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童子切異聞 <剣豪将軍 義輝伝> ~天下の剣、菊童丸でございます~  作者: 牛一/冬星明
第一章『俺は生まれながらにして将軍である』
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裏話.佐吉丸の草物語。

おらは大芋村の佐吉という。


おら達のご先祖は鎮守府将軍藤原利仁らしく、基定の代に天田郡荒木邑を賜って荒木を称したらしい。南北朝時代、おら達のご先祖様は丹波守護仁木氏、山名氏、細川氏と仕える方を替えていった。


一族が丹波中に広がっていったと聞いている。


一族を束ねた荒木又太郎基氏様は細川澄元に従い、基氏の子彦八郎氏定様は細川高国に仕えた。


おらの村、大芋村は八木城の内藤 国貞(ないとう くにさだ)様に仕えることになったのだ。


丹波守護代様に仕える事に選ばれて、おらは勝ち組になったと誇らしかった。


しかし、波多野 稙通(はたの たねみち)が台頭してきた。


同族の西丹波衆にも鞍替えする者が出た。


荒木一族が二つに割れた。


八木城が落ちて、おらの村でも波多野様に仕えている者を何人か出していた。


運が向いてきたと思っていたのに飛んだ貧乏くじを引いてしまったみたいだ。


もう、内藤様に仕えているのは、本目、宍人、大芋の三族のみだ。


内藤様は田原城の小林様を頼っている。


皆がもう終わりだと言っている。


雪が降り始めた頃、田原城に侍に守られて僧が一人やってきた。


「佐吉はおるか」

「ここにおります」

「うむ、こちらに来い」


おらは我らの組頭に呼ばれた。


「若衆を連れて、僧と共に朽木に行け! おまえらの新しい主になるお方がおられる」

「内藤様を見限るのですか?」

「違う。内藤様からの要望だ。同盟の証として、お主らを譲渡することになった」


内藤様に御仕えする我らはもう30人しかいない。


それでも手当が滞るようになっていた。


朽木の者が草(忍者)を欲しがっているらしく、渡りに舟とばかり、おら達を手放したのだ。


それでも手練れは残すのは、身の安全を確保する為だろう。


本当に内藤様は終わった!


朽木は街道沿いに栄えており、銭払いは良さそうだ。


 ◇◇◇


「俺がお前らの主人となる菊童丸だ」


どうやらおら達の新しいご主人様は朽木ではなく、将軍様の御嫡男様らしい。


「10人頭はお主か?」

「はい、私が若衆の頭だす」

「名はあるか?」

「大芋村の佐吉と申します」

「そうか、お主の名は大芋佐吉丸と名付けよう」

「ありがとうごぜいます」


菊童丸様は皆に名を与えてくれた。


「お主らを10貫文で召し抱える。10人頭の佐吉丸は20貫文だ」

「申し訳ございませんが、10貫、20貫ではお仕事をお引き受けすることはできません」

「勘違いするな! 召し抱えると言ったであろう。これは単なる手当だ。褒美は別に手当する。村にも相場の銭を与える。家臣になるのが嫌か?」

「滅相もございません」


会ったばかりのおら達を家臣にすると言うからびっくりした。


兼家(かねいえ)はおるか!」

「ここに控えております」

長野 兼家(ながの かねいえ)じゃ。この者らをそなたに預ける」

「畏まりました」

「だが、10人では足らん。村に行ってもっと出させよ。村ごと召し抱えてもよい」


長野様は甲賀の手練れであった。

朽木に来たが、とんぼ返りで丹波に戻り、本目、宍人、大芋の村を回った。

各村に前金で1,000貫文を出す。


将軍様は金持ちだ。


「佐吉丸、それは違うぞ。将軍家はむしろ貧乏だ。朝廷や公家様と付き合う為に銭が掛かる。その方らに与える銭は菊童丸様が自ら稼いだ銭だ」

「菊童丸様が金持ちなのですな!」

「それも違う。菊童丸様は必要と思われる物に銭を惜しまないだけだ。お主らの他にも機織り機を造る木工職人や味噌・酒の職人も召し抱えられた。高島や捕虜にも飯を用意せねばならん。先日の戦もあって、朽木の銭倉はほとんど空と言われておる」

