76.俺は生まれながらにして将軍である。
京に戻って10日以上も『冬の御殿』から出して貰えなかった。
我が先生達はゆっくりと授業ができて満足のようだ。
朽木・高島・若狭から送られてくる手紙は絶えないし、指示を書く返書に忙しい。それに加えて見舞いの手紙のお返しもある。
茶や詩歌の講義の後は部屋に戻るとそのまま倒れ込み弱音を吐く。
「惟助、疲れた!」
「かような地堕落な態度と申し様は後ろの小姓らに悪い影響がでますぞ」
「もう遅い、俺の本性はこういうものだ」
お茶の違いなど判るか、俺のどこが悪い、歌など判らん、心地よい歌を寝そべって桜の下か、花園などで聞けばよい、良し悪しとか、裏読みなどどうでもいい。
そもそも面倒臭い駆け引きなどいらない。
などなどなどなどなどと手足をバタバタさせて愚痴々々と駄々を捏ねる。
見た目通りの数え5歳(4歳)の子供に戻るのだ。
10人以上いる小姓らがそのギャップにまだ戸惑っていた。
朽木の者は小姓から外した。
(気分的に側近扱いだ!)
今頃、短い小姓人生だったと思っていることだろう。
各セクションを順次回して、一通り覚えて貰って三郎(朽木の三男、成綱)のような万能秘書に育って欲しいと望んでいる。
それで朽木の者が減ると別の小姓を勧めてきた。
皆、どこから聞いてくるのかが不思議だ?
我が師匠らの推薦や見舞いに訪ねて来た父上の家来らの子弟を小姓に勧められた。
媚び半分、スパイ半分と割り切って付き合う。
朽木など返書作業の場には連れて行かない。
それから寺子屋に言って10人ほど小姓見習いを送って貰った。
我が師から直接講義を受けられ、京の手習いを覚えさせるいい機会だと思った。
俺が歩くとゾロゾロと小姓らが付いてくる。
目立って仕方ない。
で、部屋に戻った瞬間の自堕落ぶりのギャップに小姓らが何とも言えない顔になっている。
別に狙ってやっている訳じゃない。
朽木と同じく、朝夕には『冬の御殿』に併設した道場で剣術の訓練もしている。
惟助を始め、師匠には困らないのだが、指南役に中条流の山崎景邦や鹿島古流の塚原 高幹(卜伝)などの名が上がっているらしい。
来ました塚原卜伝、我が鹿島新當流の創始者だ。
小姓らに教えているのは新當流だ。
500年でどれくらい違うのか?
ちょっと興味がそそられる。
俺の悩みは二人でする型稽古だ。
身長的に俺の相手ができるのが小姓見習いの一人だけであり、教えるだけで練習ができない。
乱稽古では小姓らに負けているようでは実践で役に立たない。
「若、それを声に出すのは止めた方がよろしいかと」
「俺に負けるような小姓はいらん」
「さらに落ち込みましたぞ」
『影に励め!』
声を高めて激励を送ってやった!
◇◇◇
天文9年3月1日(1540年4月7日)に最後の暖炉の火が消され、朝になるとすべての障子が開かれて、『冬の御殿』は春の装いに変わる。
天井の障子が外されると、屋根裏まで吹き抜けの解放的な姿を現した。
4月になると一度閉鎖されて、宮大工と絵師などが入って最後の仕上げを行うことになっている。
夏は風通しの悪さがあるので使われない。
昨日、御爺上様(近衛 尚通)、紅葉(錦)、晴嗣も帰っていった。
何かとお世話になったので文句は言えないが、アイツが居座っている為に晴嗣の師までやって来て、講義が倍に増えてしまったのだ。
宮廷の仕草なんて基礎だけでいいんだよ。
俺は武家だからな!
糞ぉ、晴嗣と一緒にしごかれました。
ふふふ!
その分、道場でしごいてやったよ。
もう帰って来なくていいぞ!
晴嗣の師匠らもフォーエバーだ!
◇◇◇
やっと外出許可が貰えて、俺が向かったのは真正極楽寺であった。
京の東にある比叡山の門前寺だ。
「住持に合わせろ!」
出てきた小僧に高飛車な態度で住職を呼びに行かせた。
流石に小姓をぞろぞろと連れて来ていない。
それでも護衛を含めると、高貴な服を身に付けた供の数10人余りもいる。
今日、比叡山を訪問することは蜷川 親世を通じて僧正に伝えている。
比叡山天台座主である覚恕法親王様とはじめて面会する日だ。
比叡山との和解だ。
こちらから提示する条件は献金と椎茸の独占販売権だ。
俺は高島郡にあった天台宗の寺領を奪った悪党にされている。
念の為に言っておくが、高島の寺々の領地には手を出していない。
借金の形で奪われた比叡山領の寺領のみ横領した。
比叡山の僧兵が朽木を攻めて来たのだ。
攻めてきた僧の寺領を残す義理があるか?
