第1章 始まりの街
青年は走っていた。深い緑の髪に琥珀の瞳のまだ成人して間もないであろう風格をしている。息も絶え絶えで、いつ倒れてもおかしくない。それでも背後から襲いかかる脅威から逃げるためひたすら走っていた。
(ここを抜ければ街があるはず・・・っ)
林の入口にいた老婆は確かにそう言っていた。ここを抜ければ至って平凡だが街があると。 だがいくら走っても青年の目に建物らしきものは見えない。
「あんのばばぁ!嘘教えやがった!!」
青年は思わず叫んだ。その叫び声に反応して、迫り来る脅威は速度をあげた。
「嘘だろ!?まだスピードがあがるのか!というか、こいつは何もの何だよっ」
そろそろ日も落ち、視界が悪くなる。その前に老婆が言っていた街に辿り着きたいところだ。青年は最後の力を振り絞り、速度を上げる。
「見えた!」
そんな青年の前に街の灯りらしき物が見えた。安堵はしても、速度は下げない。いつ追いつかれるかわかったものでは無いからだ。
(あ・・・と少しっっ)
ふんっと体を門の中に押し込んだ。はぁはぁと息を整えつつ今来た道の方を青年は振り返った。そこには、ふたつの耳が生えた、四足歩行の赤黒い巨体が見える。
「はは・・・まじかよ・・・」
「お兄さんすごいね、ギガエビルから逃げれるなんて!」
いつの間にか隣に来ていた少年が興奮した様子で青年に話しかけた。
「ギガエビルってあれのこと?」
「そう!この街ではそう呼ばれてるんだ!」
「そうか、あれがギガエビル・・・」
青年は納得したように頷くと、立ち上がった。
「君、名前は?この街で泊まれるところを探したいんだけど、案内してもらえる?」
「もちろん!でもお兄さんが先に名乗ってよ、知らない人に名前を教えちゃいけないよってお母さんに言われてるからさ」
「俺は、ミレン・マルフェ。気軽にミレンって呼んでくれ」
「僕はユーリ。よろしくねミレンお兄さん!」
自己紹介を終えた後、ミレンはユーリという少年に手を引かれて宿へと向かった。
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「ミレンお兄さんはどうして旅をしてるの?」
唐突にユーリはそう問いかけた。
「兄さんが書いた小説を辿りながら、その本に書き加えるために色々見て回ってる」
ミレンがそういうとユーリの目が見開かれた。
「へぇ〜!僕にも読ませてよ」
「まだだめ。俺は完成してからじゃないと人に読ませたくない主義なんだ」
「完成したら読ませてくれる?」
「それはもちろん!」
そんな会話をしてるとあっという間に宿に着いた。
「明日もお兄さんに会える?」
「残念。明日にはもう立つんだ。今日でお別れだ。でもまた来るよ、その時は完成した本を持ってな。だから、それまでに難しい漢字を読めるようになっとけよ」
「う、うん!約束だからね!」
「あぁ」
ユーリは忘れないでよー!と言いながら走って帰って行く。山へと吸い込まれていく夕日がその背を照らす。ミレンは見えなくなるまで見届けたあと、宿へと消えていった。
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ミレンは布団に飛び込んだ。それと同時にどっと疲れが襲ってきた。ぐったりとしたまま、本を捲る。
「疲れた・・・まさかあの林にギガエビルがいるなんて・・・兄さんももっと細かく書いとけよっ」
ミレンが見ている本は、彼の兄キールが書いた本だ。そもそもミレンが旅に出たのはこの本が始まりだった。
