挿話 まほらと卵焼き
「それでねぇまほらちゃん、斜向かいの煙草屋のバカ息子が禁煙を始めたんですって。甘いものやガムなんかで喫煙欲を抑えているのに周りが煙草だらけでしょ?だからそのバカ息子がキレて“煙草屋なんか辞めちまえ!”って暴れだして!」
「煙草屋のバカ息子というと、ブレイズと初等学校の同級生だったアイツよね」
「そうそう!昔からまほらちゃんに絡んではブレイズにボコられてたあのバカ息子よ。結局今回も暴れていたところをブレイズに殴られて大人しくなったけど……禁煙の邪魔だから親に家業に辞めろと言うなんてホントにバカよねぇ。それなら家を出て自活すればいいのよ。どうせあそこの煙草屋は姉の方が継ぐ事になってるんだから。」
「ホントにそうよね」
まほらは頷きながらそう返事をして、紅茶とお持たせのケーキ(モンブランとフランボワーズミルフィーユ)をテーブルに並べた。
今日は隣に住んでいたブレイズの母親が初めてまほらのアパートに来たのだ。
先日、ブレイズから告白を受けた際に、それまで敢えて伝えていなかった引越し先の住所を聞き出された。
そうしたらそれ知ったブレイズの母がまほらを心配してさっそくアパートを訪ねて来たのである。
もちろん事前に「行ってもいい?いいわよね?行くからね?」とアポは取られている。
もう容易には会えないと思っていたブレイズの母とこうしてまた会い、たわいもないお喋りが出来るのが、まほらは何よりも嬉しかった。
「そういえば、ブレイズったら自分でお弁当を作り出したのよ」
「えっ?あのブレイズが?」
ブレイズの母親のその言葉にまほらは驚く。
「そうなのよ。今まで台所になんて滅多に立たなかったあの子が、今じゃ毎日自分でお弁当を作ってるのよ」
「へ~……」
「とは言っても、おかずは夕食の残りを東和風お弁当スタイルに詰めていくだけなんだけどね。でも卵焼きだけはまほらちゃんのあの味を再現してやる!って意気込んで毎日作ってるわ」
「卵焼き……ブレイズ、大好物だもんね」
勤め出しての弁当に限らず、学生時代からまほらはブレイズに弁当を作ってやっていた。
きんぴらや南瓜の煮付けなど、東和の料理も美味しい美味しいと言って食べるブレイズであったが、中でも卵焼きは彼の大好物であった。
ルミアの事があり、まほらが弁当を作らなくなって、まさか自分で作るようになったとは……本当に驚きである。
「最初の方なんて卵焼きじゃなく炭みたいだったのよ?でも勿体ないからと言ってそれをお弁当に詰めて持って行って……近頃はだいぶ卵焼き焼きらしくなってきたの」
「そう……」
「でも味だけはどうしてもまほらちゃんのようにはならないって悔しそうにしてるわ。ふふ」
その時の事を思い出しているのだろう、ブレイズの母は優しい笑みを浮かべて笑った。
それから一頻りお喋りをして、
「また来るから!」と言ってブレイズの母は帰って行った。
その帰り際にまほらは小さなメモ用紙を母親に渡す。
卵焼き焼きのレシピを書いたメモだ。
それを見たブレイズの母は嬉しそうに微笑んで、必ず息子に渡すからと行って帰って行った。
その背中を見送りながら、まほらはなんだか卵焼きが食べたくなり、その日の夕食のおかずの一品は卵焼きとなった。