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未来と文学少女とゴミ箱

作者: 文月詩歌

 もしも空から女の子が降ってきたならそれは青天の霹靂以上のものだろう。大きさという点を除外してもだ。

 もしも缶詰から女の子が飛び出して来たならそれはきっと――。

「シュールストレミングもかくやあらん」

 駅使(はいま)がふと漏らした呟きを、卓袱台の上に鎮座した少女はどうやら耳聡く聞きつけたらしい。三つ編みおさげにセーラー服という文学少女然とした少女は、眼鏡の奥の大きな目をキッと吊り上げ一気呵成にまくし立てた。

「誰がネズミですって? ああそう……貴方は私にここから飛び降りて死ねとおっしゃいますのね? 分かりました。よろしゅうございます。豆腐の角に頭をぶつける勢いで見事散華してご覧に入れましょう。若い娘の血で赤く染まった畳はさぞ美しく映えることでしょう。ああ、お父様、先立つ(ふびと)の親不幸をどうかお許し下さい。お母様、フルーツ餡蜜おいしゅうございました――」

「いやいやいや待て待て待て」

 駅使は、今にも身を乗り出そうとする少女の動きを手で制しながら、

 ――円谷幸吉かよッ!

 脳内で突っ込みを入れる。

 ――卓袱台位の高さから飛び降りても、下が畳ではせいぜい打ち身程度だろう。いや、仮に下がコンクリートであったとしても、打撲と擦り傷が関の山なんじゃないだろうか?

 ――そもそもそれ以前に、豆腐の角に頭をぶつけて死ぬにはどれほどの速度が必要なんだろう? さらに言うと、その豆腐は絹ごしなのか、木綿なのか高野豆腐なのか? あるいは自殺用に最適化された高硬度豆腐なのか?

 多くの疑問が一瞬の間に駅使の脳裡を過ぎったが、実際に彼の口をついて出たのは別の言葉だった。

「それはレミングスのことか?」

 長らく「集団自殺する動物」と喧伝されてきたタビネズミのことを指しているのか、駅使はそう問うた。確かそんなビデオゲームもあったなァ……。

「違うのですか? シュールスト、レミングっておっしゃいましたよね? シュール、シュールラー、シュールスト。この上なくシュールなタビネズミのことかと」

 史と名乗った少女は小首を傾げる。

「シュール、ストレミングだ……いや、そうらしい。それにシュールの変化はシュール、シューラー、シューレストだろう知らんけど」

 シュールストレミングの名前を言い出した駅使にしてもシュールストレミングの実際のところは不詳だ。ニシンを醗酵させた「世界一臭い食べ物」と知っているに過ぎない。

「私てっきり、超現実的なレミングネズミのことかと思いましてよ。もっとも、集団死を遂げるネズミというだけで相当浮世離れしているのですけど……それでそのシュールストレミングというものは、ネズミでなければ一体何なんですの?」

