アリバイ検証会議
真人と朔馬が水菱家の次期後継者候補たる宗継の子供達と一緒に戻ってくると残っていた面々が一斉に彼らの方に視線を向けた。
「宗明様、ご当主様は……」
心配そうに手を胸の前で組みながら宗明に聞いたが真人達の雰囲気から彼が既に手遅れだったことを察したようだ。
それぞれがそれぞれに落胆の仕草で椅子に座り込んだ。
「マサ、ご当主様、やっぱり?」
茉莉も若干顔が青くなっているが、まだいつもの気丈さは失われていないようだ。
「ああ、おかげで俺と朔馬は容疑者になっちまった」
茉莉にだけ聞こえる音量で答えると息を飲んで一歩引かれた。
「うそ、マサが?」
「殺ってない。理由もなけりゃ理屈も無い」
ハァ、と止めていた息を吐き出し、安堵の表情で俺の顔を見返す。
「もう、くだらない冗談言ってる場合!?人が死んでるんだよ?」
「全部が冗談ではないんですよ。宗明様は、僕達がご当主様を殺害したと疑っているんです」
ひょっこりと横から顔を出した朔馬によって俺は、見逃したい現実に戻る事を余儀なくされた。ああ、ホンット、知らないうちに厄介事に巻き込まれるなんて!
内心で頭を抱えて悶えていると背中を叩かれて肩を捕まれた。
誰に?弘矩か拓也しかいないだろう。
「いやいや、やっぱりお前って面白いな。知らないうちに厄介事の中心にいっちまってるよ。ハハハ」
じゃあ、代わってくれよ、拓也。そしてなんだ?弘矩の可哀想なモノを見るようで沸き立つ笑いを堪えきれず顔を下半分隠しているその面は。
「いや、どうだ?殺人犯呼ばわりされた気分は?」
「ああ、楽しかったよ。渋いおっさんから熱烈なアイコンタクトを受け続ける視姦プレイだ」
投げやりに返して広間の方を見ると一二三さんが宗明さんに耳打ちしている。
こちらの視線に気づいたのか早々に二人してうなずいて宗明さんがおもむろに立ち上がった。
「皆、とにかく状況を整理しよう。警察が来たとき、お互いの発言が不利に働かないように」
「……ええ、そうね。もう、昔みたいになることがならないように」
万彩さんも同意し、彩登美さんが失踪した時間からの行動を確認していくことになった。
だが、その前に言っておかなければならないことがある。
「……あの、その前にご報告しておくことがあります」
そう、ガレージで見つけた血のペイントの不可解な点を。
「なんだ?簡潔に述べろ」
「はい、私と朔馬、雄司様と拓也がこの屋敷に戻ってきた後、我々は、一旦ガレージを見て回りました。そこで気づいたのですが、あの壁についた血液は、誰のものなのでしょうか?」
「彩登美の血以外に誰の血だと言うんだ!私達は、父と彩登美を失ったのだぞ!無神経な発言はやめろ!!」
顔面を真っ赤にした宗明。
たしかに無神経だということは理解しているが、こっちは謂われもない殺人容疑で疑われているんだ、多少強引にでも無実の証拠になるものは提示させてもらうさ。
「失礼いたしました。しかし、あの血液は、彩登美様の血ではない可能性が高いと思います」
「……それは、本当かい?」
先程山道で助け出した娘の彩葉の看病を一時切り上げ家族会議に出席した秋雪が失踪した妻、彩登美の生存があり得るという真人の言葉にわずかな希望を見いだしたように顔を上げた。
「はい。少なくも彩登美様は一階のガレージで殺害、もしくは暴行を受けた、ということは無いと言えます」
だが、今になって思えば誰の血液か分からないが壁を塗り潰す程の量だ。抜き取られた、もしくは切り裂かれたにしても尋常じゃないのは明らか。
……いったい、誰の血なんだ?
「そうか、彩登美は、まだ生きているかもしれないんだな……」
呟いた秋雪は、台詞とは正反対に沈痛。
それもそうだ。彼の妻は、いまだに誘拐殺人犯に拉致されている事が確実となっただけで事態は、まったく変わっていないのだ。
「ちょっといいかしら?真人君の言っている通りだとして、犯人の要求は何?」
そう、人間を拉致するならば普通何かしらのアクションがあるはずなのだが、彩登美さんを拉致した犯人は、まったくそんなそぶりも見せない。
少なくも日本有数の富豪、水菱の人間を拉致したのだ。ならば、身代金の要求があってしかるべき、だと思うのだが。
「拐った理由は、身代金ではない、と?」
いまいち話の流れを理解していない拓也が確認するように質問するが、あいにく、その答えを知っているのは犯人だけだ。
「ってゆうか、天下の水菱、その後継者候補を拉致ったとすれば身代金要求が普通でしょ?それ以外に理由があるんですか?」
「それは……」
弘矩の一言に息子娘達が言を濁した。
つまり、ある、ということか。
「……差し出がましいことを承知で質問します。以前、この屋敷で曰く付きの事件があった、という噂を小耳にはさんだ事があるんですが、それと何か関係が?」
ここに来て茉莉や雄司さんが声を潜めて呟いてる過去の出来事、それが何か知らないが、ろくなことでもないのは明らか。なら、それで被害を被った誰かの報復行為と考える事は出来ないだろうか?
