日曜聖書ロードショー『アダムとイヴとアナコンダ』
──神は天と地を創られた後で、東の地エデンにあらゆる果物が生る園を設けた。
──そこに土より生み出した男アダムを置き、彼から取ったあばら骨で女イヴを創りだした。
──エデンの地には最初の男女と、巨大なアナコンダが住んでいた。
アダムとイヴとアナコンダ
「きゃあああ!」
「オーマイゴッド!」
そんなわけで最初の人であるアダムと、そのワイフであるイヴはアナコンダに襲われてエデンの地を逃げまわっていた。
アナコンダ(アダム命名)は巨大蛇である。体長は十数メートルはあり、人間をひと呑みにできるであろう体の太さをしている。試そうとは決して思わないが、絶対にそうだと思った。
朝も昼も、聖別された七日目の休日も休まずに罪深いアナコンダは追いかけてくる。
いや、正確には姿が見えなくなったと思って食事でもしようかと思ったら木の上から狙っていたり、草むらにとぐろを巻いていたりととにかく出くわすのである。確実に、アナコンダは二人を餌だと認識している。
アダムもイヴも暴力で対抗するという知恵を持たない。故に、ひたすら逃げまわるしか出来なかった。ちなみに逃げるのは知恵ではなく生存本能である。
二人共裸足であったが、楽園には茨も薊も生えていないので足を怪我することもない。幸い、神が頑丈に作ったので二人共アディダスのシューズも無いのに百メートルを十秒フラットで走れる脚力があり、大蛇から逃げることが可能であった。
それでも、二人が立ち止まっているとじわじわと接近してくるので碌に眠れもしない。イヴは叫んだ。
「どうするのよアダム! このままじゃ追いつかれちゃうわ! 私あんなクソッタレな蛇野郎に飲み込まれて死ぬなんてまっぴらゴメンだわ!」
「オー……マイワイフ……ボクもだよ」
「貴方から神に、あの淫売の息子みたいな蛇を追放してって言ってよ! 仕事頼まれてるんでしょう!?」
「そうは言っても、天地創造したから休んでくるって言って以来神とは通信が繋がらないんだ。ケータイの電源切ってるのかな。もしくは無線機の故障かも」
「信じられない」
アダムの仕事は「海の魚を、空の鳥を、地の上を這っている生き物を支配せよ」ということだった。あと次々に生き物に名前を付けていった。
かなり重要な仕事であるのだが、神がアダムをその仕事が可能であるように創られたので問題なくこなせるはずだったのだが、露骨に地を這っているアナコンダだけは支配できなかった。
更にはエデンがアナコンダの脅威に襲われていても神は休暇に入っているので連絡が付かなかった。神は当然ながら休暇の際にはケータイの電源は切って電話に出ない主義である。
二人はエデンの外に出ることは考えたことも無く、助けの来ない楽園でアナコンダとサバイバルを強いられている。
「どうして呼びかけに応えないのよ! 全知全能なんでしょ!」
「神を疑ってはいけない。全知全能だから、無視も放置も可能なんだろう。おお、聖なるかな」
「屁理屈よ! そもそもなんで楽園にアナコンダを置くのよ! 信じられないわ!」
「だよな……せめてサメにして欲しかった」
「サメも嫌よ! 川に水を汲みに行く度に緊迫したBGMが流れるわ!」
女は文句ばかりだと、アダムは内心舌打ちをした。
神ももうちょっとイヴを従順で大人しく創ってくれればいいものを、と思わざるを得ない。
しかし自分一人じゃ思いつかないことも、何気ない会話に逃亡への叡智が隠されていたことが彼の土色の脳細胞が捉える。まあ、土色というか彼の作られた素材は土なのだが。
「川……そうだ。エデンには川が流れている。それを挟んで逃げれば、アナコンダが追ってくるのにも時間が掛かるはずだ」
「そうよ! ほら! 川にサメなんて居なくて良かったでしょう? 私の言う通りだわ。イェイ」
「チェッ」
何故か得意気に、自分の手柄の如くドヤ顔をするイヴにアダムは今度は隠しきれずに舌打ちをした。
耳聡くイヴはそれを聞いてアダムに指を突きつけてくる。
「ちょっとあなた。今舌打ちした? したわよね。チッて」
「気のせいだよイヴ。ボクがそんなことをするはずがないだろう? そんなことよりほら! 川を渡ってしまおう」
「……別にいいけど。でもちょっと私達話し合う必要があるみたいね」
「今年のヒットチャートとか? 目玉焼きの食べ方の相違? それとも……」
「アダム」
「オーケイわかってるよ。そんなことより大事なのは、大蛇からどうやって生き延びるかだろう? ああ、神の知恵が欲しい」