「おら達の手当がないのですか?」

「それも違う。機織り機が増えれば、麻絹が多く作れる。味噌蔵、酒蔵、それに醤油蔵が建てば、味噌も酒も醤油も売れる。春になれば、朽木に銭が戻ってくる」

「安心しました」

「儂が言いたいのはお主らの銭の心配ではない。お主らはそれだけ期待されて、大金を投じられた。その分の働きをせよと言っている」

「判りました」

「本当に判っているのか?」


三村の村長は手練れほど大金が貰えると知って50人を送ってきた。


組頭から若頭に戻ってしまった。


 ◇◇◇


最初の仕事は裏切り者の探索であった。


内藤様の血判状を作り、城主の小林様が各城を巡った。


打倒波多野氏を書いた血判状を持って名前を書かせてゆく。


おらたち村雲党はその城主を見張るのが仕事だ。


その血判状を読んだ裏切り者は波多野氏や管領に使者を送った。


「綾部の七庄司七下司が内藤様を支持されていたとは始めて知りました」

「何のことだ?」

「(長野)兼家(かねいえ)様、血判状の事でございます」

「天井から読めたのか?」

「はい、目だけはよろしいので」

「あれは嘘だ」

「はぁ、嘘ですか?」

「俺が幕府から書状を借りてきて、菊童丸様の右筆(ゆうひつ)が真似て書いた偽物だ」

「何故ですか?」

「それを見た裏切り者は慌てて、波多野や管領に知らせるであろう。管領様は疑り深い。一度裏切った者を絶対に許さない。巧くいけば、七庄司七下司が朽木か、(若狭)武田を頼ってくるかもしれんであろう」

「つまり、内藤の裏切り者を炙り出し、ついでに七庄司七下司を味方にしようという策ですか?」

「そういうことだ。菊童丸様は中々に頭が切れるお方であろう」

「タダの小僧ではなかっただか!」

「馬鹿者、御主人様の事を小僧などと呼ぶでない」


(長野)兼家(かねいえ)様から滅茶苦茶に怒られた。


 ◇◇◇


内藤家に仕えていた頃より100倍は忙しい。


正月を超えると(長野)兼家(かねいえ)様と東丹波の領主を回った。

領主の手紙を菊童丸様に持って帰ると返信の書状を持って領主の元に戻り、それが終わると(長野)兼家(かねいえ)様を追い駆けて、以下繰り返し。


手紙を受け取った領主様は「六角様によろしく」と言われるのだが何の事か判らない。


とにかく忙しい。


雪の中を何度往復させられたことか!


それが終わると休む間もなく、再び内藤家を裏切っている城主を見張る。


2月6日、内藤様が六角に降ったと聞いた。


「他の城主にも8日まで、田原城に来るように早馬が出される。裏切り者は必ず、波多野や管領に知らせるであろう。これを一人も通すなという御命令だ。気を引き締めろ!」


放たれる使者は一人とは限らない。


早馬、商人に扮する者、山道を使う者、回り道をする者、すべてを排除しろと言う。


60人の村雲党だけで処理するのは中々に大変な作業だ。


「馬は捕えよ。着物、刀などは剥いで追いはぎを装え!」


馬は朽木に連れて帰り、刀や着物などは売り払うという。


菊童丸様は銭を惜しげもなく出すのに、馬を奪え、追いはぎまでせよとけち臭いことも言う。


何を考えているのか判らない。


ヤバぃ、手練れがいた!


「馬鹿者、油断するなと言ったであろう」

「すみません」


危なく、死に掛けた。


草(忍者)仕事は命懸けだ。


8日夜になると半数が園部に移動する。


菊童丸様は同族(荒木一族)の園部衆を大金ですべて雇い入れたらしい。


村ごと買い入れるとは、一体いくらを使ったのだろう?


