75.ヘビとカエルとナメクジ。
お見舞いに来た管領が入って来ると、部屋の中に緊張が生まれた。
「お見舞い申し上げます」
「心配掛けた」
「まだ、お加減が悪いようですな」
「もう大丈夫じゃ」
「しかし、無茶をなさりますな。大切なお体であることをお忘れなきように。心配していたのですぞ」
「ご心配を掛けて本当に申し訳ない」
「どうやって、ここを御出になったのですか」
「こほん、菊童丸様はずっとこの部屋にいらしゃいました」
「そうでしたか?」
「はい」
「聞くところによると高島に赴き、朽木と六角の戦いを止めたと聞き及んでおりますが」
「さて、何のことでしょうか」
「伊勢守が奇妙なことを言っておりますが、六角殿、真実は如何に?」
「さて、何と答えたものでしょうか。枕元に立たれて、戦を止めて欲しいと懇願された夢を見たとでもしておきましょうか」
「それがよろしい。菊童丸様はこの京から御出になっておりません」
「と、伊勢守が申しております」
「さて、さて、なぜ、そのような嘘をお付きになるのか?」
「管領様もお判りのはずです。もし、菊童丸様がいなくなっていたなどということになれば、女中、門番、非番の者に厳しい処分が必要になるでしょう。お優しい菊童丸様がそれを望むはずもありません。お察し下さい」
「下らないことを申すな!」
「どうかご配慮を」
軽いジャブの応酬でこんな感じだ。
俺の後に朽木 稙綱と和田 宗立(惟助)が控えで警護している。
俺の代わりにしゃべっているのが、伊勢 貞孝だ。
その向こうにお見舞いに来た管領の細川 晴元と、家臣の三好 政長と山中 又三郎が控えている。
脇に座り替えたのが、六角 定頼と、家臣の進藤 貞治、蒲生 定秀、三雲 定持だ。
今の所、家臣らは一切言葉を発さない。
じっくりと観察されている。
俺は(伊勢)貞孝のおっさんに任せているというか、管領が来る前に釘を刺された。
(六角)定頼がいる目の前で!
「菊童丸様はまだお加減が悪いようですので、管領様とのあいさつのみとして下さい」
「そうもいかんであろう」
「この(伊勢)貞孝が相手をします。ご安心下さい」
「しかし」
「菊童丸様!」
「判った。お前に任せる」
「それがよろしい。最近の菊童丸様は羽目を外し過ぎておりますぞ。以前のように、何事もわたくしにご相談下さい。お判りですか! 此度のようなことは二度と起こさないようにお願いしますぞ」
「判った。判った。怒るな!」
「怒っておりません」
どうやら(伊勢)貞孝のおっさんは巷で噂される黒幕を演じる気でいる。
まずは俺を叱って、従って頂きますぞと無言の圧力を掛けてきた。
幕府の政所執事として俺を仕え、師匠のように振る舞っている。
そのあとにいつもの説教が入った。
将軍学とでも言うのか、中国の古典も混じっているので皇帝学かもしれない。
君主とはどうあるべきかを語った。
(六角)定頼がいる目の前でだ!
うな垂れる俺を見れば、力関係もよく判っただろう。
(六角)定頼らが頷いていた。
という訳で、管領の対応は(伊勢)貞孝のおっさんがやってくれている。
「(内藤)国貞を渡せとはなんたる申しようか! 幕府を頼って降ってきたのですから、幕府が責任を持つのは当然の処置でありましょう」
「私の命が聞けんというのか!」
「管領様であってもお聞きできませんな! 丹波制圧を命じたのは管領様ではありませんか! 管領様は丹波守護でもあらせられます。守護としてお命じになったのです。その守護にお渡しすることはできません」
「六角殿、御引渡しできませんか?」
「申し訳ござらん。管領様にお渡ししないことを条件に降りました。その約を破ることはできません。朽木に幽閉させておきますので、朽木を出た場合は御好きになさって結構です」
管領(晴元)の口が歪んだ。
何か判らないが、神五郎が首を横に振っている。
東丹波の処分も管領に任せるが、処分を下す前に六角の確認を取ることを条件とした。
(伊勢)貞孝のおっさんが強気だ。
「いつまでも城代に任せている訳もいきませんでしょう。誰を城主とされますか!」
「幕府が関わることではないであろう」
「早く決めて頂きませんと治安が回復致しません。近くには幕府領も多く迷惑しております」
各城の情報はすべて(伊勢)貞孝のおっさんに知らせていたが、まさか全部を覚えているとは思っていなかった。
堪らず、神五郎が口を挟み、城主候補の名を上げてゆく。
「うん、その者がよろしかろう」
「では、それでよろしいですな」
「神五郎に任せる」
管領はすべて家臣の能力を把握している訳ではないが、お気に入りという者がいる。
それを考慮して神五郎が名を上げているので異存はないようだ。
(伊勢)貞孝のおっさんも問題がない限り、異存は申し上げない。
素行が悪いと噂がありますので、命じる前にしっかりと言い聞かせて欲しいとかの小言は言う。
さらに、領地の境界の話を搦めて話を進めてゆく。
右筆が隣の部屋でその会話を記録する。
最後に管領と政所執事の名を入れれば、約定が完成する。
会談は続く。
こんな場所で戦後処理がされるとは思っていなかった。
終わる頃には、神五郎の額からも汗が染み出ていた。
(伊勢)貞孝のおっさんは涼しい顔を崩していない。
化け物め!
