう。
そんな目論見もあってきたのだが、
「ん、どうした凛?」
「いえ、何でもないっす! 先輩、お、男前っすね」
「? そうか?」
「え、あ、はい、そうっすよ!」
なぜか必死な様子で俺を褒める雫。心なしか頬が赤いような気がする。
そんな時だった。
「ああっ」
俺達の前で歩いていたおばあさんが、足を転ばして転倒しかけたのだ。慌てて手を差し伸べ、なんとか胴に手を回して倒れるのは回避できた。
「ふう、あぶね」
「だ、大丈夫っすか? おばあさん」
「おや、ええ、ありがとう」
おろおろしながら雫が訊くと、おばあさんは朗らかな笑みを浮かべて会釈した。
ただ、その前の表情が、どこか暗い雰囲気があったような、そんな気がした。
そんなことを思っているのも束の間、倒れかけたからか、おばあさんの手持ちの袋から、りんごなどの果物が床に散らばってしまっていた。
「あ、大丈夫っすよ! 雫が拾いますんで!」
「私も手伝います」
そんな散乱した果物を見て、雫が制服の袖をまくり、凛もそれを手助けしようとする。
「お! お前ら、さんきゅ――っておい」
「あわわわ」
「お、あ、え」
頼りになる後輩だと一瞬見直した俺が甘かった。気負った雫はりんごなど自分の手に納まらない果物を片手で拾おうとして手から零れ落ち、凛に至っては果物にけっつまずいて今度はこちらが転びかけていた。さすが天然。
見てられねーや。何やってんだこの二人。
「ほら、拾ったぞ」
「おお、先輩、なんて滑らかな動きを……!」
「賞賛します」
「いや普通に拾っただけだから」
おばあさんが落とした袋に果物を入れ、おばあさんに手渡す。
「ありがとうねえ」
「いや、どうってこうないです。てか、そんな重いもの一人で大丈夫ですか? なんなら手伝いますけど」
「え、でも、迷惑じゃないかい?」
おばあさんは俺達の顔色を伺って、遠慮するように訊いてきた。
俺は凛や雫にアイコンタクトを送ってみると、やはりというかなんというか、お人よしの多い部活なのだ。二人とも首を何度も振って賛成してくれた。
「大丈夫っすよ。店の外とかでいいんすか?」
「いやね、それがね――」
おばあさんの話によると、元々家族と買い物をしていたらしいのだが、買い物をしている間にはぐれてしまったらしい。それで重い荷物を持って困っていた時に、俺達が助け舟を出してくれていたという。
「いやあそれにしても、こんないい男の子が最近でもいるんだねえ」
「そうっすよね。先輩良い人っすもん」
「ねえ」
雫が俺の背中のおばあちゃんと意気投合していた。なんか気が合うようだ。
ちなみに今現在、俺がおばあちゃんをおんぶしている。先ほどの転倒の影響があまり無視できないのもあるが、既に九十歳近いらしく、その年で広いショッピングモールを回るのは大変だろうと思ったのだ。
そしてさすがに両手がふさがっていたので、本と果物は雫と凛が分けて持っている。
「ところで、駐車場でいいんですよね? おばあさん」
「悪いねえ。そこで落ち合おうって話だから」
おばあさん自身はケータイを持っているものの使い方をあまり理解しておらず、電話番号は分かるとのことで、雫の電話から連絡をとってもらい、駐車場にまで送ることになっている。ケータイって便利だなあと思う反面、おばあさんのように使い慣れていなければあまり意味はないのだなあと思い知らされる。マナーモードのせいで着信にも気付いてなかったし。
「それにしても、この背中はおじいさんを思い出すねえ……」
「おじいさんですか?」
ショッピングモールのエスカレーターを下り、後は歩くだけになったところで、郷愁を感じる声でおばあさんは喋り始めた。
「若い頃にね、足を怪我しちゃったことがあって……でもそんな私を、あの人は優しくおぶってくれたんだよねえ……」
「へえ……」
「幸せそうですね」
「良いおじいさんっすね。今日いるんすか?」
目をキラキラさせた、子供のような仕草で訊く雫。
おばあさんは優しげな微笑を見せて、空を仰ぐような所作を見せると、
「ごめんね。おじいさん、もう私より早く天に行っちゃって……」
「え……」
「ってバカ雫!」
「あた、す、すんませんっす! 先輩」
デリカシーのない発言をした雫の頭を叩いたが、それを見ておばあさんは愉快そうに
「いいのよいいの」と言ってくれた。
「いやね……あの人は凄くいい人だったの。でも、やっぱりもう一度、一緒に歩きたいなあと、この年になっても思っちゃうのよ……」
「…………」
