そして喜劇は幕を開ける
「わかんないよ。ってゆうより何もない可能性の方が高いと思う。何もない方が良いんだけどね」
確かに、何も無く日々平々凡々に生きるのが一番だ。物騒な騒ぎなんて縁が無い方がいいに決まってる。
「だが、何かありそうだ、そう思ったから俺を道連れに選んだろ」
「護衛って言ってよ。アタシはか弱い女の子なんだから」
「それなら、弘矩と拓也にも話を通しといた方が良さそうだな。ってゆうか、なんで静馬ばあちゃんは俺入れて頭数三人、なんて言ったんだよ?」
何か事件が起こったとして巻き込まれるなら好奇心丸出しの茉莉と用心棒代わりの俺だけで十分なはずなのに。
「さあ?たぶん何も起こらないだろうから皆で楽しんで来いってことじゃない?」
随分アバウトだな。だいたい、自分の孫娘に危害が及ぶかもしれないってのによ。
……いや、考え過ぎだろうな。警察が絡むような事件だなんてそう簡単に出くわすものじゃないし。
「とりあえず、洗濯物しまっちまおう。昔の失踪事件だのは夜にでも皆に話そうや」
「オッケー」
遠雷が鳴っている。嵐でもくるのだろうか。
夜6時半。
早めの晩飯を専属使用人の人達が作り、俺達は水や酒を運んだり食器を洗ったりしていた。
屋敷にシェフは常駐しておらず、使用人の寿美子さんと太刀音さんが手際良く魚や野菜を捌いて、ほとんどプロ並みの腕前で味噌汁や焼き魚を作り上げている。
「水菱家の食卓は意外と庶民派みたい、ですか?」
とは太刀音さんの言葉だ。
口に出した覚えが無いのに図星を突かれた。
「え、いや、そんなことは……」
「いえ、私も初めて台所を任された時には戸惑いました。これでも私、以前はとある料亭で働いていたもので。それなりの腕前があるものだと自惚れていたのですが、漬物に味噌汁、焼き魚や煮付け、これほど奥深いものだとは思いませんでした」
話し相手が欲しいのか?そういや寿美子さんはさっきから茉莉と朔馬に魚の料理方法や台所の豆知識を話して盛り上がっているし。
「まぁ、そうですね。てっきり懐石料理やふぐさしとか、高級料亭のフルコースが出てくるものかとおもってましたが」
「御当主様のオーダーでね。あんなものいつも食べて食べあきたからもっと食べやすいものを作れ、とね」
呆れたじい様だな。それで昔ながらの日本食、ってわけかよ。ちょっとはタダで高級料理食い放題、とか胸踊らせてた生まれも育ちも庶民の俺の気持ちを察してくれ。
「少し残念、ですか?」
「あ~、そうですね。本音言っちゃうと」
「では、その残念以上に美味いと思われる夕飯にしてみせましょう」
そう言った太刀音さんの顔は、自信に満ちた微笑みだった。
ファーストコンタクトで睨み付けられた人であるが、結構良い人なのかもしれない。
そのまま他愛もない会話がポツポツと続いた頃、風雨の音と共に乱暴にドアが開く物音が響いた。
「ん?誰だ?」
ドアから足早に中に入ってくる音。バラバラの音階。少なくとも二人以上が入ってきたようで、
「彩葉!彩葉は来てる!?」
「どうしたというのだ、彩登美。雨も拭かずに」
「彩葉と連絡がとれないの!」
「落ち着け彩登美。まずは皆さんに状況を教える方が先決だろ」
なんだか食堂が騒がしいが、何事だ?
「もういいわ!彩葉はきていないのね!」
「待て彩登美!外は土砂崩れが起きそうだ!ここにいろ!」
なんだなんだと食堂の外にいた俺達がゾロゾロと入っていくとびしょ濡れの男女一組が食堂入り口に立っている。
おそらく長女夫婦の彩登美と秋雪夫妻だろう。しかし表情はどちらも焦りまくって少々混乱しているようだ。
「実は、彩葉様のGPS はこちらの山道に入ったところで反応がなくなりました。一緒に行動してた葉路君とも連絡が取れません。何らかの故障によるものでこちらに到着している可能性もあったのですが……」
「詩織さん、大丈夫ですか」
「はい、大丈夫です、太刀音さん。今は彩葉様を……」
遅れて現れた、こちらもびしょ濡れのメイドが状況の説明を始めた。
その間彩登美は、しきりに爪を噛み、秋雪はメイド、高槻 詩織の説明を補助している。
話の流れを大筋で説明するなら、ティータイムにくつろいでいる皆を屋敷のあちこちから盗撮し、今夜の夕飯に皆の緩みきった顔をスライドショーにして笑い合うつもりらしかった彩葉お嬢様は、専属使用人である甘木 葉路と共に両親と別行動をとっていたが屋敷に到着したと言う知らせが無く、ぱったりと音信不通となってしまい、両親は心配になり大急ぎでこちらに向かって来たらしい。
ちょっとしたサプライズが思いもよらぬ自爆と相成った、としか言い様がない。
汝、悪巧みすることなかれ。と聖書辺りには書いてあるのだろうか?
