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第二章‡狂喜と呼ぶには純情な‡

 第二章 ‡狂喜と呼ぶには純情な‡

(⇔True VS Pure.)



     2.辻宮律


 作戦決行日当日、午前十時。

 予定の時刻、わたしこと部長辻宮律、副部長五十瀬正義、部員孔谷透、及び遠辺みつきは、教室四つ分ほどの広さのある屋上――屋上に時計塔のある普通教室棟よりは、貯水槽しかない|部活棟屋上(こちら側)を場所に指定した方が何かと都合がいいと判断――で殺戮鬼を待ち構えていた。夏だというのにそれほど湿気を感じないのは、季節の変わり目に入っているからだろうか。

「……来ると思うか?」

 わたしの隣、正義が神妙に尋ねる。

 作戦は簡潔に。

 わたしは、全校生徒が毎日必ず見るであろう正門に入ってすぐの掲示板で、殺戮鬼に《会合》を申し込んだ。デメリットは他の報道機関系部活や無責任な野次馬に知られることになる――実際、そこかしこに双眼鏡やら好奇心にぎらついた視線を感じる――ことだが、大した障害はないので放っておく。

《……来ると思うか?》

 そう。普通の神経を持った犯罪者なら、応じる訳がない。むしろ、応じてくれないのならその方がいい、とすら思っている。

「……来ないのなら、まだ救いがあります」

 自分の罪に負い目を感じているなら。

 まだ、引き返す余地がある。

 だけど、もし――

「あ」

 孔谷が声を上げた。

 刹那、巻き起こる一陣の風。


「よぉ。いい度胸じゃねぇか、女」


 目の前に、噂の殺戮鬼が立っていた。

 ……そうか。

 ここに来た、という致命的事実もさることながら、その表情がどうしようもなく歪み切った笑顔であることで、確信する。

 ――コレには、もう人間としての価値はないのだ、と。

「初めまして、《殺戮鬼》。定刻通りの到着ですね」

「ああ。自慢だが、デートに遅れたことは一度しかない」

 抑えきれない愉悦と、抑える気のない殺気の入り混じった鋭い眼光。

 夕闇に染まるコンクリートに浮かび上がる、毒々しいまでの漆黒のシルエット。この趣味の悪い服装は、確か。

「……やはりあなたでしたか、神斜大地こうさか だいち

「呼び捨てとはご挨拶だな? 辻宮律」

 全部活中でも屈指の異常性と凶悪性を誇る、勧善懲悪――否、完全超悪を自負する黙祷部、その期待の新鋭の一。……前部長からおおよその話は聞いていたものの、その限りではここまで逸脱しているとは思わなかった。原因に思いを馳せるような無駄な思考はカットし、ただ認識を修正する。

「弁解があるなら、聞いておきます」

 袖口から、愛用の長杖を取り出す。阿吽の呼吸で、隣にいた正義が紐のついた受け皿二つ、それに短い杖を差し出した。

「へぇ。デカい天秤だな。それがアンタの武器か」

「質問に答えなさい!」

 ……準備中の不意打ちを警戒したが、幸いなことに相手に動く様子はない。そういえば、この《殺戮鬼》の犠牲者は全員男だった。――だからなんだ、で済む話だけど。根拠に乏しい憶測は、身を滅ぼす毒になりかねない。

 神斜の一挙手一投足に注意を払う。と、不意に彼は

「……そうだな。80――58――82――ってとこか」

 どこか聞き覚えのある数字を、順に羅列した。

「……? ………………――っ!!!?」

 反射的に、自分の胸を抱いて後退する。

 な――この、この男っ!

「な――なんで、わかったんですか!?」

「この技を会得するのに一年掛けた」

 なんて凶悪なスキル。

 まさか――まさか、服の上からス、スリーサイズ見破られるなんてっ……!?