アダムはうんざりしながら顔を見ないように先行して川へと向かった。
神に彼女を創ってもらうときにアダムの体から材料を出せと言われ、ケチって肋骨一本で頼んだのがいけなかったのだろうか。
もしかして、子孫の女もこんな性格になり続けるのだとしたら最初の人類として悪いことをしたかな、と思った。まあ、子孫を作る知恵を持っていないのでよくわからないのだが。
エデンを流れる川は一本の本流が四つの支流に分かれている。
下流の方に行き支流を渡ることにした。遠くに逃げれば、アナコンダとて他の動物を狙うようになるかもしれない。エデンには白馬や白鳥、白兎など白っぽい生き物が多く存在している。アダムとイヴにも懐いている楽園の仲間たちだが、彼らがアナコンダの腹を満たしてくれることを祈った。
アダムが腰まで水に浸かり、その後ろを行くイヴは手を掴んでついていく。
「川を渡るなんて初めてだわ。足がつかなくなったらどうすればいいの?」
「ボクに聞かれても」
二人は泳ぐという知恵を持っていない。これまでの生活で必要ではなかったからであるし、そう創られたからだ。
しかし初めての経験にイヴは怯え、それを誤魔化すようにアダムに当たった。
「無責任よ!」
さっき川を渡ることに大賛成したばかりだというのに、そう思いながらもアダムは半ばどうでも良さそうに言う。
「じゃあ保険会社に連絡して怪我をしたときの保険を掛ければいいのか? それとも橋が無いのがいけないって創造主に訴訟でも? うちのハニーがずぶ濡れになっちまった!って」
「アダム」
「わかってる。わかってるから暫く静かにしてくれ。ボクは仕事で寝不足な上に愉快なハイキングで疲れてるんだ」
これ以上喧しい議論を続けたくないとばかりに、シパシパとする目元を揉みながらアダムはそう応えた。
神が創った世界に生きる動物全てを支配しろという命令では、まずその動物の名前を考えるのも大変だったのだ。虫を判別するのも例えばトゲナシトゲトゲとトゲアリトゲナシトゲトゲとか非常に紛らわしい。カニを食うからカニクイザルとか適当な名前も付けてしまった。
ヒステリックなトゲアリトゲナシトゲトゲよりも刺々しい言葉が来るかと思えば、返ってきたのは若干震えた声であった。
「ち、違うわ……きゃあーっ!」
「イヴ!?」
慌てて振り向いたら、イヴの背中から這い上がったアナコンダが彼女の肩口に噛み付いていたのだ。
「蛇が川を泳ぐなんて!」
「助けてアダム! わたし死にたくない! あなたを愛してるわ! 本当よ! 助けたらキスしてあげる!」
「こっちに来るんだ!」
騒ぎ立てるイヴを引き寄せる。噛みつきながら蛇の長い体が彼女に巻き付こうとしていた。まずは巻き付いて全身の骨を砕き、飲み込みやすくして食べようとしているのだ。
「どっこいしょ!!」
アダムは神から与えられた完全なる体に宿る強い腕力でアナコンダの頭を掴んでイヴの肩から外させた。
幸い、アナコンダは噛む力は強くない。おおよそ人間の五分の一程度である。それに歯が均等に並んでいるので圧力が分散されて、イヴの肩には歯型が付いたぐらいだった。
「先に逃げるんだ!」
イヴを先に川を渡らせて、アダムはアナコンダが自分の腕や体に巻き付いてくるのをどうにか外そうとした。イヴは迷わず岸に上がって水辺から走って離れた。
しかしアダムに太いしめ縄のような体が、全身筋肉の力で巻き付いてくるのだ。二本の手でそれを退けようとするが、あまりに体は大きく長いので如何ともし難い。
「こいつ!」
アダムはそう叫んで蛇を体に絡ませたまま、川の底へ倒れこんでがむしゃらに転げまわった。
回転運動が良かったのか、にわかにアナコンダの束縛が外れる。
しかし体長十数メートルはある体は既にアダムの周りを取り囲んでいた。絶対絶命である。
するとその時、
「アダムよ! 助けに来たぞ!」
叫びと共に天空より一人の天使が川に飛び込んできた。
「ケルビム!」
アダムの叫びの通り、神の使いであり智天使のケルビムだ。四つの翼に四つの顔を持つ異形のクリーチャーで、アダムは密かに神が酔っ払ったときにデザインした姿だと思っている。そうでなければインドあたりを参考にしたか。
時々、神がエデンに姿を現す際に乗り物扱いをされているのでそういう仕事の天使だ。
彼が大きな水しぶきを上げて着水し、アナコンダと向かい合う。
「邪悪な蛇め! 主に代わり……ウワアー! アアー!!」
「ケルビムー!!」
無惨!
