出会い
日常の中心に孤独があった、日常は描かれた円の内側のみ存在した。宇宙の果てを光、電磁波で観測できないように僕の日常の外側は見ることができなかった、光が届かなかったから。この円を描くために中心、孤独は僕にとって必要不可欠なものだった。この図形の領域が指し示す範囲は狭く、境界線は濃かったのである、昔の俺は。円の中心は座標の原点から平行移動すら許さなかったのである。だから、寂しかった、悲しかった、怖かった。言葉を発すると、この気持ちがどこかへ行ってしまいそうだった、この気持ちを閉じ込めることが俺の唯一の存在価値だったから閉じ込めていた。円が歪んでしまうのを恐れていた。孤独という言葉を知り、客観という言葉を知った。僕以外の世界は広かった。孤独の意味を理解するためには、もうひとつの別の図形が必要であった。孤独をわかって欲しかったのだろうか。孤独から解放されたかったのだろうか。別の円と交わったとき方程式でこの円は表せないと信じていたから、分かち合うなんて・・・考えもしなかった。そして、俺の成長は想像力という大きな力を得た。そして、この図形を数式で明確な数式で表したくなった。俺が2次元ではなく3次元だと気づき、4次元であると知った。あるいはもっと高次元の存在だと想像したときから・・知りたくなった、理解したかったのだ。どんな円、球、図形はなんだって数式と座標で表せるのだから。孤独の意味をだれよりも深く知る環境が俺に孤独を理解させようとしたのである。
だから・・・だから・・・だから・・・
そしてそのときが来た、トーラス(ドーナッツ形)の形さえ数式で表せることを知り、数式化しようとしたとき、彼は何も言わずに微笑んだ。僕はその笑顔を押し殺し自分の中に取り入れた。
10年が経った今、「本当にこれで良かったのか。」ふと考える。彼の存在の大きさ、形ゆえであろう。
いつか彼に会えたら彼は何も言わずにまた微笑んでくれるだろうか。今度こそ彼に「ありがとう。」と言いたい。一度もだれにも言ったことがないこの言葉を。どこへも行かないように、どこへも行かせないためにも。新たな世界、領域をいつも教えてくれる彼に「ありがとう」と言おう。
俺たちの住む単連結な二次元閉多様体は二次元球面と同相と言える。ポアンカレ予想、トポロジー、結局のところ数式は幻想だったのだ。そして、教えよう、幻想の意味を。
二人っきりの俺は、二人っきりのままであったのだから。
第一章 出会い
「おはよう。隣座ってもいい?」いきなりの大きな声にびくっとし、驚いた。赤面していたと思う。かすかな桃の香りが僕をさらに委縮させた。
「あ、あっアッ。」これが僕の精一杯の返事だった。顔を見ることもできなかった。このとき僕は、いつもと違うアクシデントに戸惑い、焦っていた。日常の変化を嫌っていた、恐れていた。この空間の歪みが広がるのを避けたかった。
「俺だれだかわかる?」唐突な質問だった。わかるわけがない。下を向いたまま首を二度横に振った。
「そうだよね、わかるわけねぇよな。」
「このクラスって、小5一人だけ?」(?)意味不明な質問だ。小5は僕と隣の席の(・・・)名前をしらない女の子だけである。席はいくつかあるがいつも来ているのは2人だけであった。その子はいつも午後に来る。だからいつも午前中は、僕と先生の二人で授業をしている。一方通行の授業であるが。
「教室にお前しかいなそうだったし、おもしろそうだったから入って来ちゃった。」
「ここっておもしろいよな。ビリヤードとかあっていいねぇ。俺もこのクラスに来てぇなぁ。」周りを観察しているのだろうか。僕のまわりの空気が右へ左へと動くのを感じた。そのとき僕は机の右上に書いてある自分の名前が書かれたシールを見ているだけだった。顔を上げるのが怖い、いつもそうだ、だれかと話すのが怖かった。自分の存在を知られたくないからなのか、上手く話せない自分を知られるのが怖いのか、おそらくその両方プラスαのせいで怖く、人と話せないのだ、顔を見ることさえできないのである。
