神様に会いました
(……天女様?)
真っ先に頭に浮かんだのはその言葉だった。
腰まで伸びた艶やかな黒髪と涼やかな目元、蠱惑的な笑みを浮かべる女性は常人離れした美貌としか言いようがない。緩やかに纏った着物はまるで物語に描かれている天女のような装いであった。
「驚かせてすまぬな」
唖然として見とれる穂月だったが、天女の口から発せられた声で我に返った。
「……いえ、大丈夫です」
「若いのに朝早くから参拝とは感心なことだ。―ときにお主も良縁祈願でこちらに来たのかの?」
「いえ、私は別のお願いに…」
穂月が女性であるからか妙に具体的な願い事を尋ねられた穂月は曖昧に言葉を濁す。初対面の人に自分の悩みに繋がる願いを口にするのは躊躇われた。
「努力もせずにただ神頼みするなど、嘆かわしい」
蔑むような男性の口調にかちんときた。神頼みに来たのは確かだが、何の努力もしていないと決めつけられるのは不愉快だ。込み上げてきた文句を飲み込んで、穂月はその言葉を無視して立ち去ろうとした。
せっかく気持ちの良い気分だったのだ。下手に関わり合いになって、面倒な事になるのは避けたい。だがその前に女性から再度声を掛けられてしまった。
「まあ待て。袖すり合うも他生の縁という言葉もあるだろう。何のためにきたのだ?話してみぬか」
話す義理もないのだが、にこりと微笑まれると整い過ぎて恐ろしいぐらいの美貌が温度のあるものに変わると、拒否することが躊躇われた。言葉遣いがどこか男らしく昔の人のようで少々変わっているが悪い人ではなさそうだ。
「……就活中でして、こちらの神社が出世にご利益があると聞いてお参りにきました。その、就活とは少し違うかもしれませんが…」
「ああ。まあなくもないが、今は間が悪いな」
「え?どうしてですか?」
「何と言ったかな。ちょうど良い言葉が―ああ、思い出した。ストライキ中なのだ」
「…はい? ストライキ中って誰が、ですか?」
「大后様! そんな小娘に告げるようなことではありません!!」
女性は焦った様子を見せる男性を一瞥したものの、それ以上気にする様子もなくあっさり告げた。
「八幡大神だ」
(……ちょっと危ない人達なのだろうか)
それが宇佐神宮の主神であることぐらい、穂月とて知っている。嘘を吐いているようには見えないだけに、背筋がひやりとした。男性が呼び掛けたオオキサキという意味も分からず、穂月は刺激しないようにとりあえず話を合わせることにした。
「…えっと神様もストライキを起こすのですか?」
そもそもストライキは従業員が会社に対して行うものだ。一番偉い神様なら誰に対して行うというのだろうか。
「割とよくあるぞ。今回は少し勝手が違うがな」
「そう、なんですか」
あっさりとした肯定が返ってきた。その理由が少し気になるが、やはりあまり深入りしないほうがいいだろうそろそろ本来の目的を果たして帰りたい。
傍らの男性も不満気な目つきで穂月を睨んでいて、居心地が悪いことこの上ないのだ。
「えっと、それでは参拝するので失礼します」
「ん? 行っても意味がないぞ。―それより今お主は無職なのだろう。一つ頼みたいことがあるのだが」
「っ、まさかとは思いますが、おやめください!ただの人間の小娘にお務めを果たさせるおつもりですか?!」
男性が血相を変えて穂月と女性の間に入る。
話は一向に見えないが、無職は事実であれ就活中の身には少々刺さる言葉であるし、小娘呼ばわりは怒っていいのではなかろうか。どうやら厄介事に巻き込まれつつあることを察しながらも、逃げ去る勇気もない穂月は現実逃避をするかのように、焦点を別のことに向けていた。
「ユキト、己が断っておいて邪魔をするな。それに同じ人間同士のほうが心情を慮ることができよう。この娘も職を得ることが出来て一石二鳥だ」
「職」という言葉に敏感に反応してしまったのは仕方がないことだ。
「お仕事ってどんなものですか?」
「縁結びだ」
(……うん、聞くんじゃなかったな)
「そんな不審者を見るような目をするでない。ちゃんとした仕事だぞ?」
先ほどまで見とれてしまった爽やかな笑顔が今は胡散臭さを強調するものにしか見えない。これで人助けとか言い出したら間違いなく怪しいと思う。
「人から感謝される上にやりがいもあるし、神に仕える仕事などそうそうあるものじゃない。あ、ぶらっく企業?とやらでもないから安心しろ」
昔は命を投げ打ってまで信仰してくれる者も多かったがな、と女性はどこか懐かしむように言った。
「えっと、すみません。私には向いていないようですので、失礼いたします」
最早怪しいどころではない。早々に立ち去るべきだと判断して断りの言葉を口にした。
「そうですとも。こんな小娘が神使だと思われては貴女様のひいては八幡神の名に傷がつきます。それならまだ宮司に申し付けるほうがましでしょう」
「だがこの娘は処女だぞ。神の使いには相応しい。ところで名は何という?」
見知らぬ他人にものすごい個人的なことを言い当てられて、顔が真っ赤になったのが分かった。同性とはいえ男性がいる前で言われるなど、セクハラといっても過言ではない。
「…小娘。大后様の質問に答えろ」
ユキトと呼ばれた男性が不満そうに言った。先ほどから女性のいうことに文句をつけているものの立場的には彼のほうが弱いらしい。不満なのはこちらの方だが、小娘と呼ばれ続けるのも腹が立つ。
「…水沢穂月です。今年で22歳になるので、小娘呼ばわりされる歳ではありません」
最後の言葉はもちろんユキトに向けてのものだ。
「穂月、か。奇縁とはよく言ったものだな。ユキト、折よくお前の使いに穂月と縁がある者がいただろう。これで決まりだ。あとはお前に任せる」
そう言うと女性の姿が不意に消えた。
「…………えっ?」
人が消えるなどありえない。もしかして幽霊と会話していたのか。先ほどとは比べ物にならないほど肌が粟立つ。動揺した穂月の目に呆れたような顔をしてこちらを見ているユキトを捉えた。
「え、あの、いましたよね? さっきまで綺麗な女の人」
同意を求めようと必死の穂月に静かな口調で告げた。
「無論だ。だが人ではない。先ほどの話を聞いていれば分かりそうなのだが」
嫌味な口調も今は気にならない。
「あの方は息長帯姫またの名を神功皇后といってこの宇佐神宮の御祭神の一柱だ」