まほらはスイカの香りを追う
市場へ向かう途中で肩がぶつかった紳士からスイカの香りがした事にまほらは妙な胸騒ぎを覚えた。
つい最近、違法催淫剤の残滓が発したものとよく似た匂い。
確証はないし、危険を伴う行動だ。
しかしまほらはそうせずにはいられなかった。
歩き去って行く紳士の後を衝動的に追尾する。
一定の間隔を空け、紳士の向かう先に足を進めた。
幸い、人が多く行き交う通りなのでまほらの尾行は相手に気付かれていないようだ。
それでもまほらは慎重に、しかし見失わない程度に距離を空けて付いて行く。
やがて紳士はとある路地の方へと曲がって行った。
まほらは急ぎ足でその曲がり角を右折した。
が、そこに紳士の姿はなかった。
曲がった先の路地は一本道、すぐにまた角を曲がったとは考えられない。
という事はこの辺りの建物のどれかに入って行ったのか……とまほらが周囲をキョロキョロと見回していたその時、突然側の建物からあの紳士が出て来た。
「っ……!」
突然過ぎて思わず小さく息を呑む。
紳士の目は一心にまほらを見据えており、慌てるまほらを他所に接近してきた。
「お嬢さん、さっきから私の後を追っているようだが何かご用かな?」
紳士はにっこりと笑みを浮かべてまほらにそう言った。
だが紳士の目は笑っていない。
まほらは初めて感じる恐怖に竦みそうになるも、そんな自分を必死に抑え平常心を装って紳士に答えた。
「お、お気付きでしたか。不躾に後をつけるような真似をして申し訳ございません。以前どこかでお会いしたような気がして。気になってつい、どこのどなただったか知りたくなりましたもので……」
「おや?そうでしたか。しかし残念ながら私の方はお嬢さんとお会いした記憶はございませんなぁ。お嬢さんのようなお綺麗な方を忘れるはずはございませんから、間違いはないでしょう」
「まぁお綺麗だなんて、おほほほご冗談を……」
紳士は変わらず笑みを浮かべているものの、まるで視線だけで囚われているような感覚にまほらは恐怖しか感じなかった。
「しかしここでこうしてお会いしたのも何かのご縁です。よろしければご一緒にお茶でも如何ですかな?近くに良い店を知っているのです」
紳士のまとわりつくような視線がまほらの全身に絡みつく。
まほらは鳥肌が立ちながらも断りの言葉を告げた。
「せっかくのお誘いですが、人と会う約束をしておりまして……おほほほ」
「まぁそう言わず、よいではありませんか」
笑みを浮かべながらも有無を言わさぬ紳士の圧に気圧されてまほらは言葉を失う。
こうなったら大声を上げて逃げ出そうか……そう思ったその時、後ろから馴染みのある声が聞こえた。
「ここに居たんだねぇまほらさん。待ち合わせ場所に来ないから探したよ」
「ハ、ハウンドさんっ……!」
なんと突然示し合わせたようにハウンドが現れたのだ。
彼は穏やかな笑みを浮かべてまほらの元へとやって来た。
「どうしたのまほらさん、僕との待ち合わせを忘れてしまったの?」
待ち合わせなんてしていない。
していないが彼がそう言ってまほらを救おうとしてくれているのがわかり、まほらもそれに合わせた。
「わ、忘れてなんていないわ?ちょっと寄り道をしてしまっただけよっ……?」
「も~キミはホントにお転婆なんだから。おや?そちらの方は?」
ハウンドはたった今その紳士に気付いたようにそう告げた。
いきなり現れたハウンドに、紳士はさっと帽子の鍔を下に引き下げて目深に被り、まほらに告げた。
「お知り合いの方が来たなら私はこれで。お嬢さん、それでは失礼」
そして紳士はくるりと踵を返し、その場から立ち去って行く。
その様子を眺め、ほっとしたまほらは大きく息を吐きだした。
「た、助かったぁ……」