「ふふふふ、ふざけないでくださいっ! わたしは、真剣に、」

「ふざけるだと? その言い方こそ不遜だぜ、辻宮律。オレは今、オレが費やしてきた苦渋に満ちた1年間365日、その年月を賭けて宣言した。なら、オレの答えが正か否か、責任を持って答える義務がアンタにはある筈だ。違うか?」

「そ……それは…………」

 およそ人生の70分の1を消費して得た、努力の結晶。

 傍から見ればどんなに愚かしいものだとしても――それを一概にたわむれ事と決め付けるのは、間違い……なんだろうか。

 ……………………。

 …………。

「……わかりました。あなたの主張に、軽薄さはない。わたしを賭けて、あなたの質問に答えましょう」

「光栄だ」

 ……うぅ。なんで、こんな公衆の面前で自分を暴かなきゃいけないんだろう。でも、これは……そう、真剣には真剣を以って返すのが礼儀なんだから、当然のこと。

「答えは、」

「待った、律」

 意外な人物から、待ったが掛かった。

「……正義?」

 正義は何も答えず、神斜大地からわたしを庇うように立ち塞がった。

 途端。

「――おい、男。お前、今何をしたのかわかってるのか?」

 周囲の空気が一変する。

 神斜がこれまで発していた殺気など、ほんの一端に過ぎなかった。親の仇を――いや、それ以上の、その人物が喋るのも動くのも存在すること自体さえ許容しない、とばかりの純粋な殺意が、正義を捉える。

 だが、

「お前こそ。自分が何を知ろうとしているか、理解しているつもりか?」

基本的に温和で、争いごとを好まない彼が。

 人に好意を向けることこそあれ、敵意を向ける方法なんて知らない筈の彼が。

 振るう拳は危害ではなく、自衛を第一の信条とする彼が。

 その彼が。そんな彼が。

 怒っていた。

 表には出さずに、水面下で。

 神斜大地に勝るとも劣らないほどの、殺気を携えて。

「当たり前だ。その上で聞いている」

「嘘だな。本当に価値を知っているなら、そもそも正確な数値なんて聞く必要もない」

「何……?」

 神斜大地の顔に、初めて逡巡らしきものが奔る。

「数値になんの意味がある? 本質的な問題は、あくまで現実に触れた場合の感触であり、視覚したときの見栄えだ。そんな単純な道理さえ忘れたお前に――律の内情を、一つたりとも渡す訳にはいかない」

 確かな決意を秘めた宣言。

 それは、何度目かの告白。

 しかしいくら言葉に偽りがなくとも、何回も繰り返せば価値が薄れてしまうのは自明の理で――しかも本件においては、普段なら(不覚にも)一時的に思考停止状態に陥ってしまうわたしでさえ、彼に対するある種の疑惑を拭い去ることが出来なかった。

 え、ていうか何?

 体目当て?

 わたしの水面下の葛藤をよそに、神斜大地は、返答にたっぷり三分弱の時間を要した。

「……ナルホド、な。どうやら……オレは、間違った形で理想を追い求めてしまった、っつーことか」

 その表情にふざけた様子は一片もない。本気で、己が取るべき道を誤ったことを後悔していた。

「いや、それも違う。正確なサイズが判別できるなら、その形も脳内具現化(ミスティック・ファンタズム)(※律は知るよしもないが、一部男子の間で流行中の造語。別名、《大いなる妄想》)できる。お前の目指した道は間違いじゃなかったんだよ、神斜」

「……ああ。柄にもなくだが。お前には、もっと早く出会いたかった」

「俺もだ」

 当人同士にしか通じ合えない、強固な絆で結ばれた微笑。

 もはや二人に言葉はいらず、沈黙すらも安穏だった。


 ……どれくらい、そうしていただろうか。

 立ち尽くす二人は、やがて同時に息を吐いた。

「……だからこそ。お前に、律は渡さない」

「……その決意、しかと受け取った。ならば、」

「勝負だな」

「ああ。勝負だ。……お前の話は聞いたことあるぜ。こと守りに関しては他の追随を許さない一級品だってな」

 ここで衝突するのが当然であるように、二人は戦闘体勢を取る。

「ちょ、ちょっと待ちなさい! 元はと言えば、わたしが、」

「アンタは黙ってな」「律は黙ってろ」

「………………………はい……」

 ……異様な威圧感に、思わず頷かされてしまった。

「……なんだコレ」

 隣で、孔谷がわたしの気持ちを代弁していた。……えっと。わたしは、どうすればいいんだろう? というかどうなるんだろう?

