もう一つの婚約の顛末
国境の街滞在二日目、諸事情あってリリー姫一行の到着が遅れるという連絡が届いた。
その諸事情というやつに触れる前に、私のもうすぐ元がつく婚約者シャルルの異母妹、私の義兄ジークハルトの婚約者、素行がヤバいエメリナ側妃の娘であるリリー姫の情報を整理しよう。
これまでもリリー姫の近況については色々と伝え聞いていた。
曰く。
勉学は散々、おしなべて十歳児レベル。
語学も散々、意思疏通は辛うじて可能だが発音と丁寧表現が壊滅的(話が通じるとは言ってない)。
マナーも散々、帝国風はおろか王国風すらおぼつかない。
顔の良い男子に片っ端から走り寄ってしなだれかかるわ、ダンスの授業でパートナーにべったり抱きついて踊る気ゼロだわ、女子とは一切会話しないわ。
どこからどう見ても愛人探しですね!
注意を受けても「リリィはぁ、お勉強より大事なことってあるとおもうのぉ」「リリィ田舎育ちだからわかんなぁい」「リリィは皆のリリィだよぉ?」「リリィてーこくの皆と仲良くなって、いっぱいいーっぱいお友達作りたいなぁ☆」等々。
帝立学院は王立学園同様十五才からの三年制だけど、大抵の貴族は十歳前後から家庭学習を始める。
つまりリリー姫は純然たる未就学児並み。
丁寧表現がダメって貴族の教育係に習って何でそうなったの?
王国語に切り替えても大差ないって何でやねん。
田舎育ちって不夜城なんてあだ名の離宮で贅沢三昧のどの辺が?
学院は人脈形成の場だからそういう意味ではお勉強より大事なこともあるよ。
だから愛人じゃなくって令嬢のお友達作ろう?
あと何で毎回最初にリリィってつけるの?
接頭語かな??
あまりの惨状に偽物説すら浮上したがすぐに立ち消えた。
影武者ならもっとマシなのを寄越すだろう、という理由で。
リリー姫は私達より二歳年下の昨年春入学。
婚約したのがそれこそ十歳の時で、教育期間が丸々五年あったはずだ。
書類上王妃さまの養女になっても側妃が幼い娘を手元から離したがらず、それを国王陛下が容認してしまった。
教育係が毎日付きっきりで見てるって聞いてたのに本当に何がどうしてこうなった…。
最近は勉学は微速前進、男漁りもやや沈静化してきたと言う話に皆希望をもっていたんだけどな。
リリー姫の人となりを確認したところで、先程の諸事情、というやつに話を移そう。
事が起きたのはやはり卒業パーティーでのこと。
在校生からの祝辞を述べる筈だった騎士科の二年生が、卒業生代表の義兄様にこう言ったのだ。
「リリー姫との婚約を破棄してください!
私達は真実の愛で結ばれているのです―――」
どこかで聞いた話ですね?
いやあまさか主君の婚約者をNTRする帝国騎士が居ようとは…。
二人は直ちに隔離され、学生達には見聞きしたことの他言を厳に禁じてパーティーは終了した。
尋問されたNTR騎士はそれはそれは情熱的な姫への愛や交際に至った詳細な経緯を語り、二人が既に身も心も深く結び付いており、例え皇帝陛下にも神にもこれを引き離すことはできない、と締め括った。
別室で王国大使付き添いの下に尋問を受けたリリー姫の返事は「ダイジョブだよぉ、リリィ避妊はバッチリだもん!」だったそうだ。
温度差がヤバい。
ルフラン王国でも未婚の令嬢の貫通はアウトなんだけどな…。
まして未婚の王女となると王子の浮気問題とは深刻度が違う。
私の婚約の方は真実の愛にさよならして、帝国の面子についた傷を埋め合わせられるだけの謝罪と賠償をすればギリッギリ修復可能だが、こちらはそれに加えて何をどうしたって覆水盆に帰らずだ。
こうして婚約破棄はほぼ確定し、現在緒証言の裏取り中なのだが、まだ誰に責任を問うのかという問題が残っている。
帝国としては「リリー姫が積極的に男性を誘惑し、自らの意思で不貞を働いた」と王国を責め、これまでの姫の素行及び騎士と姫自身の証言がこれを後押しする。
王国側は「未婚・未成年の王女の純潔を帝国人に汚された」と主張したい。
避妊に詳しい姫がこれまで純潔だった可能性は低いが、処女判定はできても非処女がいつから非処女だったかなんて後から証明できないので、言ったもん勝ちと言えなくもない。
―――いつから?
ちょっと待て。
これは…、この問題は、突き詰めて調べると割りと洒落にならん話が出るのでは―――?
私はそれから結局一ヶ月近くをそのままの場所で過ごすことになり、その間何度も両国の非公式使節が川を行き来していった。
ようやくリリー姫が到着し、入れ替わりに帝国に渡り更に二ヶ月。
私達の婚約はシャルル殿下及びリリー姫の急病により解消される運びとなった。
ルフラン王国はオルトナッハ帝国に丁重に謝罪し、帝国はそれを受け入れると同時に一日も早い快復をお祈りする返答を送った。
正式な賠償はなされなかったが、交易上のいくつかの条件をルフラン側が譲歩することでそれに代えた。
両殿下は王宮内で療養中だが、特にシャルルの病状が重く、近く王太子の地位をオリヴェル殿下に譲ると囁かれている。
寛解後はどこかの警備厳重な離宮で静かに暮らすことになるかもしれない。
同じ頃、エメリナ妃の暮らす王都郊外の離宮が火事で全焼した。
サロン室での煙草の不始末が原因のその火事により、リリー姫の教育係を含む側妃の親しい友人十数名が犠牲になった。
深酒のため昏睡しており、逃げ遅れたと考えられる。
エメリナ妃自身も深い火傷を負い、自慢の美貌を失ったことに絶望して自ら命を絶ったらしい。
昼は宝石を積んだ商家の馬車が、夜は愛人の乗った豪奢な馬車が途切れないと評された離宮は主を失い閉鎖された。