そんなまほらをハウンドは睨め付ける。
「助かったじゃないよまほらさん、追尾なんてやった事もないでしょ?なんて無謀な事をするんだ」
「ごめんなさい、だってあの紳士から違法魔法薬の香りがして……」
気まずげにまほらがそう言うとハウンドは「やはりか…」とそう言って眉をひそめた。
「でもハウンドさん、なぜこんなタイミングよくここへ?」
まほらが不思議に思ってそう訊ねると彼は言った。
「さっきの男、実は殺されたミリサが勤めていた商会の次男坊なんだ」
「えっ……」
「まほらさんがなぜ犯行の頻度がほぼ一年に一度なのか、と言っただろ?その観点からもう一度犯人像を調べ直したんだ。そうしたら他国に移住しているあの商会の次男が一年に一度だけ家族に会うためとこの国の特産品の買い付けに帰国する事がわかった。過去に遡り調べたところ、あの次男が帰国した時期と被害者たちが殺された時期がバッチリ重なった」
「そ、それじゃあやはり、さっきの男が犯人……?」
「その可能性が極めて高い。だがまだ憶測でしかない。だから奴の周囲を秘密裏に探っていたんだ。今日も奴の行動を見張っていたら、突然キミが現れたからもうビックリしたよ……」
「それは……ご心配おかけした上に捜査の邪魔をして申し訳ありませんでした……」
「だけど僕が見ている時で良かった……キミにまで何かあったらと思うと怖くて堪らないよ」
胸を撫で下ろすようにそう言うハウンド。
彼が心の底から純粋に心配してくれたのが伝わって、まほらは思わずキュンとした。
「はぅっ……」
「ん?どうしたの?まほらさん」
「ハウンドさん、そーいうところだと思いますよ」
「え?何が?」
省内では玄人専門のヤリ…ゲフンと言われていても未だに告白をする女性が絶えないのは、そういう心憎い優しさからだろう。
そしてそれを照れもせずに相手に言えるストレートさ。
それはモテるのも仕方ないとまほらは思った。
そんなまほらの考えを他所にハウンドが告げる。
「とにかく、もう今後こんな危険な事はしないと約束してくれるね」
「はい……ご迷惑をおかけしました」
まほらは素直に謝ると、ハウンドは人通りの多い所までまほらを送ってくれた。
「じゃあね?真っ直ぐ帰るんだよ?」
そう言ってハウンドはまた何処かへと去って行く。
さっきの男を追うのだろうか。
だけどまほらにとっては危険な行動である事は身に染みて理解した。
あの紳士の獲物を捕獲するようなギラギラとした目つき。
思い出すだけで竦み上がりそうになる。
まほらはハウンドの言いつけ通り大人しくアパートに帰り、その日は早めに就寝した。
が、事は真夜中に起きた。
まほらはどうやら今度は逆にあの犯人と思われる怪しき紳士に尾行されていたらしく、アパートの場所を知られてしまっていたのだった。
何が目的だったのかまだ定かではないが、夜中にまほらの部屋へ忍びこもうとした男をアパートの大家の父親が捕縛したという。
高価な魔道具で認識阻害の術を施し、男はアパートの敷地内に侵入した。
しかしアパートの扉にそっと手を掛けようとしたその時、
「貴様、こんな時間にここに何の用だ?」
と大家の父親が男の背後に現れたという。
そして逃げ出そうとした男を一瞬で沈め、お縄にしたというのだ。
聞けば大家の父親は元魔法省特務課の課長を務め、数々の難事件を解決した東和出身の英傑であるという。
かくして男は魔法省に引き渡され、捜査一課がここぞとばかりに調べ上げているそうだ。
自白魔法の許可を上に申請しているらしいので、じきに男の罪の有無が白日の元に晒されるであろう。
一方のまほらはその日はぐっすりと眠っており、自分が狙われていた事も朝になってから知ったのであった。