すこしの沈黙のあと、僕の顔をじっと見て、彼は僕の視線の先にある僕の名前を見た。すべて[ひらがな]で書かれた僕の名前を大きな声で読み上げた、ゆっくりと。
「あ・お・い あ・ゆ・む。」なんでこんな大きな声で僕の名前を読み上げるのだろう。怖いとはちがったまた別の感情が芽生えた。(早く、速くどこかへ行ってくれ。)
「<歩>っていうんだ。俺は<走っる>て書いて<そう>。俺たちの名前おもしろくねぇ?<走る>と<歩く>だぜ。<うさぎ>と<亀>みたいだな。」そう言って一人で大声で笑いだした。
「<亀吉>って呼んでいい?」(う・・・?)意味がわからない。なぜ亀?なぜ吉?僕は下を向いたまま固まった。彼は僕をまたターゲットにしようとしているのか。不信感しかなかった。
「<亀吉>はないよな。じいちゃんっぽいし、う~ん、じゃあ亀五郎、亀仙人、亀男。」
「どれもしっくりこないな。俺センスないからな。あとで考えておくよ。亀何とかかぁ。」別に考えておかなくていい。そして、なんで亀ありきなんだ。彼は自分の世界をつくり僕のことなんか気にしてないみたいに話した。ぼくがどう思っているか気にしないみたいに。僕が彼に嫌悪感さえ抱いていたのに。そんなことは彼にとって関係ないのだろうか。どう思われようが。僕も同じはずなのにしゃべることができない。
「まあいっかぁ、俺のこと<そう>って呼んでくれ。じゃあ、また。」<うさぎ>ではなく本名かぁ。自分勝手なやつだ。
「あ、あっアッ。」っとなぜか返事をしてしまった。嫌悪感、不信感を持っていたはずなのに。
「お前って変わっているよな。普通じゃないね。お前はおもしろい、うん。また来るよ!」と自分で納得し、席を立ち、帰っていった。笑い声が聞こえた。なにがおもしろいのだろう。
彼がドアを開けたとき、風が頭の上を通りすぎ、彼へと向かう空気の流れと桃の香りとともに僕の頭を上げさせた。すると彼の後ろ姿と同時に教室の入り口にある洗面台の鏡に彼の横顔が映った。彼は笑顔だった。黄色い頭、後ろ髪を伸ばしていた。黄色いTシャツに、Gパンだった。どことなくあいつに似ていた。(何年生だろう。桃の香り・・・)ふと彼のことが気になった僕に僕は驚いた。
チャイムが鳴り、しばらくして先生が入ってきた。そして授業をし始めた、先生の趣味であるアニメの話を。僕は相変わらず、下を向いたまま聞いているだけだった。昨日の自分と違うのは教室にビリヤード台があることを知り、見てみたいと思ったまま授業を聞いていることだった。ラジオを聞いているように、先生の話は僕の存在を無視し一方通行で発せられていた、毎日。興味がない、話に、先生に。
その日の午後、いつも通り彼女は登校した。いつも決まって給食後のこの時間に来る。ドアが開き、風と一緒に彼女は入ってくる。教室の空気、臭いは変わらない。ぼくはいつも通り下を向いたままであった。
「お・は・よ・う・ご・ざ・い・ま・す・う。」といつものように元気よくゆっくりとはっきりとあいさつした。僕になのか先生へなのかわからない。僕はあいさつをしない。できないのだろう。顔も知らない彼女だから。そして、またいつも通りの授業が始まった。彼女はおそらく絵を描いているのだろう。絵具の水性絵具の、かび臭いような臭いが充満した。臭いに特に意味はない。
僕は下を向いたまま、何もせず名前の書いたシールを見ているだけだった。
出会いの次の日
僕はいつも通り7時50分に登校した。だれもいない教室、空気が動こうとしない教室、かすかな絵の具、墨汁の香りのする教室。僕は僕の机へ下を向いたまま進み、そして空のカバンを置き座った。いつも通りのリズムを刻む、あとは先生の話を聞き、下を向いたまま、帰りを待つだけだった、いつもなら。だが、いつもと違った感情が沸き起こった。どんな教室にぼくはいつもいるのだろう。ビリヤード台が本当にあるのだろうか。周りを見るのが怖かった。いつもと違う日常、感情を抱くことが怖かった。空気を動かすのが怖かった。やはりいつもの僕のまま、今日を過ごした。彼は来なかった。ビリヤードの存在を確認しないまま、そして、また日常が始まった。