はっきり言ってない。
覚恕様もこの対応には困っていたのだが、俺のその寺領の5倍に当たる横領されていた天領を朝廷に戻させた。
覚恕様は後奈良天皇のご子息であり、忠臣である俺に好意を持ってくれている。
「菊童丸様」
「なんだ? 惟助」
「以前から言おうと思っておりましたが、覚恕様は天台座主ではございません」
「そんなハズはなかろう!」
「帝の御子でございますゆえ、天台座主になることは決まっておりますが、現天台座主様は伏見宮貞敦親王の第5子であられる応胤法親王 様でございます」
「なんと、勘違いか!」
しまった!
帝の御子だから天台座主と思っておった。
危うく、恥を掻く所だ。
「朝廷に対して忠義を果たす菊童丸様を好意的に思われております。特に問題はございません。また、覚恕様も曼殊院門跡として御同席することになっております。お名前を間違われぬようにお気を付け下さい」
思い込みは罪であった。
いずれにしろ、天台座主をはじめ、朝廷に睦び付きの深い方々は俺に好意的であった。
何と言っても実家に入る取り分が増えるのだ。
だが、比叡山の僧として、寺領を横領した者を称賛する訳にはいかない。
そこで横領分と同額の献金を高島から日吉神社(大社)にさせる。
さらに、朽木で栽培した椎茸などのキノコの独占販売権を比叡山に与える。
椎茸って、滅茶苦茶に高価なのだ。
小浜の商人に渡したレシピに椎茸で出汁を取ると書いてあったのだが、「そんなものに値が付けられません」と思わぬ反撃を食らった。
接待に椎茸が使われていれば、最高のもてなしになる。
この感性にはついていけないのだが、今回は武器になる。
椎茸という膨大な利益を齎すのは俺だというアピールだ!
門前寺で派手に登場するのも比叡山の僧にそれを知らしめる為だ。
何故なら坂本の僧らは俺をよく思っていない。
坂本の僧は土倉を生業とする金貸しの集団である。
金利を10割から1割に下げた俺は敵認定されている。
放置すれば、他の領主らから金利を下げろと言われないと戦々恐々としているのだ。
しかし、この和解で坂本の僧は安易に俺を批判できなくなる。
強欲な僧らは大和(奈良)の興福寺や比叡山の高僧らが親王や公家の出身だということを失念している。
強欲な僧らは比叡山を富ましても、朝廷や公家を助けることはない。
彼らがどちらを支持するのかは明らかなのだ。
問題なのは比叡山のみを優遇すると、法華宗、浄土宗、禅宗の僧の不評を買う。
法華宗は京の商人を通じて門前市に商品を出すことを願っている。
場所代と献金を行う。
浄土宗は堺衆を通し、摂津より東の石鹸やリンスなどの販売を任せることにする。
商人は問屋業の卸売りを中心にやって貰い、小売りを寺の領分するつもりだ。
これで商人と寺の双方が儲かる。
禅宗は統一感がないので、寺ごとに献金や商品を奉納する。
「そろそろ見定めはすんだか」
真正極楽寺の住持である昭淳はじっと俺を見定めていた。
俺は盛大に仏教批判をしてやった。
昭淳も色々と思う所はあるようだが、肯定はしない。
「まぁいい、問答に来た訳ではない。天台座主様にお会いできるようにはかって頂きたい」
「天台座主様はお忙しい」
「タダとは言わん」
俺は後ろから回されてきた籠を受け取ると布を取って籠を差し出した。
「こぉ、これは!」
「我が畑で栽培した椎茸だ」
「まさか、ありえん」
「栽培など無理と思うか、そんなことはない。これだけではないぞ。その儲けた銭で飢えた民を雇い、事業を大きくしてゆく。いずれは酒・酢・味噌・醤油・燻製・塩・布・鍬などの農具、薬などを作ってゆく。然すれば、より多くの民を救うことも可能だろう」
「民を救われると申されますか」
「救う。救わねばならん。天台座主様も私も同じ目的の為に生かされておる。願わくは、敵対者ではなく、互いに手を取り合う者となりたい」
「貴方様はいずれの方か」
俺は答えない。
代わりに連れの者が口を開いた。
「こちらにおわすお方は第12代将軍足利義晴が嫡男、菊童丸様でございます」
昭淳、目を見開いた。
頭を下げた。
「そう、俺は生まれながらにして将軍である」
昭淳に連れられて比叡山を登り、比叡山と和解を為した。
これで俺の周辺から敵が消えた。