 と、そこで唐突に。

「……オレはお前を突破し、その女を手に入れる。でなければ――この命、くれてやろう」

「は――?」

 この男は。神斜大地は。

 命と天秤に掛けてなお、わたしが欲しいと言った。

 こんなわたしに。

 こんな、デキソコナイノワタシニ。

「……っ」

 ――いけない。少し、ほんの少しだけ、……嬉しいって、思ってしまった。わ、わたしには正義がいるのに……。

 でも、

「軽いな」

 正義の返答は、それすらも遥かに凌駕していた。

「やっぱり価値を理解してないな、神斜。命だって? そんなモノ如きで、律の完成されたプロポーションと釣り合いが取れる筈ないだろうがっ!!」

 激昂。

 正義の咆哮は、遥か向こうにある落下防止用の鉄柵を容易く吹き飛ばした。……老朽化していたのが自然に壊れたのだ、と認識しておく。

「ならどうしろって言うんだよ、お前は!」

「単純な話だ。お前の命なんて貰っても意味がない。――俺が勝った場合、終生律に服従することを誓え。お前の一挙手一投足、朝はおはようから夜はおやすみまで、隅から隅まで徹頭徹尾、完膚なきまで余すところなく妥協も休憩も疑心もなく、お前の全存在を賭けて誓え」

「いいぜ。その死合、受けた」

「覚悟を決めろ、殺戮鬼。今日がお前の行き止まりだ」

「――来い、親愛なる同胞よ。精々オレを愉しませろよ?」

 一瞬にして、臨戦態勢。

 …………って、ちょっと待って。いつの間にか、わたし、……賭け物にされてるっ!?

「あ、あなたたち、ちょっと――――」

「ダメだよ、先輩。男には、やらなきゃいけない時があるの」

 妙に得心した様子で、止めに入ろうとしたわたしを羽交い絞めにするみつき。

「だ、だって! このままじゃわたし、え、あ、あなたは女の子でしょうっ!?」

「うん」

「だったら!」

「大丈夫。五十瀬先輩はきっと負けます」

「それじゃ最悪じゃない〜〜〜〜っ!」

 わたしの叫びは、戦いの結果を看取る薄紅色の空に吸い込まれていった。


     3.孔谷透


 前置きの長さに反比例するように、決着は一瞬だった。

「はぁっ!」「このぉおっ!」

 両者の初動は同時、しかし明らかに速度差が。

「はぐっ!」

 やはり場慣れしているのか――神斜大地の膝蹴りが、五十瀬先輩のみぞおちに突き刺さる。

「こ、の、」「まだまだぁああっ!」

 みぞおち、みぞおち、みぞおち、下腹部、みぞおち、みぞお、下腹部、みぞお、下腹、みぞお、みぞ、みぞ、下、み、み、み…………沈黙。

 ……弱っ!

 正義の味方、弱っ!