「……兄さん。まさか、彼女が生きているんじゃ」
「バカな。あれから何年経っている。警察も打ち切った事件だ。戸籍上でも、……いや、やはり関係無いだろう。とにかく、今この屋敷の回りには正体不明の殺人犯が潜んでいる事は確かだ。各自十分に警戒して行動してくれ」
濁した言葉を隠す宗明も自分に言い聞かせるように注意を皆に促し、状況の整理が始まった。
「まず、彩登美叔母様と秋雪叔父様がこの屋敷に到着したのが午後六時を少し回った頃、よね?」
事の発端、彩葉と葉路の行方不明の報を知らせた頃の全員の行動を確認することから始めようと美乃里が口を開いた。
「ああ、その頃だ。詩織、君は覚えているか?」
「はい。正確には午後六時七分でした」
「ふむ、それで我々は……」
宗明は、分かりきっていることだが、と後付けのように言葉の続きを使用人の一二三に視線をやる。
「到着されていたご家族の方々は、食堂でお茶を。私ども専属使用人と真人君達も食堂の隣にあるキッチンで夕食の用意をしておりました」
だな。あの頃も雨は降っていたが豪雨というレベルでもなかった。
「報せを聞いて山道の捜索に出たのが三十分過ぎ。屋敷寄りの捜索は、理一郎様、太刀音さん、あと俺です」
と弘矩の報告。
「中間地点は、私と拓也君、の二人で捜索を。可能な限り探しましたが葉路君の足取りは……」
一二三さんと拓也の二人が探した方面、つまりは中間だが、森の幅が狭く、足元が脆い危険区画だ。葉路さんが足を滑らせ谷に落ちたとすればそこの可能性が高い。
「山道入口は、私と朔馬、雄司さんが担当しました。もうご存じの通り、彩葉様と樹木に追突した車があるのみで他の手がかりは何も」
最後に俺が捜索班側の報告とし、後は居残り組。
「こちらも、父を含めて全員が食堂に居たが、彩登美が彩葉を探しに行くと言って飛び出し、後から詩織が追って、ガレージの惨状を見つけた、と言うわけだ」
この一連の流れが約7時半頃まで。その後に居残り組が屋敷の外に出て彩登美さんの捜索を開始。数分後、それに彩葉さんを乗せて戻ってきた一二三さんと理一郎さん、弘矩達が合流する。
ご当主、宗継が殺害されたのはおそらくこの時間帯。
本館に一人になったのを見計らっての犯行だろうことは俺にも分かる。
その三十分後に俺達、残りの捜索班が屋敷に戻る。
ガレージで不審点を見つけて宗継を探しに行ったのが十分後、八時十分頃。
この間ジジイが一人になっていたのは四十分程度。磔にされて脳ミソくり貫かれるには十分だろう。いや、人間の骨がどの程度の時間で切断されるのかなんて知りもしないがノコギリとか使えば可能だということは言わずもがな、ということだが。
……しかし、外部の人間の犯行にしては手際が良すぎないか?
俺達、期間従業員が迷うほど広いこの屋敷で、ドンピシャでジジイの居場所を当て、速攻で押し倒して自由を奪う。
どう見てもこの屋敷に初めて来た人間ではないだろう。
しかも、ジジイの部屋は、荒らされた形跡が無かった。
つまり、ジジイが警戒を解く相手だった?
「そういえば、なんでお祖父様が危ないって分かったの、真人君?」
美乃里の声が若干真剣味を増して静寂を打ち破る。
え?やっぱり俺って最重要人物?
「そりゃ、まぁ、あれだけ彩登美様を手の込んだ方法で誘拐した犯人だとしたら一回の犯行で終わらせるのか、と」
「ふぅ、ん。それにしてはタイミングが良すぎるんじゃない?私としては貴方、かなり怪しいわよ、ね」
たしかにそうだけど、本当に偶然の発見したものだからな。本当にそれだけなんだが、俺が殺した証拠も殺していない証拠も無いわけだから、端から見れば黒に近いグレー。
このままじゃマジで殺人犯に仕立てられちまうぞ。
「……先程真人君が言っていましたが、人体の骨格を切断するには電動ノコギリでもない限り相応の時間と手間が掛かります。僕と真人君がご当主様の部屋に入り、全ての作業を完了させるには時間が足らなすぎます。それに、彼は、ご当主様を殺害していません。共に行動していた私が保証します」
「あら、でもあなたが彼の協力者、つまりは共犯者だとすればその保証は消えてしまうわね?」
「そんなこと言い出したらこの屋敷内に居る人間全てのアリバイが不成立となりますね」
堂々巡りだと朔馬も美乃里も瞑目してそれ以上の言葉は不要とお互いが悟ったようだ。
犯人の思惑ってやつがあるとすれば俺達の中に不和を招くことなのか?
それは無いか。こんな状況だ、誰でも疑心暗鬼になって当たり前、なのかもしれない。
ボーン、ボーン。
ちょうど九時を報せる大時計の音が広間に響いた時、宗明が手を打ち皆の視線を再び自分に向けさせた。
「今は犯人探しをしている場合ではない。今日はもう皆部屋に戻ろう。一応、使用人は交代で一晩、誰かが必ず起きておいてくれ。必ず部屋の鍵を閉めるようにな。ああ、そうだ、真人君。君は必ず誰かの目の届く場所にいてくれ。次に何かあった時、疑わなくて済むからな」
まだ俺の嫌疑は晴れてないのかよ、と内心突っ込むがそれでいいなら言いなりになってやるよと開き直って広間での面白くもない会議を後にした。