09話 恋する女魔導士マリン
ヤ、ヤバイ。なんかこの女の様子が、あきらかにおかしい!
「ステラちゃん、逃げて! マリ姉、ゴメン!」
その言葉とともに、猫又は瞬速の動きでマリンの腹を拳で打つ。
されど――
「なにィ!?」
マリンはその拳をすり抜け、猫又を抜いてゆく。
本当にすり抜けた?
『かわした』とかじゃなく、本当に拳がその体を通り抜けたように見えた。
「くっ、相変わらず見事な透化術。手加減してマリ姉には当てられないか」
術師でありながら一対一で前衛職とやり合える技を持っているだと?
それも、あの猫又を相手に。
やはり、とんでもねぇな。この女。
「っと、感心してる場合じゃねぇ、ステラ!」
ステラに目をやった時、すでにマリンはステラの真正面にいた。
――ドックン
マリンのその背中から心臓の高鳴る音が聞こえたような気がした。
なにか決定的にマズイ方向に動いた予感がする。
「あ、あの、お姉さん?」
「うぅかわうぃ………」
「はい?」
「かわうぃよぉおおおおおおお!!!!!!」
「ええっ! どうしちゃったの、お姉さん? さっき兄ちゃんとクールに交渉してたあなたはどこへ!?」
「フ、フフフフフフ……始まったわ」
「な、なにが?」
「アタシの愛が! 走り出したわ!!」
ヤバイ! 完全に変質者だ!!
「ねぇ、君。名前は………ハッ!?」
猫又が疾風のように動き、マリンの目の前のステラをあっという間にさらった。
「ゴメン、マリ姉。ステラちゃんだけは渡せない」
「あー、そういうこと。あなたが心変わりした理由って、この子だったの」
「うん、そう。なんとなく『マリ姉に見せたら危うい』と思って言えなかった」
「そ、そんあわけないじゃない。仮にも、アンタが気に入っている子をアタシが横取りするなんてこと………あるわけが………ゴクリ」
マリンの目の色が変わった。
ヤバイな。ヤバイ女になった瞬間かもしれない。
「おやつ…………」
「うん」
「その子、アタシにちょうだい!」
マリンは右目につけている眼帯を外した。
その目は虹色に輝いている。
「あの目はまさか………伝説の虹玉瞳? なぜ、そんなものをあの女が!」
「知っているんですか、アンダースン様?」
「魔術の最高到達をした者に宿ると言われている瞳だ。あの瞳を持った魔導士は災害級にもおよぶ魔術を使うとも言われている。なにをするかは知れんが、ここに居るのはマズイかもしれん」
「クッ、しかしステラがヤツラの中心にいる。アイツを置いて逃げるわけにも……」
「そうだな。ならば最悪の時には、あの子と手をとりあって……」
こんな時に何を考えてるんだ、この人は。
気持ちよさそうに妄想にふけりやがって。
「ちぃっ、だがたしかにヤツから感じる魔力の量はとんでもなく膨大だ。なにをするつもりだ」
マリンが手をかざすと、その足元に巨大な魔方陣が現れた。
そして詠唱をはじめる。
マリンの魔導士としての真価を見せるか!
「ザーザースザーザースクロノザース。深海の底に眠るディープブルー。我の呼びかけに応え疾く目覚めて来たれ。【大海峰】!!!!」
「なにィ!!?」
短い詠唱で、足元の魔方陣から突如巨大な』水柱は噴き上がった。
とてつもなく大量の水が天高く山のような大きさになるまで屹立し、そのまま崩れることなく固まっている。
「バカな………こんな大量の水を呼び寄せるなど。しかしどうして、この水は落下しないんだ?」
「魔術で固定しているのでしょう。だけどそれを解いたら………そうか、そういう術か」
圧倒的な水の質量で、この場にいるすべての人間を叩き潰す魔法だ。
生きていたとしても、大量の水に息が出来ず、そのまま水死だ。
「アーハハハ、おやつ。いくらあなたでも、これだけの水に叩きつけられたら、タダじゃすまないわねぇ。どう? これに乗りきることに挑戦してみる?」
「うん、ボクひとりなら挑戦してもいいけど………そうしたらステラちゃんが水の底に」
「あ……帰れ、海の底に」
ボシュウッ………
水の巨大な柱はたちまちに消え失せた。
なんなんんだ、この女の情緒不安定さは。
「ハァハァ………これじゃ無駄に魔力を消耗しただけだわ。なんでこんなことに」
「やり過ぎだよ、マリ姉。ステラちゃんにあやまって」
猫又に怒られたマリンはステラをジッと見つめる。
ポロッ
あ、涙。
「うっ、うううっ……グスグス」
うわああ、泣いちゃったよ。
コイツ、本当にさっきまで俺らを翻弄していた奴と同一人物か?
「うっ、ううっ、そりゃあマリンは愛し方ウザいけどさ。重たいけどさ」
あと「ヤバイ」もあるだろう。
さっき俺らまで巻き込んで水の底に沈めようとした事を忘れたか。
「でもでも! 本気で好きになっちゃったら、こうなっちゃうんだから、しょうがないじゃない。うぇーん。酒、酒ぇえええ!!」
マリンは手足ジタバタさせて泣きわめく。
いい年してその泣き方はやめろ。どうしたら良いかわからなくなっちまっただろうが。
頼みの綱は、そこで困惑している猫又だが。
「このマリ姉、ひさびさに見た。弱ったな。ボク、女をなぐさめる方法なんて知らないんだけど」
「あ、じゃあ、あたしが。フラれて泣いてる友達の相手は二度ほどやったことがあるよ」
いや、現在進行形で原因はお前なんだが、大丈夫か。
ステラはマリンの側にしゃがんで、優しく見つめて話しかける。
「泣かないでマリンさん」
「友達で良ければ、あたしは仲良くするよ。お酒も、地元の酒場ならつき合ってあげるから」
――トクン
マリンの心臓の音が聞こえるくらい顔は乙女になっている。
さて、本当に大丈夫か。
これだけの力と情緒不安定さを持った女を優しくするのは、リスクもあるが。
「ステラちゃあああん………あっ」
「カクン」とマリンは気を失った。情緒が限界を越えたらしい。
「あっ、マリンさん!?」
「大丈夫だよ。幸せすぎで気を失っただけだから。とりあえず、寝かせておこうか」
マリンを介抱するステラと猫又を見て、無事に終わったことを安堵する。
「くううっ、悔しい。私だってステラちゃんにあんなことやこんなことされたいのに……」
隣でグチグチよく分からん怒りをつのらせている奴はともかく。
とにかく一件落着。後始末とこれからのことを決めて帰還しようと思った矢先。
――「おやつ、何があったウサ!? 大海峰まで発動するような何が!」
あ、ウサ耳族のウササとやらが飛びこんで来た。
お前の姉貴分が恋してヤベェ女になっただけだよ。
と、これだけなら、大したことはなかったのだが。
――「うおおおおおっ解放された! 自由になったぞ! おのれ賊ども! 今こそ反撃の時!」
と、なにやら聞き覚えのある懐かしい雄叫びが聞こえてきた。
そちらに目をやると、若と騎士団が勇ましく剣や槍を振り上げている姿があった。
「そうか。魔術で拘束していたマリンが気を失ったんで、騎士団も解放されたわけか。いや、良かったんだが………」
しかし、このクエストを終わらせようとした矢先なのに、若と騎士団はやる気と殺気にムンムン溢れている。こりゃあ事態を納得させるのに苦労しそうだ。