「……ハ。なんつーか、拍子抜けにも程があるんだが」

「あの人は防戦専門で、お前は殺戮専門だからな。相性が悪過ぎたんだ」

 返事がないただの屍になった五十瀬先輩の代わりに答える。ちなみに、律先輩は彼の余りの不甲斐なさに思考を停止して石のように固まっている。

「あぁ? ……あぁ、お前まさか孔谷透か?」

 どうやらそこで初めて俺の存在に気づいたらしい、神斜はいたく珍しいものを見るように俺を値踏みする。

「……お前に関しちゃあ、範疇内か外か(・・・・・・)、判断しかねるが。まぁそれはさておき、だ。おい、女!」

 神斜は、呆然と試合――というよりは一方的な暴力の結果を受け入れられずにいた律先輩を一喝する。彼女はバネのように背筋を伸び上がらせた。

「な、なんですかっ!」

「勝ちは勝ちだ。約束通り……」

 言いかけて、




『――――ダメだよ。その子は、クーヤのお気に入りなんだから』




 聞こえる筈のない距離から、何者かが愉快そうに呟く声がした。

 ガラスが割れたときに発せられる澄んだ音色のような声に、背筋が凍りつく。

 これは――この、声は。

「チィッ!」

 最初の反応したのは俺だった。舌打ちと同時に横っ飛び、同時に

「え――?」

 律先輩の体を強引に引き寄せて、地面に伏せさせる。

「きゃっ」

 可愛らしい悲鳴に一呼吸遅れて。

 突如、コンクリートの一角が破砕された。

 まるで爆弾が投下されたように。

 その跡地を探れば――強化された狙撃銃の弾丸を、見つけることができるだろう。

 危ないからやらないけど。

 死んだような俺とはいえ、死に対しては少し、無知であるという点において、恐怖がある。

「あのアマァ……悪同士仲良くしようって言ってたクセに、やることやってくれんじゃねぇか……」

 俺たちには窺い知れぬ事情があるらしい、放たれる弾丸をお互い打ち合わせているかのように次々と回避しながら、神斜は恐ろしく歪んだ形相で向かい側の校舎、その頂点に聳える時計塔を一瞥すると、俺たちに向き直り、

「邪魔が入った。報酬は後だ。じゃあな」

 手短に別れの挨拶を済ませ、颯爽と屋上から飛び降りた。

「……って」

 自殺志願者?

 銃撃が止んだことを確認してから起き上がり、神斜が去った先を見下ろすと、すでに彼の姿はなかった。すぐ下の階の窓が開いているから、多分そこに入ったんだろうけど、少なくとも人間業じゃない。

「……あんなのばっかいるから、ウチの学園が異常視されるんだよ……」

 俺たちはただ、ほんの少し、世界に馴染めなかっただけなのに。

 みんな、いいヤツなのに。

 人間かどうかは、別として。

「で……見返りはなんだ? 《翡翠ヒスイ》」

 神斜が見ていた方向に向けて軽く声を飛ばす。ややあって、

『べっつにー。今回はただの気まぐれだよ』

 まるで普通の距離で会話しているように、声が返ってきた。仕組みは未だによくわからないけど、相変わらず便利な体だ、あいつ。その気になれば、俺が校内のどこにいても会話が出来るだなんて。

「今回も、だろ?」

『むむ、そんなことないよー。わたしってば基本的にビジネスライクなんだからねー? ……クーヤたちを助けるのは、別に、その、』

「はいはい。後で時間作るよ。それでいいか?」

『……うん。ありがと、クーヤ! 好きっ♪』

「どうも」

 交渉終了。

 相変わらずいい性格してるな、あいつ。

 臆面もなく人を好きだなんて、恥ずかしい。

 そして、…………羨ましい。

「……孔谷。とりあえず、わたしは正義を保健室に運びます」

「あ、手伝います」

「いえ。単純に腕力で言えばわたしの方が上ですし。それに、無意味に人を待たせるものではありません。相手が大事――いえ、危険であればあるほど」

「……そうさせてもらいます」

 さすが律先輩。どちらが大事か、よくわかってらっしゃる。

「みつきはどうする?」

 ぼんやりと空を眺めていたみつきに声を掛ける。彼女はゆっくりと振り向いて、少し思案顔になって、

「ん〜〜……わたしはいいや。その辺のブンヤさんに感想でも聞いてくるね」

「そっか」

 まぁ確かに、彼女にとっては進んで会いたいとは思わない相手だしな。

「それじゃ律先輩……生きてたら、また会いましょう」

 俺は、覚悟を決めて校舎内に降りる階段に向かって歩き出した。


       ※


 俺の中の、誰かを好きになるために必要なこと。

 

 尊敬できること。

 他にはないものがあること。

 受け入れる価値があること。

 受け入れてくれる余地があること。

 地球人であること。

 人殺しではないこと。


「だから俺は、お前を好きになれないよ。何一つ一致してないお前――翡翠とはな」

『あ、失礼しちゃう。いくらなんでも異星人はないんじゃない? せめて異邦人くらいにしてよ』

「冗談。世界の他の誰にだって、お前の隣には並べないよ。夢の終わりが憧れに殺されることだなんて、絶対理解できない」

 職業、《極悪人(スケープゴート)》。

 命名師が名付けて曰く、《先天的悪性子女(ワースト・ワン)》。

 それが、この学園(セカイ)での彼女の記号だ。

『終わるんじゃないよ、完成するの。……そんなにおかしいかな? わたしの考え方』

「考え方というよりは、生き方かな」

『……ねぇクーヤ?』翡翠は、寂しげに笑っているのかもしれない。『ほら、映画だとよく宇宙人が攻め込んでくるじゃない? こう、オバーテクノロジーを駆使してガーッと』

「……まぁ、あるかと聞かれれば、あるね」

『でさ、あれって大体今までいがみ合ってた大国同士が手を組んで力を合わせて解決! そして大団円! って感じで終わるじゃない? わたし、あれってとっても合理的な方法だと思うの』

