フォスフォレッセンス
「綺麗な花だなあ。」
と若い編輯者はその写真の下の机に飾られてある一束の花を見て、そう言った。
「なんて花でしょう。」 と彼にたずねられて、私はすらすらと答えた。
「Phosphorescence」
-『フォスフォレッスセンス(太宰治)』より―
コロン、とグラスの氷が音を立てた。
その男は神戸で生まれた。三鷹で幼少を過ごし、京都で学生生活を送った。男の回りには常に文学があった。三島や太宰、谷崎と、硬軟織り交ぜて男は小説を愛した。自分も小説家になろう、と思っていた。
しかし、男には文才というものがなかった。ひとの小説を読み、ヨシ自分も、と思ってもいざ原稿用紙を前にするとその一マスも生めることが出来ぬのだ。仕方なく、男は平凡なサラリーマンになった。つもりであった。
男の会社は転勤が多かった。東京、京都と異動し、気づけば青森に住んでいた。青森で育ち三鷹で死んだ太宰。その太宰を愛する俺は三鷹で育ちこのまま青森で死ぬのか。終わりの見えない青森勤務に男は思った。
まあ、ただ、俺は生きていく。人間は案外しぶとい。琥珀色のアイスティーを飲みながら男は思うのだった。
その店の名は、フォスフォレッセンス。
三鷹市上連雀にある「フォスフォレッセンス」へ行ってきました。
緑の美しい街の一角にある、小さな古書カフェです。
足跡帖が置いてあったので、つい書いてしまった文章。
本当は反則かもしれないけれど、ネットの海にも同じものを放流することにしました。