チート能力 HE
どこにでもいる平凡な大学生、神谷 透がビルの解体現場の側を通りかかった時、彼はただ、運が悪かった。
不意に鳴り響く警告音、人々が空を指差し悲鳴を上げる。
その声につられて透が見上げた時、自分の上に巨大な鉄骨の影が迫っていた。
それが彼の最初の人生の、最後の記憶だった。
次に目を開けた時、透は真っ白な空間にいた。
目の前には、半透明のパネルが浮かんでいる。
【世界の調律を開始します】
【適合者:神谷 透 を新規 ‘管理者’ として承認】
【ユニークスキル:‘絶対編集権’ を授与します】
「は……?」
理解が追いつかない透の脳内に、直接情報が流れ込んでくる。
この世界は、物語やゲームのように、様々なパラメータで構成されていること。
そして自分は、その全てを「データ」として閲覧し、書き換える権限を与えられた、唯一の存在であるということ。
そして「絶対編集権」の最も強力な発露は、世界の複雑な事象を、透の脳が瞬時に理解できるように「可視化」することだった。
強大な力も、誰かの感情も、そして街の経済状態ですら、全てが数値やテキストで構成された分かりやすいパネルとして、彼の目の前に表示されるというのだ。
それは、神ですら持たない、世界の理を「操作可能なデータ」として書き換える力だった。
この莫大な力を前に、透の脳裏にふと、幼い頃の記憶が蘇った。
完璧主義で支配的だった母親の顔。
「透はこういう子なのよ」
「透はママの言う通りにすればいいの」
まるで、自分の意思を上書きされ、パラメータを書き換えられた操り人形のように生きていた、あの息苦しい日々。
しかし今の彼は違う。
透は今、「編集する側」の人間となったのだ。
手に入れた「編集」の力を、透はその時まだ、純粋な「自由」として受け止めていた。
その後透が転移させられたのは、まさに絶望の淵にあったとある王都だった。
伝説級の厄災「災龍アズハ=ダハーカ」が城壁を破壊し、王国最強の騎士団が蹂躙されている。
誰もが死を覚悟していた、その時。
城壁に舞い降りた透は、災龍に焦点を合わせ、目の前に浮かんだ半透明のパネルに、ただそっと指で触れた。
巨大な災龍の存在は、そのまま彼にとって「巨大なテキストデータ」として可視化された。
それは、災龍の咆哮や威圧感といった曖昧なものを一切排除し、彼が最も慣れ親しんだゲームのステータス画面の形式で、その絶対的な強さを表示していた。
▶︎ 対象:災龍アズハ=ダハーカ
┣ ステータス
┃ ┣ HP: 99,999,999
┃ ┣ 攻撃力: 1,280,000
┃ ┗ ...
┣ スキル
┃ ┣ 絶対なる竜の吐息
┃ ┗ ...
┗【存在属性:竜、厄災、神格】
透は、深く息を吐いた。
そして自らの力に半信半疑のまま、災龍のHPの数字を指でなぞり、ゼロへと書き換える。
【HP: 99,999,999】→【HP: 0】
直後、天を衝くほどの巨体を誇った災龍は、まるで糸の切れた人形のように崩れ落ち、そのまま光の粒子となって世界から「削除」された。
その光景は、彼自身の過去の苦痛と重なった。
あの時、自分を縛っていた母親という「絶望的な存在」も、もし一瞬でデリートできたら、どれほど楽だっただろうか。
災龍を消し去った行為は、世界を救うと同時に、過去の記憶への復讐でもあった。
戦場に残されたのは、何が起きたか理解できず、呆然と立ち尽くす騎士や兵士たちだけだった。
これが透の最初の戦い。
いや、戦いですらなかった。
ただの、「編集作業」だった。
彼は、最強だった。
誰かと比べることさえ無意味なほどに。敵の強さも、物理法則も、彼にとっては「分かりやすいテキストデータ」に過ぎなかったのだから。
透の力は、瞬く間に世界を駆け巡った。
一人目は、災龍への生贄にされかけていた王女、イリステリア。
彼女は、透を「天が遣わした救世主」と呼び、その身も心も彼に捧げることを誓った。
透が望めば、国すらも彼のものだった。
二人目は、森の奥で数百年続く呪いに苦しんでいたエルフの賢者、シルヴァ。
どんな魔法でも解けなかった彼女の呪いを、透はステータスパネルから「呪い」の項目を見つけ出し、デリートキーを押すようにして消し去った。
彼女は透を「理を超えた神」と崇め、永遠の忠誠を誓った。
三人目は、魔剣に魂を喰われ、殺戮人形と化していた帝国最強の女剣士、セレスティナ。
透は、魔剣のパラメータを【呪い: EX】から【祝福: EX】に書き換え、所有者の魂を癒す聖剣へと変質させた。
正気を取り戻した彼女は、透を「己が魂の主」と認め、その剣を彼だけのために振るうと決めた。
王女、賢者、女剣士。大陸で最も美しく、最も気高いと謳われた彼女たちは、皆、透の前に跪いた。
彼が、彼女たちの抱える「絶対的な絶望」を、あまりにもあっさりと「絶対的な希望」に書き換えてしまったからだ。
彼女たちの愛と献身は、本物だった。
