今、姉ちゃん家にいます。
大好きな従姉の亜矢姉ちゃんが失踪してから5年が経った。
姉ちゃんは優しくて穏やかで美人で、俺の自慢だった。
失踪は唐突で誰にも原因がわからず、事故なのか家出なのかはたまた事件なのか、所在も生死すらもわからず、親族総出での捜索も警察の調べでもその居場所はようとして知れなかった。
伯母ちゃんはすっかり老けてしまい、俺の母さんも何かにつけてはため息が多くなった。
親族では葬式を出して一区切りつけるべきだなんて話が出たけど『もし亜矢が幽霊でもいいから帰ってきて、仏壇見て寂しがるといけないから』と伯母ちゃんも伯父さんもやらなかった。俺もそれに賛成だった。
それに、姉ちゃんは絶対に生きてる。
もし帰ってきて居間に仏壇なんかあったら、姉ちゃんは微笑ながら、自分の長の不在を悔やむだろう。
姉ちゃんが自分から居なくなるなんてことはないから、それは姉ちゃんのせいじゃないけど、でも、伯父さんと伯母ちゃんの気持ちを考えて、そして俺や母さんや親族、友達の苦労や心配を思ってすごく気に病むに違いない。
だから、葬式もしないし、捜索も諦めない。
夏休みは毎日駅前や近くの地方都市に行ってチラシを配るのがここ数年の習慣だ。
さすがに中3の夏ばかりは親と伯父さん伯母ちゃんの必死の懇願で予備校通いをし、チラシ配りは諦めたけど、今年は晴れて高校生。親からの諦めと一縷の望みをかけた複雑な視線を受けながら、今日も家を出た。
玄関を出て扉を後ろでに閉めた、その、瞬間。
「えぇ、と・・・?」
「ゆう君?!」
目の前に亜矢姉ちゃんが居ました。
「姉ちゃん?!亜矢姉ちゃん!!!!」
「つまり、なんでか知らないけどいきなりこの世界に立っていて、今はお妃候補で、聖女様なの?」
久しぶりに会った従姉の姉ちゃんは年も取らずに聖女様になっていました。伯父さん伯母ちゃん聞こえますか。ははははは。
なんだかわからないまま神殿とやらから煌びやかな宮殿に連れて来られた。テンプレ通りの中世ヨーロッパか、この野郎。ヨーロッパ行ったことないからわからないけどね。
姉ちゃんは薄いピンクにレースのついた華やかなドレスを着て、まるでお姫様みたいだ。あ、聖女様か。
「ゆう君、すごく大きくなってびっくりしたよ。」
「俺が年を取って、どうして姉ちゃんは居なくなった年のままなのさ?」
「だって、私が異世界にきてからまだ3ヶ月だよ?」
よくやった!異世界!!
元々6つ離れていた俺たちは、今や1歳違い。これきた、きたこれ。完全に俺の時代きた。
思わず笑みが零れて、姉ちゃんが正面で変な顔してるけど、でも嬉しい。
だけど、現状には不満だらけだ。なんで姉ちゃんが異世界なんか来て人助けを強制されながら、王族のセクハラにあってなきゃいけないんだ?
俺や伯母ちゃんや伯父さんや母さんや親族の気持ちは?家族や友達と引き離された姉ちゃんの気持ちは?
例えキランキランな宮殿に住んでて、王族並みの待遇で、なんか部屋にはメイドさん達が傅いてたって、俺は許さないぜ?
「説明は私がしよう。」
ノックの後に部屋に入ってきたのはキラキラな金髪に巻き毛、目の色は青の王子様。
あ、本当に王子様なのね。ふーん。
「亜矢がこちらに来た、その仕組みは今もわかっていないんだ。」
はい?