「合理的、ねぇ……」

 敵を欲しがる人間に、淘汰したがる人間に、駆逐したがる人間に、人類共通の敵を用意してやる。

 例えば、世界を人間という種の枠組みで限定するのなら。世界平和を達成するには、この方法が一番手っ取り早いのかも知れない。

「でも、それだって一時的なものだろ? 少し時間が経てば、結局元の木阿弥になるに決まってる」

『終わらないものなんてないんだよ、クーヤ。だったら、価値を時間の長さで否定するのはなんだか違うと思う』

「じゃあ翡翠は、一秒だけ幸せにする代わりにお前の寿命を五十年減らす、って言われたら幸せを取るのか? 今すぐ死ぬ代わりに五秒だけ律先輩の体を好きにしていいって言われたらそうするのか?」

『するよ』

 即答。

 俺の極端な例え――しかも後半は個人的な希望――に対し、翡翠は、間髪入れずに肯定した。

 ――ああ。やっぱりこの女、狂ってる。

 今更だけど。

 俺たちもだけど。

「……そっか」

『ところでクーヤは、好きな子とかいる?』

「脈略もクソもないな」

「いいじゃん」

 よくない。

「……別に。そういう浮いた話は、ないけど」

『どうして?』

「どうしてって……こういうのは、人それぞれ時期ってものがあるから、別に急かされる必要もないというか、なんというか、」

『ふぅん。じゃ、クーヤはその内誰かを好きになれると思ってるんだ』

 あからさまにとげのある物言いだった。

 みつきには放てないだろう、優しい毒を孕んだ率直な言葉。

「なんだそれ。それじゃ、まるで」

 俺が、誰も好きになれないみたいじゃないか。

 俺が、誰にも――興味がない、みたいじゃないか。

『違うの?』

 翡翠は、聞き分けのない子供を諭す母親のように、俺の内心を見透かしたかのように、微笑したのかも知れない。

「違うよ、全然。律先輩のことは尊敬してるし、みつきは放っておけないし、五十瀬先輩は…………とにかく、それは違う」

『あのね、クーヤ。《尊敬》や《心配》と、《親愛》や《憎悪》は全然別物だよ?』

「そうか?」

『前者はね、その人の情報を統合しての、総合的な評価。極端な話、機械にでもできる簡単なコトなの。でも、後者はそうじゃなくて、その一段階上にある――積極的な、自分の中から外に出す、自分だけの意思』

