第6話
太陽が重たい灰色の雲に隠れ、大地はどんよりとしている。村人も何処か晴れない顔をして、外を行き交う。そもそも外に出ている大人たちが少ないし、普段は外を元気に駆け回る子どもたちでさえ、どうしたことか家の中で大人しくしている。
こんな日もあるわよね。
エヴァは、窓から外を眺め、いつもはこんな日でも外に出て誰かと遊んでいる弟を見た。弟は、むすっとした表情で本を読んでいる。本は物々交換で商人からもらったものだ。子ども向けの本は、街で人気のものだそう。確か、精霊と子どもの話だったか。
「お姉ちゃん、外に行ってくるからね。」
籠を持って、ストールを羽織った。弟は「いってらしゃい。」と言うと、再び口をへの字にして本に目をやった。
エヴァは広場に向かって歩いていた。
今日はグレアムさんの鹿肉とデグ草の瓶詰めと、良さそうな布があればそれをもらおうと考えながら、ふと広場の方を眺めた。
数人広場にいるのが分かる。良かった、誰かしらお店を出してる。
でも...何だが、様子がおかしい。
エヴァは小走りで広場に向かった。
「どうしたんですかっ?」
「あぁ、エヴァじゃないか。」
エヴァは円になって難しい顔をしている男たちに声をかける。エヴァに気付いた男たちのうち、近くにいた村の長が事情を説明した。
「最近、家畜が殺されてるのを知っているだろう?当番制で夜に見回りをしようと思ってね。だが、珍しいこともあるもんだよ。山の獣は、この季節には家畜に手を出さない。山の実りも、狩られる獲物も多いからね。」
村の長は、ゔぅんと首を傾げながら呻いた。男たちもウンウンと頷きあっている。
「そうなんですか...。」
「そんなわけだから、夜は用心するに越したことはない。エヴァも夜は外出しないようにするんだぞ。」
「はい。分かりました。」
エヴァは、男達が狩ってきた大きな狼や熊を見たことがあるので、あんなものに出くわしたらと思い浮かべ顔を引きつらせた。
「エヴァなら大丈夫よー。うふふふ」
そんなことを言いながら女がやって来た。
「エヴァはバルクがいるものっ。バルクなら狼だって一撃しちゃうわよ。愛する恋人の危機!エヴァを傷付ける奴は許さなーい!!ってねぇ。ね、エヴァっ。」
それを聞いた村の長は、やれやれと首をふり呆れている。が、他の男たちは女に便乗して囃し立てた。村公認の恋人たちは、娯楽が少ない村の中では話題のネタにされやすい。
エヴァは、はいはいと軽く流して其処から外れると、布を引いて座っている男の元へ。
「グレアムさん。こんにちわ。今日は瓶詰めありますか?」
グレアムと呼ばれた男は、「あるよ。」とぶっきらぼうに言うと、木箱を開けて中を見せた。
「鹿肉とデグ草の瓶詰めを下さい。この前の母が凄い気に入って。」
グレアムは、中からひとつの瓶を取って渡した。
受け取ると、エヴァは下げていた籠の中身をグレアムに見せるように差し出した。中には数種類の茸と、サフラブと呼ばれる白い根っこが入れられている。
「ほう、珍しいな。サフラブか。」
グレアムは、白い根を手にとってしげしげと見つめる。
「グレアムさんが気に入るかなと思って、この前運良く見つけたんです。料理に使えるんですよね?サフラブで良いですか?」
グレアムはフムと頷くと、気の箱をズイッと差し出した。え、とエヴァが目を丸くすると「サフラブを貰えるんだ。これくらいが妥当だ。」
エヴァは笑顔で感謝の言葉を述べた。
これで当分、母と弟の争奪戦を仲裁しなくて済む。
「大丈夫か?」
肩を叩かれて振り向くとバルクが心配そうな顔をして立っていた。
瓶詰めが入った木箱は、女のエヴァには重たい代物だった。やっと、半ばほど持ってこれたが、もうすでに手の感覚がない。