「この世界は200年前に大飢饉があってね、時の王は毎日新たな政策を打ち出しては民の救済を行っていた。けれども、未曾有の大飢饉だ。自然の前に人間は無力でね。わが国だけなら他国に救援を願えたが、その飢饉は世界規模だった。蓄えの少ない小国は国単位で滅亡していき、人は路頭に迷い、人心は荒れた。時の王は神殿に通い、神に祈った。」
最後は神頼みね。でもそんなもんか。
「神殿に通いつめて10日。時の王が祭壇に額づいて祈ると、目の前に男が居た。」
「男?」
「あぁ、壮年の男だったと記録されている。王は神の御業とわかったが、わかっただけでどうしようもなかった。言葉が通じなかったのだ。」
「言葉が?え?でも、俺が話してるのも、アンタも日本語だよね?」
「あぁ、王族はかの世界の言葉を学ぶからな。日本語の他に英語とフランス語が話せるぞ。」
「・・・日本語でお願いします。」
「我々とその男の言葉には一切の共通項がなく、コミュニケーションは身振り手振りのみだった。どうやら、彼が話していたのは英語だったようだ。彼は半年をかけてこちらの言葉を覚えた。もちろんこちらも彼の言葉を理解しようと学んだが、何せ彼の言葉は彼にしか話せない。対してこちらは彼以外が同じ言語だからな。彼がこちらの言語を取得するほうが早かったのだ。」
「で?」
「彼と少しずつ言語でのコミュニケーションが取れ始めると、彼が農業のスペシャリストだということがわかったのだ。
どうやら、そちらの世界とこちらの世界では500年近く文化の差があるようだな。
彼は農業の知識を使って、この世界に農業革命を起こした。もちろん彼が知っていることがそのままこちらに当てはまらないことは沢山あった。どうやら作物も多少違うようだしな。だが、その知識は確実にこちらの世界の文化の進化を促した。世界は何十年かかるところを数年で回復したのだ。」
「そりゃ、良かったな。だけど、そのおっさんはどうしたんだ?帰りたがらなかったのか?」
「そう、最初は言葉を理解することで必死だった彼も、どうやらここが同じ世界ではないと早々に気づいたようでな。そして、喜んだんだ。」
「喜んだ?」
「あぁ、彼はそちらの世界に絶望していた。彼は農業で生計を立て、家族を愛する普通の男だった。だが何か大きな不幸があって彼は家族をなくし、彼は湖に身を投げた。死を覚悟したその瞬間に、祭壇の前に立っていたらしい。」
「絶望した男が新しい世界に呼ばれた?」
「おそらく、だ。男も、もちろんこちらもどうやって男がこちらに来たのかわからない。
だが結果として、こちらの世界に必要だと思われる知識を持った男がこちらに呼ばれ、男も絶望した世界で死ぬところを新たな世界に呼び出されて世界を救い、人生を全うした。」
「男は満足だったのか、人生に?」
「あぁ、文献ではそう残っている。実際に会った私の祖父の祖父は、沢山遊んでもらって楽しかった、と私の祖父に話したらしいしな。」
「だけど、亜矢姉ちゃんは人生に絶望なんかしてなかったぞ!」
「あぁ、そうなんだ。200年前のその男以来、亜矢を含めて4人がこちらに来た。それぞれ年も性別も能力も違うが、共通していたのはこちらに必要な知識を持ち、そして人生に絶望して死を望んでいたことだった。」
「あぁ、だけど姉ちゃんは違う。」
「そうだ。だから亜矢がどうしてこちらに来たのかわからない。今までの異世界人は世界に絶望していたからそちらに帰りたがらなかったし、その研究もされなかった。まぁ、来た方法もわからないから、帰る方法も研究された所でわかるとも思えないがな。」
荒唐無稽な話だ。
だけど、姉ちゃんはここ居る。そして俺もここに居る。
「あれ?そういえば、じゃあ、今回は何も祈っていないのか?困ったことは?世界規模の何か問題は?」
「起こっていない。世界は多少の歪みはあっても、それはこの国、この世界がどうにかすべき問題で異世界の知識や人間に頼るべきものでもない。・・・だが、」
「・・・だが?」
「私は毎日神殿で神に祈ったのだ。私を愛し、私が愛し、世界が愛する心の美しい女性と出会いたい、と。」
「原因はっきりしてるじゃねーか!!!」
姉ちゃん、だめだ。王子の隣で顔を赤くするな。