 《彼女の人格は希少価値が高い》。

 《彼女の行動には警戒が必要だ》。

 それは思うというより、判ずるだけの行為だ、と。

 一切の評価を切り捨て、感情だけで生きている彼女は、断ずるのではなく、ただ当然のように言った。

 そんなことは、当たり前だと。

 そんなこともわからないあなたは――わたしとは違う意味で、人間じゃないんだよ、と。

「……違う。俺は」

『なら聞くけど。クーヤ、嫌いな人いる? 自分以外で」

 ……先手を打たれた。

「……別に、いないけど」

 お前以外。

『不気味』

「うるさい」

『異常だよ』

「余計なお世話。なんだよ、嫌いな人なんていない方がいいに決まってるだろ」

『それ、世界が平和な方がいいって言ってるのと、敗者なんていない方がいいって言ってるのと同じだよ?』

 つまりは、理想論。

 通常ではありえない筈の心境に、無論望んだ結果ではなく、無造作に感情(人間らしさ)を磨耗し続けた末に、俺は達していた。

 それは錯覚か。

 あるいは、欺瞞か偽善。

『もう十六年も生きてて、しかもこの学園で、嫌いな人がいない? おかしいよ不気味だよ異常だよ狂ってるよ人間じゃないよ大好き!』

「…………頼むから翡翠」

 文脈を大事にしてくれ。

 だからこの女は――嫌いなんだ。ホントに。


     4.遠辺みつき


 クーヤと別れてから三十分後。

 わたしは、とある部室のドアを軽くノックした。

「ようやく来たね。待っていたよ」

 軽い材質で作られた銀色の扉の向こうで、幽霊みたいに現実感のない声が応える。

「おじゃましまーす」

 勝手知ったるなんとやら、迷わずドアを押し開け、侵入。果たしてそこには、


「やぁ、みつき君。……へぇ、珍しいね。今日は一人かい?」


 宇宙の天幕を貼り付けたみたいな深い藍色の長髪。奥底まで見透かされそうな透明感のあるスカイブルーの瞳。絵本の中から抜け出てきたような輪郭の曖昧さを持ちながらも、すごく存在感のあるその人――新聞部部長、伊賀奇創兵いがき そうへいは、舞台の役者がするように笑顔を作った。

「あ、よくわかりましたね」

「そりゃあ、かれこれ一年の付き合いだからね。それで、さっきの茶番劇について僕に感想を尋ねに来た、と言ったところかな?」

「あちゃあ……読まれてますねー」

 相変わらず、いつも先のことを考えてる人だなー、と思った。

 今日も興味深い声帯だね、という伊賀奇さんのよくわかんない歓迎の言葉をもらいながら、一昔前のオーラが出ている木製のイスに座る。

「それ以外に理由がないからね、単純な消去法さ。……そうだね、一言で言えば――」伊賀奇さんは、数秒腕を組んで考え込んでから、「――全体的なバランスはともかく、部分的な突出度に関しては茂花君の方に軍配が上がる、とだけ言っておこう」

「はあ………………そう、なんですか?」

「うん。間違いないね」

 真顔で断定された。

 そうなんですか。

「えっと……他には?」

「他に、だって? おかしな事を聞くね。先の決闘の中での一番の論点についての言及を終えた今、僕が語るべき事なんてもうほとんど残されちゃいないと思うけれど?」

「………………」

「………………」

「………………」

「…………わかったよ。僕の根気負けだ。割と真剣な意見ではあったけれど、より君の要望に添った意見も述べる。それでいいんだろう?」

「はい。お願いします」

 伊賀奇さんは、君は言動の割に冗談が通じないんだったね、と呟いてから、回転式の椅子の背もたれに深く寄り掛かった。

「……まず、連続殺戮鬼の正体が神斜大地だって点に関しては、一部の――生徒会執行部、あるいは黙祷部にゆかりのある生徒なら知りえた情報で、当然僕も知っていたから、特筆すべき事ではない。そもそも、何もかもが異常なこの学園でさえも、人を殺めようだなんて考える輩は――と云うより、人にそこまで積極的かつ明確な意思を持てる人間は、そんなに多くないし、ね」

 例えば、単に世界が好きなだけの君や、単に世界で楽しむのが好きなだけの僕とかじゃ無理だよね、と伊賀奇さんは皮肉げに笑う。失礼な発言だと思って頬を膨らませて抗議したけど、いつものように軽くスルーされちゃった。むー。

「まぁ話を戻すと、……実際のところ、彼を捕まえる事はそこまで難しくないんだよ」

「え?」

 予想外の言葉に、思わず声を上げてしまった。

 だって、捕まえられないから、まだ逃げてるんじゃ……?

「えっと、……どういうこと、ですか?」

「つまりね。あの《逆行天秤処女(ディオル・ディナ)》が考えつく程度の策、僕や《不朽夢想(ウソツキ)》あたりが思いつかない訳がない、という事さ」

「ウソツキ……誰でしたっけ?」

「おや、不勉強だね」

 いちいち命名部部長さんの付けたちょっとイっちゃってる感じのネーミングを覚えてるのは、この人とくーやぐらいだと思いマス。でもあの人美人だから人気あるんだよね……別にいいけど。わたしにはくーやがいるもん。

「元審判部部長、現黙祷部副部長だよ。彼はどうせ身内の不始末を見ていられないタイプだから、その内しゃしゃり出てくると思うよ」

 でも間が悪い人だから、今回は出番無しかもね、と伊賀奇さんは心底愉快そうに付け加えて、くくく、と苦笑した。

「ああ、あの人かー」

 学園年長者の中でも、一番オジサンっぽく見える人。

 確か、昨年度ベストオブジェントルマン賞を受賞してた気がする。

「え、でも身内っていっても……犯罪した人なのに?」

 もう、部活仲間どころの騒ぎじゃないのに。

 まだその人を、仲間だと思ってくれてるの?