第二章 生い立ちと僕
僕の生活は入力、演算、出力の繰り返しだった。インタプリタのように上から順に演算し、出力するだけだった。感情などいらない、ただ毎日出力するだけだった。この毎日は、僕の新たな感情を封じ込めていたのだろう。母の指導のもと僕は、母にとって優秀で扱いやすい存在に僕はなっていた。人工知能をもらったロボットより僕は自由がなかったのである。想像する思考を与えられず好奇心がうまれなかったのだから。
母への愛情だけが僕にはあった、すべてだった。母に喜んでもらうことが唯一の僕の使命だと思っていたのだから。
僕は近くの保育園に通っていた。母がいつも送り迎えをしていた。母は出勤前に僕を保育園の前の砂利の駐車場で降ろし、僕は門までの砂利道を歩いて行き、先生の大きな明るい作られた挨拶に応え教室へ向かった。先生からいつも声が小さいと言われていたような記憶がある。でも僕はそれに応えることなく教室へ向かっていたであろう。たくさんのみんなの作品に囲まれていたこの部屋へ。さらにこの教室を子供の想像力を生かした芸術で埋め尽くすため、みんなは歌や工作を全力でやっていたであろう。僕はただ傍観してだけだったと思う、僕は歌や工作、友達に興味がなかったのだ。好奇心を育むための指導が欠如していたのだから、僕の芸術は褒められることがなかったのだ。母の日の絵を母は捨ててしまった。このとき僕は悟った、母に僕の絵なんていらないんだと。
母は仕事が忙しかったのだろう。保育園の帰りに、僕を連れ会社へ戻っていった。僕は駐車場の車の中でじっと母を待つだけだった。夏の暑い日も、冬の凍える寒い日も、ただただじっと母の帰りを待っていた。
母は2時半に迎えに来て、その後仕事場の少し離れた駐車場へ車を停めたていた。車は白い軽自動車だったと思う。近くには大きな木があったのを覚えている。銀杏の木だったのだろうか、秋になりあのにおいを嗅ぐとあの景色を思い出す、狭く暑く寒く怖い寂しい悲しい感情とともに。
母はいつも仕事場へ戻る前に
「車で待っててね。外へ出ちゃだめだよ。動いちゃだめだよ。大・大好きな<あゆむ>がいなくなったら、お母さん悲しくて死んじゃうからね。」と言って笑顔で言い、足早に仕事場へ向かっていった。死という言葉の意味も当時の僕はよくわかっていなかった。この3年間、毎日僕の頭に刻まれたこの呪文のような言葉は、(母のいうことを聞かないと母はどこかへ行ってしまう。)という考えを常に頭に植えつけ、僕の行動、思考に制限をかけた。僕は忠実に車から出なかった。僕は動かなかった。周りの空気さえも動かさなかった。僕の世界、外縁は軽自動車のフレームだけだった。母は戻ってくると必ず
「ただいま、あゆむ。ありがとうね。」っと言ってくれた。うれしかった。僕はこの言葉が聞きたいのである。
保育園へ通うようになってはじめての夏、僕はいつもと同じようにダッシュボードの上の人形とデジタル時計をみて待っていた。<人形は太陽電池で出来ていたのだろう、いつも飽きずに首を横に揺らしていた、揺らされていた。時計も太陽電池だったのだろう。>外縁が歪む出来事が起こった。その日はいつもと違った。とてつもなく暑かったのである。喉が渇き、全身が暑さのため痛い、寒気がなぜか僕を襲った。無意識に、本能だろうか車の外へ出てしまった。今思えば罪悪感だと思うがそのときの僕は、母との約束を破ってしまい母がいなくてなってしまう怖さしかなかった。
車の外へでた僕は、アスファルトの上に張り付くように倒れた。僕は怖くなった。孤独さ、寂しさ、悲しさを感じた。母を失ってしまうと考えたからだろうか。想像力が初めて働いたのからだろうか。はぁはぁと息をしながら眩暈がし僕は、地面から熱風を全身に浴び意識を失った。しばらくして腕のあたりが痒くなり目を覚ました。蟻が僕の腕の上を列をなし行進していた。まっすぐに木へと一糸乱れずまっすぐと。蟻は本能のまま、女王アリの命令に従い列をなし、効率的にタンパク質、ビタミンなどを栄養を運んでいる。美しいと思った。僕もこうなりたいと思った。母親に対して忠実なのだ。僕を蟻へ投影していたのどうか。幼い僕にこんなことができたと思えないが。
