真夜中の血宴③
窓を叩く音が執拗に続く。
ちゃぶ台に突っ伏して歯をギリギリいわせていたカルミーナだったが、ついに堪忍袋の緒が切れた。
「嗚呼!もう!」
彼女は窓にダッシュすると、内障子を激しく開けた。
窓の外にはつぎはぎだらけの黒いワンピースを着た髪の長い女が立っていた。
彼女は上目使いで卑屈な笑みを浮かべながらガラスに貼り付いている。
紅夜叉 230才
日本在来種の女吸血鬼である。
「ねえ…この窓を開けてちょうだい。お願い」
「夜叉さん!本当にいい加減にして下さい!」
「お願いだから……中に入れて……」
「嫌です!帰って下さい!」
「そんなこと言わないで。お腹が空いてたまらないの……血を恵んで。少しでいいから」
「あのですね……どうして自分で働いて血を買おうとしないんですか?いつも言ってるじゃないですか!」
「ふ……ふん!人間なんかに媚びないわ」
「夜叉さん!そんなこと言ってるから今の状況があるわけでしょ!」
「そ、そんな事より……死んじゃう……もう二ヶ月も血を飲んでいないの……助けて……」
「くっ!」
「一本だけでいいから。飲んだらすぐ帰るから……」
「………1本だけですよ!」
カルミ―ナは渋々クレセントをひねって窓を開けた。
「ありがとう!」
紅夜叉はくたびれたパンプスを脱ぎ捨てると、窓をまたいで入ってきた。
(臭!)
カルミ―ナは渋い表情で鼻先を手で煽る。
「何だろう…とてもいい匂いがするわ」
紅夜叉はくんくんと鼻をきかすとちゃぶ台の上のワイングラスに目をやった。
(あ!まずい!)
カルミーナは慌ててワイングラスを手に取ると解凍庫に入れた。
「カルミン……何?あの血。とっても綺麗な色だったけど」
「あれは駄目です!」
「でもすごいいい香りだったわよ。一口だけ……ね!」
「だからダメって言ってます。ちゃんともう1本ありますから」
カルミ―ナはそう言うと、もう1本解凍中の血液瓶を取り出した。
「これだって、本当は私のために御提供いただいた大切な血なんですからね!1本5000円もするんですよ!心して飲んでくださいよ!」
そう言いながらコウモリのゆるキャラの絵柄がついたマグカップに血を注ぐ。
「うふふ…ありがとう!」
紅夜叉は落ちくぼんだ頬で笑みを浮かべ 、貪るようにマグカップに口をつける。
中身は瞬間的に空になった。
「嗚呼……生き返ったわ!」
紅夜叉は落ちくぼんだ目元をほころばせる。
「さあ。これでもう気が済みましたでしょ!もう帰ってください!」
「うふふ…カルミン……血はとっても美味しかったわ。それでね……もう一つだけお願いしていい?」
「な!ダメです!お願いなんて聞きません!」
「そんなに冷たくしないで……同じ眷族じゃない」
「もう!一体……何が望みなんですか!」
「あたしの下着はボロボロで臭いの。カルミンのを貸してほしいのよ」
「ハァ!ふざけないでください!」
「お願いよ!必ず返すから」
「そんなこと言って……今まで戻ってきた試しがないですけど!」
「今度は絶対返すわ。約束よ。せめて、せめて、女のたしなみはちゃんとしたいの!カルミンならわかるでしょ?お願いだから!」
(駄目だ!貸さないと……この女絶対帰らない……)
「……下着を貸したら……帰りますか?」
「うん!絶対!」
「……分かりました」
「きゃあ!ありがと!」
カルミ―ナはほとんど殺意を込めて紅夜叉を睨みつけてから、押入れを開けて棚をまさぐった。
「あれ?おかしいわね…あ!全部洗濯したんだ!」
棚に下着がないことに気づいたカルミーナは洗面所に置いてある乾燥機付き洗濯機に向かった。
洗濯機の蓋を開けると薔薇柄の赤い下着が全て乾いている。
「あったあった!これなら……」
一番安物の下着を取り出したその時であった。
和室から絶叫が聞こえた。
「きゃぁぁぁぁ――!ウマ―――!」
「あ!しまった!」
カルミ―ナは顔面が蒼白になりながら和室に急行した。
そこで彼女が見たものは…………。
床に転がる空のワイングラスと、その横で至福の顔で悶絶して畳の上に仰向けに転がっている紅夜叉の姿であった。
「きゃあ!春人君の血が!」
カルミ―ナは床で昇天している紅夜叉の襟首を掴んで頭を激しく振った。
「血は?血はどうしたんです?」
「全部…………飲んら………」
「ひ!嘘!」
「おいひ……かった……」
「そんな……そんな、ひどい!ひどいわ!うわぁぁぁ―――!」
カルミ―ナは畳の上にがっくりと膝を落とすと天を仰いで号泣した。
その声を聞きつけた碇谷が2階から怒鳴りながら降りてきた。
「何を泣き喚いてやがる!いい加減にしろよ!」
「夜叉さんが飲んじゃった!春人君の血を飲んじゃった!あぁ――ん!」
「何?一体何時だと思ってやがる!あれ……!てめえ!時々たかりに来る野良吸じゃねえか!」
ムクッと起き上がった紅夜叉は挑発的な目つきで碇谷を睨んだ。
「うっさいわね!あたしの名は野良吸じゃないわ!紅夜叉よ!」
「うわ!臭え!不法侵入だぞ!てめえ!」
「不法侵入じゃないわ!ちゃんとカルミンの許可は得てあるの!」
「これは俺の家だぜ!分かった…警察を呼んでやる」
これを聞いて紅夜叉の顔色が変わった。
「え!い、いや!おまわりさんは嫌よ!分かったわ。退散してあげる」
そう言うと彼女は、泣いているカルミーナの手から下着を引ったくると入ってきた窓から飛び出した。
グキッ!と足をひねる音に続いて「痛!うう……」
という紅夜叉の情けない声が響く。
「おいおい!大丈夫かよ……」
碇谷は溜息を漏らすと、まだべそをかいているカルミ―ナに声を掛けた。
「いつまでもメソメソすんなよ。まだ半分残してるんじゃねえのか?」
「ヒック……うん……残してる」
「そいつを飲んで機嫌を直せや」
「……そうする」
「よし。じゃあ俺は寝るぞ」
「あの……泰造さん」
「な、何だ……」
「レミ―……下さい」
「お、おい!またかよ……勘弁してくれよ!」
「お願い。私の機嫌が劇的に良くなるかも」
「ちっ!よく言うよ……分かった!分かったよ!」
カルミ―ナの涙に濡れた顔がにっこりと笑った。
真夜中の児童公園。
公衆トイレの中から声がする。
「もう!胸がぶかぶかじゃない。あの子……栄養が足りてるもんだから。悔しい!あたしだって血さえちゃんと飲んでいれば…………」
ブランコやシーソーが誰もいない広場で静かに佇んでいた。




