『追放聖女、革袋が突然何も出なくなって三日間本気で怖かった話』 ~最初から出ていた、気づいていなかっただけという話~ ep-17
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本作は【異世界定食】〜とんかつ屋「揚太郎」に集う、ワケありな人々〜シリーズ読み切りです。
三日前から、袋が何も出さなくなった。
リーネは朝の仕込みの前に必ず袋に触れる。念じれば味噌が出てくる。醤油が出てくる。米が出てくる。麹が出てくる。それが当たり前だった。
だが三日前の朝、何も出なかった。
最初は袋の機嫌が悪いのだと思った。
この袋は気まぐれだ。念じても出てこない日がある。諦めかけた瞬間に溢れ出す。そういう性格の袋だとリーネは理解していた。
だから一日目は待った。
二日目も待った。
三日目の朝、また何も出なかった。
リーネは袋を両手で抱えて、仕込み台の前に座り込んだ。
(……どうしよう)
怖かった。
本当に、怖かった。
物心ついた頃から、この袋と一緒に生きてきた。追放された夜も、雨の中を三日歩いた時も、この袋があった。
袋があったから、揚太郎の店に辿り着けた。
袋があったから、味噌汁が作れた。
袋があったから、ここにいられる。
(……私、袋がなくなったら、何ができるんだろう)
答えが出なかった。
◇
揚太郎が厨房に来た。
「仕込みが遅い」
「……すみません」
リーネは立ち上がろうとして、また座り込んだ。
揚太郎がリーネを見た。
「どうした」
「袋が、三日間何も出なくて」
「そうか」
「怖いんです。袋が出なくなったら、私には何もなくて」
揚太郎は何も言わなかった。
鍋に水を入れて、火にかけた。
「仕込みを続けろ」
「……はい」
リーネは立ち上がった。
袋を腰に下げたまま、味噌の確認を始めた。
昨日の味噌を指で触れた。
固さを確かめた。
今日は少し固い。
固い日は力を中心に集める。
ゆっくり、お玉を回した。
香りが立った。
いつもの香りだった。
リーネの手が、止まった。
(……あれ)
気づきかけて、止まった。
でもまだ、わからなかった。
リーネはお玉を回し続けた
◇
アル爺が来たのは、昼前だった。
蒸籠を磨きながら、リーネをちらりと見た。
「元気がないな」
「袋が出なくて」
「三日か」
「はい」
アル爺はしばらく黙って蒸籠を磨いた。
それから、リーネの手元を見た。
「お前、今日の味噌汁、いつもより深いぞ」
リーネは固まった。
「……え?」
「昨日も一昨日も、いつもより深かった」
「で、でも袋が出なくて、材料は昨日の残りで——」
「昨日の残りで作ったのか」
「……はい」
「一昨日も?」
「……はい」
アル爺は蒸籠を置いた。
「リーネ」
「はい」
「袋が出なくなった三日間、お前は何を使って味噌汁を作った」
リーネは、自分の手を見た。
昨日の残りの味噌。
一昨日仕込んだ麹。
その前の日に絞った醤油。
全部、袋から出たものではなかった。
全部、リーネが仕込んだものだった。
「……あ」
「気づいたか」
リーネの目が、じわりと潤んだ。
「袋が出なくなったんじゃなくて」
「ああ」
「私が、自分で仕込んでたから」
「ああ」
「袋は、最初から出てた」
「そうだ」
アル爺は蒸籠を取り上げた。
「お前がここに来た頃は、袋から出たものをそのまま使っていた。今は違う。仕込みの前日から準備して、状態を確かめて、手で感じて、自分で判断している」
リーネは手帳を持っていなかった。
だが頭の中で、何かが繋がっていく音がした。
「袋が出なかったんじゃなくて、私が袋に頼らなくなってたから、袋が出る必要がなかった」
「そういうことだ」
アル爺は蒸籠を棚に戻した。
「追放された日、お前は袋がなければ何もできないと思っていたか」
「……思っていました」
「今はどうだ」
リーネは自分の手を見た。
味噌の香りが染み込んだ指先。
三日間、袋なしで仕込みを続けた手。
「……わからないです。でも」
「でも?」
「今日の味噌汁、作れました」
アル爺が短く言った。
「それだけで十分だ」
◇
その夜、閉店後にリーネは袋に触れた。
念じた。
ズザザザザァァッッ。
怒濤の勢いで麹が溢れ出した。
床が白くなった。
リーネは麹まみれになりながら、笑い出した。
「もうっ、このタイミングで!」
揚太郎が厨房から顔を出した。
「また暴走か」
「三日間出なかったのに、今になって!」
「片付けろ」
「はいっ……でも」
リーネは麹を両手で抱えた。
「よかったです。出てきて」
揚太郎は何も言わなかった。
鍋に向き直った。
リーネが麹をかき集めながら、アル爺の言葉を思い出した。
袋がなければ何もできない。
ずっとそう思っていた。
だが三日間、袋なしで味噌汁を作った。
揚太郎に「仕込みを続けろ」と言われて、続けた。
アル爺に「今日の味噌汁、深いぞ」と言われた。
(……私は、ここで、ちゃんとやっていた)
リーネは麹を仕込み台に並べた。
明日の準備を始めた。
袋は腰に下げたまま、今夜はもう念じなかった。
念じなくても、できることがある。
それがわかっただけで、十分だった。
ジュワァァァ……バチバチバチッ。
路地裏に、今夜最後の揚げ物の音が響いた。
(完)
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