親子の会話とは
六年越しの婚約騒動はこうして終わりを迎え、予想外に戦争は始まらなかった。
侯爵と伯爵が再び…十度?やる気を起こすまではしばらく平和が続くようだ。
そうなると私の結婚相手を見つけるのが喫緊の課題となるわけだ。
さて、ここに一人私と同様に結婚相手が突然居なくなった貴公子がいます。
義兄です。
私達、婚約しました。
私達は今は義兄妹だけど元々は従兄妹どうしで帝国の法律上問題なく結婚できる。
養子縁組の解消も、養父と実父の合意、そして皇帝陛下(養父です)の許可があれば割合簡単に可能だ。
両家の親族への根回しも不要、皇族教育も修了しており、後は多少の妃教育で準備万端。
同い年の従兄弟兼幼馴染なので気心知れてるし、特に反対してくるような貴族もいない。
これから一年の婚約期間を経て来年夏に挙式、というところまでとんとんと話が進んでしまった。
今は皇后様や典礼省のお役人達と一緒に衣装決めの真っ最中である。
本来ならシャルルとの結婚式を終えた頃であり、当然婚礼衣装も王国で完成済みだった(お蔵入りだな…)。
帝国からの輿入れ衣装はもちろんこちらで揃えてあったけど、あれはあくまで豪華な旅装、礼装にはほど遠い。
というか縁起が悪いのでこちらもおそらくお蔵入りだ、もったいない。
皇太子妃として十分に押し出しのきく、超豪華ウェディングドレス一式をこれから超特急で作らないといけないのだ。
一年もあれば余裕じゃね?と思ったら大間違いだ。
ティアラや首飾りは代々使われてきた国宝があるが、ドレスは総レースに総刺繍、シードパールやその他の細かい宝石が地の布が見えないほどにみっちり飾り付けられる。
ロングトレーンにマリアベール、長手袋に靴、見えない靴下に至るまで手の込んだ一級品。
どれだけの人手と時間と費用がかかるか、前世庶民としては確認するのが恐ろしいくらいだ。
ついでに厚みと重量も恐ろしいことになると予想できるので、この国の夏が日本みたいだったら絶対に耐えられなかっただろう。
ヨーロッパ風万歳!
話し合いが一段落してお役人たちが帰っていき、疲れた喉と胃をお茶で潤す。
桃のタルト美味しいです。
「こうして二人で過ごすのも久し振りですわねえ、ローゼ。
義母と義娘だった頃の貴女は本当に忙しくて…伯母と姪で居る時の方が家族の時間が多いなんて、ふふ。
まあ、もうすぐまた親子になりますものね?」
この悪役令嬢プラス二十才、みたいな貴婦人はルクレツィア皇后陛下、自分で口にしているように私の伯母兼元義母兼将来の義母である。
如何にも主張の強そうな外見とは裏腹に、一歩引いて皇帝陛下をそっと支える良妻賢后と評判の方だ。
ジークハルトの他にも一男二女を儲けているプロ母ちゃんでもある。
「このところ少し、顔色が優れないようですわね。
何か悩みがおありならお義母様に相談してごらんなさいな。
この数ヵ月は婚約の解消とジークとの婚約発表、式の準備と忙しないことばかりでしたものね」
「いえ、そんな…ただ、もっと良い立ち回り方があったのではと、不徳を恥じるばかりです」
シャルルの内心にも気がつけなかったし、リリー姫のことも、出立前の謁見以外は二年間離宮から出てこなかったのに、様子を確認もしなかった。
側妃と一緒に離宮で遊び暮らしている、教育係は精一杯手を尽くしている、なんて話を鵜呑みにしなければ違う結果もあったんだろうか。
「ローゼ、ローゼリア。
貴女は十分に上手くやっていましたわ。
まず大前提として、今回の婚約破棄の責任は貴女にはなくってよ。
一番悪いのはもちろんシャルル王太子、次がそれを止められなかったルフラン王国上層部。
その次がこの兆候を察知できなかった帝国情報部、延いてはそれを所管する皇帝陛下その人の失態でしてよ」
「お、伯母様!?