「そんな勝手な願いで姉ちゃんが連れてこられたのか!!ふざけるな!!人権侵害だ!!姉ちゃんの両親が、俺が、親族が、友達がどんな気持ちでこの5年を過ごしたと思っているんだ!!」
「ゆう君・・・ごめんね。ごめんね。私、そんなに時が経ってると思わなくて。すごく寂しい日もあったけど、でも、何かこの世界に必要で呼ばれたんじゃないかと、悩んで。」
「亜矢、すまない。けれど、君が必要なんだ。この世界にも、私にも。」
「世界じゃねーだろうが!」
「違うんだ、ゆう君。」
「ゆう君、言うな。」
「では、ゆう殿、違うのだ。私の希望ももちろんだが、この世界に亜矢は必要なのだ。彼女は、聖女なのだ。」
「なんだよ、聖女って。」
「聖女としか言いようがないのだ。どんな病人も彼女の前に額づけば、病は癒え、怪我が塞がれ、心が穏やかになるのだ。」
「だから?だから家族と離れても仕方ないのか?この世界を癒すために?」
「そうは言わない。彼女がこの世界に来てしまったのは、私の祈りのせいかもしれない。いや、そうなのだろう。そして、彼女の癒しは、偶然かもしれない。だが、もう彼女と離れては暮らせないのだ。」
「知るかーーーーーーーーー!!!!!」
王族に叫んで怒鳴ったが、かの王族は心が広いらしい。怒鳴り疲れた俺に、姉ちゃんの隣の部屋を宛がい、メイドさん達に世話するように指示して穏やかに去って行った。
兎にも角にも帰る方法すらわからない。姉ちゃんはあの莫迦王子の祈りで呼ばれたのかもしれないが、じゃぁ、俺は?俺こそ、どうして呼ばれたのか不明だ。
「ゆう君、ちょっといいかな?」
メイドさんを引き連れて亜矢姉ちゃんが部屋に入ってくる。
すごく久しぶりに会った姉ちゃんは、とても綺麗だ。記憶より幼く見えるのは俺が彼女の年齢に近づいたせいだろう。せっかく会えたのに話もしていない。
「うん、いいよ、亜矢姉ちゃん。」
「あのね、私がこの世界に来た理由がわかないって、話、あったでしょう?」
「うん、言ってたね。どうやらあの莫迦王子のせいみたいだけどね。」
「違うの。私ね、私、すごく下らないことですごく落ち込んでたの。あの日、テストの点が悪くてね。ほら、うちのお母さんもお父さんもすごく私に期待してるでしょう?嬉しいし、すごく誇らしいんだけど、来年は受験生で、もう周りは勉強勉強で。それなのに小テストがすごく悪かったの。それで、」
「それで絶望したの?」
「・・・くだらないことだってわかってるんだ。冷静になれば、本当にどうでもいいことだよ。間違えたテストなんか復習すればいいだけだし、わからない所がわかる、ってチャンスなわけだし。わかってるの。だけど、なんだか疲れてしまって。ふと、もうヤダな、って思ったの。受験も親からも逃げたい、って。そうしたら、こちらに居たの。」
「そっか。」
つまり姉ちゃんも普通の人だった、ってことだ。俺にとってはすごく年上で、賢くて優しい自慢の従姉だったけど、でも普通の女の子だ。少しばかり生真面目で、少し落ち込んでしまっただけだ。それは責められるべきことじゃない。
姉ちゃんが年を取らず、その間に俺は5歳も年を取った。今、俺達の年の差はたった1歳。
今俺の中で、姉ちゃんは年上の憧れの従姉じゃなくて、守るべき従姉になった。生真面目で優しい少し頼りない可愛らしい女の子に。
「話してくれてありがとう。姉ちゃん、俺異世界だけどここで姉ちゃんに会えてすごく嬉しいよ。生きて会えて本当に嬉しい。伯父さんと伯母ちゃんといろんな人に報告してあげたらすごく喜ぶと思う。だけどそんなことどうでもいいくらいに、会えて嬉しいよ。」
「ゆう君・・・」
姉ちゃんは俺が大好きなあの微笑を浮かべながら、泣いた。
姉ちゃんと再会してから3日。
俺はやることがなくて城の中庭を散歩していた。
姉ちゃんは聖女らしい。優しい彼女は、自分がその存在だけで人の癒しとなれることをとても喜んでいる。額ずかれるのは嫌みたいだけど。こればっかりは仕方ない。そういう仕様のようだから。
だけど、俺は?
俺はどうしたらいいんだろう。なんでココに居るんだろう。
俺は絶望していなかった。あの日も少しでも姉ちゃんの消息を知ることが出来ないかと、少しでも多くの人に姉ちゃんの情報を知ってもらおうと、チラシをいつもより多く用意して家を出たんだ。
それとも、心のどこかで絶望していたのだろうか?
