雨過天晴、やまない雨はない
「マリー、飛行機の時間遅れるわよ」
「はーい」
近所の地方空港まで父と母が送ってくれた。
トイレでカツラを外し、靴を履き替え、父と母に渡した。
「…お父さん、ありがとう」
「気をつけてな」
「うん」
「何かあったらすぐ連絡するのよ」
「うん」
「…」
「お父さん、お母さん…」
3人で抱きしめ合う。
――だいすき――
3人が同じことを思う。
見えなくなるまで互いに最後まで手を振った。
両親が見えなくなると、ピコンと電子音がポケットから響いた。
画面から文字が浮き上がる。
〝ぴちゃ子さま 到着を心よりお待ちしております〟
マリは目を画面から窓に映した。
青い空。
いい日、旅立ち。
鼻歌交じりにマリは歩み出した。
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シャシャっ。パっ。パシャっ。
フラッシュが焚かれ、高級機能カメラのシャッター音が重なる。
幸福すぎて失神者が続出の見出しで号外が駅で配られた。
救急消防、パトカーが出動する異様な都内の公園では異常な熱気に包まれている。
「ああ、神が降臨された」
「生きているうちに同じ空気を吸えるなんて幸せすぎ」
「拝顔の栄に浴しますわ」
世界的に有名なコスプレイベントが日本でアンコール開催された。
その人だかりの視線の先にいる人物のレイヤーネームの名は、ぴちゃ子。
女装、男装を完璧に着こなし、自作の衣装と小物の完成度は各業界からの折紙付。
中性的な美しい顔立ち。
右目を隠し、オレンジ髪の長髪。
話し言葉は女性、しかし性別は男性。
群を抜いた泳ぎにパラリンピックの水泳代表に選ばれるが、問題を起こし辞退。
被服の世界では若くして名だたる賞を辞退し続け、いただいたトロフィーは投げ捨てるなど世間を騒がせる。
出自不明の謎の問題児スター。
「ぴちゃ子さま、お時間になります」
クラシカルなメイド風ゴスロリ衣装を着こなす秘書がぴちゃこに声をかけた。
「いやよ」
秘書はイヤモニを触る。
「承知いたしました」
秘書のメガネがキラリと光り、後ろに控えていた姫系ロリィタ5名がカメラの前に立ちはだかった。
燕尾服の男装をした女性が3名でぴちゃ子を車椅子に乗せると、瞬く間に車に押し込む。
「ぴちゃ子さま、お許しください」
「いやよ、まだアタクシは―…」
ぴちゃ子の声は遠く、黒塗りの高級車が走りさると同時に消えた。
秘書は周囲に頭を深々下げる。
「どうぞ最後までおたのしみください」
笑顔で去った。
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金魚から人間に生まれ変わって18年。
想定外だらけの人生、とでもいうのかしら。
アタクシを最初に発見したのは飼い主、ではなく、見ず知らずの子どものいない農家の夫婦。
早々に役所が対応してくださり、ご夫婦と養子縁組の連絡を取り計らてくれたのは運がよかったほうでしょう。
オレンジ髪に片目がないおかげで田舎特有と陰口、悪口、まぁこの程度のことは想定の範囲ですが、かえって家族の結束は強くなりました。
素敵な両親を持てたこと、感謝します。
おかげさまで、いじめという大義名分を得られましたので、引き込もりと称して技術を磨くことができました。
ふふ。
デジタル農家をされていた両親の理解もあり、貪欲に文字や文化について学べ、憧れていた人間のお洋服作りを独学で習得できたことは幸運の極みです。
社会がアタクシのお洋服を評価するほど、大好きなお出かけができるのですから、批判されることも宣伝のうちと考えればちょうどいいわ。
オレンジ髪をはじめ、性別も言葉遣いも周囲と同じにしろと両親は決して言わなかった。
何度、思い返しても救われる思いです。
ありがとう、お父さん、お母さん。
ただ、両親に肩身の狭い思いをさせていたことは、今でも申し訳ない気持ちでいっぱい。
ごめんなさい、お父さん、お母さん。
金魚だった時代ではなくおそらく、少し先の未来にいるってことも問題。
過去の記憶は持ているので、比較すればおかしいところがたくさん。
ふふ。
でも、わくわくするわ。
人間に生まれ変わったら、たくさんやりたいことがありますの。
アタクシがここで生きている意味があるなら、きっと他にも意味があるはず、そう、信じてみないと始まらない。
信じてみないと。
ふふふ。
「ぴちゃ子さま、どうかなさいましたか」
「ん?」
「いえ、先ほどは少々手荒くしてしまい申し訳ございませんでした」
「あ、ああ〜、全然、別のこと考えてただけよ」
「あと10分ほどで会場に到着いたします」
「ありがとう」
車は東洋一の宝石箱と称賛される高層タワーへ向かっていた。
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(乳児院の担当職員の回想)
「最初は気持ち悪い赤ちゃんだと思いました」
地毛がオレンジ色なんす。
見たこともない綺麗な髪の毛て怖いでしょ。
他にも、目が見てると吸い込まれるような瞳で。
鳥肌が立ちました。
保護された当初、なにも持ってなかったでね。
名前とか、親からの手紙、お包みすらですよ。
右目がないことは特に気にしませんでした。
早期に治療ができればやれることも多くあるんで。
俺も看護師としてこの道、長いですし。
それより、何が、て言われると困るんですが変なんですよね。
魅力があるていうのかな。
「あぅあ」
手足をバタバタさせて、生きていることを喜んでいるみたいでした。
赤ちゃんに魅力、て変な表現ですけど。
誰に言われた訳でもなく、音楽を聴かせてみたり、いろいろ何かしたくなっちゃうんす。
だってすげぇ喜ぶから。
俺だけじゃないですよ。
他の職員もやってるみたいでした。
みんな、バレバレ。
あの子、めっちゃ多才なんですよ。
吸収力ハンパなくて、すぐ上達しちゃう。
歌はうまいし、絵も上手で月齢よりよく喋る子でした。
右目の疾患もあるし、右手足の強化をした方が身体機能のバランスがよくなるんじゃないか、て提案したのは俺です。
まさか、水泳でパラリンピックの代表選手に選ばれるまで成長するなんて思わなかったけど。
人生て、わかんないっすね。
もう、あの子に手を伸ばしたくても届かない。
画面越しでしか応援できなくて寂しいっす。
でも、いっぱい抱っこしといてよかった。
子どもが巣立っていく過程を見届ける親ってこんな心境なんすかね。