73.馬車なんかもう乗らない。
俺は帰ってきた!
もう絶対に冬の戦はしたくない。
防寒着は凍死しない程度であって温かくない。
みんな、よくこれで我慢できるものだ。
焼き石カイロはすぐに冷めて役に立たなくなる。
いつか携帯カイロを作ってやる。
「惟助、やっとゆっくり寝られるな!」
「そうでございますな…………!」
惟助は言葉尻を少し濁した。
判っているよ。
俺は京を抜け出して朽木にやって来ていることになっており、朽木に来たのは良いが病がぶり返して臥せっていることになっている。
のんびりしていると母上が医師団を送って来て大事になりかねない。
「今日一日だけだ。寝ていないとは言わないが寝た気がしない」
俺はマイ土左衛門袋(寝袋)の中でも震えながら丸まって寝ているらしい。
本当に寒くて寝た気はしないのだ。
とにかく、寒い!
「もう冬の戦はしないぞ!」
「夏の暑さも辛いとか言われておりましたが!」
「言っていたな!」
「どちらが嫌でございますか?」
「どちらも嫌だ!」
あの暑さの中で重ね着をして、さらに鎧を付けるのだ。
ゆでダコになる。
「戦が嫌いなのに、戦に勝つとは若は不思議なお方だ」
「おまえほど変でもない」
そんなことを言いながらやっと屋敷に戻ってきた。
仮の主であった(六角)定頼が出迎えてくれる。
「戦勝、おめでとうございます」
「うむ、そなたの戦目付けを少し借りた。申し訳ない」
「いいえ、仔細は聞いております」
「管領(晴元)の癇癪がこちらの想定内で終わればよいのだが……………!」
こればかりは判らない。
そもそも感情を抑える事ができるなら孫次郎(長慶)との争いもなく、こちらがとばっちり受けることがなかったのだ。
そう考えると腹が立ってくる。
どうして俺が遜らないといけない。
決まっている。
管領(晴元)・六角・朝倉を敵に回して勝てるだけの力がないからだ。
少数で多数を撃破しているが邪道だ。
自惚れれば、いつか負ける。
敵より多くの兵を集めるのが王道なのだ。
って、何の話をしていたのか?
もう、頭が回っていない。
「悪い、一眠りしてから話を伺おう」
「畏まりました」
(六角)定頼と別れて部屋に戻る。
小姓らにも各自別室で仮眠を取るように言いつけた。
俺は風呂に入って床に入ると死んだように寝ていたらしい。
◇◇◇
天文9年2月15日(1540年3月23日)、目を覚ますと一日が過ぎていた。
どうやら丸々一日寝ていたらしい。
流石に寝所にやってきた(朽木)晴綱が起こしてくれた。
六角軍はすでに戦勝を聞くと(後藤)賢豊が引き連れて帰国していたようだ。
六角は高島で得る物が少なかった。
百所にとって河川改修は賦役であって喜んでやるものではないらしい。
「日当を払ってやったのに、やる気はでなかったか?」
「朽木のやり方が気に食わなかったようです」
「田畑を守る基本なのだがな!?」
「百姓にとって種を蒔けば稲が取れ、雨が降れば川が氾濫するのは当たり前であり、お天道様に逆らうモノではないのです」
「そういうものか?」
「朽木・高島では菊童丸様に逆らう者はおりません。菊童丸様に従えば実りは深くなり、川も氾濫致しません」
「少し違うのだが…………」
「判っておりますが、皆、そう思っております」
日当はすべて酒に消えたらしい。
勝ち戦で土産がないのも可哀想なので、『勝ち餅』を一人5個ずつ持って帰らせた。
打ち合わせ通りだ。
「菊童丸様、鉄砲などを除くとほとんどの秘密を六角に話しましたが、よろしかったのですか?」
「下手に隠して疑われるより良いであろう」
「あと、組合のことをもっと聞きたいと申しておりました」
「組合?」
あぁ、株式会社のことか!