「皆様を驚かせようと3時頃に到着しているはずだったのですが」
「なら何故電話をよこさなかった雨が降る前だったら動ける者全員で探したものを」
確かに、土地勘が無いにせよ俺達だったら少々険しいくらいの山道も捜索は可能なのに。
「それが繋がらなかったんですよ。電波塔に何か不具合があったのではないでしょうか。何度も連絡は入れていたのですが」
何気なく携帯電話を開いて見てみると、
「あれ、電波が無い」
昼過ぎまでは確かに二本程入っていたはずなのだが今は圏外を表示している。たしかこの屋敷の裏には電波塔があったはずなのだが。
「あ、俺のもだ」
いつの間にか俺達の携帯電話が使用不可能となっていた。
かつて人が消えた屋敷。そして、今まさに行方不明となっている長女夫婦の娘。警察に連絡しようにも携帯に電波が入らなければ設置型電話に頼るしかなくなる。
問題は設置型電話も使用不可能となっていた場合、車を出し、直接警察へ出向くことになり捜索時間を大幅にロスしてしまう。夜道の山道となれば足場が見えなくなり危険性が高くなる。それに警察へ今さら出向いたところで本格的な捜索は明日以降となるだろう。
「……あの、雨が強いと言ってもまだ今なら視界が効きます。私達で山道沿いだけでも探すことは出来ると思うのですが」
とにかく、ここは人命救助が優先だろう。あれやこれやと話し合っている間に土砂崩れにでもあったら大変だし、動けるうちに動くのが有効である場合が多い。
「……うむ、小僧の言う通りじゃ。寿美子よ、すぐに警察へ連絡を。大雨ではあるが今なら捜索が可能だろう、事情を説明してなるべく人数を集めてもらえ」
「かしこまりました」
警察とレスキューが来るまでにも時間がある。だが俺達が動いていればタイムラグ無しで捜索が可能だろう。
動くとなれば早めが肝心。目配せで弘矩と拓也に行けるかどうかを問うと、二人とも首を縦に動かした。
「ま、地元の山脈の方がよっぽど険しいもんだったからな、このくらいの森、なんてこたぁないだろうよ。ガキの頃ぁ、山猿と呼ばれた男だぞ?任せろよ」
「俺も問題ないよ。ばあちゃんの家ってこのくらいの森に囲まれてるし。それに行方不明のお嬢様の救出ってフラグだろ?だろ?」
よし、いつも通り狂ってやがる。心配無用。
後は使用人さん方だが、
「我々も行きましょう。ロープとライトを用意しますので少々お待ちを」
陣頭指揮を取る一二三さん。確かに、捜索に向かう使用人の中では一番年長である、そのポジションに収まってもらうのがちょうど良いだろう。
とりあえず俺達三人、そして一二三さん、太刀音さん、そして姪っ子が行方不明でじっとしていられるか、と言って協力を申し出た理一郎さんと雄司さんが捜索班となった。
後は、荷物を集めて屋敷外に探しに行くだけ。
居残り組が警察に連絡を入れるのと同時に俺達も準備に掛かった。備蓄倉庫に荷物を取りにいった一二三さん達を待つ間、何人一組で手分けして探すべきかを玄関で考えていた俺にレインコートを着た朔馬が声をかけてきた。
「真人君、僕も捜索に加わるよ。人数が多い方がいいでしょう?」
「いや、朔馬はここにいてくれ」
「えっ、なんでさ」
細めの身体、いや、華奢な身体の朔馬には荷が重すぎる。
山中行軍、しかも雨の中の人探しなわけだし、足を滑らせやすい体形と言うのは、重心が高い位置にある者だ。
一概にそうとも言い切れないが、同じように弘矩も細めの体形と言えるが、あいつは意外な程筋肉を持っている。バランス感覚も人一倍。拓也にしても普段の足運びから弘矩並みのバランス感覚を持っているのが見てとれる。
秋雪さんと理一郎さん、使用人の人達もガタイは悪くないし、自分の限界以上の行動は取らないだろうし、雄司さんは細長い印象だが無茶するような人には思えない。
だが、朔馬の場合は、筋肉のつき方は、成人男性の並み以下、バランス感覚はどうだか分からないが反射神経も人並みだろうと判断。二次遭難の危険性がある以上、危なっかしい因子を連れていくのは避けたいところだ。
「連れてこうぜ、確かに人手は多い方が良いだろ」
「あのな弘矩、俺はこいつの心配を……」
「だったらお前が面倒見てやれよ。心配なんだろ?どっちにしても目の届く場所にいりゃ、お前がサポートしてやれるだろ」
まったく無責任なことを言う。そりゃ人手云々は正論だが、俺が面倒見る事になるのは筋違いだ。だったら最初から連れて行かない方がいいだろうに。
「とにかく行くぞ。一二三さん達が来たし、朔馬もカッパを着てるんだ、断る理由は無いだろう」
「……わぁーったよ。んじゃ行こうぜ、朔馬。ただし、俺の後ろを歩けよ。あと一人で動くな。何かあったら教えること。守れるな?」
「はいっ、分かりました!」
レインコートの帽子を目深に被り、外に出た。
周りの木々は、昼間とはうって変わってゆらゆらと風になびき、雨粒が幹を叩き、不気味な音色の不協和音を奏でる。人類が神様とかゆう偶像を信仰する以前から畏敬を抱き、崇められた原初の森とも言うべき光景だろう。
こんな森を一人で過ごしているようじゃさすがに神経がまいるのも時間の問題だろう。今は、一刻も早く彩葉さんを見つけ出してやることが先決だろう。
意を決して外へ走り、止められた車に俺達は飛び乗り、赤いテールランプの尾を引いて、一路敷地の外、山道を目指して走りだした。