 ――拙い流れだな。

 駅使は話をそらすことにした。

「そういや、シュールな光景と言えば今もそうだよな」

 駅使は胡坐をかいたままの姿勢で、ハーフパンツから覗くむき出しの脛をボリボリと掻きながら言った。

「はて?」

 少女の史は、心底見当もつかないといった様子で正座をしている。

「つまりさ、女の子が卓袱台の上で正座をしていて、さらにオレがその目の前で胡坐をかいているっていうの、かなりシュールじゃないか?」

「と、言いますと?」

「うん」

 ようやく察したか、と駅使は先を促す。

「私にも胡坐をかけと?」

 駅使は思わず仰け反った。そして仰け反った勢いでそのまま背中から畳に仰向けに倒れこんだ。

 ――困った。この娘とはどうやら決定的に会話がかみ合わないようだ。

 ひっくり返っていても埒が明かない、と気を取り直す。腹筋の力を使って上体を起こし元の姿勢に戻る。

 駅使が口を開こうとした瞬間、

「胡坐はともかく、そこまで来ると私には難しいと思いますよ」

「難しい、何が?」

「腹筋運動? まあやってみましょう」

 言うや否や史はスカートの裾が乱れることも意に介せず胡坐を試みる。が、それを駅使は慌てて制止した。

「おい何やってんだ、見えるぞ」

 胡坐をかいて後ろに倒れこめば、十中八九下着が見えるだろう。

 史は顔をしかめ、

「見たいのですか?」

 と訊いた。呻くような声だった。

 史のしかめっ面を嫌悪の表情と受け取った駅使は、

 ――これはまずったか……。

 と思った。

 なるほど「見えるぞ」は不適切だったかと反省する。と同時に史の質問に対する模範解答を求めて駅使の思考が加速する。

 ――思春期の健全な男子の正直な気持ちを表明するならば、女子のパンツが見たいかという質問に対する答えは"Yes"だ。しかしながら、この思いを口にすることはどうであろうか? 彼女の警戒心を喚起することもなく、また彼女から「変態」の謗りを受けることもなく、いやらしい気持ちからではなく、かと言って「女子がどんなパンツを履いているのか知りたい」という単なる好奇心からでもなく、夏の虫が火に誘われて我と我が身を焼かれると知ってなお火に飛び込んでいくのにも似たこの純粋な、ただ純粋にパンツに魅了される男子の愚かさを笑ってすませてくれるだろうか?

 駅使の思考を、史の渋面が打ち破った。史の視線は軽蔑の眼差しだと思われた。

 ――いかんいかんいかん。何か、何か言わなければ。

 駅使は冷たいものが背中を流れるのを感じた。汗に濡れたTシャツが胸と背中とにベットリ張りつくのが気持ち悪い。

「お前のパンツなんて見たくないしィ」

 と嘘をつくことも憚られた。

 他人は騙せても自分を偽ることなど出来ない、などとしたり顔をするつもりではない。肌着を見たくないとは言いたくない程度に、目の前の少女は愛らしく美しかったからだ。

 だが、

「別に見たいとは思わないな」

 自然とこの台詞が駅使の口をついて出た。

 ――何を迷うことやあらん。俺たち男の子が見たいのはそんなパンツじゃねぇだろうが!

 思春期の男子が求めるのはパンツであってパンツではない。

 ――女子が進んで見せてくれるパンツにいかほどの価値があろう? 俺たちが見たいのは物質的な意味でのパンツじゃなく、精神的な意味のパンツだろう? 見せパンが何ほどのものか。それは水着とどう違うというのか。俺たち男の子が焦がれるおパンツってのは、女子が見られたくないと思っているにもかかわらず、ひょんなことから男子の目に留まってしまう、そういうものじゃないのかよ! パンチラこそ至高にして嗜好。自然と偶然の産物のはずだ。

 駅使は「危うく本当の自分を見失うところだった」と反省した。

 だから、駅使は「見たいとは思わない」と言うことが出来た。「見たくない」とまで言えなかったのは自身の心に迷いがあったからではなく、目の前の少女史に対する配慮であると言っても良かった。

 ――君のパンツが見たくないのではないのだ。俺はパンチラが見たいのだ。

「見せません――というか、どっちにしろ見えませんけどね」

 史はそう言うなり胡坐をかいてゴロンと仰向けになった。スカートの奥で純白が輝いた。

「見えてる! パンツ見えてるよ!」

 叫ぶ駅使に怪訝な表情を見せ、

「下着が見えるのは当たり前でしょう?」

 とのたまった。

「え……だって見せないとか、見えないとか……?」

 混乱する駅使に史は、

「だから『中身』は見えておりませんでしょう?」

 駅使は頭を抱えた。少女の思考経路と発想についていけない。駅使の混乱をよそに史は続ける。

「シュールストレミングとは一体何でしょう?」

 駅使は思考の乱れの一瞬の隙をつかれて思わず、

「臭い缶詰のことだ」

 と答えてしまった。

 ――しまった……。

 臭い缶詰などと言ったら、史が「私は臭いですかそうですかじゃあ死にます」と言いかねなかったので必死に話題を逸らしたのに、やってしまった。

「おっしゃる通りですね。あなたが言わんとすることももっともです。私のような文学少女が缶詰にされていたなんていうのは胡散臭い話です」

 今度はいい方向に話が流れた。が、やっぱりこの少女の思考は読めない、と駅使は思った。

「編集者がホテルで缶詰にするのは大作家だと相場は決まっています。ですが、青田買いで未来の大作家になる小説家候補、つまり作家の卵を缶詰にすることもあるのです」

 史は胸を張って力説する。

 駅使は分かったような分からないような、何とも妙な気分だった。

「えー……。俺は小腹が空いたから、買い置きの煮卵の缶詰を開けたつもりだったんだが……何でだ?」

「出荷段階でのラベリングミスでしょう」

「困ったな。俺は腹ペコなんだ」

「私を食べるおつもりですか?」

「食えるのか?」

「せ、性的な意味でなら……」

 駅使は、顔を赤らめる史が無性に勘に触ったので、おもむろに史を抱きかかえると「いや、あの、心の準備が――」と恥らう史を、頭からゴミ箱に突き刺した。


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