去年の御用米の旨みを知った堺と大湊の豪商が今年もやりたいと(伊勢)貞孝のおっさんの所に詰め寄った。
関白様(近衛 稙家)に話すと関白様も乗り気になって、口の堅い商人を朽木の送ってきたのだ。
今年の天候がどうなるかなど俺も知る訳がない。
そもそも俺が全部取り締まるのが面倒臭い。
丸投げできる組織を作ろうと思った。
交易座を作ろうかと思ったのだが、下手に『座』を作ると、他の座と争いになりかねない。
そこで考えたのが、『株式会社』だ。
出資率に応じて発言権を有する。
もちろん、聞きなれない言葉なので、交易をする者が組み合って作る『組合』と命名した。
組合は朽木の名産を売る権利を有する者であり、リンスと蚊帳などを独占的に売れるようにした。
どこで聞いたのか、敦賀の豪商の『打它屋』も参加させろと言っていきた。
手代を独立させて、小浜で『越前屋』の屋号で店を出させて間接介入する。
山科 言継から申し出があった麻絹座の売買の独占権も付けることで出資させたのだ。
麻絹を造る為には機織り機がいる。
高価な機織り機をその都度買っていたのでは高くつくので、木工職人を誘致した。
残りの出資金は大切に使おうなどと思っていたのだが、銭を遊ばせるなどさせてくれず、その他の職人なども多く迎え入れることになる。
木工と鍛冶職人もかなり増えた。
代わりに俺の懐も空になった。
人の銭と思うと使わないと損なように思ったみたいだ。
二度と俺が出資しするのはやめよう。
もう、戦をする銭もない。
しばらくは内政を充実させたい。
などと考えながら食事をしていると、(朽木)晴綱が強引に馬車に詰め込められた。
◇◇◇
俺は(六角)定頼に連れられて京に護送される。
がたがたがた…………………馬車の乗り心地がもう1つだ。
板スプリングは殆ど振動を吸収してくれない。
荷馬車の上に荷物の気分で運ばれている。
これは鉄を使ったスプリングの制作が急務だ。
計りなどに使う小型のスプリングには成功したのだが、鉄の棒を円錐の石材に巻く作業が難航していた。
理屈は簡単なのだけれども、実際に作るのは難しいのだ。
それとゴムだ。
タイヤを制作しないと乗り心地の改善はあり得ない。
ゴムの木と言っても堺の商人も判らないだろう。
何が欲しいと言えばいいんだ?
急げば1日で戻ることもできるが、スピードを上げると乗り心地が最高になって、本当に昇天し兼ねない。
途中で1泊して京に戻った俺は青い顔をして抱きかかえられて屋敷に戻った。
酔った!
一度止めて貰って吐いたが気分は治まらず、本当に参った。
乗り物酔いなど初めてだ。
もう馬車には乗らない。
床が引かれて連れて来た(六角)定頼、(朽木)稙綱らが枕元に坐っている。
「本当に死にそうな顔をされておりましたな!」
「もう二度と馬車には乗らん」
「ははは、それほど酷かったのですか!」
「馬の上の方がずっと楽だった」
「あの青い顔を見て、女中らが慌てておりましたぞぉ」
「今にも死にそうな顔でございましたからな!」
「これで病を押して、朽木と六角の戦いを止めに行ったという嘘が誠になりましたな」
「想定外だ」
シナリオはこうだ。
生死の境にいた俺は少しだけ回復すると草(忍者)の者を使って京を抜け出し、高島の者の前では見栄を張って平気を装ったが朽木に戻ると再び倒れて生死を彷徨った。
朽木・高島の降伏を受理した六角は俺の見舞いに朽木を訪れる。
俺はうわごとのように幕府を支える者同士が争っていけないと訴え!
六角様もそれに心を打たれて朽木の統治はそのままにすると言った。
朽木は俺の期待に応える為に丹波に入った。
そして、がんばって丹波制圧をしたのだ。
多少のやり過ぎもあったようだが……………特に問題もなく。
六角と朽木は手を取り合って俺を京まで送っていた。
まぁ、病の俺が命を掛けて戦わないように訴えたという美談にされている。
本当に死にそうな顔で馬車から出てきたらしい。
女中まで騙すつもりはなかったのだが、結果として信憑性が増してしまった。
まだ、胃の中がシャッフルされた感じで気分が悪い。