そんな眼つきが印象的だ。
会談が終わると、管領も(六角)定頼も席を立って見舞いが終わった。
おぉ、そうだった。
みんな、俺の見舞いに来ていたのだ!
皆が出ていった所で口を開く。
「惟助、東丹波の情勢を事細かく知らせてくれたが、調べろと命じたのはおっさんか!」
「(伊勢)貞孝様の希望であります。あくまで希望でしたので、できる範囲という条件付きで引き受けました」
「道理で気の利いた報告書と思っておった。戦場を選ぶにも参考になった」
「皆を褒めてやって下さい」
「そうしよう」
鬼に金棒というが、(伊勢)貞孝に草(忍者)は拙くない?
あれを調べろとか、これも調べろと希望がやって来そうだ。
神五郎も完全に焦っていた。
管領の腹心として、丹波を把握しているが、支配している波多野より細かく把握している政所執事って嫌過ぎる!
幕府に訴えが上がった後ならすぐに調べて把握しているだろうが、訴状も上がっていない紛争を領主以外が知ることは稀だ。
「お断りになって構いません。これは単なる幕府のお節介でございます。あぁ、拙うございました。わたくしが口に出したことが領民に知れると、お領主殿がお困りになりますな。申し訳ござらん」
謝っているが完全に脅迫だ。
幕府が仲介に入った仕置きに合意せねば、その案を断ったと領民が知ることになるぞ!
巧く調停ができなければ、新しい領主はすぐに反乱で首を取られるかもしれない。
経営が難しくなるぞと脅したのだ。
神五郎もその提案を呑まない訳にいかない。
新しい領主は元の領地から100人くらいなら家臣を連れてくることはできるが、領民すべてを連れてくることはできない。
陣触れを出しても兵が一人も集まらないということになりかねない。
俺は若狭で調停をさせられて思った。
戦に強いのは当然だが、調停力のない領主は領主と認めてくれない。
丹波前守護代の内藤 国貞は戦に弱いが、調停力はそれほど悪くなかった。
何と言っても、内藤家は永享3年(1431年)から丹波守護代を100年近く続けた名家だ。
影ながら内藤家を支えようとする国人衆は多いのだ。
内藤家と比べられる波多野 稙通の丹波守護代への道は中々に険しい。
戦に勝つだけでは領主とも、守護代とも、守護とも認めてくれないのだ。
まだ、大名と守護の狭間なのだと思い知らされた。
今川義元が今川追加目録で幕府から独立を宣言する事から始まるのだろう。
そう考えるともうすぐか!
それが全国に行き渡るのは、信長が美濃を制圧する頃なのだろうか!?
それよりも後ということはないと思う。
今は幕府の権威が落ち、形式の守護など価値がないと思い始める過渡期なのだ。
いずれにしろ、神五郎は(伊勢)貞孝にしてやられたと思っているだろうし、管領(細川 晴元)と(六角)定頼も俺の師匠として君臨していると認識しただろう。
(細川)晴元と(六角)定頼と(伊勢)貞孝が睨みあって膠着してくれるとありがたいと思った。
終わった!
これで終わった。
細かいことが残っているが、大枠で終わった。
「やっと寝られる!」
「お疲れ様でございました」