ケルビムはアナコンダに噛みつかれたかと思ったらすぐに全身を巻き付かれ、大きく開けた口で頭から(四つの頭があるが、どれも入るぐらいに大きく口が裂けた)飲み込まれてしまったのである。
それにしても天使さえ相手にならないとはこのアナコンダ、ただ者ではない……いったい何シファーなのだろうか。
慌ててアダムは逃げ出し、自分も川を渡った。川岸にはイヴが待っていて、アダムを引っ張り上げる。
「あなたってとってもタフなのね。見直したわ」
一瞬で呑まれたケルビムのことは気にせず、彼女はそう言った。
「それはどうも」
イヴの目には先程までのアダムに対する不満や不信感は無く、自分を救った男に対する純粋な尊敬の眼差しがあった。
アダムが入れば少なくとも自分は身を挺してアナコンダから助けて貰えるというそんな感じの信頼感であった。
"女に信頼されるには、アナコンダと格闘すればいい"
もし子孫ができたら未来永劫伝えていこうと決めながら、アダムとイヴは川の近くから逃げていく。
「さようならケルビム……」
アダムは聞こえないぐらいの声で囁いた。イヴは振り返りもしなかった。
天使さえ相手にならない蛇に自分たちが対抗することができるのだろうか。不安は尽きないが、少なくとも今はケルビムで蛇のお腹がいっぱいになっていることを祈りながら。
アナコンダが出てきてからは毎日不安な夜を過ごしている。
光あれの言葉より生まれ出た世界だが、夜は月の明かりがあるのみで薄暗く、近くにアナコンダが居ないか不安であった。
二人には火を焚いて周囲を明るくするという知恵を持たない。
「これからわたし達どうなるのかしら……」
その話題何度目だよとアダムは思わなくもなかった。
これまで何通りも具体的な予想を言ったが、ヒステリーを起こして怒り出すパターンが多かったのでいい加減彼も学習する。
「そうだね……」
適当に相槌を打つのみにしたのである。女というのは解決策を求めているのではなく共感を求めているのだと、人類の男は早々と気づくべきだった。
しかしながら女に関して少しばかり賢くなっても、巨大アナコンダを退治する手段が思い浮かぶとは限らない。
イヴを煽てて爆弾を抱えアナコンダに突撃させるのは神の命令にしても無理に思えた。
「ねえアダム。あなた動物に詳しいんでしょう? アナコンダを倒せそうな動物とか居ないの?」
「サメとか……」
「またサメ? 男の人ってサメのことが大好きなのね。他には?」
単なるサメではない。メガシャークならと教えようと思ったのに遮られてしまった。シャークトパスでは負けそうだな、とも考えていた。ダブルヘッド・ジョーズも。
皮肉げに言ってくるイヴに内心苛立ちつつ、アダムはやけっぱちに続けて強力な獣の名を挙げる。
「キングコングにグラボイズにエイリアンにジェダイ・ナイト! 残念ながらこの楽園には居ないのばかりだ」
居られても困る者も多いが。
アナコンダを倒せるような強い動物ならば、危険度はアナコンダとそう変わらない。ジェダイ・ナイトだって怪しいものだ。彼ら全てが善良で正義のためだけに戦った話があっただろうか?
