G02「家がカラフル」R04
ハラペコはダメ。
壁掛け時計を見上げた瞬間、お腹が静かに抗議してくる。
気づけば2時間経っていた。
「あら、おやつの時間ね〜?」
愛乃先輩の独特のイントネーションに、部屋の空気がふわっと緩む。
瑞希先輩も柔らかく笑う。
「そうだな。お菓子もあるって言っちゃったしな。」
冷蔵庫の上から愛乃先輩が持ってきたのは、一抱えもある缶だった。
ちょっと重そうなそれを、テーブルにどんと置く。
「じゃ〜〜ん! 世界のお菓子詰め合わせ~」
「いただいちゃって良いんですか?」
口では遠慮、でも心の中はかなりワクワク。千登世はハラペコが弱点ナノデス。
「ごちでっす!」
まよちゃん、名前に反して「迷い」ゼロ。
「いろいろ用意したのよ〜。私たちも楽しみにしてたから、遠慮はいらないの〜」
「では、お言葉に甘えて……。」
ペコリと頭を下げた。
愛乃先輩が蓋を開けた瞬間、カラフルな包み紙がぎっしり。
まよちゃんが「すごっ。」と目を輝かせる。
「ジオゲで世界旅行したあとには実践もしないとな。」
瑞希先輩が穏やかに言い、クッキーを手に取る。
「じゃあ、実践するっす。」
同じものを選び、まよちゃんがパクリ。
「サックサクであまっ! うまっ!」
「それ、デンマークのバタークッキーよ〜」
愛乃先輩が嬉しそうに教えてくれる。
その言葉を聞いた瞬間、私も手が伸びた。
「おいしい。バターの香りがすごく豊かで。もう1枚、いいですか?」
「どうぞ〜。ほら真宵ちゃんも。」
「いただくっす!」
瑞希先輩が微笑む。
「愛乃が選んだんだ。小さいころから食べてるから、舌が肥えてるのかもな。」
「2人とも気に入ってくれて、お姉ちゃん、とってもうれしいわ。」
はい、今この瞬間からお姉ちゃんになったらしい。
遠慮しすぎは失礼、の家訓に従い、3枚目を追加。
"Smørkager"(スモアケーヤ)。
"o"にスラッシュ? デンマーク語かな?
クッキーを味わいながら包んでいたフィルムに目がとまった。
口をモグモグしつつ考える私に気付いた瑞希先輩が、教えてくれる。
「スラッシュ付きの"o"は、デンマークとノルウェーで使われる字なんだ。つまり……」
「見つければどっちかっすね。」
「そうなんだ。案内標識や看板に書かれてることが多いんだ。」
口いっぱいにクッキー。喋れないけど、幸せ。
缶の隅の黒い箱にまよちゃんが手を伸ばす。
回しながらじっと見て、何も言わずに私に渡してきた。
私はそれを興味津々で開けてみる。
黒くて小さな菱形のキャンディみたいな塊が、中に入っていた。
私はそれを一粒つまみ、思い切って口に放り込む。
まずざらっとした舌触りのあと、ツンと鼻を抜ける"謎のガス"。
溶けた途端に広がる潮のしょっぱさと薬草の苦みが、問答無用で口内を制圧。
「うぇっ⁉」声が裏返り、あわてて手の平に吐き出す。
まよちゃんが肩を揺らして笑いをこらえているのが見えた。
「それ、ひょっとして『サルミアッキ』っすか?」
瞬間、愛乃先輩の瞳がキラッ。
「真宵ちゃん、知ってたの⁉」
「あー、SNSでバズってたっす……。」
まよちゃんは微妙な表情を浮かべた。
瑞希先輩が苦笑いする。
「やっぱりダメか。私もそれは苦手だ。」
「美味しいのに〜」
愛乃先輩は平然と口に放り込み、幸せそうな顔をして、口の中でコロコロさせている。
信じられないといった顔で、まよちゃんが呟く。
「マジっすか……。」
「これ、本当に食べ物なんですか?」
混乱する私に、愛乃先輩は満面の笑みで親指を立てた。
「クセになるのよ〜」
先輩の笑顔に、部室が笑い声に包まれた。
これ以上は夕食に響くなと考えていたら、まよちゃんはまだ缶の中をごそごそしている。
どうやらチョコレートで終わりにするらしい。
チョコ1つぐらいなら、いいかな?
包装紙には、英語とどこの言葉か分からない2つの言語。原材料名が3カ国語で書かれているようだ。
「それはね〜、ベルギー産なの。英語以外はフランス語とドイツ語じゃないかしら?」
チョコが有名な国だったな?と思いつつ、食べてみたくて気がはやった。
包みを開けると、ふわっと立ち上るカカオの香り。
口に含んだ瞬間、表面が体温でトロってなって、濃密な甘みが舌を包み込む。
高級シルクのシーツにくるまれるような滑らかさに、思わずまぶたが落ちる。
喉の奥から「んぅ……」と息が漏れた。
チョコが溶けそうな濃い熱を頬に感じた、やばい、全員見てた。
あわてて姿勢を正し、手元の包み紙をたたむ。ダメだ、視線がまだ刺さる。
「ちとちゃん……、美味しそうに食べすぎっす!」
まよちゃん、真っ赤。目そらさないで。
「お姉ちゃん、ドキドキしちゃった……」
愛乃先輩、両手で口ふさいでる⁉
「美味しいのは、よく分かった。で、その表情は反則じゃないか?」
瑞希先輩、わざと真面目ぶった声でからかってくる⁉
た、助けて!
視線があちこち泳ぐ。いや、どこ見てもみんなの顔がある⁉
包み紙をカサカサいじる音だけが、部屋にやけに響いた。
逃げ場がない!
耐えきれず、お菓子缶の方に目を落とす。
クッキーの包みを意味もなくいじって、いや、落ち着け私。
「も、もう。チョコが悪いんです!」
サルミアッキの味は、正直、衝撃的だった。
でも、世界にはこういう味もあるんだなって、とても興味が湧いた。
ジオゲして、お菓子食べて、笑い合って。私たちの距離はずっと縮まった。
異国の空気と先輩たちの温かさに包まれて――もう心は固まっていた。
私の地図はまだ真っ白。
でも、この部室でなら色を塗っていける。
それがお菓子のようには甘くないって知るのは、まだ少し先のこと。
そのとき私が手にする地図は、想像していたよりも真っ白なままだった。




