G04「市外局番が難しい」R01
「愛桜さんのお誕生日、桜の季節なんですか?」
放課後の部室はやわらかい日差しが入っていて、棚の近くでは埃がきらきら漂っていた。
入り口横のホワイトボードを囲んで、みんなでおしゃべり中。
私の「千登世」は、学者だった祖父がつけてくれた名前だ。
ちょっと古風だけど、むしろそこが気に入ってる。
愛乃先輩には「愛桜」さんという中3の妹がいる。
「愛乃」も「愛桜」も、日本の名前としては珍しい響きだから、気になってた。
「残念、ふせいか〜い。」
愛乃先輩が笑いながら、ボードに"Aino"と"Aila"と書き込む。
「愛乃も愛桜も、フィンランドの女の子の名前なの〜」
そうだった、先輩はフィンランドに縁があるんだった。
「『愛乃』はすぐ決まったらしいわ〜」
「乃」という字は少し古風だけど、むしろ先輩の柔らかなイメージには合ってると思う。
「"Aila"の『ら』は悩んで、結局『さくら』の『ら』をとったんですって〜」
へえ、そういう名前の付け方もあるんだ。
「あの、先輩って向こうだと『アイノ・チクゼン』になるんですか?」
尋ねると、先輩は柔らかく首を横に振り、少し困った顔で続けた。
「それがね〜、フィンランドは両親の家の名前を繋げることが多くて……。」
ボードにさらに書き足してくれる。
"Aino Chikuzen-Lehtinen"
「アイノ・チクゼン、何て読むんですか、これ?」
英語とは違うスペルに戸惑ってしまう。
「レヒティネン、よ。長くて困るの〜。だから、みんな『アイノ』って呼んでるけどね」
たしかに長い名前だ。「筑前」だって、決して短くはないのに。
「あ、真宵もそういう名前が欲しいっす!」
それまで会話を聞いていたまよちゃんが、勢いよく手を挙げた。
「ん〜、ちょっと待ってね〜。最後が『ネン』で終わる苗字が多いんだけど……。」
愛乃先輩はあごに左手の人差し指を当ててちょっと考え、ボードにさらさらと書き足した。
"Mayoi Seto-Ihanainen"
「イハナイネンは"可愛い人"って意味で、ちょっと珍しい苗字なの。真宵ちゃんにピッタリ。」
「まよいせと、言わないねんって、関西の人みたいっす。」
ホントだ。「言わないねん」に聞こえる。
「そうやねん、フィンランドの名前ってなぜか関西弁っぽくなりがちやねんな〜」
愛乃先輩の突然の大阪弁?に、部室は爆笑に包まれた。
笑いすぎて涙をぬぐっている瑞希先輩が、感心したように言った。
「愛乃は言葉を真似るのが妙に上手いんだよな。」
「そんなことないわよ〜、小さい頃から行ったり来たりで苦労したもの〜」
「そうだな。戻ってきた時、日本語がだいぶ怪しかったもんな。」
「先輩たちは付き合いが長いっすか? 『瑞希ちゃん』って呼ぶから不思議だったっす。」
「幼馴染みなのよ。私、生まれはフィンランドだけど、小1まで日本なの〜。それからフィンランドに行って、中2でまた戻ってきたのよ。」
「家が近所でな。私の姉の珠希、私、愛乃、愛桜で4人姉妹みたいに育ったんだ。」
「私たちが向こうに引っ越す時、瑞希ちゃんが大泣きしたのよ〜。悲しかったな〜」
「あ、ああ、そんなこともあったな……。」
もー、瑞希先輩、ちょっと照れててかわゆいんですけど。
「私も不思議に思ってたんです。瑞希先輩が愛乃先輩のお姉さんになったり、友だちになったりする感じで。」
「小さい時は珠ねえも瑞希ちゃんもお姉ちゃんだったけど、今は親友なのよね〜」
そう言って愛乃先輩が瑞希先輩と腕を組み、頭を肩に寄せる。
「や、やめろ愛乃! 恥ずかしいから!」
「いいじゃな〜い、大好きなんだも〜ん。」
美人同士のじゃれ合い、目の毒すぎる。
でも、2人は本当に親友と言える関係みたいで、羨ましい。
「捗るっす。ありがとうございます!」
まよちゃんは、目をまん丸に見開いて興奮してた。
何が捗るのか私にはまったく分からないけど、きっと大事なことなんだろうな、と自分を納得させた。