一応そういった危険性のある動物も一度はエデンを訪れてアダムが名を付けてやったのだが、危なそうなので世界中に散り散りにさせたのだ。ジェダイ・ナイトも宇宙へ向かった。
楽園に居るのは白っぽい毛並みの大人しい動物ばかりだ。その中に残念ながらベイマックスは含まれていない。あれは神じゃなくて人が造るものだ。
「でもこのままだと一生アナコンダに追い掛け回される生活よ」
「一生ってどれぐらいだろうな?」
「わたしたち寿命無いから、それこそ永遠によ」
「なんてこったい」
アダムは大きく肩を竦めた。楽園だというのにこれからずっと死の恐怖に脅かされるなど、神が何を考えているのかまるでわからなかった。
いくら食べても減らない美味しい果実に、心優しい動物たち。暖かな気候に涼しくせせらぎ流れる小川。それだけで十分ではないか。
心なしかアナコンダが居るせいで密林と書いてエデンと読むような環境に変わりつつある気さえした。蒸し暑い空気に泥っぽい川。土砂降りのスコール。シューと音がどこからかエアロックの空気が抜けているような蛇の鳴き声さえ聞こえてくる。アナコンダだけではなく他の蛇も混じっているのかもしれない。
「どうにかアナコンダを退治しないと……いい考えは無い?」
「わからない。狩猟なんてしたことは無いし、そもそも動物を殺したこともないんだ。ああ、こんな時に神の知恵があれば……」
イヴはその言葉を聞いて、はっとして立ち上がった。
「あるじゃない! 神の知恵が!」
「なんだって?」
「知恵の実よ! あれを食べればきっとアナコンダを倒す知恵も浮かんでくるわ!」
「ちょっと待ちなよお嬢さん。あれは食べちゃ駄目だって、神が口を酸っぱくして注意してたよな?」
「アダム」
彼女はまっすぐにアダムを見て言う。
「初代大統領は家にある桜の木を切り倒したけど、素直に謝ったらパパから許して貰えたのよ。この話はとても大事なことをわたしたちに伝えたわ。『後で謝れば大丈夫』ってね!」
「うちの神様がジョージの親父さんより寛容とはとても思えないんだけど。そんなことより時系列ってもんを考えようよイヴ。完全に意味不明だよ」
女という生物はトンチキな事を言い出すから困るとアダムは首を振る。
「じゃあどうするってのよ!」
「ケルビムも犠牲になったことだし、きっとそのうち他の天使がやってくるよ」
他にも天使は沢山居るのだ。やたら歯磨きとナツメヤシの実を勧めてくるガブリエルとか。同僚がやられたことが伝われば、本格的に救助を寄越すかもしれない。
だがヒステリックにイヴは叫んだ。彼の楽観的な考えには納得がいかないようだ。
「いつよ!」
「分かるわけ無いだろ!?」
アダムがそう叫び返すとヘリコプターのような羽音が聞こえてきて、二人はそちらを見上げた。
「アダム! イヴ! 助けに参ったぞ!」
熾天使セラフィムだ。六枚翼の天使で、体が主への愛で燃えている仕事熱心なやつである。
だがアダムとイヴは一瞬安堵したものの、着陸地点を探して空中を旋回しているセラフィムは燃えていてとても夜闇に目立ち、やけに不穏な気配を感じて叫んだ。
「もっと上に!」
「危ないわ!」
「なんだ? ウワァー! こ、この蛇はまさかルシ────ギャアアー!!」
無残!
重力など気にしないとばかりに飛び上がってきたアナコンダにセラフィムは丸呑みにされてしまった!
