3 そして彼は魂を叫ぶ。
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気がつくと、あの真っ白な空間だった。
とても見覚えがある、距離感が狂ってしまう程に何も無い空間——ただし、二つだけ、存在している物がある。
大きな、荘厳たる石の玉座。そして、その場所に、まるで退屈な王様のように頬杖をついて座る——狂おしいくらいに美しい幼女だ。
彼女——グランギニョルは、僕を静かに見据えながら、やがてその小さな唇を開いた。
「それで——満足、したかの?」
——満足?
僕はグランギニョルの言葉の意味を理解できず、疑問を口にしようとして——出来なかった。
口を開き、言葉を発しているつもりなのに、音が聞こえない不思議な感覚だけが虚しくこだまする。
けれど、僕が言いたい事は伝わるようで、彼女は真剣な眼差しで言うのであった。
「いや、嫌味を言うつもりはないし、意地悪をする気はないのじゃが——どんな気分かと思ってのう。二度も、幼女をヒーローのように助けようとして、その実、何も出来ずに、何者も救えずに、終わるというのは」
僕がここにいるということは、あの幼女も一緒に死んでしまったのだろう。
公園で暴漢から助けようとしたあの子だって、僕が殺された後、結局は酷い目に合ったに違いない。下手に僕を殺害した場面を目撃してしまった為に、口封じされていてもおかしくはなかった。
——はっ……はは……。
口から乾いた笑いが漏れた——気がした。
公園の幼女も、森の幼女も結局助けられなかった。
なんて滑稽なのだろう。
偽善ですらない。ただの道化だ。
平然と失敗を繰り返し、
平気で同じ過ちを犯し、
当たり前のように同じ轍を踏む。
無駄だった。全てが無意味だった。
僕には、好きなものを守る力すらないのだ。
だったら——僕は何の為に生まれてきたんだろう。
幼女が好きだと口にするだけで、いざとなったら何も出来ない役立たずが、何の為に生きていたんだ?
そんな人生——何の価値もないじゃないか。
どういう気分かって?
そんなの決まっている。
悔しい。
とにかく、悔しい。
自分の無能さに腹が立つ。
悔いはないはず、だった——?
そんなわけがない。
嫌だ。
死にたくない。幼女を助けたい。どんなに無関係でも、どんなに無意味でも、彼女達を守りたい。
だから——。
「力が、欲しいか?」
グランギニョルのその問いに、僕は力強く頷いた。
「ならば——!」
グランギニョルが勢いよく立ち上がる。そして僕を、その爛々(らんらん)とした瞳で射抜き、小さな手を真っ直ぐ差し伸べてきた。
「叫べ! 魂の声を‼︎ 呼べ! 儂の名を‼︎」
僕は、腹の底から声を出した。
何故か確信があった。
それが出来ると。
「僕は! 幼女を救いたい‼︎」
僕がやり残した事。したい事。しなければ——ならない事。
僕は、彼女の手を——
「来い! グランギニョル‼︎」
再び、取った。
そして、視界が暗転し、意識が現実へと回帰する。
気がつくと、眼前に迫り来る——鉄の巨人の拳。
不思議な感覚だった。一瞬の出来事を、まるで走馬灯のように拡大して体験していたような圧倒的矛盾感覚。
いつの間にか——グランギニョルの手を握ったはずの右手には、綺麗な石が握られていて——。
次の瞬間、強い銀色の光を放ったかと思うと、瞬く間に機械の剣へと変貌し、鉄の巨人の拳を受け止めていた。
「ぐっ……ぅぅう!」
体全体が軋むような圧倒的な重量。存在そのものを圧殺されかねない質量。地面に、足がめり込む。左手を剣の腹に添えて、両手で力一杯踏ん張り——耐えた。
“耐える事ができた“。
少しだけ冷静になれた今なら分かる。感じられる。
この体には、“力がある“。
元の姿だった頃とは、比べ物にならない力が。
強い想いが、能力を引き出す。
常識外れの脚力を。
規格外の膂力を。
そして。
僕が握るこの機械の剣にも、同じ力を感じる——!