おばあさんの言葉には、とても言葉では言い表せないような、深さがあった。きっと何十年もの人生を重ねてきたからそこにあるだろう、貫禄というか、その深みが。
「ふふ、まあねえ。後悔したって何もできやしないのよ……だからお兄さん。青春は一度だけなんだから、彼女はちゃんと大切にね」
「な……!?」
「「!?」」
おぶっていた俺と、横に並んで歩いていた凛と雫が頬を真っ赤に染めた。
「ち、違いますよ! こいつらは彼女なんかじゃないっすよ!」
「そ、そうっすよ! 先輩に彼女なんていないっすし!」
「おやおやそうなのかい? でも、そっちの髪を結んでる娘はお似合いだと思ったんだけどねえ」
「え、そんなこと……」
「そうです。違います。絶対、必然、徹底的に違います」
「なぜここでそんな必死に否定するんすかりんちゃん!?」
おばあさんの経験豊富な人生観からくるのか、楽しい会話をしながら、俺達は歩いた。
それほど時間をかけずに駐車場に到着し、おばあさんの家族の夫婦と、十歳前後の男の子と女の子に会った。二人の夫婦は俺達に感謝して頭を下げていた。
「もう、おばあちゃんダメだろ、はぐれちゃ」
「ごめんねえ」
男の子がおばあさんにそんなことを言っていた。……って、おいおい。
「こらそこの坊主」
「え、何、お兄さん?」
「お前男なんだから、自分のおばあちゃんがいなくならないようにしなきゃダメだろ。男なら、家族を守れるようになれ」
「あ……そっか、そうだね」
「ああ、ちゃんとおばあちゃん守ってやれよ。格好悪いぜ。そんなの」
「そうだね……分かった。次はもうこんなことにはしないよ、お兄さん!」
「おう!」
スポーツ刈りの男の子の頭をしわくちゃに撫でて、おばあさんに手を振って別れた。
「……しかし、先輩もお人よしですねえ。それに、子供好きなんすか?」
「んー、ていうか、凛の友達とかとたまに遊ばされたからな。結構子供の扱いには慣れているというか」
「へー。面倒見いいっすね先輩!」
両手を顔の前で握って、俺に眩しい笑顔を向けてくる後輩秋雨雫。
「しかしまあ、凛も迷わなくて――」
と振り向いて、凛を視界に入れようとした時だった。
視界に入らなかった。
「……あれ?」
右左上下斜め右斜め左後方前方確認良し。
「おい雫」
「はい?」
「凛はどこいった?」
「……え?」
笑みを浮かべていた表情のまま固まった雫は、そのまま首をゆったりと前後左右に振るが、お目当ての人物は見つからなかった。喋り方や動作が一々体育会系っぽい彼女だが、今回ばかりはインドア系のニート並みのノロマさにならざるをえなかったようだ。
目の前のサイドテールが震えた。
俺の方も、嫌な汗が背中から流れる。
「やばい! 見失ったか!?」
「そ、そうみたいっす!」
俺と雫は二人してあたふたあたふたと、動揺が目に見えるように慌てた。だってそうだろう。学校から家以外では殆ど外出をしないせいか、一度目を離せば県を跨いでいることすら日常茶飯事のあいつを見失ったんだ。どこに消えたのか見当もつかねえ!
「しょ、しょうがねえ。まずは天音達と合流だ。凛の奴携帯こういう時に持ってればなあ……」
別に携帯電話を持っていないわけではないのだが、持っていても大概なぜか圏外で(ほんとになぜだ)さらに今日は既に携帯の電池が切れているらしい。なんか天音と打ち合わせしただとかなんとかで。
「つくづくついてねえ……わっ」
悪態を付きながら回りを見回すと、美形の男の顔が視界に広がった……美形?
「って、颯海!?」
「あ、颯海先輩!」
「おや、見つけましたよ。お二人とも」
さらりと前髪を優雅に払って現れた颯海。その姿が妙に似合っていて何故か腹立だしくなった。これまた格好良いことで。
「てか何だよ、どうして一人で?」
「もう本は買えたのですか?」
「ああ、買ったぞ」
袋を見せると颯海は満足そうな明るい笑顔で頷き、
「そうですか。いやなに、天音さんたちは急に用事が出来てしまったので、待って欲しいとのことでした。あ、ちなみに道具は結構もう買っています。後は大きいものくらいですね」
言いながら片手に持つ買い物袋を見せ付ける颯海。だが俺と雫の興味はそちらではなく、
「へ、、急用?」
「なんすかそれ?」
興味津々な雫に、颯海が珍しく引き攣った笑みで、決まりが悪そうに、
「ええと、それがですね――」
と、颯海が言おうとした瞬間だった。
今更だが、俺達は話をしているため、フロアの曲がり角付近で喋くりあっていた。
そのため、角の奥から来たそいつに気付けなかったんだ。
目尻を赤くして、俯きながらアイリスと歩いてきた、髪を下ろした光矢天音には。