巨大なアナコンダの体にはまだ以前飲み込んだケルビムの膨らみがあり、喉を鳴らしてセラフィムも胴体に収納していく。
「ああっなんてこと!」
「ホーリーシーッ……」
「やっぱり救援は期待できないわ! アダム! すぐに知恵の実を食べにいくわよ!」
「ううう……」
「まだくすぶってるの!? あなたのアッチと同じで肝心な時に役に立たないんだから! もし後で叱られたら一緒に謝ってあげるわよ!」
「わかったよ!」
アッチのことまで言われて憤然としたアダムはやむを得ず知恵の実に頼ることにした。
それにしてもアッチとはどこだろう。女性というのは理解に苦しむ。
******
楽園の中心には生命の樹と知恵の樹が植えられていた。アダムとイヴは夜通し歩いてそこへとたどり着いた。少なくともまだ、蛇の胃袋で二人の天使が頑張っていることを祈って。
後で作られたイヴと違ってアダムは知恵の樹も予め神から説明を受けていたのですぐにわかった。
「あれが知恵の実だよイヴ。特徴的な形をしているだろう? 鮮やかな黄色で、湾曲していて……」
「バナナみたいね」
「知恵の実だよ」
「でもアダム。手が届かないところに実ってるわ。どうやって取るの?」
確かにそのバナナは、二人が背伸びやジャンプをしても届かない高さにあった。
猿のように木を登ろうにも、これまで二人は果実を取るのに苦労した覚えがないのでそういった発想が浮かばない。神が似せて創造なさった人は、決して猿から進化したわけではないのだから当たり前ではないか。
「どうやって取るのよ! 取れないと意味が無いじゃない!」
「そもそも主は取るなって言ってたんだけどね……もしかして、取るのに知恵が必要なのかも」
「早く取ってよアダム! あのFxxxな蛇野郎が来たらどうするの!?」
「わかった、わかったから。今考えてるからその汚らしい言葉遣いをどうにかしてくれ」
一体彼女はどういう教育を受けてきたのだろう。アダムはなるべく気にしないようにしたかった。深く知れば知るほど、自分のワイフなことが絶望的に思えてくる。
とりあえずぐるりとアダムは周囲を見回す。
近くにあるのは、木を組み合わせて作った踏み台と、長い棒きれぐらいだ。
アダムはひとまず踏み台をバナナの下に置いて乗ってみるが、それでも手は届かない。
後ろから見ていたイヴが声を掛ける。
「全然ダメよアダム! よくないわ! あなたのアッチぐらいよくないわ!」
意味はわからないが酷く自尊心が傷つけられるのをアダムは感じた。
次に棒きれを持って振り回してみたが、これもバナナには届かない。
「チクショウ!」
アダムは破れかぶれに棒を投げつけるが、バナナを軽く揺らしただけで落ちては来なかった。
ふと、木陰に腰掛けてイチジクを一人でむしゃむしゃ食べていたイヴが思いついたように声を上げた。
「わかったわ! アダム!」
「なにがだい? 一人だけイチジクむしゃむしゃイヴ」
「なによ! 喉が乾いたのだからいいでしょう! あーそう! 文句があるってわけ! あなたそんなにケチな男だったなんて──」
軽く揶揄したら逆ギレされた。アダムはなんで自分は面倒な応えを返してしまったんだとそのことだけを後悔する。
イヴに返事をするにはカウンセラーのように刺激しない態度で臨まなくてはならない。
「わかった。ごめんよ。ボクが悪かった。謝るよ。暑くて苛々してたんだ。湿度が90%ぐらいあるんじゃないかなこのジャングル」
「そう。いいわ。許してあげる。アダムもイチジク食べれば? その辺に生ってるわよ」
自分が作業している間にアダムの分も集めておくとかそういうことはしないタイプだとは重々承知していた。
「そんなことよりイヴ。何かいい方法を思いついたんじゃなかったか?」
「そうよ! アダム、あなたはあの踏み台に乗ってから棒を伸ばせば届くんじゃない?」
「すごい」
「そうでしょ!? イェイ!」
イヴはガッツポーズをした。アダムは彼女を褒め称える。
ひょっとしたら知恵の実を食べなくても彼女は知恵に目覚めたのかも知れない。
「さすがだよイヴ。踏み台に乗って棒を使うなんて普通は思いつかない。これは革命だよ。君はまさか賢者なのかい?」
「そんなことないわよ。取れた知恵の実の分前はわたしが7、アダムが3でいいわ」
「……」
何も言うまい。アダムはそう思って踏み台に乗り、棒を伸ばした。
「いけー! アダム!」
「ヤー!」
棒は届かなかった。
「Fxxx!!」
キレたアダムが木の幹を蹴ったらバナナが一房ぼとりと落ちてきた。