荷物を持ってもらうのは申し訳ないと思ったが、バルクは軽々と持ち上げ顔色ひとつ変えずに歩きだしたので、甘えることにした。
最近の話をしながら、歩を進めていた。
ふと先程のことを思い出す。
「そういえば、最近家畜が襲われているじゃない?さっきね、男衆の人たちが喋っていてね、夜見回りすることにしたみたい。多分、話は回ってくると思うけど、当番になったら...気をつけてね?」
「ああ。分かった。」
バルクは険しい表情で応えた。
「無茶はしちゃ駄目よ。ね?」
エヴァは、バルクの腕にそっと触れて言葉にした。最近のバルクは、よくこんな顔をするのだ。それを見るとエヴァの心は締め付けられる。理由は分からない、が無性に不安になるのだ。
「ああ、心配いらない。大丈夫だよ。」
ニコリと微笑んだバルクを見て、エヴァも微笑んだ。
数日後のことだった。
夜、騒がしい音で目を覚まし、母親と一緒に恐る恐る外に出てみると大人たちが走り回っていた。怪我をしている者や、それを介助する者、銃を携え話し合っている者たち。何かが起こったのだー・・・
「どっどうしたんですかっ?」
1人を呼びとめ尋ねると、口早に現状を告げ走り去った。
エヴァは呆然と立ち尽くして、今言われたことを反芻する。
狼の群れが村を襲った。それも見たこともない程の数。見回りの人たちは負傷している。そしてー・・・
「バルクッッ!!」
「いやぁあぁぁぁーーっ!」
エヴァは母親の制止を振りほどき、駆け出した。
「狼の大群が何処からともなく襲いかかってきやがった。」
バルク、気をつけてって言ったでしょ!
「数が数なだけに見回りの奴らは傷を負ってよ。他の奴らも加わって何とか追い払ったんだ。」
バルクッ!心配するなって言ったじゃない!
なのに、どうしてっ。
どうしてっ。
「見回りだったバルクがいねぇんだっ。他のヤツらは狼に飛びかかられてたって。今みんなで手分けして捜してる。」
バルク!バルク!
「バルクーーーーーーーーーッッ!!!」
必死の形相で、走っているエヴァを見た者たちは、エヴァを止めるために後を追い、前にいた者たちは立ち塞がった。
「いけないっ!エヴァ!!危険だ!」
いやっ離してっ!
「俺たちが絶対に探し出すから!!」
いかせてよ、お願いよっ
「バルクは、バルクは、大丈夫に決まってる!狼なんかにっやられねぇよっ!」
バルク、お願いーー・無事でいてっっ
「いやぁぁあぁーーっバルクっ!バルクっ!バルクゔぅぅぅぅーーっっっ!!」
パンッ
.....周りはシンと静まりかえった。
女がエヴァの頬をはたいたのだ。
「エヴァ!しっかりしなさい!貴女が森に入ってどうするの!?貴女は女で守られる側なのよ。力もない、駆ける速度も遅い。貴女が森にいって狼に襲われてしまうかもしれないのよ?戦える?逃げれる?無理でしょうね。それに、このまま入って行ったらバルクを捜索してる者たちは二重の役目を追うことになるの!貴女の勝手な行動で他の人が死ぬかもしれないのよ!!分かってるの!?」
この女は数日前に夫を亡くしていた。その夫は、薬草をつみに行った女が狼に襲われそうになっているのを助けに入り、そのまま帰らぬ人になったのだ。
エヴァは我に返った。
「エヴァ、大丈夫。きっと大丈夫よ。バルクは見つかる。大丈夫よ。日が明けたら、ひょっこり帰ってくるわ。」
エヴァは母親に連れられ、部屋でバルクの無事を祈り続けた。
数日間の捜索虚しく、バルクの消息は不明のまま。
数週間後、真っ赤に染まったバルクの上着が発見され、周囲はバルクの死を知り、喪にふくした。
惨劇の数ヶ月前の出来事であった。