G08「ガイドがいる」R06
新人戦、『ジオゲ Beginners Party』の朝が、ついに来た。
緊張からか、肩に力が入ってしまう。
試合は昼過ぎから始まるけど、ギリギリまで練習したくて、梨沙子先生にお願いしておいた。
「すみません、無理言って朝から開けてもらって。」
「いーのよー、じおげ部の後輩のためだもの。」
先生は肩をすくめながら、銀色の鍵を回して部室を開ける。
扉の金具が鈍い光を弾き、淡い橙色の朝日が室内に差し込んだ。
「梨沙ちゃん、やさし〜」
愛乃先輩は先に入って、カーテンを開ける。
光を受けた金色の髪が、柔らかく揺れてきらめいた。
先輩は自分の試合があるわけではないのに、朝から来てくれていた。
瑞希先輩は翌週に大学入試模試が控えていて、今日は来られない。
「すまない」と謝っていたけど、大事なことだから仕方ないと思う。
「うちから差し入れっす!」
まよちゃんが大きな袋を机にどんと置く。
ビニール袋の擦れる音が、白い蛍光灯の下で鮮やかに響いた。
袋から出てきたのは、白地にオレンジの雲模様の紙製の重箱が4つ。
まよちゃんちのレストラン、"アリア・エトワール"のロゴが入っている。
「イタリアンランチボックス、4人前でございます。ごゆっくりお楽しみくださいませ。」
「豪華ね〜。」
梨沙子先生と愛乃先輩は手を叩いた。
私はバイトしてるから、お値段が分かってしまう。
まよちゃんに小声で「これ、イイの?」と聞いてみる。
「パパが用意してくれたっす。条件付きで。」
「条件?」
「先生ー、ワインが首を長くして待ってるっす。ボトル伸びちゃうっすよ。」
突然、まよちゃんは胸を張って声を張り上げた。
唇が桃色に弾んで、茶色い瞳がいたずらっぽく光った。
「行く! 行くから、ちょっと待って。」
先生は慌てて椅子から立ち上がり、バッグを探りながらスマホを開いた。
なるほど、まよちゃんのお母さんの"営業"だ。
先輩たちにも"ご来店いただいて"、メイド服を見られてる。
先生が来るときに、シフト入ってないことを祈ろう。
何度か大会に出てる愛乃先輩が、新人戦のルールを説明する。
「まず、今回はダブル・エリミネーションなの。」
初めて聞く言葉だった。
「まず全員が"Upper Bracket"、勝者側のトーナメントでスタートするのね。」
そう言いながら、ホワイトボードにトーナメントのツリーを2つ書いた。
「負けた人は、"Lower Bracket"、敗者側に移動するの。そこでも負けたらリタイアよ〜。」
なるほど、2回負けたら終わりなんだ。
思わず背筋が伸びた。
「ジオゲって運もあるから、負けても復活できるルールにすることも多いのよ〜。」
「これだと、試合数が多くて大変じゃないですか?」
「せいか〜い。今日は長い時間になるから……」
先輩は机の上のトートバッグを開けた。
赤、黄、緑のお菓子のパッケージが光を反射し、机の上が一気に賑やかになる。
「はい、今回の"お菓子セレクション"なのよ〜。」
「ちとちゃん、試合中にポンコツになっちゃダメっすよ。」
まよちゃんは人差し指を振りながら、ニヤリと笑う。
「ポンコツじゃないもん!」
それまで会話を聞いていた梨沙子先生が、椅子に背を預けて口を開く。
「脳はブドウ糖を消費するけど、それほどでもないのよ。ただ、乗ってる方が勝てる気はするわよね。」
先生は言いながらウインクを添えてくれて、なんだか心強い。
愛乃先輩が再びマーカーを握り、ホワイトボードに丸っこい字で書き足した。
『1.Move 2.No Move 3.Move……』
『2先』
「新人戦だから"NMPZ"は無しね。"2先"は2本先取。第3ゲームまでで勝敗が決まるわ〜。」
剣道だと3本が多いかな。
ふと記憶がよぎる。竹刀の音、白い道着の布の冷たさ。
「試合数が多いから、"3先"にはしなかったのかもね〜」
「チームデュエルも同じルールっすか?」
「ええ。でも、メンバーが揃ったらどんどん試合が始まるから、忙しいわよ〜。」
個人戦の合間にチーム戦を組み込むのは、時間節約のためらしい。
デュエルで2回負けると、チームデュエルの試合がすぐに始まる可能性がある。
メンタルがキツそう。
「あとルールじゃないけど〜、ベスト8からはストリーミングが入るらしいわ。勝ち残れば動画デビューね。」
「えっ!」
声が裏返っちゃった。頬が少し熱くなる。
梨沙子先生が椅子から跳ねるように立ち上がった。
「『ちとまよ』、頑張りなさいよ!」
「真宵はもちろん頑張るっすよ。ちとちゃんもね?」
「が、頑張ります……。」
それからランチまでは、最後の"悪あがき"をし続けた。
"イタリアンランチボックス"はあまりにも美味しくて、緊張は吹き飛んだ。
少しずつ、試合開始の時刻が近付く。
いつもの私たちの席ではなく、まよちゃんと隣り合わせに座り直す。
愛乃先輩たちは私たちの両隣に座り、見守ってくれる。
みんなで他愛のない話をしながら、パソコンやカメラのチェックをする。
いい気分で試合に臨めそう。
イベント開始まで5分を切り、『ジオゲ Beginners Party』のサイトを開く。
青いメカニカルな背景に、銀色のロゴが光り、画面中央には赤いカウントダウンが点滅している。
愛乃先輩のふわっとした笑顔が、ランチよりも緊張を溶かしてくれる。
「まずは1勝かな〜。気持ち的にラクになるものね〜。」
梨沙子先生は、珍しく顧問らしいことを言う。
「普段通りに楽しめば良いのよ。テストじゃないんだし。」
「いよいよっすよ。」
「「「「3、2、1、スタート!」」」」
みんなで拳を合わせた瞬間、画面が切り替わった。
司会と解説者の声がスピーカーから弾け出す。
「はい、皆さんお待ちかねの1時になりました! Beginners Party、始めて行きましょう!」
「ルールはご存じだと思うんで、早速、試合の組み合わせを発表します!」
クルクルと回転するエフェクトと共に、青い光の粒が画面中央に集まる。
パッと画面全体が光った次の瞬間、参加者32名のトーナメントが銀色に浮かび上がった。
私は慌てて視線を走らせ、対戦相手は"Kadoo"さんという人。
まよちゃんの相手は"DaiDai"さんだった。
どちらも見覚えのない名前。
ジオゲの試合コードを入力すると、私のアバターが濃紺の背景に表示された。
すぐに"Kadoo"さんのアバターが入室し、お互いに手を振った。
アバターにも見覚えが無い。
やっぱり初めての顔合わせだ。
カウントダウンの音が、心臓の鼓動と重なる。
赤い数字が「5」から「4」へ。
ひとつ消えるたび、肩に力が入ってしまう。
「3」、「2」、「1」……耳の奥が熱を帯び、全身を走る血が一斉に赤く灯った気がした。
最初の試合、16組の対戦が同時にスタートした!




