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『追放聖女、革袋が突然何も出なくなって三日間本気で怖かった話』 ~最初から出ていた、気づいていなかっただけという話~ ep-17

掲載日:2026/05/27

数ある作品の中から見つけてくださりありがとうございます!

本作は【異世界定食】〜とんかつ屋「揚太郎」に集う、ワケありな人々〜シリーズ読み切りです。

 三日前から、袋が何も出さなくなった。

 リーネは朝の仕込みの前に必ず袋に触れる。念じれば味噌が出てくる。醤油が出てくる。米が出てくる。麹が出てくる。それが当たり前だった。

 だが三日前の朝、何も出なかった。

 最初は袋の機嫌が悪いのだと思った。

 この袋は気まぐれだ。念じても出てこない日がある。諦めかけた瞬間に溢れ出す。そういう性格の袋だとリーネは理解していた。

 だから一日目は待った。

 二日目も待った。

 三日目の朝、また何も出なかった。


 リーネは袋を両手で抱えて、仕込み台の前に座り込んだ。

(……どうしよう)

 怖かった。

 本当に、怖かった。

 物心ついた頃から、この袋と一緒に生きてきた。追放された夜も、雨の中を三日歩いた時も、この袋があった。

 袋があったから、揚太郎の店に辿り着けた。

 袋があったから、味噌汁が作れた。

 袋があったから、ここにいられる。

(……私、袋がなくなったら、何ができるんだろう)

 答えが出なかった。


 ◇


 揚太郎が厨房に来た。


「仕込みが遅い」


「……すみません」


 リーネは立ち上がろうとして、また座り込んだ。

 揚太郎がリーネを見た。


「どうした」


「袋が、三日間何も出なくて」


「そうか」


「怖いんです。袋が出なくなったら、私には何もなくて」


 揚太郎は何も言わなかった。

 鍋に水を入れて、火にかけた。


「仕込みを続けろ」


「……はい」

 リーネは立ち上がった。

 袋を腰に下げたまま、味噌の確認を始めた。

 昨日の味噌を指で触れた。

 固さを確かめた。

 今日は少し固い。

 固い日は力を中心に集める。

 ゆっくり、お玉を回した。

 香りが立った。

 いつもの香りだった。

 リーネの手が、止まった。

(……あれ)

 気づきかけて、止まった。

 でもまだ、わからなかった。

 リーネはお玉を回し続けた


 ◇


 アル爺が来たのは、昼前だった。

 蒸籠を磨きながら、リーネをちらりと見た。


「元気がないな」


「袋が出なくて」


「三日か」


「はい」


 アル爺はしばらく黙って蒸籠を磨いた。

 それから、リーネの手元を見た。


「お前、今日の味噌汁、いつもより深いぞ」


 リーネは固まった。


「……え?」


「昨日も一昨日も、いつもより深かった」


「で、でも袋が出なくて、材料は昨日の残りで——」


「昨日の残りで作ったのか」


「……はい」


「一昨日も?」


「……はい」


 アル爺は蒸籠を置いた。


「リーネ」


「はい」


「袋が出なくなった三日間、お前は何を使って味噌汁を作った」


 リーネは、自分の手を見た。

 昨日の残りの味噌。

 一昨日仕込んだ麹。

 その前の日に絞った醤油。

 全部、袋から出たものではなかった。

 全部、リーネが仕込んだものだった。


「……あ」


「気づいたか」


 リーネの目が、じわりと潤んだ。


「袋が出なくなったんじゃなくて」


「ああ」


「私が、自分で仕込んでたから」


「ああ」


「袋は、最初から出てた」


「そうだ」


 アル爺は蒸籠を取り上げた。


「お前がここに来た頃は、袋から出たものをそのまま使っていた。今は違う。仕込みの前日から準備して、状態を確かめて、手で感じて、自分で判断している」


 リーネは手帳を持っていなかった。

 だが頭の中で、何かが繋がっていく音がした。


「袋が出なかったんじゃなくて、私が袋に頼らなくなってたから、袋が出る必要がなかった」


「そういうことだ」

 アル爺は蒸籠を棚に戻した。


「追放された日、お前は袋がなければ何もできないと思っていたか」


「……思っていました」


「今はどうだ」

 リーネは自分の手を見た。

 味噌の香りが染み込んだ指先。

 三日間、袋なしで仕込みを続けた手。


「……わからないです。でも」


「でも?」


「今日の味噌汁、作れました」


 アル爺が短く言った。

「それだけで十分だ」


 ◇


 その夜、閉店後にリーネは袋に触れた。

 念じた。


 ズザザザザァァッッ。

 怒濤の勢いで麹が溢れ出した。

 床が白くなった。

 リーネは麹まみれになりながら、笑い出した。


「もうっ、このタイミングで!」


 揚太郎が厨房から顔を出した。

「また暴走か」


「三日間出なかったのに、今になって!」


「片付けろ」


「はいっ……でも」


 リーネは麹を両手で抱えた。

「よかったです。出てきて」


 揚太郎は何も言わなかった。

 鍋に向き直った。

 リーネが麹をかき集めながら、アル爺の言葉を思い出した。

 袋がなければ何もできない。

 ずっとそう思っていた。

 だが三日間、袋なしで味噌汁を作った。

 揚太郎に「仕込みを続けろ」と言われて、続けた。

 アル爺に「今日の味噌汁、深いぞ」と言われた。

(……私は、ここで、ちゃんとやっていた)

 リーネは麹を仕込み台に並べた。

 明日の準備を始めた。

 袋は腰に下げたまま、今夜はもう念じなかった。

 念じなくても、できることがある。

 それがわかっただけで、十分だった。


 ジュワァァァ……バチバチバチッ。

 路地裏に、今夜最後の揚げ物の音が響いた。


(完)


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