「ああ。だからこそ彼は、ここに来たんだから、ね」

 諦観めいた皮肉げな笑みと一緒に、伊賀奇さんは肩を竦めた。

 《だからこそ、彼はここに来た》。

 この、世界から切り離された――ううん、わたしたちの世界そのものになった、この学園に。

「……なんでなのかなあ」

 床に目を落とし、思わず愚痴ってしまった。

「ん?」

「なんで……こんなに、みんな、上手くいかないのかな?」

 みんな、目指してる道は同じなのに。

 ただ――幸せになりたい、それだけなのに。

 きっと、罪を犯した人だって、元を辿れば。

「そりゃあ、皆が、皆の幸せを願っているなら上手く行くだろうけどね。生憎、大抵が望むのは自分の幸せだけだからね」

 伊賀奇さんが出した回答は、彼の話にしては珍しくわかりやすかった。

 でも――でも。

「…………でも、さ……」

 それならさ。

 みんなが、他人を自分のように思えればいいと思うのは、わたしだけ……なのかな。そんなことないと、思うんだけど。

「……まぁ、辛気臭い、というか詮のない話はそのくらいにしておこう。あんまり愉快じゃあないし、興味ないしね」

 伊賀奇さんは、手で弄んでいた飴(いちごミルク味)を口に含み、舌で転がしながら器用に語る。

「結論からいうとね。元々、生徒会執行部に学校の治安を守る気なんてこれっぽちも無いのさ。あるのは、生徒会長、つまりこの学校の最上位統治者の彼女を守ろうという意図だけで、ね」

「……そう、なんですか?」

「当たり前じゃあないか。もっとも、本気で治安を守ろうと思ったらそれこそ生徒全員を個別に隔離ない殲滅しないといけなくなるだろうから、僕としてはありがたい姿勢ではあるけれど」

「………………」

 それは――当然過ぎて、認められない事実だった。

 だって、元々、わたしたちは。

 その枠組みから逸脱したからこそ、ここに送られてきたんだから。

「連続殺戮鬼の被害にあったのは、全て屈強の男子生徒だ。それだけじゃ判断はできないだろうけれど――彼の、神斜大地とそれなりに深くコンタクトを取った事がある人間なら、彼が或華君以外の女性に手を出さないであろう事くらい見当はつくさ。少なくとも、今の内はね」

 そして生徒会長、兼理事長は、女性。

 だから――彼がどこで誰を殺そうと、少なくとも彼女は、標的にはならない。……そう考えてる、ってこと?

「あれ? でも、さっきの戦いのときは?」

 いっせー先輩が代わりにやらなかったら、律っちゃん先輩が殺戮鬼さんと戦うことになってたような。

「女性を倒す手は、何も暴力だけじゃないよ」

 ふふん、と不敵に笑う伊賀奇先輩。……なんとなく身の危険を感じるので、用事を思い出したコトにする。伊賀奇さんは、わたしの嘘を多分見破った上で、そりゃあ残念、ととても楽しそうに別れを惜しんだ。

 ドアを開けて去る間際、

「……これから、どうなるんでしょう」

 何気なく、一番聞きたかったコトを、独り言のように聞いてみる。

「さぁね。形あるものはいずれ壊れ、命あるものはいずれ失われる。なるようになるだろうに、ならないときはどうしようもない。そして僕は傍観し諦観し、観客として嘲笑する。それだけの事さ」

