そして一日は始まる
幸福とは何だろうか?
衣食住に困らないこと?辛い出来事を体験しないこと?好きな人と結ばれること?穏やかな日々を送ること?自分の信念を貫くこと?
昔から良く考えていた。もしも僕が優秀に生まれなければ、他のスライム達と同じような知能だったら。どうなっていただろう。
きっと軍属にはならなかった。軍師にはならなかった。辛い思いなんてしなくてよかった。
だけど、仲間にだって出会えなかった。彼らのいない、邂逅できない生涯を想像するとゼリー状の身体に震えが走る。それ程までに皆は大事な存在で。
ならば、僕は高い知能を生まれ持った事が幸いだったのか?
わからない。わからないから、考える。いつかわかるまで、考える。
考える。
考える。
考える。
「おい、スゥーリィー。朝飯」
「はーい、シリアス思考タイム終了ー!ねぇ、なんで?なんで施錠の術式強制解除して入ってくるの?おかげさまで施錠術式が緩んできてるんだけど」
窓のない、カンテラの淡い灯火で照らされていただけの室内に、朝の刺激的な光が射し込んだ。
開け放した扉に背を預け、来た途端に食事をせがむ彼に、僕は少しだけ不機嫌な声を響かせる。
いつの間にやら玄関の施錠を突破したあげく、研究室の施錠まで勝手に外した僕の親友は、不満げに黒い尻尾で床を叩いた。
僕の親友、エルドレイ・バルダーはなかなかの美丈夫だ。長い漆黒の髪に、紅い瞳が白い肌によく映える。トカゲを祖先とする魔族で、髪と同じ色の爬虫類の尾が揺れていた。
肌の方にも黒い鱗があったりするんだけど、今は鎧をある程度着込んだ状態だから見えていない。……なんで僕の家に来るのに、鎧着たままなのかな?
「お前なら施錠術式くらい、すぐに組み直せるだろ」
「言っとくけど、研究資料の管理関係でかなり複雑なの組んでるからね?手間かかるんだよ、あれ」
「だったら手伝おうか?」
「……いいや。下手にマナが絡んでも困るからいいや」
複雑な術式を複数の魔族で組もうとすると、個々のマナがおかしな絡み方をして、式に異常がでる事がある。
『魔術』を『式』として組み立て、体内マナを利用し物体に刻み固定。定着させて安定した発動と威力を発揮させるのが術式なのに、そいつが暴発なんて冗談じゃない。
何事も協力すべきだとは思うけど、世の中には独りでやった方が効率的な場合もあるのだ。
「しかたないなぁ。食料買ってなかったからパンケーキくらいしか作れないけどいい?」
「勿論」
僕たちスライムは光合成でエネルギーを得ているので、食事の必要がない。この家にある食材は全て、お客さんにおもてなしする為の物だ。
暫くは研究に没頭したかったし、誰かが来る予定も無かったからまともに準備なんてしていない。
それでもご飯を作る意思を見せれば、エルド……エルドレイの愛称だ……は一瞬で機嫌を治した。よっぽどお腹減ってたな、これは。
部屋の外へ出る。僕の家は上から見たら長方形の形をした、二階建ての屋敷だ。真っ直ぐな廊下の片方には窓が並び、反対側には各部屋へ繋がる扉が4つ並んでいる。
今まで僕たちが居たのは、廊下の一番奥に当たる部屋だ。朝日に照らされた廊下を進むと、一階へ降りる階段がある。
途中で折り返す形の階段を降りれば、二階と同じように四つの部屋を備えた廊下が、そして廊下を無視して右手へ曲がると、大きく開けたダイニング。
中央に長方形のテーブルがあって、その左手側にはエルドの背丈と同じくらいの食器棚、奥にはあまり広くはないキッチン。
テーブルの中心に飾られた一輪挿しの花瓶は半透明で、水は残り少ない。お水、替えてあげなきゃ。
「エルド、また誰にも伝えずに出てきたんでしょ?まったく、厨房の皆さんが気の毒だよ」
「朝からあんなに食えねぇっての。あいつら、俺が燃費悪いとでも思ってんじゃねぇのか」
「栄養価を気にしてくれてるだけだよ。実際、僕のご飯じゃ偏り酷いと思うし」
緑色のボディから触腕を伸ばして花瓶の水を替える。
とりあえずは紅茶の準備をしたいから、お湯を沸かすのが優先だ。
コンロの前に移動する。
木で頑丈に組み上げられた台座の上に、平たく加工された大きな石が板のように置かれていた。黒いそれは綺麗に磨きあげられていて、上側の表面に、僅かに白い別の石が円形に埋め込まれている。円の数は三つ。繋げば三角になる配置だ。
この白い石の部分には火をおこす術式が刻まれている。黒い石の側面を、触腕で左から右へなぞれば、石組みと同様の円形に小さな火がつく。
水の入ったケトルを火にかける。
キッチンの戸棚を開いて、パンケーキの材料を探した。もっとも、パンケーキがエルドの好物だから卵以外の材料切らしてるわけないんだけど。
「エルドー。お皿とかの用意しといてー」
「りょーかい。ティーポットも出しておくぞ」
「うん、ありがと」
触腕をあちこちに伸ばして、必要な道具と材料を回収していく。後ろで食器の音がしていた。
食器棚と反対側の収納にしまっておいた、椅子を動かす音もする。エルドのような二足歩行型の魔族と違って、無形型(僕のようなスライムは無形型と分類される)の僕には椅子が必要ないから、いつもは片付けているのだ。
さて、フライパンにボールに……冷蔵保管庫の卵、残り一個か。これっていつ買ったやつだっけ?