そのようなこと…」
「あら、事実ですもの。
ただまあ、能力の不足というより適正の問題が大きいかとは思いますわ」
「適正、ですか?」
私が叩き込まれたルフラン知識は各貴族家の歴史や姻戚・交友関係、各地方の地理・産業・推定税収から流行りのファッション、市井の物価に至るまでやたらめったら多岐にわたる。
もはや職人気質を通り越して偏執的と呼びたくなる帝国情報部が適正なしってこともないだろう。
いかにも質実剛健謹厳実直ってタイプの陛下は確かに情報部なんてものとはイメージが合わないが…。
「そもそもの成り立ちが、無駄な喧嘩を避けるために他国のことをもっと知りましょう、という組織ですもの。
他人が隠していること、隠したいことを暴き出す、というのには向いていないのですわ。
商王国などでは諜報活動とは政敵や商売敵を見張り出し抜き引きずり落とす為のものですから、相手がひた隠しにする醜聞や不正を見つけるのが主目的ですけれど」
な、なるほど。
なお伯母様は商王国、正式名称ヴェネスタ商王国連合の王女である。
商王国の政治形態は中々ややこしいが、端的に言うとマネーイズパワー、という感じの立憲君主制だ。
それに加えてどうやらスパイの巣窟でもあるらしい…?
「そういった訳で、シャルル殿下が露にしていなかった側室制度への憎悪や、離宮の密室で行われたやましい行為を探り出せなくっても無理からぬことでしてよ。
利益相反の問題上、手出し口出しは控えていたのですけれど…流石にテコ入れが必要かしら」
コンプラ用語出てきたでござる。
何かヴェネスタだけ時代を先取りしてない?
中原諸国なんてうち以外は情報組織自体持ってるか怪しい感じなんだけど。
これが脳筋と商人の差…!
「私は外から嫁いできた女ですから、今後も機密情報にあまり触れるつもりはございませんけれど。
ローゼ、貴女は帝国生まれの帝国人、皇族生まれの皇后ですわ。
これ以上無く身内、将来的には夫の補佐として情報部に関わることもあるでしょう。」
「はい、伯母様」
「オルトナッハの情報収集能力は古狸揃いの地中海諸国と比べても目を見張るものがありますけれど、知識はそれ自体で価値が決まるものではありませんのよ。
何のために、何を調べて、どう使うのか。
使い方次第で毒にも薬にもなり、あるいは何にもならないのが知識というものです。
ジークと貴女が継ぐ頃にはもう少し使い勝手の良い組織になっていると良いけれど、貴女たちにも少しずつ実地訓練が必要ですわね」
「は、はい、伯母様…」
実地訓練…一体何をやらされるんだ。
スパイマスター伯母様。
情報ゲットだぜ!的な…的な何かを…?
「そしてもし、貴女が皇女としての義務ではなく、一人の婚約者として、未来の夫の心に添えなかったことを悔いているのであれば…。
それだってやっぱり、貴女のせいではありませんのよ」
…悔やむな、なんてのは無理な話じゃないの?
アリア嬢の、あんなひどい有り様ではなかっただろうにせよ、それでもきっとさして上手い演技でもなかっただろう追従にコロッと行くぐらい、シャルルは悩んで弱ってたのに。
本当にこれっぽっちも気づかなかった私はきっと薄情だ。
その上さっさと逃げ帰ってきた。
「確かに貴女には幾つか先入観が合ったでしょう。
でもそんなのは些細なことですわ」
恋愛は側室とするはずだとか、帝国に気を使っているだけだとか、それか王妃様みたいに仕事を優先するんだろうとか。
そんなのは全部私の、手前勝手な思い込みだ。
シャルルはそんなこと一言だって言わなかったのに。
「そもそも、他人のことなんて早々理解できるものじゃありませんことよ!」
「えっ」
「私なんて長年添った夫が何考えてるか解らないことも未だにしょっちゅうありますわ!」
「えっ」
そっそんな自信満々に言うことかなぁ!
「高々三年やそこら机を並べただけの相手をすっかり理解できると思うのは傲慢ですし、ろくに説明もせずにわかってほしいだなんて言うのはただの怠慢で、甘えですわ。
…それでも共に過ごせば、お互いに歩み寄ろうと努力できればいつかは見えてくるものもありましてよ。
夫婦として向き合うにせよ、王と妃として並んで前を向くにせよ。
そんな未来に背を向けて、貴女の隣に立つ権利を放棄したのはシャルル王太子ですわね」
伯母様はにっこり笑って、くわっと目力を強めてこう言った。
「ですから―――そんな甘ったれた男のことはきっぱり忘れて、うちの息子と逢い引きの一つもしていらっしゃい!」