園部衆らは西丹波の同族(荒木)で在っても通すことはならんらしい。


しかし、銭を出す者には『旗は朽木しかない』、『東丹波の城に朽木が手を出していない』などの情報を売って良いと許された。


朽木の兵しか来ていないことを悟られるのは拙いのではないか?


おら達の師匠である手練れと園部衆は山を通さないことが仕事であった。


おら達は敵を見張って菊童丸様に知らせるのが仕事だ。


早朝から戦がはじまり、我が軍がすぐに退却した。


おらは敵が山を回って途切れた所で合図の狼煙を上げた。


それと同時に隠れていた朽木軍が姿を現して波多野軍を包囲した。


少数の朽木の兵が1万近い波多野軍を取り囲んでいた。


すげぃ、少数で大軍を圧倒しておる。


「何をぼさっとしておる」

「すみません」

「後続の摂津衆8,000は動く気配はないと報告に行け!」

「畏まりました」


摂津衆の池田に仕えている荒木 義村(あらき よしむら)には、情報を売ったと言っていたな!


朽木の兵が少ないことを逆に警戒されたのか?


よく判らんが、攻めているのは丹波の兵と傭兵のみだ。


その事を菊童丸様に伝えた。


「よく知らせてくれた。川下の別所 静治(べっしょ せいじ)の方の様子を見て来てくれ!」

「判っただ」


川下の別働隊は暇を弄んでいた。


「暇でござる」


様子を見て戻ってくると、(長野)兼家(かねいえ)様に怒られた。


「佐吉丸、報告が終わり次第、戻って来いと言ったであろう」

「おらは菊童丸様に言われて、川下に行ってきただ」

「それも終わったのであろう。ならば、すぐに戻って来い。次は敵の逃げた馬を捕まえるぞ」

「まただか!」


朽木の兵は追いはぎを終えると、河原で死体を埋めて火葬をした。


高い油を撒いたかと思うと、刀・槍・鎧・兜・着物まですべて奪って蜷川城(にながわじょう)に入れさせた。


追いはぎをするのは足軽や近くの村人がするものだと思っていた。


武士はそういったことを意味嫌うのだ。


名のある武将の刀や槍を戦利品として持ち帰る人は割といたな!


でも、あれは勲章のようなものだ。


追いはぎと違う。


その武士の頂点、将軍様の嫡男様が追いはぎをやらせた。


よく判らん人だと首を捻った。



戦国において足軽は悪しき者という認識があったようです。


足軽を使うようになると、追剥・強盗が当たり前になりました。


一条兼良が9代目足利義尚に与えた政道の指南書


『樵談治要』

足がるといふ者長く停止せらるベき事。

「足軽は今後一切禁止すべきです。奴らは度し難い悪党です。洛中洛外の寺社仏閣も公家を荒すのはすべて奴等の所業です。敵がいる所では役に立たないのに、いない所では途端に調子に乗って打ち破り、放火して財宝を物色するあり様は、まさに昼強盗です。前代未聞でございます。

これも武芸が廃れたせいで起こった事です。

本来は名ある侍が戦うべきところを、奴らに代わりをさせたから起こったのです。

奴らの射た矢で命を落とした侍もいますが、末代までの恥でしかありません。

奴らにも主人がいるのですから、その者を捕まえて糾弾すべきです。

罰則付きの禁止令を敷いて取り締まりましょう。

外の国に知られようものなら恥辱です」(私訳)


そりゃ、百姓は無償で借り出されており、乱暴・狼藉で物色した物が収入となっていました。


公的な強盗である『乱取り』は、足軽の収入源です。



菊童丸君は、これを禁止していたので、討たれた者の追いはぎも大切な収入にしていました。


サイドストーリーが増えて、長くなるだけなので省きますが、蜷川 親世(にながわ ちかよ)に追いはぎで奪った鎧・兜・刀・槍を商人に売って、銭を菊童丸君に渡す仕事を申し付けられます。


他にも、使わなかった兵糧を園部の村人に分配して、人気取りもしておくようにとか!


「菊童丸様は儂を殺す気か!」


蜷川 親世(にながわ ちかよ)が忙しさに文句を言うお話です。

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