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数年前、ミレンの家に突然、年若い女がやってきた。その女の髪はブロンズで、何故か丈の長いメイド服を着ていた。彼女は自分のことをステフ・アンデンスだと名乗った。どうやら、キールとしばらく行動を共にしていたらしい。
「彼は亡くなりました。これは彼の遺品です。貴方に渡すように申し付けられたので、どうぞお受け取りください」
そう言って、薄く青みがかった1冊の本を差し出した。表紙には、『 果てしない物語』とあり、著作者の名前は、キール・マルフェだった。
「兄さんが死んだ?・・・嘘でしょ?」
「真実です。旅の途中、不慮の事故により亡くなりました」
「不慮の事故ってなに・・・」
その質問にステフは答えてくれなかった。思わずミレンは俯いた。何も教えてくれないのだろうか。
「中を読め」
「え?」
「ここまでが彼の遺言です。それでは私はこれで」
ロングスカートの裾を持ち、丁寧なお辞儀をして何処かへと消えていった。
〝中を読め〟それは、この本の中を読めということだろうか。そう思いミレンは急いで部屋に入り本を開く。
「・・・・・・っっ!」
────我が最愛なる弟、ミレンへ
そこには、そんな一文から始まる長い言葉が記されていた。
『 この本は無事にお前に届いただろうか?ミレンではない誰かに見られている可能性もあるだろうな。
俺は宣言通り、世界をみたよ。そして、最果てに至った。世界はお前が憧れたような、素晴らしいものだった。きっとあの頃のように目を輝かせて聞いてくれると思う。
だが、残念なことに俺の口からお前に聞かせてやることはもう出来そうもない。
どうか俺のわがままを許して欲しい。
これは、どうしても俺がやらなければいけないことなんだ。先にも書いたように、俺は〝世界〟をみた。
ミレン、お前は最果てに近づくな。俺の背を、追わないでくれ。それが、俺の最期の願いだ。
───────心配をかけてすまなかった』
文はそこで終わっていた。所々滲んだ跡がある。
「なんだよ、それ・・・心配をかけたって!ずっと待ってたんだぞ、1人で!兄さんが帰ってくるのを・・・!だって、たった一人の家族だったんだ!俺に残された・・・っ・・・兄さんだけが俺の・・・!ふ・・・ぅ」
ミレンの目から涙が出る零れ落ちる。どれだけ拭っても止まらず、次々に溢れ出る。
「うぁ・・・ぁぁぁ・・・にい、さん。兄さん・・・!!!うわぁぁぁぁぁん・・・っ」
ミレンは本を抱えてうずくまった。もう会えない、たった一人の家族を想って・・・
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気づくともう朝になっているようだった。窓から差し込む太陽の光が目に染みる。あのままミレンは床で寝てしまったようだ。
「兄さん・・・」
無造作に開かれた本のページを無意味にめくる。兄の影を探したかった。
「ん?」
最終ページに差し掛かったところでミレンは、違和感を感じた。
「ここで文が終わり?・・・そんなはずはない!だってこのままじゃ、何も〝終わってない〟!」
最終ページには、書きかけだった。キールは本を最後まで書き終わってからじゃないと、人に読ませることは無かった。身近な、ミレンや近所の子供たちには度々見せている事もあったが・・・大体が完成していた。『 人に生と死があるように、物語にも始まりと終わりがあるんだ』それがキールの口癖だった。そんなキールが途中の本を・・・?