透は、手に入れた力で、世界からあらゆる悲劇を消し去っていった。
飢饉に苦しむ村には、地面の栄養価を書き換えて豊作をもたらした。
不治の病に伏せる人々は、その病名ごと世界から削除した。
争い合う国があれば、両国の王の思考パラメータを【敵対】から【友好】へと編集した。
世界は、急速に平和になっていった。イリステリアも、シルヴァも、セレスティナも、皆が透を称え、彼に微笑みかける。
完璧な理想郷。
完璧なハッピーエンド。
その日、透はイリステリアの笑顔を見て、ふと、指が動きそうになるのを堪えた。
彼女の瞳の奥に、ほんの僅かに、古龍の犠牲となった騎士たちへの哀しみの色が揺らいで見えたからだ。
(だけど、これも消せる)
▶︎ 対象:イリステリア・フォン・アルドレア
┣ 感情パラメータ
┃ ┣ 神谷 透への愛: 100/100
┃ ┣ 国民への慈愛: 98/100
┃ ┗ 過去の悲劇への哀悼: 5/100
この「哀悼」の数値をゼロにすれば、彼女は一点の曇りもない、完璧な幸福を手に入れることができる。
しかし、その時になって透は初めて、自分の力に違和感を覚えた。
これからしようとする行為は、かつて母親が自分にしたことと同じなのではないだろうか。
「お前は考えなくてもいい」
「お前は私の言う通りに、完璧な子供でいろ」
そう言って、子供の心を土足で踏みにじられた、あの屈辱的な行為を、今自分がしようとしているのではないか。
様々な哀しみを乗り越えてきたからこそ、今の彼女があるのではないか?
苦しみを克服したからこそ、彼女たちの愛は本物なのではないか?
透は自問自答する。
(俺がその全てを「編集」して、都合の良い「幸福なだけの物語」に上書きしてしまって、本当にいいのか?)
彼女たちの笑顔も、愛も、忠誠も、全ては俺が「編集」した結果なのではないだろうか。
この完璧な世界は、しかし俺が作り出したハリボテの舞台装置なのではないか。
(そう、それはまるで、あの時、母親が俺に与えた、偽りの人生のような)
透の本当の戦いは、ここから始まった。
敵は、魔王でも、邪神でもなかったのだ。
世界を、愛する人々を、そして自分自身の心を、安易な「編集」から守り抜くこと、それこそが透の成すべきことであった。
誰かの人生の「編集者」になることではなく、彼ら自身の「著者」としての人生を尊重すること。
透は自分の意思を奪われた過去があるからこそ、他者の意思を奪うことに何よりの恐怖を覚えたのだった。
透がイリステリアの哀しみを「編集」しないことを選んでから数日、ずっと自室に閉じこもっていた。
世界はもう、彼が手を入れる必要がないほど平和になっている。
飢えも、病も、争いもない。
しかし、彼の心には、拭えない疑問だけが残った。
イリステリアの微笑みも、シルヴィの忠誠も、セレスティナの献身も、彼が「書き換えてきた結果の産物」でしかない。
透はその夜、自室の全身鏡の前に立ち、ぼんやりと自分の顔を見た。
平凡な大学生だった頃の面影を残すその顔に、ふと、半透明なパネルが浮かび上がる。
▶︎ 対象:神谷 透
┣ スキル
┃ ┣ 絶対編集権:EX
┃ ┗ ...
┣ 精神パラメータ
┃ ┣ 母親へのトラウマ: 95/100
┃ ┣ 自責の念: 80/100
┃ ┗ 目的意識: 5/100
┗【存在属性:管理者、編集者】
「……ああ、そうか」
透は静かに呟いた。
彼は気付いたのだ。
世界を思い通りに「編集」するその行為こそが、かつて自分を操り人形にした、母親の「絶対的な支配欲」と、何の変わりもないことを。
この能力を使い続ければ、自分は真の意味で、母親の作った「完璧な透」という名の操り人形になってしまう。
透は震える指で、鏡に映る自分自身——その半透明なパネルに触れた。
▶︎ 対象:神谷 透
┣ スキル
┃ ┣ 絶対編集権:EX
┃ ┗ ...
彼は、大きく息を吐きだすと、何の躊躇いもなく、その文字を指でなぞった。
【絶対編集権:EX】→【絶対編集権:削除】
その瞬間、世界を支配していた半透明のパネルが、静かに消えた。
次に彼が鏡を見たとき、そこに浮かぶのは、数値もテキストも存在しない、ただの「神谷 透」という、意志を持った一人の人間だった。
彼の本当の戦いは終わったのだ。
彼は、世界を編集する力を手に入れたが、最終的に、母親の支配という名の呪いから、自らの手で自らを解放した。
世界は完璧なハッピーエンドへと上書きされたままだが、その完璧な世界で、彼自身は、編集者ではなく、一人の著者として、自分の人生を歩き始めることになったのだった。
透は静かに扉に手を掛けた。
この扉の向こうに広がるのは、数値もテキストもない、予測不能な世界だ。
何も『編集』することのできない、不確実で曖昧な現実。
しかし、それは透にとって、母の支配から解放された、真に『自由な未来』そのものであった。




