G02「家がカラフル」R05
先輩たちは、まるで2色の国旗だった。
見るだけで胸の奥に「私の地図をもっと広げたい」という衝動が湧く、そんな旗。
瑞希先輩は、静かにきらめく黒。
愛乃先輩は、やわらかく光を返すプラチナ。
全然違う色なのに、風が吹くと同じリズムで揺れて、それが妙に心に残る。
現役の部員は、先輩たち2人だけ。幽霊部員もいなさそう。
今年も部が続いているということは、去年も4人以上いたはず。
その推理が当たっていれば、パソコンが2台なのもわかる。
背筋を伸ばし、思いきって手を挙げた。
「あの、卒業生がいた3月までは4人以上で活動してたんですよね? パソコン2台だけだったんですか?」
愛乃先輩が、イタズラっぽい目で笑う。
「勘の良い子は嫌いじゃないわよ〜」
その笑みはまるで春の風の温かさで、緊張がすっと消えていった。
「一時的に生徒会に返しただけだよ。もし君たちが入部したら、また4台体制になるさ。」
瑞希先輩の「また」という一言が、頭の中で小さく音を立ててはじけた。――やっぱり卒業したのは2人かな。
どうして、この部がいまの形になったのか。ふいに経緯が知りたくなる。
「ここの地理研究部って、昔からあったんですか?」
返事を待ちながら、胸の奥がそわそわと落ち着かなくなる。
瑞希先輩が、少し考えてから口を開く。
「そうだな。この学校、もともと研究校として作られたんだ。普通は文系に入る地理も、理系扱いでね。」
「え、理系っすか?」
まよちゃんが思わず聞き返す。
理系の教室の、あの薬品の匂いと白衣のざらつく感触が、一瞬だけ頭をよぎった。
「そう。地学や物理と並んで扱われてきたし、授業でフィールドワークまでやってた。地形観察とか屋外実験とかね。」
聞いているうちに、教科書の図表が風にめくられて、ページの外に出ていくような感覚がした。
「すごく本格的ですね。」
「その方針の一環で、地理研究部も作られたんだよ。」
瑞希先輩はティーカップを軽く回し、紅茶色の小さな波を見つめる。
「けれど、近年は研究校らしさが薄れ、部員は年々減っていった。」
瑞希先輩は、そこで一息ついてカップを置く。
「だから、巻き返しが必要だった。」
愛乃先輩が、わざとらしく肩をすくめる。
「それで4年前、"IT技術を活用した地理学"ってことでジオゲを導入したのよ〜」
愛乃先輩が、指を曲げる仕草の前に一度置いたカップを持ち上げた。
その表面にも、紅茶色の小さな波が、夕焼けをすくい取るように揺れていた。
まただ。あの指を曲げる仕草。
「あの……。部活紹介の最後の挨拶で"世界"って言ったときも、両手の指を曲げてましたよね?」
「よく見てるのね〜。あれは引用符、ダブルクォーテーションなの〜」
驚いた顔で、先輩は両手の人差し指と中指をクイクイっと曲げてみせる。
「あー、ホントですね、ダブルクォーテーションだ。」
「"Air Quote"って呼んだりするらしいわよ〜」
瑞希先輩が何か思い付いたように口を開く。
「昨日入学式だから、今日は2日目だよね。ひょっとして、学校から貸与されるノートパソコンがまだなのか。」
「え、貸し出されるパソコンでジオゲできるんですか⁉」
思わず前のめりになる。
昨日までは、こんなに夢中になるなんて思ってもみなかったのに。
「ブラウザで動くから、アプリを入れなくてもいいのよ〜」
愛乃先輩がティーカップを片手に、やわらかく笑う。
「じゃあ、家でもできるっすね!」
真宵ちゃんがぱっと顔を明るくする。
私と目が合い、同時に笑顔が弾けた。
その笑顔は、淡い空色と陽だまりの橙、2色のリボンが部室の風にふわりとほどけ、机の上で思わぬ結び目をつくったみたい。
やがて、それぞれの色のまま遠くへと漂っていった。
この色が、私たちの行く先を変えてしまうなんて、まだ誰も気づいていなかった。
窓際のカーテンが小さく揺れ、ひらり、とページの端だけが未来へめくれた。