僕は平静を装い、しばらくして車へ戻った。そして、7時18分、母はいつものように
「ただいま、あゆむ。ありがとうね。」っと言ってくれた。うれしかった。僕はこの言葉が聞きたいのである。このとき僕は母への贖罪の気持ちが芽生えたのである。孤独から逃れるために。寂しさ、悲しさ、恐怖から逃れるために。孤独を理解しようなんて思ってもいなかった。
冬の日のことも覚えている。
ただただ寒かった、冷たかった、痛かった。過ちを繰り返さないため寒さに耐えた。母がいなくならないように。待っている間、この小さな空間にいる僕はいつも孤独だった。母のあの言葉を聞くまでは。この孤独から僕は逃げたかったのだと思う。だから母の言葉に従ったのだと思う。それしか選択肢がなかったのだ。
小学校に僕は入学した。入学式には、となりの県からわざわざ祖母が来てくれた。母は仕事が忙しかったらしく、祖母に1か月前に電話で頼んでいた。祖母は看護師であり、とても優秀らしい。定年を過ぎても勤務先の院長に頼まれそこで毎日勤務していた。祖母は自分の自慢話と母の自慢話を誇らしげに、マネしろと言わんばかりに、僕の教育のためかわからないがいつも同じ話をしていた。この日で祖母に会うのは4回目なのに。そして、いつも猫背の僕を何度も祖母は注意した。僕はそれでも猫背のまま下を向いたままだった。入学式の入場と退場はよく覚えている。あの夏の日を思い出していたのだろう。だって、白い線で列を乱さないためのテープがまっすぐと張られていたのだから。その線上を歩くことで僕の役割を認識できたのだと思う。新入生の僕がここを歩き、この線の内側が僕の領域だと教えてくれた。
母は、保険の会社から介護の仕事へ転職した。ディサービスで働くようになって、なぜか帰りが10時を過ぎるようになった。帰ってくると決まって大きな声で僕の名前を呼ぶ
「あ~ゆ~む~」僕は、その言葉を合図に玄関へ行き、母をベットまで運んだ。そして、ごはんを持っていく。
「邪~魔」という言葉を合図でリビングへ僕は戻る。10分後、食事を片づけへ母の部屋に行く。タバコの臭いがする。日常の、当たり前な臭いである。母は1日1箱以上タバコを吸うようであった。いつも決まって20本の吸い殻が確認できた、母の部屋に8本、車の灰皿に12本。空気の淀みさえ日常に組み込まれている。無言のまま、食器を片づけ洗剤で洗う。そして僕はリビングの片隅で寝る。朝6時に起き洗濯、車の掃除、朝食の準備して家を出る。これは冷蔵庫にかけられたホワイトボードに僕のスケジュールが書かれていたので、これに従うだけだった。学校から帰ってくるとすぐに家の掃除、風呂掃除をして夕飯の支度をして母の帰りを待っているのだ。はじめはカップ麺、インスタント食品と水を100度にしかできなかった僕も成長とともに、母の日曜の指導のもと、いくつかの料理ができるようになった。母は一度も<おいしい>と言ってくれなかったが、僕は食器を片づけるときが1日の終わりと母とのつながりを実感できた。
こんな毎日を送っていた僕だから、友達ができずにいじめられた。いつしか存在そのものすら消された。僕の領域は狭くなるだけだった。顔を上げよう、人と話そうなんて発想は思いもしなかった。学校へ行くと、僕はいつもカーテンで包まれた、閉ざされた僕の領域を作り、その中に入っていた。カーテンに包まれ、外の光が遮断されるこの空間が僕の居場所だったから、いつもカーテンで僕を包んだ。
いつしか学校の先生は、僕を仲良組に連れていき、僕の席を決めた。名前の書かれたシールを机の右上に張ったのである。それからの僕は毎日、この教室に行き帰るのを待つだけだった。
友達