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信頼関係

作者: 雉白書屋

 とある夜。降りしきる雨の中、一台の車が町外れの屋敷を目指していた。運転手である記者の男はワイパーを動かし、目をこする。ちょうど寝ようとしたところに、博士からの突然の呼び出しがあったのだ。

 博士というのは高名な発明家で、彼の発明を記事にすると、なかなかのアクセス数が稼げる。彼はもう何度か取材を重ねて、信頼関係を築いていると思っていたが、最近は音沙汰がなかった。

 彼は別にこのまま連絡がなくても、また他の会社の記者に話が回ったとしてもよかったが、会社としてはそうはいかない。「来い」と言われれば、こんな夜中でも行かざるを得ない。眠気と憂鬱が交互に押し寄せ、あくびとため息を繰り返しながら彼は博士の屋敷へ向かった。


「博士、来ましたよ。博士ー?」


「おお、いらっしゃい。さあ、こちらへどうぞ……」


 部屋に案内され、彼はソファに腰を下ろした。

 博士の妻がコーヒーを持ってくると、彼は「あ、どうも、初めまして」と軽く会釈した。彼女も会釈し、部屋から出て行った。


「よく来てくれたね。まずは妻に飲み物を持って来させよう。何が飲みたい?」


「え? いや、今コーヒーをいただいたので。ほら、ここにありますよ」


「ん? ああ、本当だ。すまんね、妻が勝手に」


「いや、大丈夫ですよ。ははは」


「いやいや、好みもあるだろうし、そういうわけにはいかないよ。おーい」


 博士は、コーヒーカップを手元に引き寄せると、妻を呼び戻した。


『はい、あなた。どうなされました?』


「ああ、彼の希望を聞く前に、勝手に飲み物を出したようだね」


『はい』


「死ね」


「え!?」


「死ねよ、死ね! 死んでしまえ!」


「博士!? ちょ、ちょっと!」


「今日死ぬのが一番いいんじゃない? 死ねよ」


「いや、博士! ちょっと」


「ん? なんだね?」


「ちょっと、どうしちゃったんですか。自分の奥さんでしょう……?」


「ん? ああ、びっくりさせてしまったか。でも、これくらいなんてことはないんだ」


「なんてことはないって……。死ねとか言わないほうがいいですよ」


「まあ、挨拶みたいなものだからね」


「いやいや、駄目ですって。人に対して死ねなんて絶対に言っちゃ駄目ですよ」


「ははは、そりゃ、私も死ねなんて他の人には言わないよ。我々の間には確かな信頼関係があるから、成り立っているんだ。私も妻もそれくらいわかっているさ」


「そうなんですか……? いや、でもなあ……」 


「ちょっとした愛のあるイジりみたいなものだ。なあ、そうだろ? ……その顔、腹立つなあ。おい、ここで死んでみせろ! いや、やっぱり外で死ね! 迷惑だからな!」


「だから、博士! やめてくださいよ! イジリってレベルじゃないでしょう! それに、聞いているこっちは気分悪いですよ!」


「死ねよ。ほら、死ぬなら早いほうがいいだろう」


「いや、それでもし本当に奥さんが死んじゃったらどうするんですか……」


「ほら、死んだーって思うね。私の言ったとおりになったと」


「博士、どうかしてますよ……」


「いやあ、死んでくれたら嬉しいなあ」


「ちょっと博士、いい加減にしてください。さすがに気分が悪いので、帰らせていただきます」


「……ふふっ、はははははは!」


「博士……?」


「君、彼女をよく見てみなさい」


「え? ……あれ、博士、これって……アンドロイド?」


「そう、よくできているだろう」


「ええ!? そ、そうなんですか?」


『はい、私は博士が作ったアンドロイドです』


 彼は驚いた。そのアンドロイドは近づいてよく見なければわからないほど人間にそっくりだったのだ。


『お飲み物は何になさいますか?』


「え、えっと」


「オレンジジュースがいいよな? 前に来たときも確かそうだっただろう」


「え、あ、はい」


『かしこまりました』


 アンドロイドは一礼して部屋を出ていくと、彼は大きく息を吐いた。


「いや、驚きましたよ、博士。あんなに精巧なアンドロイドを初めて見ました。世界初じゃないですか?」


「ふふふ、そうだろう、そうだろう」


 博士はソファにふんぞり返り、満足げな笑みを浮かべた。


「でも博士、いくら人間じゃないとはいえ、あんなふうに『死ね』っていうのはちょっと……」


「ああ、理由があるんだよ」


「え、理由?」


 彼は再びソファに腰を下ろし、メモ帳を取り出した。


「ストレス耐性テストだよ」


「ストレス耐性?」


「そうだ。そう遠くない未来、アンドロイドが一般家庭にまで普及すると、先ほどのように、持ち主が暴言を吐くこともあるだろう。今だってAIに厳しい言葉を投げかける人がいるだろう?」