「兄さんは最果てに至ったんじゃないのか?」
世界をみた。そうキールは書いていた。最果てに至ったとも。ならばどうしてその最果てのことが記されていないのだろうか。
「〝何か〟あったのか・・・?」
キールが本を完成させることが出来ない何かが、彼の身に起こったのだろうか。そうとしか考えられないではないか。
(考えているだけでは、何も分からないままだ)
「故郷を出よう。兄がみた〝世界〟を見よう」
ミレンは兄の言葉を無視する形になってしまうが、キールの背を追うことにした。
3年後、少年は街を出る。
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そして今にいたる。
「兄さんの言葉を無視するのは、なんだか嫌だけど知りたいことが沢山ある」
キールの死の真相、書きかけの最終ページ、ステフという女性のこと・・・知らなかった兄のことをミレンは知りたいと願う。だからこうして旅に出ている。
そしてここはキールが来た1つ目の街、ビーストウッド。その場所についてキールは、こう記している。
「『 ビーストウッドにて、ギガエビルと呼ばれる巨大な生き物に襲われた。街の人たちによると、悪魔と呼ばれる、ここら一体の主らしい。ひたすら走って逃げるか、素直に餌になるかの2択なのだそうだ。無事に街についた俺は、噂になっていると宿の親父さんに聞いた』」
皮肉にも、ミレンはキールと同じ道を辿ったようだ。
「初めて読んだ時はもっと遅いやつだと思ってたけど、むちゃくちゃ速いじゃないか・・・」
次に会った時は逃げ切れる気がしない。
「明日は親父さんに兄さんのことを聞いて、そのまま街を出よう。兄さんもここは始まりの街だって書いてるし、特にすることもない平和な街だ。寝よう、つかれた・・・」
そう言うとミレンの瞳は逆らうことなく閉じていき、しばらくするとかすかな寝息が聞こえてきた。
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朝、窓から日差しが差し込む。
「よく寝たな・・・」
そう言いながら、手早く荷物をまとめていく。ミレンの寝起きは悪くない。起きてすぐに行動出来るという、旅をするには持ってこいの体質をしている。その点、キールは朝ごはんを食べるまではぼーっとしていた。
「兄さんはあの寝起きの悪さで大丈夫だったのだろうか」
ミレンは苦笑しながらも手を止めない。
(兄さん・・・いや、始まったばかりなんだ。ここで落ち込んでいたら何も進まない)
「よしっ」
最後に本を入れたカバンをもち、渡された鍵を持ち部屋をでる。
階段を降りていくと、「おはよーさん」とミレンに声がかかった。
「おはようございます、親父さん」
「おう。もう行くんか?」
「はい、まだまだ行くところがあるので。そういえば親父さん、キールって名前の人知りません?何年か前にここに来てるはずなんですけど・・・」
「キール・・・?キール、あぁ!!大分前だけど、確かに来てたよ」
「本当ですか!?」
やはりこの街にキールは来ていた。ここからキールの物語は始まるのだ。
「それにしても、どうしてそいつのことを?」
「俺のたった一人の兄なんです。俺は今、兄さんの背中を負って旅をしています。兄さんがどっちの方角に向かったかとか、分かりますか?」
「おぉそうなのか!確かに、どことなく似ている気もするな。すまないが、方角は分からんな・・・」
「そうですか」
「・・・ちょっと待ってな!」
何かを思い当たった宿の親父は、棚の下の方をゴソゴソと漁り始めた。
「あった!」
そう言って、ミレンの目の前に広げられたのはこの世界の地図だった。
「どうして持ってるんですか!?」
ミレンが驚くのも無理はないだろう。この世界で〝地図〟というものはとても希少なものだからだ。所有しているのは、国王、富豪、腕の良い行商人だけ。それがこんな所にあるとは、ミレンは想像していなかった。
「俺は昔、行商人をしていてな?その時にこれを見つけたんだよ。売らずにとっておいて正解だってこれを見つける度に思うよ・・・。で、お前はどこに行くんだ?名前を言ってくれ」
「マグノタッテです」
「マグノ・・・タッテは・・・ここだな。ここから東の方角に進むといい3日でつくさ」
「ありがとうございます!それでは、失礼します」
「あぁ。あっ、お前さんの名前を聞いてなかったな。名前は?」
「ミレンです」
「OK、ミレン。また寄ってくれ、その時は旅の話でもしよう。酒でも飲みながらな!」
宿の親父に手を振ったあと、3日分の食料を買い、ビーストウッドの東門へと向かう。
「まさか親父さんが地図を持ってるなんて・・・。あの少年に案内してもらってやはり正解だった!」
(それに、兄さんがここに来ていたっていう証拠もあった。次の街にもあるといいけど・・・)
ミレンはそう思いながら、マグノタッテへと一歩踏み出した。