二人は酷く微妙な空気になったが、とりあえずアダムはバナナを拾う。
「貸して!」
「あっ」
イヴが横からバナナを掻っ攫って、十本生っているうちのバナナを自分が8、アダムが2にもいで分ける。
「ねえ。なんか分前減ってない?」
「わたしが提案した方法で取らなかったからよ! わたしに対する当てつけかしら」
「届かなかったんだよ!」
「聞きたくないわ! 工夫が足りないのよ! ……そう、角度とか!」
アダムは頭痛をこらえてバナナ2本を受け取った。酷く頼りない重みだった。
「これを剥いて食べればいいのよね。ところでなんで主は知恵の実を食べちゃいけないって言ったのかしら」
「食べると死ぬからだって」
「……」
「イヴ?」
そういえば説明していなかったな、と告げるとイヴが黙りこくった。
知恵の実は善悪の知識を得ることができるのだが、食べると必ず死んでしまうという。
「……騙したわねアダム。信じられない。そうやってわたしを殺そうとしたんでしょう!!!!」
「ええええ!?」
「わたっわたしにこんなに沢山毒の実を渡して! ひどい! 人殺し! 淫売の息子!」
「主の息子だよ!?」
完全にヒステリーを起こしたイヴは話を聞いてくれなかった。バナナを次々にブーメランのようにアダムに投げつけて泣きじゃくる。
「そもそも君が知恵の実を食べようって言い出したんだよね!?」
「知らないわよ! あなただけ食べなさいよ!」
「ああもう、わかったよ!」
アダムは破れかぶれだった。
このままではアナコンダによって自分たちの命が危ない。食べると死ぬとはいえ、すぐに死ぬわけではないだろう。きっと、多分。
むしろ主は全知全能であられるのだからこういう事態も当然想定内であるはずだ。
もし本当に食べたらダメだったら予め対処も取れたはずである。今、自分が食べるという選択をすることも主は知っていて認めてくれる。そして得た知恵で蛇を倒すことも。
アダムはそう信じる他無かった。
決して、永遠の命で延々とイヴに付き合って生活するのが嫌になってのやけっぱちではない。
アダムはバナナを剥いて頬張った。
「うまい!」
「えっ?」
「あっいや……知恵が湧いてくる感じだ」
思わず大声で感想を述べたが、アダムは咀嚼して味わうと脳が明瞭になっていく感覚と同時に、バナナの甘くてほんのり酸味があり、香りが良い味が口の中いっぱいに広がるようだった。とにかくうまかった。野生のボコボコと種がある品種ではなく、Dole社の売ってるバナナのようだ。
楽園にある果実は殆ど味わったことがあるが、その中でも一番にうまかった。
これを食って死ねるなら本望とすら思えた。もし目の前にバナナの房とイヴが居るのならばバナナを選ぶだろう。そんな善悪の判断もできるようになった。
「あなた、大変!」
「なんだい? イヴ」
「あなたにおヒゲが生えてきたわ! ダンディーなのが」
アダムが口元に手を当てると、見事なカイゼル髭がいつの間にか生えていた。
知恵の実を食べると髭が生えるのは有名な話である。
するとどうしたことだろうか、イヴの目つきがうっとりとし始め、なんとアダムを褒め始めたではないか。
「アダム……あなた、なんかそこはかとなく素敵よ……なんて言うのかしら、知的なセクシーさが出てきたというか……ウフン」
妙に媚びた眼差しを向けてくるが、逆にアダムは冷めてきた。
知恵の実によってもたらされる知識は善悪の判断をつけるものがある。善いのものと悪いものを区別できる。そうすると、イヴのこれまでの高慢ちきな態度を考慮した際にどうも今更なびかれても、あまりいい気分はしなかったのだ。
「ねえひょっとして……その実を食べたらセクシーになれるのかしらわたしも」
「どうだろうね」
「ちょっと貰っていいかしら。少しぐらいなら怒られないし、毒も回らないわよね」
彼女の保身は完璧だ。ちょっとでも綺麗になれるのならば手のひらなどくるくるとひっくり返しまくる。
先程怒り狂いアダムに投げつけたバナナを拾って、イヴは恐る恐る剥き始めた。
「まあ! アダムのアレより逞しいわ!」
剥いたバナナを見てこれである。知恵の無い者は羞恥心も無いというのか。アダムがコソコソとイチジクの葉っぱで股間を隠し始めたのがいじましかった。
イヴが一口バナナを食べると、甘酸っぱい美味さに彼女はあっという間に一本をぺろりと食べ尽くしてしまった。
そうするとどうだろう。これまでイヴの体などさっぱり興味もクソもなかったアダムだが、彼女がとてつもないセクシー女優のように見えてきた。胸も豊満であることに今更気づいた。
