9話
藤 絢子は1年生の教室がある校舎にあるトイレの個室にいた。
放課後の校舎。
多くの生徒が部活や委員会に向かい、あるいは帰宅してしまい、少し喧噪が収まっていた。
人が減り、そして見知った人と会うことがない1年生の校舎のトイレにいるのには理由があった。
単純に誰かに見られたくなかったのだ。
手鏡を見ながら、時間をかけメイクをしていく。
小さな鏡の中で変身していく自分の顔。
自信がないわけではなかった。
先週の『成功者倶楽部』での男子たちの反応を見る限り、手ごたえがないわけではなかった。
眼鏡とおさげを解いた時の反応よりはずっと良かった。
彼らは嘘をつけないし、ついてもすぐに分かるので、それなりに自分が化粧をしたことで変身できたのは事実だと思う。
でも――怖い。
教室にこの顔で行く勇気はまだない。
いや、正確にはこの感情は怖いとは違う。
何だろう、またモヤモヤが始まった。
鏡に写る絢子は確かにスッピンの自分とはまるで違う。
女子の些細な変化など疎そうな彼らですら気づく変化だ。
クラスのあいつらは当然気付くだろう。
そして、どう思うのか。
その瞬間おぞましい程の悪寒を覚えた。
クラスで人気者のコミュニケーション能力の高いあいつらのことだ。
誰よりも早く絢子の変化には気が付くはずだ。
『あっ、藤さんイメージ変わった? 可愛くなったねー』
馴れ馴れしく声をかけてくるはずだ。
その時の連中はどういう感情を持っているのか。
おそらく意識的にも、無意識的にも『根暗で地味だった女がイケている私たちに近づいてきた』という上から目線の感情が働くに違いないのだ。
勝手に想像しているだけだが、腹が立って仕方がない。
絢子は『変わった私』の姿を見られることが怖いのではなかった。
正確には変わろうとした意志を好き勝手に解釈されることが怖いのだ。
『地味なあの子も結局はあたし達みたいになりたかったってことだよねー』
『教室に一人でいるのも、彼氏もできたことがないのも、勉強ができないのも、部活に入らないのも、本当は嫌で、クラスの中心のあたし達に憧れていたってことだよねー』
『誰か』の声が頭にこだまのように響く。
ケラケラと嘲笑う『誰か』の声。
「違う!
私はお前たちになりたかったわけじゃない!
羨ましかったわけじゃない!
お前たちの上に行きたいだけだ! 勝手に上だと思い込んでいるお前らを上から見下したいだけだ!」
酷い形相の女が小さな鏡の中にいる。
駄目だ。いい女は常に笑顔でいなくてはいけない。
絢子は無理して笑顔を作ったが、その笑顔は人形のようだった。