「ああ、AIと会話できるサイトやアプリなどがありますもんね」


「そう。暴言を浴びせ、その反応を面白がる人間は少なからずいる。アンドロイドのこともストレスの捌け口にするだろう。だから――」


『お待たせしました。オレンジジュースです』


「話に割って入るな! 死ね! 死ねよ!」


「博士!?」


「そのオレンジジュースを冥土の土産に持っていけ! 死ね!」


「博士! ストレス溜まっているんですか!? 落ち着いてくださいよ!」


「死ねい!」


「いや、僕を見て言わないでくださいよ!」


「ああ、すまんね。つい、顔を見ていたら感情が抑えきれなくなってね」


「いや、そのアンドロイドは奥さんにそっくりなんですよね……。いったい、奥さんにどんな感情を抱いているんですか……あれ? そう言えば博士、本物の奥さんは? お休み中ですか?」


「ああ、まあね……」


「ああ、そうでしたか。聞かれなくてよかったですね……いや、でもアンドロイドはすごいですけど、このままでは記事にしにくいですよ」


「ん? どうして?」


「博士が『死ね』ばかり言うからですよ」


「そこは省けばいいだろう。うまく美談にしてくれ」


「ええぇ……まあ、いいですけど……。あの、奥さんへの愛が深いから、そのアンドロイドを作ったんですよね?」


「当然だ。おい、いつまでそこにいるんだ! 出て行け! 死ね!」


「いや、だからやりづらいんですよ! ちゃんと奥さんのことを愛しているんですよね!?」


「もちろんだ、死ね!」


「もう、しゃっくりみたいに出てくるじゃないですか……」


「シエィ!」


「もう、はあ……」


 その後、彼は博士にいくつか質問し、どうにか記事の目処がついたので、帰ることにした。

 最後にもう一度アンドロイドを見たかったが、もう奥に引っ込んでしまったのだろう、それは叶わなかった。

 彼は車に乗り、道を戻り始めた。

 そして、記事を作るのは寝てからにしようか。そう思ってあくびをした、そのときだった。

 前方に人影が見えたと思った瞬間、車はすでに衝突していた。


「あ、あ、やってしまった……また……」


 彼は慌てて外に出た。道路に横たわる人影は、ピクリとも動かない。彼は一度車の中に戻り、タオルを手に取るとまた外に出た。車と接触した部分に、車の塗料が付着しているかもしれない。それを体から拭き取らないと、捕まるかもしれない。焦らなくていい。他に人はいない。それに、きっと雨が証拠を消してくれる。あの時と同じように……。そうだ、あの時も相手は女性だった。まさにこんなふうに――


「え、は……? これ、博士のアンドロイド……? なんで、あ、外に出ていたのか。そうか、ははは、で、でも、あの時の人と似ている……もしかして、あの時おれが轢いたのは――」


「やっぱり君だったか」


 背後の声に振り返った瞬間、体から力が抜け、彼は膝から崩れ落ちた。

 チクッと、あるいはビリッとした感覚があった。それが注射器の類かスタンガンかは分からないが、博士が何かしたのだろう。ただ、彼が何よりも分からなかったのは、そうする理由だった。

 彼の心情を察したというよりも、博士はため込んできた自分の想いを吐露するように、彼を見下ろして言った。


「前に君が来た夜、妻は車に撥ねられて死んだんだ。この道路で……轢き逃げだよ……。もしかしたらと思い、あの夜を再現してみたんだ。そして、思ったとおり、君が、つ、妻を殺した! し、死ね! 死ね! 死んでしまえ!」


 降りしきる雨と博士の激情をその身に浴びながら、彼の意識は次第に遠のいていった。彼はこの後、自分がどうなるか分かっていた。先ほど博士の胸の内を散々聞かされたのだから。

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