卵にマナを通してチェックしてみれば、やっぱり痛んでるようだった。ごめんね、卵さん。
「おい、リンゴのジャム、無くなりかけてんぞ」
「あー、ごめん。次来るまでに作っとくよ。今日は足りなかったら他の使って」
「……他って、ブルーベリーしかねぇんだけど」
「色だけで好き嫌いしないの。食べたら美味しいんだから」
エルドと他愛のない会話を交わしつつ、紅茶を入れて一枚目のパンケーキを焼き上げる。
お行儀よく焼き上がったものにかぶりつく彼を背に二枚目を焼いていると、部屋にベルの音が鳴り響いた。訪問客だ。
本当だったらエルドにも、これを鳴らしてから入ってきてほしいんだけどなぁ、なんて思いながら視覚の一部を含ませた触腕を一本伸ばし、玄関扉の覗き窓を見る。
「エルド、お迎え来たよ」
「……アリオーネか」
玄関を開けてあげれば、控えめな声と共に彼女はリビングに入ってきた。
「おはようございます、スゥーリィー・ジム。……陛下、やはりこちらにいらっしゃいましたか」
「食い終わるまで待て。他にも用事があるしな」
「……御意」
アリオーネ・セス。羊を祖先に持つ、防御に優れた魔族だ。短いのにふわふわくるくるの白い髪と、左右のぐるりと巻かれた角がご先祖さまの名残。
彼女は若い女性でありながら将軍の肩書きを持つ、エルド直属の優秀な部下だ。
……そう、将軍が部下のエルドさん。これでも魔王様なんだよねぇ、彼。
「用事って何?朝御飯の為だけに来たんだと思ってたけど。……そういえば、リオネもエルドも武装したままだよね。何かあった?」
エルドは武器こそ所持していないけど、リオネは腰に剣を下げた状態だ。彼女の戦いの要ともいえる術式を組み込んだ、特殊な胸当ても着けている。
リオネがちらりとエルドを見た。彼は口を開く。
「お前がこの鎧に仕込んでくれた耐火炎の術式が崩れた。組み直してくれ」
「はぁ!?あれが壊されかけたってどういうこと!?」
出来上がった二枚目のパンケーキを皿に放り込んで、僕はエルドの鎧、左胸の下周辺に触腕を触れさせた。黒地に白く浮かび上がった術式配列文字を確認すると、確かに一部分が崩れかかっている。
この防御式は、向けられた火炎術のマナを吸収、変換して無効化するものだ。それのマナ吸収の役目を担う部分がおかしい。この壊れ方はたぶん、マナの量が多すぎて吸収しきれなかったんだ。
エルドを守る為に組んだ式だ。そう易々と突破される代物じゃないのに!