姉ちゃんのことを諦めていたのだろうか?
「ゆう殿。」
「うおい!?なんだよ?驚かすなよ、莫迦王子!!」
「私は莫迦王子という名ではないが、君の心情を汲んでその名を暫くは甘んじて受けよう。」
「そうかい、ありがとうね。」
「君は元の世界に戻りたいのか?」
「戻りたいね。亜矢姉ちゃん連れてね。親も心配しているだろうしね。だいたい、ここに居ても何もすることがないよ。王族以外言葉も通じないし。」
「君はどうしてこの世界に呼ばれたんだと思う?」
「さぁね、わからないな。」
今全く同じことを考えていたの気づいて話かけたのか、この莫迦王子。
「私は、君は亜矢に呼ばれたのだと思う。」
「姉ちゃんに?」
「あぁ。彼女は私の祈りによって呼ばれた。彼女の心の中までは私はわからない。彼女の様子からしても強い絶望を持っていたとも思えない。だが、私の祈りが届いた瞬間、彼女は小さいけれども絶望していたはずだ。絶望という言葉が強ければ、厭世的だと言ってもいい。」
「厭世的・・・。日本語がお上手ですね。」
「彼女はそうしてこの世界に呼ばれた。けれど、呼ばれたところで彼女は強い使命があるわけでもない。聖女としか思えないあの癒しの能力は偶然だろうと、私は考えている。
あちらの世界に絶望していたわけでもないから、こちらの世界に生きることが救いにもならない。むしろ、彼女の性格からして逃げ出したことを恥じているはずだ。」
「生真面目だしね。」
「そう、彼女は生真面目だ。毎日神殿で祈っていたよ。彼女が生きていることが、あちらの両親に伝わるように。そちらの世界に戻ることが出来なくても、彼女はずっと家族と友人と、そちらの世界を思っていた。そこに君が来たんだ。亜矢を強く想っている、君が。」
莫迦王子の言う通りなら、俺はあの瞬間に世界を越えて姉ちゃんと想いが通じたのだろう。
両親でもなく、友達でもなく、従姉弟でしかない俺達が。
「それが君のこの世界に呼ばれた理由だと思う。君の場合は絶望よりはお互いの吸引力だろう。彼女が名指しで君を呼んだわけではないが、あの世界で、彼女を一番強く呼んだのは君なのだろう。」
それが正解なのかもしれないし、不正解なのかもしれない。
まぁ、しかし、ここに俺は居る。
「だから、君は聖女に呼ばれた男だ。君の存在が聖女を癒すとなれば、我が国は君を疎かに出来ない。国で君を養って行くのもやぶさかではないよ。」
「なんだか嫌な言い方だね。」
「そうかな?そうでもないと思うけどね。まぁ、彼女の中では君は可愛い従弟のようだしね。」
なんだか棘があるのは、あれか、俺をけん制してるのか。
確かに離れ離れになった時、俺は彼女の可愛い弟分だった。だけど今や年の差はたかだか1歳。
そして、彼女をあの世界と繋いだ唯一の人間。
「こちらの世界に居れば、もう年の差も気にならないな。亜矢姉ちゃんは俺の大事な人だよ。」
姉ちゃんと再会してから1年。
俺は各地を旅しながら、定期的に姉ちゃんの住む城に戻る。
姉ちゃんは聖女をしながら、あちらの世界に戻るすべを探しているようだ。俺達がこちらに来た様に、何かの弾みでこちらに来てしまう人がこの先いるかもしれない。そんな人を救いたい。まだ見ぬ人の為にまで心を砕く彼女は本当に聖女のようだ。
もちろん俺も、旅をしながらどうにか元の世界に戻れないか探している。
「もし戻っても、また年の差は6歳に広がるぞ。」
求婚が実らない莫迦王子の囁きが俺を惑わすけれど、もしまた年の差が開いたとしても、もう彼女をただ憧れの年上の従姉だとは思わないだろう。
生真面目で優しくて弱い、可愛い俺の姉ちゃん。
母さん、父さん、伯父さん、伯母ちゃん、俺、今亜矢姉ちゃんの家に居ます。元気だよ。