「ワオ……グッド……」
アダムはそう呻いた。これまでのイヴのイヴっぷりも、彼女が美女だというのならば話は別だ。多少の理不尽は許される。
自分の肋骨一本があんな美女を生んだというのなら、肋骨ガチャでもう何人か色とりどり揃えてもいいかもしれない。そうとすら思った。
イヴも脳に知恵がインストールされ始めたかと思うと、全裸だった自分の体に気づいて顔を赤らめ両手で隠しつつしゃがみ込んだ。
「キャー! 見ないでよえっち!」
「その反応、イエスだね」
初々しい仕草にアダムは頷いた。
「訴えるわよ! 弁護士を呼びなさい!! 慰謝料を貰うわよ!!」
「バッドだね」
中身はそこまで変わっていなかった。とりあえずアダムは慰謝料代わりに、体を隠すイチジクの葉っぱを渡すのであった。
*******
知恵を得た二人はアナコンダと戦うべく焚き火をして待ち構えていた。
アダムの説明では、
「蛇は火に弱いのさ!」
と、IQの高そうなことを言っていた。だが同じく知恵を得たイヴが聞き返す。
「生き物ってみんな火に弱いんじゃないのかしら」
「そんなことは無いよイヴ。例えばボクが名付けたラヴァランチュラなんて溶岩の中に住む巨大蜘蛛だからね。溶岩とか吐いてくるし」
「それを呼べないかしら」
「ダメだよ。エデンが火の海になる」
さすがにエデンを火の海にしたら神に怒られそうだという冷静で的確な判断であった。
そこでアダムが用意したのはバナナを取るために用意されていた棒はセラミック製の頑丈そうなものだったので、それの先端に枯れ草を縛り付けて松脂をベッタリと塗りつけ松明を作った。
もちろんそれだけじゃ心もとないのでヤシ油を壺いっぱいに用意していた。これはイヴに用意させた。肌の保湿と美容に良いと告げるとモリモリ手伝ってくれて、蛇退治に使うと聞くと後で全部アダム一人で作り直すように命じられた。
「それにしても……アナコンダ、姿を現さなくなったわね。何処かに潜んでいるのかしら」
「こういう怪物系のパニックものだと、予算やらの都合で怪物が出る場面が時間的には少なかったりするんだ。人間同士がグダグダと言い合っている場面が殆どだったりね……予算が尽きてたらいきなり後半は出ないままカットされたりもする」
「なんの話?」
「さあ。なんだっけ? とりあえず警戒を怠っちゃいけないってことだよ。スゥーハァー」
アダムは深呼吸して周囲を見回した。アナコンダの気配があれば、ヤシ油をぶつけて燃やしてやらねばならない。エデンヤシの油はすごく良く燃えるのだ。
しかしながら天使を丸呑みにするような相手に、武器を準備したからといってそう勝てるのだろうか。アダムは緊張に汗ばんだ。
そんな彼の握りしめた手に、我らのヒロインはそっと触れて優しく語りかける。
「落ち着いてアダム。そんな張り詰めていては保たないわ。あなたが倒れてしまう。もうちょっと気分を楽にして構えましょう」
「イヴ……」
「あなたが倒れて代わりに見張りをするなんて嫌ですもの」
「……」
するとイヴは謎の粉を焚き火に放り込む。パチパチと火が音を立てて、煙が上がった。
アダムが吸い込むといい気分になってくるような煙だった。
「これは?」
「マリファナよ。落ち着くでしょ」
「ヒューッ」
エデンで大麻をキメる二人だった。エデン大麻は効き目が強い。アダムが松明を作っている間に、イヴは大麻粉末を作っていたのだ。これぞ知恵の力である。
煙を吸い込んでいくと心が安らいでいき、これまで些細なことから言い争いになっていた二人も次第に笑顔で会話をするようになっていった。
互いを思いやり、互いで小さな我慢をして、相手を尊敬する。そして大麻を吸う。それだけで夫婦というのは仲良くなれるのだ。
「あらむ……」
「いーう……」
ふわふわに酔っ払いながら二人は熱い視線を交わしていた。
もう何も不安は無かった。たとえアナコンダが襲ってきたとしても、二人ならば松明片手に撃退できるさ。なぜならアナコンダは火に弱いから。知恵を得た彼らが納得する完璧な理屈だ。
その頃遠くで、助けに来た天使たちがアナコンダに次々に飲み込まれまくっていた。燃える車輪タイプの座天使もバクバクと食われていた。
翌日──神が楽園を散歩していた。神が徒歩でぶらつくのかという疑問はあるが、創世記に書いているのだから仕方ない。
その足音にいち早く気づいたのはイヴだ。