「お——おぉおおおお!」
僕の咆哮に呼応するようにして、機械の剣から銀色の光が迸った。空中で煌めく粒子は、やがて、刀身へと収束。本体に纏わるようにもう一つの刃を形成する。
「ぐぐぐぐぐ——っ!」
腕にありったけの力を込めると、巨大な手を徐々に押し返す事が出来た。
巨人の体のバランスが崩れ始めたのが、手を通して伝わってくる。歯が、割れんばかりに食いしばった。もう一押しと、腕だけではなく、足や体全体で踏ん張ると——最後は驚く程あっさりと押し勝てた。
鉄の巨人の体が、僅かにぐらつき、後退する。
拳の勢いが完全に死に、後ろの幼女へとその被害が向かない事を確信する。
僕はその隙を逃さず、機械の剣を振りかぶりながら、巨人の脚を目掛けて駆けた。
まるで丸太のような太さがある脚——流石に切断する事は出来ずとも、少しでも転倒させられれば、今の僕なら幼女の一人や二人抱えて逃げられるという目算である。
剣なんて得物、もちろん竹刀くらいしか振ったことがないので——ただがむしゃらに、ひたむきに、思いっきり、袈裟懸けに——振った。
剣から走る銀の残光。
衝撃は、無かった。
斬ったという感覚が、抜け落ちていた。
それ程までに、あっさりと。
巨人の脚が——鉄の塊が、豆腐のように切断された。
「なっ——」
あまりの手応えの無さに、勢いを殺し切れず、僕はつんのめる。転びそうになるのをなんとか堪え、慌ててその場を離れた。
支えが無くなった鉄の巨人は、呆気なく崩れ落ち始める。木々をなぎ倒しながら、仰向きに。
やがて、地震が起きたような衝撃。地鳴りと地響きが重なったような重々しい音と共に、巨人は倒れた。
動か無くなったわけではない。両腕と片足はまだ残っているし、実際、なんとか起き上がろうとそいつはもがいていた。
けれど、それだけだった。
そもそも物体は大きくなればなるほど、それはもう寸分の狂いも許されないバランスで成り立つのであって、ましてや人型の巨人ともなれば、脚が一本欠けてしまった時点で、決して立ち上がれるはずがないのだ。
僕は、剣の刃が体に触れないよう細心の注意を払いながら、遠ざけるように観察する。
大小様々なパーツが複雑に絡み合って、構成された剣——いや、剣が機械で出来ているというよりは、機械の部品が集まって剣の形をしているといった方がより正確かもしれかい。
印象としては、バイクのエンジン部分に近かった。あくまで印象としては、だけど。あんまり詳しいわけじゃないし……。
なんというかまあ。切れ味が良過ぎて、怖い。
それが、僕がこの剣に抱いた感想であり感情。
さて、これをどうしたものかと思っていると、急に——剣の刃を形作っていた銀色の光が収束し消えたかと思うと、残された機械の剣も銀の粒子となって霧散し、僕の手の中には、水晶のような石が残されたのだった。
今見た光景を、ごく客観的に理解するならば、剣はこの石が変化したものらしかった。
そしてこの石は、あの白い世界で、グランギニョルの手を取った直後に握られていたものである。
そういえば、先程から彼女の言葉が聞こえないなと疑問を抱きながら、僕は石を握りしめたまま(お忘れかもしれないが、あれやこれやをしている間も、僕は全裸である。しまう所が無い)、幼女の元へと向かった。
「大丈夫?」
そして、地面にへたり込む彼女の視線に合わせ、屈みながら声を掛ける。
正直、怖がられるかと思った。
青々とした森の中、変テコな剣を振り回す、体中に擦過傷を負った、素っ裸の幼女である。流石の僕でも——いや、それはそれでアリかもしれない。
そもそも、言葉は通じるのだろうか、などと今更な疑問を抱きながら、幼女の返答を待った。
そして、僕は驚愕の事実を耳にすることになる。
怯えていた彼女が、口を開く。
「助けてくれて、ありがとうございます」
そう言って、深々と頭を下げる幼女から発せられた言葉は——日本語だったのだ。