 振り返らなくてもわかる、いつものような憂いを帯びた微笑で、伊賀奇さんは即答した。


      5.五十瀬正義


「――目が覚めましたか」

 ……気がつくと、物凄く仏頂面の律の顔が間近にあった。

「……くっ…………俺は、……負けたのか?」

 確か、両者一歩も譲らぬ一進一退の白熱した攻防戦の末、お互いに死力を尽くした最後の一撃をぶつけたところまでは覚えているんだが……。

「はい。それはもう、完膚なきまでに」

「いや、後少し俺の攻撃が深く入ってれば」

「あなたの攻撃なんて一度も観測できませんでした。ああそれとも、敵の膝蹴りを鳩尾もしくは下腹部で受ける行為をあなたは攻撃と呼ぶのですか?」

 それならたくさん攻撃してましたね、と律。……心なしか、言葉の節々に棘があるよーな。というか、二人きりなのに敬語なのは明らかに怒っている証拠だ。本人は自覚していないが。

「……悪かったな。カッコいいところ見せられなくて」

「――っ、違うでしょう!? そんなことよりも、そんなことよりも――なんであなたは、あんな無謀な賭けを承諾したのよ!」

 したのよ、たのよ、よ、…………見事なハウリング。

「…………いや。それは、その」

「その?」

「…………お前の価値をわかってくれる人が他にもいるんだなぁ、って思ったら嬉しくなっちまって、つい」

 調子に乗ってしまったというか。

 その結果が――どうしようもなく無様な負け、か。

 言い訳のしようもないので、ごめん! と真っ向勝負で土下座する。

「………………」

「………………」

 しばらく、律の反応はなかった。顔を上げるわけにもいかず、ひたすら沈黙の痛さに耐えていると、

「……わたしに、そんな価値があるとは思えない」

 不意に、ぽつりと声が漏れた。

「……え?」

 恐る恐る顔を上げると――いつになく弱弱しい、ともすれば泣き出しそうな律の顔が、そこにあった。

「……わたしの体が、比較的恵まれているものであることはわかります。でも、裏を返せばわたしの価値はそれだけで――別に、あなたが体を張って守る意味があったとは、思えない」

「――律」

 まるで、自分を物のように。

 そこら辺に置いてある置時計ぐらいの物と同列に並べて評価し、律は困惑していた。

 まるで――それが、当然であるように。

「……それとも、男子にとって女子の体はそれほど価値のあるものなの? コレ(・・)は、あなたが傷ついてでも」

「――もういいよ」

 思わず――彼女を、抱き締めていた。

「あ――」

 伝わってくるのは、彼女の鼓動。

 とくん、とくんと。規則的だけど、でも、確かに生の温かさを秘めた柔らかい音だ。

 それだけで、もう充分。

「――お前が、自分をどう思ってるかなんて知らないけどな。俺は、俺なんかよりも、お前が一番大事だよ。それは体型とか顔とかの問題じゃない」

 顔でも形でも声でも性格でもなく。

 ただ――そうやって、物差しにしか、天秤にしかなれないお前を。

 せめて俺が、守ってやりたいって、思ったんだ。

「――好きなんだ。お前が」

 余計な言葉はいらない。

 ただ、彼女を強く感じている今は。

「…………本当に、わからないよ。正義の言ってること。正義が考えてること」

 どう評・・・価すれば・・・・いい・・かわからない(・・・・・・)、と律は嘆く。

 その考え方は、きっと変えられないんだろう。

 なら、それでもいい。

 どんな律だって、俺は受け止めてみせる。

「いいんだって」

「…………ねぇ。それじゃあ、さ」

 不安げに肩を震わせて、律は小さく、呟く。

「おう?」

「あなたがいうことが本当なら。……もし、わたしが死んだら。もし、わたしの心がなくなって、体だけになったら、」

 ――ちゃんと、わたしを捨ててくれるの?

 ただの(モノ)には用はない、って。

「……ああ。それで、お前が救われるなら」

 辻宮律は、確かに誰かにとって大切なもの――ではなく、大切な人だったんだ、と。

 頷いて、くれるなら。

「……でも、死ぬとかいうなよ。次言ったら怒るからな」

「……ええ。ごめんなさい、正義」

 俺たちは、しばらくそのままで。

 お互いが生きていることを、ゆっくりと確かめ合った。





 次の日。



 辻宮律は、ただのモノになっていた。


ブロークン子大集合。

ちなみに、『世にも奇妙な或華さん』に出てきた神斜君と或華さんも登場してますけど、まぁ、バックボーンは同じですけど、違う世界の住人だと思って下さい。平行世界、みたいな。

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