「マズイわアダム。主がやってきたわ。マリファナパーティで酔っ払っているところを見られるわよ!」
「とにかく隠れよう!」
二人は大麻畑に隠れた。だが即バレた。当たり前だが神は全知全能だ。神に呼ばれてすごすごと二人は出てくる。
局部を大麻の葉っぱで隠している二人の様子に神は怒り心頭である。
「あれほど食べてはならないと言った知恵の実を食べたな!」
「すみません……」
アダムはちらりとイヴへと視線をやった。いざというときはイヴが庇ってくれるという約束であったのだ。
するとイヴは涙目でオロオロとしながら、
「主よ、どうかアダムをお許しください。わたしは止めたのですが……きっと彼も魔が差したのです! 夫を許してください!」
「糞女!」
当然ながら裏切りムーブである。先程まで愛を囁きあっていたのが、まるで麻薬による一時の気の迷いのようにためらいなく罪をなすりつけてきた。
神は怒った。
「黙らっしゃい! 全知全能である私に嘘が通じると思うのか!」
「主よ! 蛇が! アナコンダが居たのです! ボクらはそれに襲われて、生き延びるために知恵の実を食べたのです! アナコンダ・アイランドなのです!」
「エデンに居るわけないだろ! 常識で考えろよ! 呪われ、楽園から離れよ!」
「アアアーッ」
なんということだろうか。全知全能の神であろうと、知ろうとしなければアナコンダの存在も映画の『アナコンダ・アイランド』の内容も知らないでいるということか。さながら神が自らの力で持ち上げられない岩を作れるか否かの矛盾に似た問題であった。
どちらにせよ約束を破ったアダムとイヴは呪いを掛けられた。
アダムには農作物の実りが減るという地味に嫌な呪いで、必死に働かねば食っていけないようになる。いわば年収の低下である。
イヴは出産時の苦しみが増す呪いだ。自分は出産でしんどい上に、夫の稼ぎが下がったという結果でイヴの機嫌が死ぬまで悪かったことは想像に難くない。
楽園を追放されたイヴが子を産み、全ての人の母となることになった時点でアダムから『イヴ』と名付けられるのだが、この物語ではわかりやすく最初からイヴにしている。決して後で思い出して修正が面倒なわけではない。
「よく考えたらあのアナコンダが居るエデンから逃げ出せたのだから結果オーライじゃない。イェイ!」
「結局主は最後まで信じてくれなかったなあ……」
「そうだ。アダム、キスしましょう」
「なんで」
「キスしてあげるって言ったでしょう。川でアナコンダに襲われたとき」
「そうだったね……じゃあ、結婚記念日ということで」
そして二人は知恵のあるキスをしてハッピーエンド────二人の遥か背後、霞がかる程遠くになったエデンの園から、祝福するように花火が上がった。
「見て! 綺麗……」
「主のお祝いかな。でも君の方が綺麗だよイヴ」
「やだ、アダムったら」
一方その頃、エデンの園にて。
「まったく。アダムが知恵の実を食って、神の如き善悪の知恵を手に入れてしまったではないか。これで生命の実まで食べられたら神そのものになってしまう。いや、全知全能だからそんな未来が来ないことは知っているが……」
主はブツブツと言いながらマリファナ・パーティの痕跡を土に返しつつ予定された警備を用意する。
アダムが作っていた松明を炎の剣に変化させて高速回転しながら自動で防衛する機能も付与しておいた。
「後はケルビムを警護に置いて……ケルビム! おや? 呼べばすぐに来るはずだが……」
ガサガサと主の背後の草むらから音がした。どうやらケルビムがやってきたようだ。木々を揺らし、地面を這い、エアロックから空気が漏れているようなシューっとした音も聞こえる。
ジメジメとした熱帯のエデンには大麻の臭いが拡散しているようだが、どこか生臭い。主が鬱陶しく思いながらもゆっくりと振り返る。
「来たかケルビム、ここで生命の樹を────」
ご
く
ん。
──同時に、侵入者であるアナコンダに炎の剣が直撃。近くにあった油壺にも引火。遙か上空まで火柱と大爆発が上がったという。
その後、いかなる聖人や神の子であろうが、エデンの園に入った者は居ない。
次回、日曜聖書ロードショー『カイン田一少年の事件簿~人類最初の殺人事件・解決編~』
弟のアベルが殺された! 人類最初の探偵カインは関係者の家族一同を集めてこう宣言する。
『──犯人はこの中にいる!』
名探偵カインの推理ひらめくサスペンス! 真実はいつもひとつ! 主は野菜も食え!
ネクストカインズヒント! 『出落ち』
次回更新未定!