「……誰なの、君に危害を加えようとした馬鹿は」
「オルドガイルだ。前王派のあいつ」
「オルドガイル?確かに彼は火炎術が得意だったけど、この術式を崩しかける程の練度だった?」
僕たち魔族は、昔から人間と戦争をしていた。
そもそも、魔族と人間が生まれるより遥かに昔、今の人間によく似た種族が存在していたらしい。現代の者は彼らを『古き種』と呼んでいる。
『古き種』は栄華を尽くし、そして滅んだ。しかも、周囲の生物や自然を巻き込んで。そこから自然は歳月をかけ、命を吹き返していった……と考えられている。
人間は言う。
『我々は古き種と同じ進化を辿る存在だ。ならば繁栄すべきは我々人間ではないか』
魔族は言う。
『古き種は、一度この世界を滅ぼしたと言っても過言ではない。そんな古き種と同じ進化を辿る人間に、この世界は任せられない』
そんな両者の言い分から始まった、どちらが世界を治めるかの戦いだったらしい。しかしいつの間にやら、向こうが手を出した、あっちが攻撃してきただの、ただの泥沼戦争と化していた。
歴代魔王様たちは皆ある程度好戦的だったそうだけど、そのなかでも特に過激で人間嫌いだったのが前王様こと、エルドの父上様だ。
人間は滅ぶべし。捕虜はいらない。全員殺せ。女子供も容赦ない。冷徹とも殺人狂とも言われた。
しかもあの方は、相手の才能を見抜く目に長けておられた。だから『戦いの才能あり』と認められた魔族は、どれだけ戦いを好まない性分でも軍属にされ、戦場へ駆り出され。下手に才能があるものだから活躍してしまい、その魔族は実力をつけてしまう。僕もその類いだ。
そうやって軍事力を強化して、強行進軍を続けていたのだ。あの方は。
エルドが魔王に就任して、歴史上初めての停戦状態に持ち込めたけれど、長く戦争が続いていたせいで根本的に人間を嫌ったり怖がる魔族は多い。
特に前王様の考えに感化された魔族は、この平穏な時間が気に入らないようで、エルドを謀殺しようとする輩もいる。これが『前王派』だ。
……僕が軍属の間に、だいぶ処分したつもりだったんだけどね。
オルドガイルも一応この前王派の一員だ。ただ、基本的に彼は強い者に従う主義だったから、戦闘能力が飛び抜けてるエルドに刃向かうとは思わなかった。それに、前王様を慕う魔族全員を殺すなんてこと、エルドが認めなかったから。
しかし、彼にとっての強い者は、未だ前王様なのかもしれない。……やっぱこっそり始末しとけばよかった。
「あいつ、杖にマナ石大量に仕込んで、そいつにマナを溜め込んでたんだよ。で、それをエネルギー原にして火炎術発動な」
「この防御式が吸収しきれないってことは、相当の量だね。溜め込むのも時間かかったはずだし、計画的犯行?」
「だろうな。逃走経路も用意してやがった」
ああ、逃げられんだ。道理で、軍で最も護衛に向いたリオネが迎えに来るわけだ。
エルドが食べ終わる頃に、対火炎術式の組み直しも完了する。もっと強固な式を開発すべきか。
念のため鎧に組み込んだ他の防御式も確認するけど、異常はなかった。
「……スゥーリィー・ジム、お気をつけください。オルドガイルが貴方様を狙う可能性もあります。十分にご注意ください」
「うん、そうだね。気をつけるよ」
あとで町長さんにも伝えておこう。町全体を守る結界は一応用意してるけど、住民の皆が心配だし。
食事と、鎧の術式処理が終わって、エルドが席を立つ。すぐにリオネが椅子を収納場所にしまってくれた。こんなに気のきく娘なのになぁ。なんで番がいないんだろ?
「何か不審なことがあったら、すぐ軍に連絡しろよ。……町の連中だけじゃなくて、自分の心配もしとけ」
あ、バレてた。
彼の後ろに従うリオネが静かに一礼して、玄関の扉は閉まった。外で転移石が発動したのが、感覚でわかる。
……さて。
洗い物をしつつ、考える。考えて、腹が立ってきた。
負けた?僕の作った、エルドの為の防御式が?
エルドが魔王に就任して早五年。確かに、その間ずっとマナ石に蓄えさせれば、マナの量は膨大になる。けれど、その膨大なマナ全てを一度の術に込めようとすれば、かなりの腕を必要とする。魔術の才なり実力がなければ、行使できない。
つまるところ、僕の技術がオルドガイルの技術に負けたというわけで。
ああ!悔しい!!何が悔しいって、ベースとした基本防御術式が発動してなかったら完全突発されて、エルドが怪我してたって点だよ!あの基本防御術式、僕が仕込んだやつじゃなくて、鎧を作ってくれた鍛治師の式なんだよねぇ!
僕の力だけじゃ彼を守れなかったってことだ。うん、悔しい。これは新しい術式開発しなきゃだね。
お皿の水気を拭き取って、食器棚にしまう。今日から研究室に籠らなきゃ。
ぽてぽてと二階に向かおうとした途端、本日二回目のベルが鳴り響き、来訪者の声が聞こえた。
「スゥーリィー・ジムぅぅぅぅー!!川で人間の死体が見つかったのぉ!早く役所に来てっ!!!」
……今日は騒がしい日になりそうだなぁ
☆ひっそり設定☆
無形型
スライム状の魔族のこと。性別が存在せず、番を必要としない。
他の魔族と違い、光合成のみで生命活動が可能。基本的に知能は低く、物理攻撃こそ無効化できるが魔術耐性がほとんどない。
二足歩行型
人間に近い体躯の魔族のこと。魔族の七割を占める。各々違う動物が祖先であり、武術に長けた者もいれば魔術を得意な者まで様々。
魔族の社会・文化を築き上げたのは彼らであり、魔族の街は二足歩行型にとって便利なよう造られている。その為、魔族の街は意外と人間にとっても暮らしやすい。